人は剣、剣は人
そこは、鬱蒼と茂った木々で形成された森の中にぽっかりと存在する、小さな場所だった。一面を真っ白な花たちにうめつくされていて、土足で踏み込むのがためらわれる。
その無垢な花弁は陽の光をやんわりと受け止めていて、風も、そんな花たちを傷つけないようにそよそよと流れている。
そんな、最小単位の花畑の中で俺は。
一人の女の子と出会った。
ボロボロになった衣をまとっているせいか余計に目立つ、金というよりも白に近いような、プラチナブロンドの髪。その中には、血のような紅い髪が一房だけ混じっていた。年齢は一六歳の俺と同じくらいに見える。
やや小柄な身体を花畑に投げだし、胸が上下するのがよくわかるほど息が上がっていた彼女と、目が合う。
髪の色とよく似ている、色素が薄いその瞳は、なぜか俺を強烈に引きつけた。
お互いに見つめあうことしばし。その子は不意に視線を外すと、弱々しく身体を起こしはじめた。
なんとか立ち上がったその子は、今度は強い意志を感じさせる瞳で俺をにらみつけるように見ながら、開口一番にこう言うのだった。
「あたしを……あたしを使って、あいつらを追い払って!」
なぜこんな場所に来たのか、少しだけ回想してみる。
俺はいつものように、あの人を探していた。
トレア地区ではめぼしい情報が得られなかったため、次は学校が密集している地区であるアルカス地区へ向かうことを決めた。その最短ルートがこの森だった。
本当は公道を使いたいところだが、あの人からもらったお金は底を尽きかけていたし、トレア地区には工房が無く、売り物を造ることができなかったため断念。公道の利用料金をもう少し引き下げて欲しいところだ。
そんな理由から俺はこの森に迷い込むことに。そう、実は迷ってぐるぐる歩いてただけで、この秘境のような花畑は偶然見つけただけだった。
って、こんなムダな回想してる場合じゃなかったんだ。あまりの出来事につい現実逃避をしてしまった。
この子の切迫した表情を見るに時間がないのだろう。『あいつら』という言葉が何を指すのかはわからないが、こんな場所で一人、ボロボロになった服をまとって憔悴している女の子なんていかにも怪しい。現に今トラブルに巻き込まれそうになっている。
でも、発言の中に気になる箇所が一つある。
あたしを『使って』。
これはきっと、物理的にこの子をつかんでブン投げるとかそういうのではなくて、自分を『魔法剣』として使ってくれという意味だろう。
なら話は変わってくる。今の俺はただの剣しか持っていない。そろそろパートナーが欲しいと思っていたところだ。もしこの子が優秀な魔法剣だとしたら、例えトラブルの種であろうとここで助けておくのがベストだろう。契約を結ぶよう頼むときのために恩を売っておけば、契約成立の確率が上がるはずだ。
これは賭けだな。さて、どうしたものか。
考え込んでいると、さっきまで必死の形相だった女の子が、今は不安そうな表情に変わっていた。髪と同じ色の瞳が揺れている。
それを見て俺は、あっさりと決めた。決めてしまった。情に流されるような性格じゃなかったはずなんだけどな。
「わかった。お前を使って、そのあいつらとかいうのを追い払ってやる。あいつらの情報をよこせ」
俺がそう言うと、彼女は気の抜けたようにふぅと息を吐き出し、それから気を引き締めるかのように自らの頬を叩くと、よどみなく説明しはじめた。
「追っ手は三人。ランクは憶測だけどCランクが二人にBランクが一人。いずれも剣士型よ」
「Bランクはやっかいだが剣士型なら問題ないな。念のために聞いておくが、お前は魔法剣なんだよな?」
「そうよ。生粋の『剣人』」
剣人には攻撃魔法が得意で、身体強化魔法が苦手というのが多い。魔術師型とは相性抜群だが、俺のように根っからの剣士型とはすこぶる相性が悪い。
「ファースト、だと? もしかして身体強化魔法が苦手だったりするのか?」
