恋
アメリアは相変わらず休み時間に手合わせをしていたが、放課後の手合わせは断っていた。
「さすがのアメリアもしんどくなったか」
「ううん。ちょっとやりたいことがあって。一時間だけユキトのそば離れてもいい? パートナーとして自覚が足りないかもしれないけど」
「いや、大丈夫だ。何をするかわからんが、行ってこい」
「ありがと! じゃ、行ってくる! あ、念のためまだ学園にいて!」
そう言うなり風のような速さで教室を出ていった。慣れない授業での疲れなど感じさせない活き活きさがある。
俺は嬉しくなってしまった。自分からやりたいことがあって俺の近くを離れるなんて昨日までの態度ならありえなかっただろう。
幼い頃から束縛され続けたアメリア。もう自由になったんだ。これからはその自由を享受するべきだ。
そしてやっと手にした自由を、俺が守ってやらないと。
今はまだ見つかってはいないが、じきに追っ手が来るだろう。リュミエールほどの組織だ。アメリアが逃げ込めるとは思わない学園地区にいるとはいえ、一応こちらにも調査の手は伸びるはずだ。安全性が非常に高く手を出しづらいだろうが、アミラ村を滅ぼすほど強い剣魔術士がいるなら、その安全性など無に等しい。
復讐を果たしつつ、アメリアを守る。そのために俺はもっと強くならなければ。
「さてと、アメリアが戻るまで俺もやることをやりますかな」
机の上にドンと教科書類を置く。
まず宿題を片付けなきゃな。でないと自分の時間がとれない。後回しにしたら精神的にも圧迫される。
それに苦手な教科でも意外な形で役立つかもしれない。手は抜けないな。
一時間後。何やら憔悴しているアメリアが教室に戻ってきた。
「おい、どうした! 何があった!?」
俺ほどとは言わないが十分体力魔人であるところのアメリアがこんなに疲れを顔に出すなど尋常ではない。
「何でもないから気にしないで」
力無くつぶやきながらヨロヨロと俺の隣の席に腰を下ろし、突っ伏す。そのまま寝てしまいそうなくらい疲れきっている様子のアメリアだったが、俺が宿題をしているのを見て急にガバッと顔を上げた。
「あー、ユキト宿題やってる! あたしも一緒にやる!」
手際よく勉強道具をそろえてすさまじいスピードで問題を解いていく。
二〇分ほどたったところで力強くペンを置く音が教室に響き渡った。
「もう終わったのか?」
「うん、とっても簡単だった!」
屈託のない笑顔で楽しげにそうのたまうアメリア。バカな。かれこれ一時間二〇分やってる俺はまだ半分も残ってるんだぞ。
「もしかして学術書とか読みまくってたおかげで……」
「そうそう。これくらいの問題なら二年前のあたしでさえ簡単に解けてたと思う。あ、ユキト、もしかしてわからないとこあるの~? こんな簡単な問題なのに? うへっひっひ、しょうがないなぁ、このあたしが教えてしんぜよう!」
「ぐっ! し、仕方ないだろう! 俺の知識は偏っているし、雑学みたいなのばっかりなんだから! あと笑い方気持ち悪いぞ!」
「じゃあ教えなくてもいいのね~? って笑い方気持ち悪いって何よ!」
なんというか屈辱的な気分だ。戦闘においては一目置いているが、普段の生活は抜けているこいつにこんなニヤニヤしたイラッとくるドヤ顔で見下ろされるなんて。
しかしアメリアが知識豊富で勉強ができることは事実。理解に時間がかかるところはできる人に教えてもらった方が効率がいい。変な意地を張らずここは素直にお願いするのが吉だろう。
「……俺に勉強教えてください」
「素直でよろしい! それでどこがわからないの?」
「生物学の宿題で、人の体内で魔力運用の効率を上げる効果があるとされる一〇の植物のところなんだけど」
アメリアの教え方は丁寧でとてもわかりやすかった。本当に頭の良い人は人に教えることが上手いっていうのは事実だったんだな。
苦戦していたところを順々につぶしていったらものの見事に三〇分で終わってしまった。極力自分で解くようにはしたいが、これからはどうしてもわからないところがあったら真っ先にアメリアに教えてもらおうと思う。
宿題が終わったあとは工房で作業したのち、カメリアの聞き込みへ。今日は昨日とは違いアメリアは人の姿で着いてきた。
居酒屋で夕ご飯を食べながらの聞き込みではアメリアのおかげでいつも以上に多くの人に話を聞けた。気のいいおっちゃんたちに囲まれてアメリアは気さくにおしゃべりをしている。学園でもここでもこいつはどこにいても人気者だな。パートナーの俺とは大違いだ。
その中で、カメリアの元同僚と出会うという収穫があった。三〇代の引き締まった身体をした男性だ。
「なんだあんた、あのカメリア元隊長の知り合いなのかい?」
「はい。半年前に行方がわからなくなってしまったんですが、何か知っていることはありませんか?」
「知っていることねぇ。おれも軍にいたのは三年前だったからなぁ。ここらでそれらしき人がいるの見たことないし。しっかし懐かしいなぁ。当時はちょっとした騒ぎになったもんだよ。王家の人間とはいえ若干一四歳で中クラスの隊の隊長に任命されるとはたまげたよ。そんなカメリア元隊長が行方不明、ね。理由に何か心当たりは?」
「なんでも敵と交戦して重傷を負ったとか」
「あの鬼のように強かった彼女が重傷を負うとはよっぽど強い相手だったんだろうな。わかった、これも何かの縁だ。何か情報が入ったら連絡するよ。あんたはどこかの学園の生徒かい?」
