きれいなもの
1
住宅街から少し離れた、人気のない公園。そこが今村瑠花のお気に入りの場所。だ。
「…誰も、いないよね」
放課後、瑠花は慎重に辺りを見回しながら公園に足を踏み入れた。誰もいないことを確認すると、鞄をベンチに置き、ブランコに乗る。
すっ、と息を吸って、瑠花は歌い始めた。その歌はふわふわと漂い、空に吸い込まれていった。高い木々が周りを囲っているので、誰かに聞かれる心配もしなくていい。それが瑠花がこの公園を気に入っているおおきな理由だ。
「…ふう」
瑠花は歌うのをやめ、空を見上げた。
相変わらず、木の葉が擦れる音しか聞こえない。地球が滅んでしまったのかと錯覚するほどだ。
「なんでこんな公園残してるんだろ…土地の無駄遣いじゃないのかな」
そう呟くと、「教えてあげようか」とどこからか声が聞こえてきた。人影はないのに。
瑠花は立ち上がり、身構えた。
木の陰から頭を軽く振りながら出てきたのは、総白髪の男だった。といっても髪以外のところは若く、整った顔立ちをしている。
「ここは、僕の思い出の場所なんだ。…とか言いたいんだけど、実際はただ単に潰すのが面倒くさかったからなんだ」
「潰す、って…」
「この公園は僕のなんだ。正確にいえば僕の家のだけど」
瑠花は驚きすぎて何を言えばいいかわからず、「は?」と間抜けな声を出してしまった。
「僕は天草蒼一郎。君は?」
男はいきなり尋ねてきた。自分から名乗ったのはせめてもの礼儀かもしれない。
「…今村瑠花です」
「瑠花ちゃん、早速で悪いけど頼みがある。僕の最期に、歌を歌ってくれませんか?」
「さいご、って?」
瑠花が意味がよく分からずに訊き返すと、蒼一郎は落ち着いた調子で答えた。
「人間に最期まで残る感覚が聴覚だってことは知ってる?
僕は、もうすぐ病気で死ぬ。だから、僕が死ぬときになったら僕の意識がなくなるまで歌を歌っていてほしいんだ」
「でも、あなたお金持ちなんでしょう?プロの歌手に頼めばいいじゃないですか」
「断るつもり?でもそしたらこの公園、潰しちゃうけど。それでもいいの?君にとっては大事な場所じゃないの?」
蒼一郎の脅しに、瑠花はぐっと言葉に詰まった。確かにここがなくなったら、もう他に瑠花の居場所はない。
「…分かりました。やります」
瑠花が言うと、蒼一郎は満足げに頷いた。
「ありがとう。じゃあ早速うちに来てくれる?」
「え、今ですか?」
「今だよ。まだ明るいし、大丈夫でしょ」
「そういう問題じゃないんですけど…。いきなり知らない人の家にお邪魔するのはちょっと」
「知らない人、ではないよ。少なくとも僕は、ずっと君のことを見てたし」
瑠花は首を傾げ、そして気づいた。蒼一郎が出てきた後の出来事のインパクトが強くて忘れていたが、それまで蒼一郎は瑠花からは見えない場所にずっといたのだ。
「ずっと、っていつからですか?」
「今日だけじゃないよ。二週間前くらいからかな。君はいつもこれくらいの時間にここに来るでしょ?だから僕もその時間に来るのが日課になってたんだ」
「…ストーカーってことですか?」
「ついていったりしてるわけじゃないんだし、違うんじゃない?まあ細かい話はうちでしよう。ほらほら」
瑠花は半ば強制的に車に乗せられ、不安を感じながら蒼一郎の家へと向かうことになった。
蒼一郎の家は予想通りの豪邸で、外観もさることながら中もすごかった。絵画や鎧など金持ちの象徴のようなものはあまりなかったが、一つ一つの家具が見るからに質の良さそうなものばかりだった。だが家全体がなぜか寒々しく、くつろげそうな感じではない。
「さあさあ、どうぞ」
瑠花が通されたのは、ソファーと机しかないシンプルな部屋だった。呼び名をつけるとすれば『応接間』だろう。
