悪役の悪役(破)
5
…………緊張した。吐くかと思った。死を覚悟した。
清水の舞台から飛び降りるように演劇部室を訪れたわたしは見事な灰になっていた。いや、灰に見事もなにもないだろう。あるのはただの塵芥のみ。しかしながらわたしの存在が塵芥に等しいのは最初からのことであって、つまるところ実質的に被害はなかったといえるのではないか。いえなかった。心が痛い。社交できない人種特有の過去回想がわたしを襲っている。
とはいえ、精神的な苦痛に見合うだけの成果は得られたのではないかと思うことにしよう。
演劇部内での天笠くんの評判はなかなかのものであった。幸いなことにその日は彼自身を除く部員のほとんどが在室で、学年という枠組みに囚われない多様な意見を聞けたと思う。
文化祭の演劇で脚本を担当するから悪役となる彼の演技について尋ねたい、というわたしの言いわけをあっさりと真に受けてくれた。事情さえ通せばあとは聞き役に徹すればよく、比較的落ち着いた心持ちで耳を傾けることができた。
要約すると、今回得た情報の要旨は次のようになる。
まず天笠くんと同学年の部員によれば、彼は入部直後からずっと悪役を演じているらしい。
演劇部としての講演内容がどうやって決まるのかには興味がなかったので適当に聞き流したけれど、同学年の役者だけで行う演劇でも、全学年合同で行う場合でも、例外なく彼は悪役に立候補したという。
もちろん必ずしも希望が通るわけではなく、各々の劇に対していわゆる選考があるらしいのだが、彼は毎回そこで当選していたという。その選考に高学年の部員が参加しているかどうかを問わず、である。このことからは彼の演技力の高さが伺える。
次に天笠くんよりも高学年、すなわち三年生の部員はこんなことを話していた。
演劇部員の演技とは、結局のところ演技でしかないのだと。
これは冗談でも詭弁でもなく、単純な事実として、いつまでもその役を演じられるわけがないのだ。ある役と別の役とを演じる期間の間には、演者が演者自身として振る舞う時期が必ず存在する。役そのものにはなれないからこそ演じる者なのだ。と、去年までは、その先輩は思っていたらしい。
唯一の例外が天笠くんだった。
天笠くんには演技の前後での差異がほとんど感じられなかった、と彼は言う。もちろん天笠くんは毎回同じ役を演じているわけではない。
その都度に応じて、別の設定をもち、別の歴史を背負い、別の口調で話し、別の演目の劇で──そして等しく悪役を演じながら。演じているはずなのに、天笠くんはそれほど変わっていなかった。
根底の部分が同一だから、とでもいうべきだろうか。
彼はそれを天笠くんの演技力ゆえのことだと思っていたらしいけれど、これがわたしにとって違う意味をもった事実であることは言うまでもない。
最後に口を開いたのは、天笠くんの後輩である一年生だった。彼は以前、演技についての悩みを天笠くんに相談したことがあるらしい。
入部以来ずっと悪役を演じているという先輩に聞きたいことなどただひとつであり、すなわち彼はこう問うたのだ。悪役を演じる極意とは何か、と。天笠くんの返答は簡潔だった。
引き立て役であること。
主役を際立たせ、主演を輝かせることこそ悪役の本分である、と天笠くんは言ったらしい。
邪悪に振る舞うことで正義のヒーローに好感を抱かせる。下劣な言葉を吐くことでヒロインをより魅力的に見せる。
方法はなんでもいい。どんなふうに悪役を演じても構わない。
けれどその根幹にあるのは、引き立て役であるということでしかないのだと。
