田舎と女とトラックと
代金を支払って店を出るとさっきよりも空がオレンジ色になっていた。
車に戻って時計を見ると休憩時間はまだ一時間以上あった。暇だしなんかするかーと思い辺りを見るとバッティングセンターがあった。ちょっと行きたかったけど制服で汗かいたら駄目だよな。
仕事に戻ってもいいかなあ。さっき寝たばっかだし今はそんなに疲れてない。地図見て地形覚えたり、接客マニュアル見たりするのもだるい。めちゃくちゃかしこまらなくても怒る客はほとんどいないし。
仕方なくスマホでも弄って適当に時間をつぶしていると、ようやく休憩時間が終わった。
エンジンをかけて俺は車を発進させた。時間は六時。この時間になると帰宅する人が増えるため、自然と乗客も増える。それからは前半の不況が嘘のように繁盛した。一組乗せればまた一組、それに続いてまた一組。休む暇もなく次々とお客さんが来た。
そうして仕事に勤しんでいると、一息ついたころには時間は九時半を過ぎたころだった。
「差が激しいんだよ、差が……」
急な激務と、それを素直に喜ぶことができない自分に嫌気がさす。はあ。お金が手に入ることは嬉しいんだけどなあ。
この時間になると今いるこの街の人たちは皆家に帰ってしまうのか帰宅ラッシュの時間帯よりかなり乗客が減ってしまう。それが理由で俺はいつも通り、別の街に移動することにした。次に向かう町は今の街よりも都会っぽい。夜に営業している飲食店(主に居酒屋)が多いからそこが狙い目だ。
安全運転を気にしつつ、お客さんを見逃さないように道路にも気を配る。移動していると、やがて街を抜けて、次の街までの田舎道に入った。移動には結構な時間を要する。大体四十分ぐらいかかる。時間は別にいいんだけどガソリン代が嵩むのが気になる。そのぶんは今から取り返そう。
田舎道というと本当に田舎で、辺りには田んぼや畑しか見当たらない。後は、山とか、何かの虫の鳴き声がうるさい。田や畑にも所有者がいるはずだけど、その人たちが住んでいるらしい家もない。要するに、何もない。夜遅いし車の通りは、ない。俺以外には。この道を進んでいくと考えると少し身震いした。噂を信じたわけじゃないけどこの世界には俺しか存在していないんじゃないかと心細くなってしまった。
暫く進んでいると、信号機に引っかかった。意外とこんなくそ田舎でも信号はあるんだから毎回複雑な気持ちになる。誰も通らない信号を何回も待つのは苦痛ともいえる。
どうせこんなところで客なんて来ないし、音楽でも流そうかとスマホを手に取った時だった。
激しい砂嵐のような音が、テレビの放送していない時のチャンネルの砂嵐が頭の中を流れた。仕事中だと言うのにどうしようもない吐き気が全身を包み込んだ。視界は黒くぼやけて、吐く息は白く、全身に鳥肌が立っている。電源ボタンを押したはずなのに、なぜか画面が明るくならない。車のエンジン音や未知の昆虫の鳴き声が全く耳に入らないのに、自分の呼吸音と心音だけはやけにはっきりと鮮明に耳にこびりつく。
その直後。コンコン、と軽く窓を叩く音が鳴った。
「どぅわあぁ!」
最低に情けない声が聞こえたけど今のは俺じゃないと信じたい。いやいや、こんなところに人がいるわけないだろう。気のせいに決まっている。
「中、よろしいですか?」
透き通った声だった。窓越しにでもはっきりと聞こえたのだから驚きだ。女優や歌手でもしていると言われたら納得できる。
綺麗な声を聞いて俺は安心したんだろう。思わず、後ろを振り向いてしまった。
しまった、と思った時にはもう遅い。しっかりと、ばっちりと、目が合った。その瞬間、不思議なことでけど、さっきまで感じていた悪寒や眩暈はどこかへ行ってしまった。
「だ、大丈夫です……」
つい大丈夫なんて言っちゃたけど、これいいのか?