「飲み物は何にする?大体は出せるけど」
「え、み、水でお願いします!」
「いいの?まあその方がこっちは助かるけど」
そして、蒼一郎は携帯を取り出し、どこかに電話をかけた。
「もしもし、今お客さん来てるから飲み物持ってきてもらえますか?うん、水でいいって。じゃあお願いします」
短い会話を終えると、蒼一郎はポケットに携帯をしまって瑠花の方に向き直った。
「あと少しで来ると思うから、ちょっと待ってて」
「今の電話の人、だれなんですか?」
だいたい予想はついていたが、念のため瑠花は訊いた。
「ああ、お手伝いさんだよ。それがどうかした?」
「…どうもしないです」
瑠花のため息に、蒼一郎は首を傾げた。
そして、数分後にドアがノックされ、「失礼します」と中に先ほどのお手伝いさんらしき女が入ってきた。
「お水です」
瑠花の目の前に置かれたのは、何の変哲もないただの水だった。ただしグラスは高級そうだが。
「あれ、なんで僕のは湯気が出てるの?」
蒼一郎は驚いた声を出した。
「冷たいものはお体に良くないと思いまして、白湯にさせていただきました」
「…有能すぎるね、木崎さんは」
蒼一郎はそれだけ言って、少し顔をしかめながら白湯を飲んだ。
木崎と呼ばれたお手伝いさんは一礼し、帰っていった。
「それで本題だけど、歌はどの歌でもいいよ。ただ、僕が危篤になったらこの家に来て僕が完全に死ぬまで歌っていてくれればいいだけ。簡単でしょ?そしたら僕の死んだ後、君にそれなりのお金を渡すように頼んでおくから」
どこか他人事な蒼一郎の口調に、瑠花は少し違和感を覚えた。まるで何かの実験の説明をしているようだ。
「…分かりました。でも、一つだけ訊いてもいいですか?」
「なに?」
「私がいたら、お邪魔じゃないですか?最期は家族とか、大切な人と過ごした方がいいんじゃ…」
その言葉を聞いて、ふふふ、と蒼一郎は自嘲気味に笑った。そして立ち上がり、窓の方に近づいた。
「瑠花ちゃん、一ついいことを教えてあげるよ。君が思ってるほど、世の中幸せな人ばかりじゃないんだよ。それに気づかないってことは、君がそれだけ幸せだってことなんだけどね」
「…ごめんなさい」
「謝ることではないよ。僕はね、家族がいないんだ。死んだわけじゃない。ただ、皆僕に興味がないんだ。だから血は繋がってるけど家族じゃない。僕が死ぬって聞いても、彼らは『ああ、そうなんだ』程度の気持ちしか抱かないだろうね。現に見舞いに来てくれたことは一度もないし」
声は明るいが、蒼一郎の顔は感情のない人形のようだった。
瑠花が何も言えずに黙っていると、蒼一郎はさらに話し続けた。
「僕の家系にはね、人に対して愛情や興味が持てない人が多いんだ。恋愛感情はもちろん、情そのものがないんだ。家族や友達を心から信用することもない。愛そのものが欠けている。僕もそうかもしれない」
「そんな…」
瑠花は驚きと、深い悲しみを感じた。この人は、こんなに孤独で、こんなに寂しいのに。誰も助けようとしない。
「だからこそ、君の歌を聴いて死にたいと思ったんだよ。最期くらいね」
「私、そんなに歌うまくないです。きっとがっかりさせます」
俯いて、瑠花は呟いた。
「…確かに、技術的にはもっとうまい人がたくさんいる。けど、君の歌を歌えるのは君しかいないだろ?」
そう言って、蒼一郎は初めて笑顔になった。
「笑ってた方がいいですよ」と思わず瑠花は言った。
「え?」
「蒼一郎さんの笑顔。私、好きです」
蒼一郎は目を見開き、照れ笑いを浮かべて「ありがとう。君は面白いね」と言った。
2
学校で、瑠花は常に一人だ。一人で学校に行き、一人で弁当を食べ、一人で帰る。人と一度も会話せずに過ごすことも多い。