彼がその答えをどう感じたのか、わたしは聞いていなかった。もしかしたら、天笠くんの思う悪役と後輩くんにとっての悪役は違っていたかもしれない。ふたりは悪役性の違いで解散したのかもしれない。でも、そんな些事はわたしの耳に入ってこなかった。
──だってそれは、核心だったから。
それは、そのままだった。わたしが欲していた情報。必要としていた手掛かり。知りたかったこと。そのすべてをわたしは、彼の話から得てしまったのだ。
6
正義とは何か。悪とは何か。
どれほど考えたところで、その問いに対する一般解など導かれないのだと思う。
正義も悪も多種多様だ。
正義の味方が正義に味方する理由は一意ではない。悪人が悪に堕ちた理由が一致するわけではない。唯一に定まらないものを一般論で語ろうとしても、すぐに限界が訪れてしまうだろう。
けれど、天笠彰良が悪を演じる理由だけは決まっていた。
彼は汐華知佳という少女のために悪役を演じているのだ。
どうしてそうなるに至ったのか、わたしにはわからない。どんな理由で、少女のために悪を担うことになったのか。悪役を演じることで彼女にどんな益が及ぶのか。
その部分が明らかでなければ、ミステリとしては不完全だ。動機はあっても必然性がない。そうしたいという気持ちはあっても、そうすることの理屈は立たない。
そもそも彼が彼女のために悪役を演じようとしたこと自体、そうすることに利益があったからのはずだ。
そこを解き明かさなければこの仮説は成り立ちそうにない。真実とは言えそうもない。ありえない可能性をすべて排除したあとに残るものでない限り、それはありそうにない妄想だから。
この考えは推理として成立しない。
けれど、それでいいのだ。むしろそうでなければならない。
なぜならわたしは探偵ではなく、単なる傍観者に過ぎないのだから。
汐華さんや天笠くんの関係という物語を身勝手に楽しむ一介の読者であるわたしには──無責任な考察を語り、根拠のない解釈を施し、わたし自身の好みに基づいて恣意的に未来を予想することしかできない。これは読者という立場の特権だ。原作の描写に矛盾しない限り、何を考えてもいい。物語は読み手に開かれている。結末に至らない限り存在する無限の可能性の、どれを選択しても構わない。
だからわたしはこう考える。解釈する──決めつける。
どんな理由があるのかも知らない。どんな利益があるのかもわからない。それでも天笠彰良は、汐華知佳を救うために悪役を演じているのだと。
それはわたしの脳内二次創作における設定だ。現実でわたしが認識した事実と矛盾していない以上、そう考えることに不都合はない。万人が肯定する普遍的真実ではなくとも──わたしが信じて楽しむ分には、一切の問題はないのだ。
とはいえ、まだ議論の余地は残っている。世界中の全員が認められる事実である必要はまったくないけれど、誰よりもわたし自身が納得できない要素を残すわけにはいかない。
ここでの論点は、天笠くんが演じている『悪役』についてだ。以前にも似たことを考えたような気がするけれど、彼は悪人ではない。
いまやそれは当然といっていい事実だ。汐華さんのために──彼女を救うために行動している(とわたしが決めつけている)彼は、少なくとも絶対悪ではないだろう。もちろん善か悪かの区別は人それぞれだから、誰かのための行動ならば絶対善であるというわけでもない。むしろ逆だ。
彼が演じているのは、悪役である。
ならばその行動には、なんらかの理由によって悪とみなせる部分がなければならない。