そう思ったはずなのに、俺はいつの間にか後部座席の鍵を開けていた。
ふと、車に備え付けられているデジタル時計が目に入った。何も関係はないと思う。でも、時間は十時だった。
女は何事もなく後部座席に座ると「まっすぐ」と小さな声で呟いた。俺はその指示に従い、田舎の道を進んだ。
「にしても大変でしたねー」
車の駆動音しか響かないこの田舎で、沈黙が続くのを避けるため俺は営業トークを展開した。
返事が来ることは無かった。会話をするつもりは無いのだろうか。
「お客さん、あそこで何してたんですか?」
「この辺りはぜんぜん人がいないですよねー」
「たまに通るんですけどちょっと怖くないですか?」
「移動ついでに乗ってくれたので助かりましたよ」
めげることなく、言葉をかけ続けるけどやっぱり返事は来ない。横目でちらっと見てみるも、彼女は微動だにしていない。
落ち着いていた心臓がまた激しく動き出した。その原因が興奮や疲労でないことはわかる。俺は何かに怯えていた。
「前」
見ていたことに気づかれたと焦った。慌てて前を向いた。その直後だった。
前方から耳が破裂したような衝撃音が鳴った。それと共に上半身が膨張したエアバッグに叩きつけられた。そのせいで首や背中が痛む。妙な浮遊感が体を覆う。
がんがんと響く頭を押さえながら頭をあげて、ようやく状況が掴めた。
目の前には真っ暗な地面。割れたガラス。近くには巨大なトラックがあった。
これは交通事故だ。居眠り運転かなにかとぶつかって、俺の乗ってる車体の小さなタクシーは吹っ飛ばされたんだろう。
後ろを見ると既に抜け出したのか、女はいなかった。
意識は不思議とハッキリとしていて、なんとかタクシーの中から這い出ることに成功した。地面に倒れ込んで、スマホで救急車を呼ぼうとしたがどのポケットにも入っていなかった。
「ど―――う」
どうしようと言ったつもりなのに言葉は思い通りにはならなかった。
つーかトラックの運転手は出てこいよ。何してるんだよ。事故だぞ事故。こっちは死にかけだこら早く来い。
インフルエンザの時よりもだるい体を動かして、トラックを見てみたが誰も降りてくる気配はない。
「―――んな……」
ああ。何言ってんのかわかんねえよ俺。
「前って言ったじゃない。馬鹿な人ね」
誰だ?
「いただきます」
は? 今、なんて―――。
「おおっ――あえええ……!」
獣のような呻き声をあげたのは俺だ。突然、激痛か走る。正体を見るため足元を見ると、さっきの女がいた。
「な――無事――――か」
違う。そんなことどうでもいいだろ。そんなとこは、目の前の光景、女が靴や服ごと、俺の足を食っている光景に比べればどうでもいい事のはずだ。
「っっっ!!!」
ナイフを用いて左足の膝の部分が切断された。それと同時に俺の足がまるで強力な電流でも通したかのように跳ね上がった。たまらず俺は右足で女の頭を蹴り飛ばし、全身を使って逃げようとした。右手を前に出し、左手がそれの後を追う。最後に右足で地面を蹴りそれを繰り返す。左足は動かない。事故が起きたおかげで痛覚が麻痺していることだけが救いだ。
いくら逃げようとしても、所詮は這うことしかできない俺が逃げられるわけがなかった。数メートル進んだところで俺の右足が女の腕に捕まれる。信じられない力で体ごと引きずられ元の場所にまで戻された。頬や膝が地面にこすれて妙に熱くなる。
逃げられないことを悟り俺はようやく恐怖を取り戻す。何だ、何だこれ。何でこんなことになってんだよ。この田舎だっていつも通っている道だし、ここを通るなんて日常茶飯事だってのに俺がなにかしたっていうのかよ! それともなんだ。あの噂は本当だってのか。昼間の母親の「知ってる?」を思い返す。運賃が変わる瞬間に十字路を走ることなんていくらでもあるだろ。そんな噂のために俺はこんな目に合っているのか。
俺の気持ちなんて関係なく女は俺の体を引き裂いていく。右手のナイフで俺の右足を切って。膝から下が俺から分断される。足が地面に落ちる鈍い音が鳴る。俺の右足が、なくなる。ゴリゴリと俺の体を削る女は長い前髪の下で笑っていた。俺を解体することを楽しんでいる。無力感に覆われる俺の表情を味わっている。そんな感情が満面の笑みとなって表れている。ふざけやがって。
ああもうだめだ。痛みはとうの昔に置いてきた。体中の熱が失われていっているのがわかる。分断される手足と共に俺の体から離れて行ってるのがわかる。死ぬ。
汗なのか血なのかわからない液体が入った目がゆっくり閉じていく。
次話でラストです。明日の同じ時間に投稿します。