以前、アナウンサーをしている母親からこう言われたことがある。
『あなたは、なんでこう社会に溶け込めないのかしらね。悪い子じゃないし、人と比べて大きく劣ってるわけでもないのに。私の子なのに、どうしてこうも私に似てないのかしら』
その口調が、嘲っているというよりはどこか憐れんでいるようだったので、その時の瑠花は何も言い返すことができなかった。
そんなことを思いながら、瑠花は自分の席で本を読んでいた。考え事をしながら色々なことを同時進行でできるのが特技でもある。まわりではクラスメイトたちが楽しそうに騒いでいるが、気にも留めない。
「瑠花ちゃん、何読んでるの?」
瑠花が顔を上げると、目の前には坂下香織が立っていた。
「…別に。普通のだよ」
こんな時うまく話が広げられたらいいのだろうなというのは分かっている。だが、題名を言ったところで相手もそれを知っていることなどほとんどないし、言うだけ無駄な気がして瑠花は言わないでいる。
「そっか。…ねえ、やっばり合唱部に入る気はない?瑠花ちゃんが入ってくれたら助かるんだけど」
香織は、合唱部の部長だ。合唱コンクールで瑠花の歌声を聴いてからずっと瑠花を勧誘し続けている。
「ごめんね、無理」
「なんで?瑠花ちゃん、歌うの好きだよね?みんなで歌うの楽しいよ」
「…ごめんね」
瑠花がそう繰り返すと、香織は溜息をついて「そっか、じゃあまた」と皆の輪の中に帰っていった。あの調子だとまた来そうだな、と瑠花は憂鬱な気持ちになった。
その放課後、瑠花は蒼一郎にそのことを話した。あの日以来、瑠花は何かあるたびに、いや何もなくても蒼一郎の家を訪れるようになっていた。
「しつこくされるのが嫌なら、いっそのこと入部してあげればいいのに」
瑠花の話を聞いた蒼一郎は、ベッドの上にいながらそう言った。体調があまり優れないらしい。
「それは無理です、絶対に」
「…ふーん」
蒼一郎は瑠花の方を見て、何かを察したかのように頷いた。
「まあ、瑠花ちゃんがしたいようにすればいいけど。それで、君は僕に何を求めてるの?」
「…どうやったらその子を諦めさせられるのかが知りたいんです」
「なら、言ってしまえばいいのに。私は合唱部に入る気はないです、これ以上誘われるのは迷惑です、って」
蒼一郎の言葉を受けて、瑠花は俯いて黙り込んだ。
しばらくすると沈黙に負けて、蒼一郎が口を開いた。
「…はあ、わがままだね。じゃあ、僕が君の優しさに免じて考えてあげるよ。ベストな方法をね。ちょっと待ってて」
「ありがとうございます」
そして蒼一郎はベッドから抜け出し、カーペットのしいてある床に座り込んだ。
「え、何してるんですか?」
「こうしてるといいアイディアが浮かぶんだよ」
それだけ言って、蒼一郎は目を閉じて考え込み始めた。
瑠花はその間やることがなかったので、鞄から小説を取り出して読んでいた。
そして十分ほど経ち、蒼一郎は目を開いた。
「何か浮かびました?」と瑠花は尋ねた。
「…適材適所」
「は?」
「僕にはこの問題は荷が重すぎる。なんせ、人と関わった経験が少ないからね。だから、こういうのに詳しい人に訊けばいいんだ」
「結局思いつかなかったんじゃないですか…」
「まあまあ」
突然、蒼一郎はドアの方を向いた。
「いるんでしょう?出てきてください」
瑠花は訳が分からず、ドアと蒼一郎を交互に見た。
そうっとドアが開き、中に入ってきたのは木あの日飲み物を運んできてくれたお手伝いさん、木崎だった。少しばつの悪そうな顔をしている。
「…すみません、盗み聞きのような真似をするつもりはなかったのですが。蒼一郎様の体調がいつ急に悪くなってもいいように、待機していただけで」