ところが、振り返ってみるとどうだろう。繰り返し述べるが、彼の行動に絶対的な悪はない。誰かを直接的に傷つけることはなく、暴言を吐くこともなく──おそらく、人を殺したということもないはずだ。少なくともわたしの知る限り、この地域で殺人の報道があったという記憶はない。高校周辺から離れた場所でそういった行為を犯している可能性──これは否定できる。なぜなら彼は悪役を、演じているからだ。
演技には観客がいなければならない。
人知れず罪を犯すことに意味はない。直接的ではなく間接的に誰かを傷つけている可能性も同様だ。体育の授業の初回でわたしが考えたことは、それこそただの妄想に過ぎなかったのではないかと思う。陰謀論にはご注意を、ということだ。それはさておき。
結局のところ──これは困った。天笠くんは悪いことをしていない、ということになってしまう。
けれど彼は悪役なのだ。
その一点だけは覆せない。彼が悪役を演じているというのは、わたしが彼を認識したとき真っ先に考えたことなのだから。それはいわば公理である。公理に矛盾する結論を肯定できない以上、やはり彼はなんらかの悪行をはたらいていることになる。
では、悪とは何か。
ここで天笠くん自身の悪役哲学を引用してみよう。
すなわち、悪役とは引き立て役である。主役を光の下で輝かせる影の役目である。
この場合の主役は汐華さんと考えて問題ないはずだ。汐華知佳というヒロインを引き立てる悪役が天笠彰良なのだと、そう考えたときに疑問が浮かぶ。
ここでの悪役とは決して劇中だけの存在には止まらない。なぜなら天笠くんは、人生という途方もなく大きな舞台の上で悪役を演じているからだ。
引き立て役を生きて終わる人生。
それは──悪ではないだろうか。
もちろん、単に引き立て役が悪いと言うわけにはいかないだろう。ヒトの人生には才能とか環境とか天運とかいろいろな要因が関わってくる。結果として引き立て役に終わってしまっただけの人生を、一概に悪と断ずるわけにはいかない。善悪に一般論はないのだから。
他者に光を遮られ続けた陰の立場を、呪う者がいたかもしれない。自らが影となってでも輝かせたいと思える光と出会えたことを、祝う者がいたかもしれない。
すべては結果論だ。引き立て役に終わる人生も終わらない人生も、終わらなければ定まらない。
だとしたら。
結果論に委ねることなく、引き立て役のまま終わる人生以外の可能性を自ら投げ捨てる愚かさは──きっと、悪と呼ぶべきものなのだ。
しかしながら、決してそれだけを悪と呼ぶわけにも──そのように在る者だけを悪役と称するわけにもいくまい。
たとえば、魅力ある悪役という種類のキャラクターを考えてみよう。そもそも悪役の魅力とは何か、と定義論に入ってしまうのは流石に面倒だから、ここでは一般的な認識であると思われるものを借りてみる。
ひとまず、悪役の魅力とは自由であると仮定しよう。世間の規範や他者の価値基準に踊らされることなく、自分が思う正しさを貫き通した者──ただそれゆえに悪と呼ばれてしまった者。そのような悪役に魅力を感じる層は少なくないはずだ。彼らはいわばもうひとりの主人公である。
あるいは、外道もまた悪役の魅力かもしれない。最後まで正義に身を落とすことなく、最期まで悪であることをやめることなく、外道のままに斃れていった外道中の外道。それもまた魅力ある悪役の一類型だろう。彼らは己の価値観を疑うことなく、己のために人生を生き抜いた主人公なのだ。
ここまでくると結論が見えてきた。一般的な認識としての正義と悪、あるいは主役と悪役は、今わたしが考えている善悪論とは決定的に異なっている。後者のほうを仮に天笠流定義、と呼ぶことにしてみようか。
まとめると、天笠流定義における善とは『自分の物語を、自分が主人公として生きること』──そして悪とは、『自分の物語を、自分以外のために生きること』なのだ、ということになる。