協力してもらえるのはありがたいが、ここで所属を教えるのは得策ではない。なぜかというとアルカス学園はこういう居酒屋に出入りするのは推奨していないからだ。禁止ではないが、万が一学園にバレたら奨学金の給付を取り消される可能性がある。それを防ぐために今もこうして不自然にならない程度に変装をしている。
「いえ、アルカス第三工房の見習い鍛冶師です。なので連絡はそちらにしていただくとありがたいです」
「へえ、その年であの工房の見習いたぁやるなぁ。そっちのお嬢ちゃんもそうなのかい?」
「いえ、それは……」
アメリアに関しては何て言おう。妹、とかは無理があるだろうしな。黒髪黒目の俺と銀髪銀目のアメリアじゃ違いすぎる。
「あ、わかった、カノジョだろ!? かー、うらやましいねぇ、こんな美人な女の子なかなかお目にかかれねぇってのに! やるなぁこの色男!」
「「は、はぁ!?」」
俺もアメリアも突然の爆弾発言にすっとんきょうな声がでてしまった。
「ち、違います!」
「カノジョ……恋人関係……困ったわね、あたし、そういうこと全くわからないし……パートナーとどう違うのかしら……」
アメリアなんて混乱を極めて頭から湯気がでそうになっている。
「ありゃ、違ったか。まあいいか。そうだ、名前を教えてもらわにゃ連絡できないから、あんたの名前を教えてくれないかい?」
「サモンジです」
「左文字? 鍛冶師で左文字ってーとあの有名な……」
「無関係です。よくそうやって間違われます」
「こりゃ失礼。偶然ってのは面白いもんだな。あの有名な左文字を超えるような鍛冶師になれば問題ナシ! 頑張ってくれや! いやー若いっていいねぇ!」
景気良く笑いながら俺の背中を力強く叩く。話しながら酒を飲んでいたから酔いが回ってきたのだろう。
それからは与太話につき合い、その日の聞き込みを終了。手がかりはつかめなかったが、一応収穫と呼べるものだろう。
さっき恋人だとか言われたせいで帰り道の俺たちの間に流れる空気はなんとも微妙なものとなった。
口数はほぼ無く、アメリアは地面とにらめっこをし、俺は月を眺めていた。
帰り道の中程まで歩いたところでアメリアがおもむろに口を開く。
「ねえユキト、恋、って何なのかな」
「さあな。俺もしたことないからよくわからん」
「したことないの?」
「村には同年代がほとんどいなかったし女性自体少なかったしな。カメリアは俺より一歳上だから同年代と言えなくもないけど、恋愛対象というよりむしろ姉のような」
「ちょっと待って、あんたの前のパートナー、そのカメリアって人、女性だったの!?」
「そうだけど」
「勝手に男性かと思ってた……」
「女性の名前で使われることの方が多いだろう。それよりお前はどうなんだ?」
「施設じゃ恋とか考えるヒマも機会も皆無だったわ。多分他の人たちもそうだったと思う。施設内のファースト同士が顔を合わせるのなんてお昼時と合同訓練のときくらいだしね。あたしは心理学を扱った学術書で恋っていう言葉を知った程度よ」
「そうか。まあ無理に知ろうとしたり考えたりしなくていいんじゃないか? 俺がリュミエールを潰せばアメリアは追っ手を気にすることなく自由になれる。それからでも遅くはないはずだ」
俺がそう言った途端、アメリアが足を止めた。
「どうした?」
「あたしを、リュミエールから解放してくれるの?」
うつむいているから表情は見えない。声も小さいしどことなく不安げだ。
「結果的にそうなるだろう。俺の家族の仇、リュミエールのリーダーと幹部を倒せば組織は崩壊する。援助している貴族や王家の存在も洗い出す。残党が襲ってくるなら俺とお前で倒せばいい。そうしたらお前は自由だ。俺は復讐を果たしたら鍛冶師になるつもりだし、アメリアが望むなら契約解除してもいい。どこにだって行けるんだ」
俺は前を向き、月を見上げながら何気なくそう言った。今言ったことはすべて事実。俺は復讐を果たしたら、剣魔術士として生きるのではなく、両親と同じ鍛冶師として生きていきたい。できれば人を殺す武器ではなく、便利な生活用品を造りながら生活していきたい。これが俺の小さな夢だ。だからアメリアをパートナーとして一生縛り続けることはない。
トスン、と俺の背中に小さな額が押し当てられた。
「……あんたと契約できて、よかった。前にも言ったけど、感謝してもしきれない」
「やめてくれ。感謝されるいわれはない。俺は目的のために優秀な魔法剣が必要だったからお前と契約したんだ。仮にお前がEランクの魔法剣だったら契約してなかったかもしれないんだぞ」
「ならあたしは運が良かったってことね」
「それを言うならSランクの魔法剣のお前と契約できた俺だって運が良いことになる」
「なんか最近も同じやりとりしたような気がする。変なの」
「アメリアがいちいち感情的になるからだろうな」
「何よ、あたしのせいってわけ?」
「そうだと言っている」
「全く、そんなこと言ってるといつまでもカノジョなんてできないわよ」
背中を軽く叩いて俺から離れると、軽快な足取りで俺の前を進んでいく。
「ったく、余計なお世話だ。それにお前に言われたくはない」
俺の数歩先を進んでいたアメリアは急にその場で止まったかと思ったら、先ほどまでの俺と同じように月を眺めながらぽつりとこう言った。
「……いつかあたしも、恋、してみたいな」