「別に聞かれて困るようなこと話してないから大丈夫だよ。むしろその方が話が早くて助かる。全部聞いてたんでしょ?どう思う、この問題について」
木崎は瑠花を一瞥してから、蒼一郎に視線を戻した。
「月並みな意見ですが、一旦仮入部してみて、そのうえで断ればいいのではないですか?何事もやってみなければ分からないと言いますし、やってみたうえで無理だったのだと伝えればさすがにその子も諦めてくれると思います。瑠花さんには失礼ですが、歌がうまい人は瑠花さん以外にもいるでしょうし」
「なるほど、いいですね。ありがとうございます」と、瑠花は何度も頷きながら言った。なぜ自分で思いつかなかったのだろう。
「ほら、やっぱり僕の言った通りじゃないか。木崎さんならきっといい答えをくれるって」
「別にそうは言ってなかったと思いますが…。まあ、ありがとうございます」
瑠花が礼を言うと、蒼一郎は「これでも君よりは長く生きてるからね」と自慢げに言った。
この時、瑠花はすっかり忘れていた。こんな時間を過ごすことができなくなる日が、近いうちに来るということを。
次の日、早速瑠花は仮入部をすることを香織に伝えた。香織はとても喜び、瑠花はその日から一週間仮入部をすることになってしまった。瑠花は本当は一日だけのつもりだったのだが、言い出さなかった。
「皆さん、紹介します。今日から一週間仮入部をする、今村瑠花さんです!」
合唱部の部員たちの前で紹介され、瑠花は「今村瑠花です。よろしくお願いします」とぎこちなく頭を下げた。
「こんなやつ、この部活ではやってけないよ」
瑠花を品定めするように眺めていた男子が、そうつぶやいた。
「ちょっと沢崎くん、そんなこと言わない!ごめんね、沢崎くん言い方きつくて」
香織は前半は沢崎に、後半は瑠花に言った。沢崎は聞こえないふりをした。
その後、瑠花は部員たちと共に合唱部のいつもの流れを体験した。何もわからない状態の瑠花を疎ましく思うそぶりも見せずに助けてくれる部員たちに、瑠花は好印象を持った。沢崎のことは少し苦手だったが。
そして、気がつけば部活が終わっていた。
瑠花が帰ろうとすると、沢崎に「ちょっと、来て」と声をかけられた。
「ちょっと沢崎、瑠花ちゃんをいじめないでよね!」
部員の女子が言ったが、沢崎は無視して瑠花の手を掴んでずんずん歩いていった。
「あ、あの…何なんですか?」
瑠花がきいても、沢崎は何も答えなかった。そして、合唱部の活動場所である音楽室から遠く離れた理科室の前で止まった。
「よし、ここならいい」
「え?」
沢崎は瑠花の手を離し、瑠花の方に向き直った。
「あんた、この部活に入るのはやめといた方がいい。さっきも言ったけど、あんたはここでやってけない」
「それ、どういう意味…。技術がないってこと?」
「違う、あんたは歌は上手い。それはさっきの練習で分かった」
そう言ってから、沢崎は軽く咳払いをした。
「この部活にはいじめがあって、一週間に一回ターゲットが変わる。今日も見ただろ?一人除け者にされてたやつを」
一人、ずっと隅の方で静かにしている人がいた。あれはそういうことだったんだ、と瑠花は冷たいものが心に流れ込むのを感じた。
「だから、お前には無理だ。お前はもう、なんていうか、これ以上傷ついたら壊れそうな顔してるし。悪いことは言わないからやめた方がいい」
「親切だね、沢崎くんは」
瑠花が言うと、沢崎はふっと笑った。
「誰にでもこんなことするわけじゃない。ただ、お前はなんかほっとけなくて…。じゃ、そういうことだから。もう来るなよ」
そう言って、沢崎はさっさと歩き去っていった。
「ありがとう」
瑠花が後ろから声をかけると、沢崎は右手を上げて応えた。