この定義に基づいてみれば、天笠くんがいかに悪役を演じているのかも明らかだろう。天笠くんは天笠流定義における悪なのである。定義から自明、というやつだ。
かくして、この議題は解決した。推理小説的に証明されたと結論できる真実にはほど遠いかもしれないけれど、わたしの脳内で完結した議論として、残る問題はただひとつ。そして残るひとつが、最大の問題だった。これまでの議題とは質的に決定的に異なる問題。それどころか世界観的に異なるといってもいい、大問題である。
天笠くんが悪役を演じていることがわかった。
その演技は汐華さんのためだったとわかった。
どうしてその演技が彼女を救うことになるのかはわからなかった。
でもそれで構わないと考えた。
彼がいかにして悪役であるのかについても納得した。
では、最後の問題だ。
これだけのことを理解したうえで、わたしは。
決して読者であるだけではいられない、どうしようもなく現実を生きてしまっている、そのことを決して否定することのできないわたしは──。
果たしてこれから、どうすべきなのだろうか。
7
その日。
「──月詠さん」
背後から名を呼ばれて、わたしは立ち止まった。現実感が急激に襲いかかってくる。全身を押し潰す圧倒的な現実意識に頭がくらくらする。
長い長い夢の中にいたような気がした。
長い走馬灯を見ていたような気がした。
長い物語を、読み耽っていた気がした。
目が醒める。夢が終わる。現実に引き戻される。
階段の踊り場だった。
わたしの名前は月詠夢見。
どうやら今は放課後のようだ。
高等学校二学年に在籍。
燃えるように紅い夕焼けに校内が染まっている。
帰宅部所属、趣味は読書。
陽の角度から察するに、授業が終わってからは少し時間が経っているらしい。
……だめだ、まだ頭の中が混乱している。
思考を整理しようと、わたしは周囲に意識を向ける。目の前には鏡があった。夕景のなかにわたしが映っている。ありふれた女子学生の姿だった。校則指定どおりのスカートに冬服のブレザー。たいして優れているわけでもない平凡な顔立ちが、真顔でわたしを見つめている。肩ほどに長いぼさぼさの髪。赤縁の眼鏡は夕陽と重なって輪郭が薄く、その不確かさはまるでわたしの存在そのもののようだ。
その背後。あるいは鏡の奥に、目も覚めるような美少女が立っていた。大和撫子という言葉そのままの完璧な美貌。色艶鮮やかでいつまでも撫でていたくなるような、長い黒髪。わたしなんかよりよほど文学少女らしく見える彼女は、しかし運動も得意でまったく隙がないのだ。汐華知佳という、自慢の友人であった。
「どうしたの、こんな時間に」
そう言って振り返るわたしの思考は、ようやく現実に追いついていた。自分が何を考えていたのかきちんと再確認できる。自分に話しかけてきた少女のことをはっきり思い出せる。わたしの記憶にある限りではいつも落ち着いていて、芯が強いという表現が似合う振る舞いを見せていた彼女は、しかし普段とは違っていた。
「……えっと」
珍しく、口淀む。
美しい黒色の瞳のなかに迷いが浮かんでいる。
言葉を形にできず震える口許は何かを怖れている。
軽く握られたその手が、なんらかの覚悟を感じさせる。
今までに見たことのなかった彼女の姿に、わたしは自分の行動が正しかったことを理解していた。あるいは正しくなかったことを理解していた。彼女の仕草という描写からはどちらとも断言できない。けれど、わたしが核心に触れようとしていることは確かに伝わってくる。
──あなたはどこまで知っているの?
──わたしがどこまで知っているのか、知っているの?