「苦手どころか一つも使えないわ」
「全く使えないだって!?」
そんな魔法剣が存在したなんて。最低でもEクラスの身体強化魔法は備えているはずなのに。
これは想定外だ。身体強化無しの素の肉体で戦うしかない。
「で、でも攻撃魔法はすごいのよ!」
「俺は攻撃魔法、というか身体強化魔法以外は全般的に苦手なんだよ!」
「はぁ!? あんたそれでも『剣魔術士』なの!? ってまだ聞いてなかったけど、剣魔術士なのよね?」
「ああそうだよ、紛れもなく剣魔術士だ」
「なのに魔法が苦手なの?」
「で、でも剣術は得意だから!」
このやりとりだけで俺たちの相性が最悪だということがわかった。
まあいい。剣術だけでねじ伏せてやる。Bランク程度ならいけるはずだ。多分。
お互い悲愴な表情で見つめ合っていたところで、女の子がぴくっと微かに震え、後方へ視線を移す。
「……そろそろ来るわ。やるしかないわね」
「ああ。早く準備しろ。俺の方はいつでもいける」
「ええ。じゃ、じゃあ」
そっぽを向きながら、ンッ、と小さな手を差し出してくる。
そんな恥ずかしそうにするなよ。こっちまでそわそわしてくるじゃないか。
通常はもっと親睦を深めてから剣魔術士と魔法剣はタッグを組む。こんな唐突に戦闘に突入することなど滅多にない。
それに契約もしてないから引き出せる力は五割がせいぜいだろう。これは厳しい戦いになるな。
俺は差し出された手を、しっかりと握る。しっとりとしていて、ほんのちょっと冷たい。
手をつないだことを横目で確認すると、女の子は目を閉じ、集中しはじめる。
「――我が鋼鉄の魂よ、楔を放ち剣魔と為せ」
そうつぶやいた途端、右手に感じる柔らかな感触が、徐々に硬質なものとなっていく。
白い光がひときわまばゆい輝きを放ったとき、そこに女の子はいなくなっていた。
代わりに、一振りの剣が現れる。
何の金属でできているのかわからない、真っ白な剣身。中心には一本の赤いラインが走っている。
俺が今まで見てきた中で最も美しい魔法剣だ。思わず見とれそうになるが、今はそんな場合ではない。
形状は片手剣。刃は両側にあるタイプか。にしても、軽い。それに、薄い。戦闘用の剣とは思えないな。儀式用と言われた方がしっくりくるくらいだ。
試しに二、三振りしてみたが軽すぎて型が崩れそうになった。
『あれ、剣術は得意って言ってなかったっけ?』
脳内に直接声が響いた。剣魔術士と魔法剣は触れ合っているときはこうやって会話ができる。契約を結べばやや距離が開いても話せるようになる。久しぶりだな、これも。魔法剣を使うのは半年ぶりくらいだろうか。
「うるさい。だいたい軽すぎる上に薄すぎるんだよ。俺が悪いわけじゃない」
『だ、誰がちんちくりんよ! それにあたしは攻撃魔法特化型だって言ったでしょ!』
「にしてもこれは限度があるだろ。……来たな、あいつらが」
『ええ。頼むわよ。あたしはあんたの言うとおり、実際に斬り合うのには向いてないわ。でもね、攻撃魔法にかけては他のどの魔法剣にも負けるつもりはない。だから、魔法発動まで粘って。一度発動させられればこっちの勝ちよ』
「随分な自信だな。戦いながらだと余計発動が遅くなるが仕方ない。まあ心配するな。最悪、魔法発動の前に剣術だけで終わらせる」
『あんたこそ随分な自信ね。じゃあ早速魔力を送りはじめるわ。……頼みを聞いてくれて、ありがとう。あたしの命、あんたに預ける』
「そんなおおげさに言うなよ。俺は勝つ。こんなところで死ぬわけにはいかないからな」
俺はそう言いながら、剣を構える。片手剣を握るのは久しぶりだ。戦いながら昔師匠に習った片手剣用の型を思い出さないと。
がさがさと、微かな音が斜め上から聞こえてくる。木の上から奇襲をかけてくるつもりだな。あいにく俺は目も耳も良い。長年の稽古で殺気も感じられるようになっている。その手は通用しないぞ。