「…それで、香織ちゃんに入部はできないって断ったんです。今回は納得してくれました」
出されたケーキを食べながら瑠花がことの経緯を話すと、蒼一郎は「…よかったね」と言った。なぜか複雑な表情だ。
「で、君はその沢崎くんとやらに惚れたの?」
「は、違いますよ。なんでですか?」
「いや、別に。それより、そのケーキはおいしかった?僕は病気のせいで食べれないから、食べてくれる人がいて助かったよ」
はい、と瑠花は手に持っているケーキを見た。金や銀の飾りが付いていて、やたらと豪華なケーキだ。上に乗っている赤いバラは食べられる何かでできているようだ。
「このケーキ、誰からもらったんですか?」
「…そうだ!今度、一緒にどこか行かない?最後の旅行的な」と、蒼一郎は早口で言った。
「どうしたんですか?まあ、泊まりじゃなければいいですよ。蒼一郎さんにはいつも悩みとか愚痴きいてもらってますし」
「え、いいの!?本当に?」
「はい」
「…誰かと出かけるなんて、何年振りだろう。ほんとに、君には感謝してもしすぎることはないよ」と、蒼一郎は今にも泣きそうな顔をしている。
そんな蒼一郎を見て、瑠花は大袈裟な、と苦笑いをした。
3
さらさらと軽い雪が舞っている日、瑠花は家の近くの図書館に来ていた。この図書館はたくさんの本が置いてあることから、平日でもかなり人が多い。
「あの、すみません」
司書に声をかけると、司書は笑顔で「はい」と振り向いた。
「日帰り旅行のガイドブックはありませんか?」
「この地域から日帰りで行ける、ということですか?でしたら、入ったばかりのいいものがありますよ。少し待っててください」
瑠花が頷くと、司書はいそいそと本を探しに行った。
立って待っているのも辛いので、瑠花は近くにあったソファーに腰掛けて待つことにした。
「瑠花ちゃん!奇遇だね」
声をかけてきたのは、香織だった。
「ああ、こんにちは」
「他人行儀だなあ…。まあいいけどね、慣れたし」と、香織は瑠花の隣に座った。
「なんで、私に話しかけるの?」
瑠花がきくと、香織は目を大きく見開いた。
「もしかして、うっとおしかった?」
「そんなことは…ない、けど」
正直疎ましく思う気持ちもなくはなかったので、瑠花は口ごもった。
「ごめんね、しつこくて。でも、私別に瑠花ちゃんに合唱部に入ってほしいからってだけで話しかけてたわけじゃないよ。純粋に瑠花ちゃんと話して見たかったからってのもある。だから合唱部に入ってもらえなかったからといって瑠花ちゃんを嫌ったり避けたりはしないよ。これで答えになってるかな」
「…うん、ありがとう」
香織の言葉に、瑠花はそう返すだけで精一杯だった。
「私、瑠花ちゃんと友達になりたい。だめかな?」
「だめじゃないよ。…嬉しい」
「そういう感情表現が素直なとこ、好きだよ」
ふふ、と香織は微笑みながら言った。
するとその時、携帯のバイブ音が大きく響いた。
「私のじゃないよ」と、香織は瑠花を見た。
瑠花がポケットを探ると、壊れそうに震えているのは瑠花の携帯だった。画面を見ると、その電話は木崎からのようだ。
「私のだ」
短く言って、瑠花は携帯を耳に当てた。
「もしもし。木崎さん、どうしたんですか?」
『瑠花さん?大変です、蒼一郎様が意識を失ってしまって。目を覚まさないんです。すぐ来てもらえますか?』
「…息は、あるんですよね」と、瑠花は言いながら立ち上がった。香織が不思議そうに瑠花を見上げるが、軽く会釈して歩き出す。
『はい。ですが、危ない状況で…』
「わかりました、すぐ行きます」
瑠花が電話を切ると、「ちょっと、館内での電話は禁止ですよ!」とさっきの司書が近づいて来た。
