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熱を帯びて

薄くオレンジに染まり始めた空の下

フェンスに寄りかかるようにして遠くを眺める


その横顔は、夢を見ているようで

声を掛けたら何かが変わってしまいそうで


私は立ち尽くしたまま、声すら掛けられなかった


先輩はゆっくりとコートから目線を外し

私の立っている階段の方に目を向ける


…バッチリ目が合ってしまった

先輩は、耳からイヤホンを外し

「居たんなら、声くらい掛けろよ」


私は慌てて取り繕う

「いえ、今来たところだったんで…」

「そういえば、髪の反応どうでした?」


イメチェンしてから初の登校だったから

さぞかしびっくりしたと思う


先輩は苦笑いしながら

「姉貴には反抗期扱いされた」

「クラスメイトは…」

「普段から話さないから分かんないわ」


思ったよりも反応は芳しく無かったようで

「前よりも良くなったんですけどね…」


確かに声は掛けづらい

普段、先輩と話してる私ですら躊躇してしまう

どこか朧気な雰囲気

先輩と話した事が無ければ余計だろう


…というよりもこの時期になって喋った事のないクラスメイトが居るなんて方が稀なケースだとは思うけれど


そこまで考えて、ひとつの疑念に思い至る

「…思ったんですけど、デート以前にどうやって誘うつもりなんですか?」

普通に考えて、よっぽど好みでもない限り

見知らぬ男性に声は掛けないだろうし

もし好みだとしてもなかなか話しかけたりは出来ない


先輩は目線を泳がせて誤魔化すように笑う

「どうにか頑張ります…」

私は先輩に聞こえるように思いっきりため息を付く

「ノープランですか」

あんな恥ずかしいデートプランを語ってもらう前に、そっちのほうを考えるべきだった


「なんの接点も無いんですか?」

そんな私の質問に、先輩は自信ありげに答える

「なんのどころか誰とも接点無いんだけど」


そもそも、論外だった

「クラスとか分かんないんですか?」

「知らないけど、いつもテニスコート居るわけじゃないから学年は一つ上なのかな?」

自信なさげとはいえ、その推論は正しく聞こえる


確かに三年生はこの時期引退していて

それでも後輩への指導なんかで顔を出す事も有るだろう


「まずは、その辺り固めないと話にならないですね」

「取り敢えずテニス部の子に聞いてみます」


むしろそれを一番最初に思い付くべきだった


そんな私をどこか困ったような顔で見る先輩

「どうしたんですか?」


ひとしきり悩んだような沈黙の後に

「…いや」

「お前って転んだことある?」


「そんなのあるに決まってるじゃないですか」


それでもそんな痛みはとうの昔の話で

ここしばらくそんな痛さは体験した記憶はないけど

どうして、そんな事を聞くのだろう?


「俺もいっぱい有る」

「だから、全力で転げた痛さが忘れられない」


そこまで聞いてやっと思い当たる

別に本当に転んだ話をしてる訳では無いらしい


一心不乱になり振り構わず走ったから転ぶ

彼はそう言いたいのだ

転んだ痛みを知らないわけではない

そういう思いをしたから怖い


だから、ここから見ているだけだった

そう言いたいのだろう


そして、私が転ばなくなったのは

上手に走れるようになったからではなくて

本気で走るのを辞めたから、転ばないだけで

そんな痛みはとうに忘れて思い出せない


「なら辞めますか?」

「諦めて、ここからずっと眺めてますか?」


それもいい、誰も傷つかない

何一つ悪い事なんてない

それでも、私の言葉は嘲るような響きで

どこかに失意を孕んだような口調で彼を追い立てる

「何もわからないままこんな所で突っ立ってるのがいいって言うなら私は止めませんよ?」


私は知りたい

彼の変化の結末を、この恋の行く末を欲してる

だって、痛むのは私ではないから


何処までも無責任でいられるから


「どうするんですか?」

私はいつも先輩が眺めるコートの方に目を向けて

そんな質問じみて聞こえるだけの、ただの確認をする


「…俺は飛びたい」


それは、分かり切った回答だった筈なのに

それなのに私は言葉を続けてしまった


――その熱に触れてしまった


「…たかだか一目惚れに執着して」

「そんなに苦しいなら、何で恋なんてしたんですか?」


痛みも恋も知らない私には分からない

だから、その答えを彼に求める


沈黙のまま、答えは無く

グラウンドから聞こえる雑多な声だけが響いて

沈黙したままの彼に目を向けた時に


そんな質問を軽々しく聞いた自分を悔いた


彼の瞳は怒りにも似た激情を帯びて

その手は白くなるほど握り締められていて

堪えるかのように固く結ばれた口をゆっくりと開いて


「…恋をしたなんて思ってんなら大間違いだ」


彼はそれだけを絞りだすように吐き捨て

苦しそうに笑顔を作る


アッシュグレーに染まる髪の隙間から覗く瞳は

一瞬でその熱を失ったように冷たく光り

もう、その感情が何だったのかを知ることはできない


そんな彼を見て

胸の奥がジリジリと痛んだ


彼はそんな冷たさすら隠すように、目を閉じる

そして目を開けた時には

いつもの気だるげな表情を浮かべていて

どうでもよさそうな響きの声が私に問う


「お前、なんか食えない物あんの?」


その表情も声も、それ以上踏み込むことを許さない

そんな意思表示なんだろう


それでも彼が

私に喋りかけてくれる事に

そんな、いつも通りを続けられる事に安堵する


「…これと言って無いですけど」


「じゃあ次はケーキな」

一瞬それがなんの事だか分からなくて戸惑ったが

すぐ思い当たって


私は笑みが溢れる


「お店選びは任せますね」


彼はフェンスの向こうを眺めながら、呟く

「…期待はすんなよ」


私はそんな彼の横顔を見ながら

次のゲームは何時だろうかと考えて

早く、それが来る事を祈った



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