その疑問は音をなさずにかすれて消えていった。問うことに意味はない。許されないことですらありうる。
彼女が彼をどう思っているのか、わたしは知らないから。
彼女が彼と話さない理由、悪役とヒロインだからなんて詭弁ではないその根源は、わたしにはわからないことだから。
その禁忌を破って疑問を投げることなんて、できないのだ。
わたしにできるのは、ただその目とまっすぐに視線を合わせることだけ。彼女の握り拳への返礼、のつもりだった。あなたの覚悟を受け止める、という意志表示。それがどんなことであろうと、という誓いを籠めて。
その意図が伝わったのか、あるいは伝わっていないのか。何もわからないわたしに唯一わかるのは、彼女の震えが止まったという観測事実だけで。
静謐のなかに、彼女の声が響く。
「……あの人のことを、よろしく」
曖昧な、言葉だった。日頃の汐華知佳とは対極の言動。いつもの彼女が強い人間なら、今の彼女は果てしなく弱い人間だった。
その弱さをわたしは絶対に否定しない。友人であるということだけは裏切らない。
あの人とは誰かなんて無粋は訊かず、どうよろしくすればいいかなんて瑣末は問わず、わたしは微笑んだ。慣れない表情が、できる限り自然になるように──いつもの彼女が浮かべるものと似るように、精一杯の微笑を。
彼女を安心させるように。
安心してほしい、と祈るように。
「──任せて」
ただ一言を、呟いた。
この場はそれでおひらきだ。
汐華知佳という少女がずっと演じ続けてきた虚像の存在を、今のわたしは知っている。天笠くんが悪役を演じていたのと同様、彼女もまたなんらかの偶像として振る舞っていたのではないか、と気づいている。
気づいたうえで、眼前にある真実の一端から、自分の意志で目を逸らした。
そうでなければならないと思った。
彼女が自分の口から話してくれない限り、それを知るわけにはいかない。いつか彼女の友人として胸を張れる日まで、その物語はお預けにしておこう。ネタバレほどに無粋な行為はこの世に存在しないのだから。
今のわたしには、彼女の弱さを見なかったことにすることしかできないけれど。きっといつか──強さも弱さも全部ひっくるめて。それが汐華さんなのだ、と友人として断言できるようになったら、その話を聞くことにしたい。
だから──代わりといってはなんだけれど、今のわたしが託された依頼はきちんと引き受けよう。実のところ、彼女の願いはわたしの望みに合致していたのだ。彼女に頼まれる前から、わたしがしたいことは決まっていた。だから言われなくともそうするつもりではあったのだけれど──自分のための行動と友人のための奮闘とでは、意欲が違ってくるというものだろう。
以前提起した問題への回答を、今のわたしはきちんと理解している。実際のところ、それは考えるまでもないようなことだったのだ。
天笠くんと汐華さんとの関係を知ってどうすべきか、なんて。
汐華さんの友人としてそうしないわけにはいかないから、というのもあるけれど──それ以上に。汐華さんの存在とは関係なく、わたしがやりたいことは決まりきっていた。だって、始まりがそうだったのだから。最初からわたしは、答えに至っていたのだ。
理屈はなくとも本能で悟っていた。
理由はなくとも直感で解っていた。
天笠くんのことをわたしは、初めて見たときからずっと、悪役だと思っていた。だから結論は明らかだった。彼が悪役を演じていることを理解して、どうしたいのか。その人生の救いようのなさを──天笠くんのことを、どう思うのか。そんなことはわかりきっている。
天笠彰良は、自分の人生を他人のために生きてきた。自分のために生きなかった。汐華知佳を救うために、彼女と話すことすらできない未来を選んだ。
そのことに同情なんてしない。
かわいそうだなんて考えもしない。
まして救いたいなんて思うはずもない。
だって、それはわたしと同じだから。自分の人生を自分以外の物語のために浪費したのはわたしもだ。そういう未来を自分で選択したのは、わたしだって同じことだ。
だから結末は定まっている。わたしが彼に抱くのは、同情でも憐憫でもない。かといって肯定でも好意でもない。もちろん、間違っても、恋愛感情などではない。
なぜなら──
それは、同属嫌悪なのだから。
思考の過程を反芻しながら、わたしは足を進めていく。夕焼けが照らす校舎のなかを歩いて、歩いて、辿り着いたのはひとつの部屋だ。扉を開く。足を踏み入れる。演劇部部室。その中央にただひとり立っていた男子生徒は、物音に反応してこちらを向いた。
「──おまえは、クラスの脚本の……」
天笠彰良は言う。
「こんにちは」
月詠夢見は笑う。
わたしは笑う。
できる限り朗らかに見えるように、緊張を覆い隠せるように、ありったけの笑みを浮かべて。そして、言った。
「悪役の話をしましょう」
8
──そうして、わたしは舞台にあがる。