「あ、ごめんなさい…忘れてました」
「それと、本見つかりましたよ。はい」
手渡された本を急いで鞄に入れ、瑠花は「ありがとうございます」と早口で礼を言って駆けだした。
蒼一郎の部屋に入ると、そこにはベッドに微動だにせず横たわる蒼一郎と木崎がいた。
「どうぞ」と、木崎は瑠花に何かを手渡した。封筒に入っていない手紙のようだ。
「なんですか、これ?」
「蒼一郎様が書いたものなんですが、瑠花さんあてのようなので」
瑠花は蒼一郎を横目で見ながら手紙を開いた。
『今村瑠花さんへ
たぶん、僕はあなたの歌を聴くことはもうできないでしょう。今までありがとうございました。無理を言ってしまってごめんなさい。
それと、あのケーキを買ったのは僕です。嘘をついてごめんなさい。』
そこで手紙は唐突に終わっていた。
「どういうこと…。それに、なんで今更ケーキのことなんて」
瑠花は呟き、そして思い出した。ケーキの上に乗っていたのは確か、バラの飾りだ。
「木崎さん、バラの花言葉ってなんでしたっけ?」
「確か、”あなたを愛しています”だったと思いますが、それがどうかしましたか?」と、木崎は少し戸惑いながら答えた。
だが、瑠花の中では全てが腑に落ちた。無意識に笑いがこぼれる。
「瑠花さん?」
心配する木崎の声も耳に入らないかのように、瑠花はベッドに近づいた。
「ねえ、まだ生きてますか?蒼一郎さん、あなた全くセンスないですね。せめて本物のバラの方がいいですよ。しかも、自分から頼んできたくせにやっぱなしでってひどくないですか。私が来るまで待っててくださいよ。こんなんじゃ私、不完全燃焼ですよ…」
笑いながら大声で話し続ける瑠花を、木崎は何も言わず見つめていた。
こんな状況でも、蒼一郎は全く目を覚ます気配がない。穏やかに瞳を閉じたままだ。
「起きてくださいよ。起きてって言ってるじゃないですか!!!」
瑠花が叫ぶと、木崎はとうとう瑠花の肩に手を置いた。
「瑠花さん、もうそのぐらいで…。近隣の方々にも迷惑ですから」
「ほっといてください!」
「それは無理です。ちょっと落ち着いてください」
「こんな状況で落ち着いていられる木崎さんの方がおかしいですよ!」
二人が言い争っていると、「何してるの?」と聞きなれた声がした。
ベッドの方を見ると、そこには眠たげに目をこすっている蒼一郎がいた。
「蒼一郎さん、生きてるんですか!?」
「勝手に殺さないでよ。…あ、その手紙読んじゃった?」
気まずそうに、蒼一郎は瑠花が握っている手紙を指さした。
「読みましたよ、だから死んだと思ったんじゃないですか!」
「ああ、別にあれは最期の言葉とかじゃないから。病気が治りかけててもうしばらく死にそうもないから君の最期の歌を聴くのは無理かなって思っただけ」
そこで木崎さんが口を挟んだ。
「ちょっと待ってください。治りかけてるってどういうことですか?」
「そのままの意味だよ。なんで治っていってるのかお医者さんにもわからないんだってさ。言い忘れてたっけ、ごめん」
途端に二人に睨まれ、蒼一郎は首を縮めた。
「ほんと、はあ…」
瑠花は言うことが思いつかず、しゃがみ込んだ。
「ごめん、心配かけちゃって。…それであの、返事は?」
「何のことですか?さーっぱりわかりません」
「ええ…」と、蒼一郎は困った顔をした。
木崎は微笑み、静かに出ていった。二人の未来が、よいものになることを願って。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
この話は構成などを組み立てて書いたのではなく本当に勢いで書いたものです。なので流れがおかしかったとしてもどうか暖かい心で許してください。