第四章08 蕗子兼吸血鬼
蕗子という小人種族がいる。大分類で言えば亜人だ。
亜人属小人種、蕗子族が正式な分類。
小人種の中でもコロポックル族は長命種であり、なおかつ、小人種らしく年月を経ても姿形は幼児のままであり続ける。十歳前後から身体の成長・老化が止まるのだ。
極東地方最北端――――つまり、ヴィクトリア帝国の最北東地域のソウヤ領という雪深い北の領地の領主の種族がそれだ。
ハチオージ村とは村長とその領主の仲が良かったらしく、その伝手で約十年前に留学と称してコロポックル族の六歳の女の子が遊びに来た。
その時は年相応の見た目だったし、種族の違いなど(少なくとも俺は)知らなくて、妹のように接して遊んだのを覚えている。
ただ、その子が半年もハチオージ村に滞在していなかったからか、顔はおろか、名前すら記憶が曖昧で、今まで思い出せないでいた。
思い出せるあの時の感情は、「庇護欲」ばかりが先行していた気がするが、まさか――――
「お前、レンナ・ミサキ・ソウヤか?」
「…………うん」
「コクン」と胡坐をかいた俺の太ももに座るあどけない顔の幼女。
ここは乗船した帆船の部屋内だ。既に出航して大海を進んでいる。
その子の髪は濡れ羽色でフィールよりも艶めいていて、瞳は左が紅く、右が黒いオッドアイ。
身長はルビーよりも低い完全なる幼女体型。見た目は常人の十歳にいかない程度だろう。
「周りは海だけれど、いわゆる辺境伯とでもいうのかな。――――ソウヤ領の領主様のご息女。それがコロポックル族の彼女、レンナ・ミサキ・ソウヤさんだよ。今年で十六歳さ」
「ぁ――――」
ハチオージ村で別れた時の彼女とほとんど変わらない幼女姿のレンナがいた。
「……すまない、フィール。情報が錯綜しているから馬鹿に分かるように説明してくれ」
よく分からない。つまり、レンナが幼女で、幼女だった幼女がレンナ? はあ?
俺の推論よりフィールの持論、という言葉があるし、ここはフィールに説明してもらう。誰だ、そんな言葉造ったのは。
「ふふん、それもそうだね。レンナさんは控えめな方だから、すらすらと話すのは苦手なんだ」
フィールは自分の黒髪を撫でつけて続ける。
「そこにいらっしゃる女性こそが小人種コロポックル族の長の一番下の娘さん」
そこって俺の太ももの上だぞ。女性っていっても見た目は幼女だぞ。
「ケンシロー君を追いかけて四月から魔法騎士養成学校に入学して今月――つまり四ヶ月と少しで修学・修了した才媛さ」
俺を追いかけてという箇所は一旦置いて、
「俺が四年くらい通って騎士を断念したところを四ヶ月ちょっとで……?」
まだレンナは卒業していないが、順当に事が進めばフィールの記録を超える。
「たしか、フィールは二年で修了して卒業だったよな?」
本当はフィールと俺は学舎では後輩と先輩になるのだが、基本的に年齢と戦力が同程度なら対等という校風だったため、今の関係に至る。逆に言えば年齢が上なら後輩でも敬語なのだ。
「ふふん、さすがの僕も嫉妬を覚えるね。それで次は何を話せばいいかな?」
「お前の弱点を教えてくれ」
「ケンシロー君さ」
「俺の戯れ言に気持ちの悪い返しをするな!」
弱点が俺ってつまりどういうことなんだ。怖気がする。
だいたい、俺はお前に対してほとんど勝てていないだろうに。富と名声的に。
「そろそろ私も聞いていいかしら?」
フィールは「どうぞ」と首肯する。
「ケンシローとレンナの関係って何なの?」
ララに聞かれてフィールは肩をすくめ、
「それはケンシロー君か、レンナさんに答えさせた方がいいのでは?」
はしばみ色の瞳が俺を射殺すように見つめてくる。こわい……。
俺はレンナと顔を合わせ、そしてもごもごと答えた。
「あ? なんつった?」
「あ?」と今、言を発したのはララだ。どこから出したんだ。その地獄から這い出たような声。
「俺も憶えてねえんだよ! ガキの頃の婚約なんて! 久しぶりに会っていきなりこいつの夫になんて――――」
「ちがう」
レンナは俺の口を強引に閉じて、幼い声で話す。
「…………ケンにぃは、…………レンナの、嫁…………」
「俺が嫁なの!? どういうジェンダー!?」
そこの性差を無くすと大変なことになると思うのだが。嫁っぽいことは大体できないぞ。
「そういえば、レンナ。どうして左目が紅くなってんだ? 俺の記憶だと両方黒だった記憶があるんだが……」
「へえ、記憶あるんだ」
ぞわりと鳥肌が立ちそうな声音でララさんがなにかをおっしゃった。
「それこそが、吸血鬼の証だよ」
そこでフォローしてくれたのがフィールだった。
「レンナさんは吸血鬼に血を吸われて眷属になっているんだ。しかし不完全だから目が左だけ血紅色になっているということさ。長命種たるコロポックル族の体質が完全眷属化から身を防いだと見受けられるね」
「なるほど。コロポックル族にはそんな権能が……」
ララがようやく機嫌を直してコロポックル族に関心を逸らしてくれた。命を拾ったぜ。
「まあ、寿命が長い以外は普通の小人種と同じで特に魔法めいた権能は無いんだけれどね。だからこそ、この小さな体で優秀以上の成績を学び舎で出すというのは才能というものだね」
「全くだ。俺を追いかけてって、どんだけ……」
「――――ん?」
「よし、甲板に出て海でも眺めるか」
ララの殺意を誘うような言葉を思わず口にしたので、それが殺意に変わる前に、俺は適当な話題にシフトする作戦に出た。だが、
「ところで、ケンシロー君。大海原を眺めるのもいいけれど、部屋の割り振りも考えないとね」
「あ? 割り振り?」
「今いるこの二人部屋と、一人部屋が二つずつ。これが僕ら用意された部屋だからね」
「二人部屋……? ここが?」
俺は部屋の内観を見る。
板張りに毛の厚いじゅうたんを敷き詰めた、ベッドとも極東地方の畳とも、敷き布団とも言えない床。
定位置にできた丸窓。射し込む光。覗く大海。
それ以外の備品・調度品は陸地の宿屋と同じか、少しだけもの足りないくらいだった。
そして俺が今いるこの部屋の内観で引っかかったのは、広さだ。
「一人部屋だよな、ここ?」
かぶりを振るフィール。
「寝具類はこれから取り出すけれど、ここは二人部屋だよ」
「せっま」
いやいや、確かに二人部屋に四人が車座みたいになれば狭く感じるのは当たり前だが、
「四畳半くらいの広さしかないぞ?」
「畳?」
ララとフィールが知らない単語に疑問符を浮かべる。
「――つまりだな。この部屋、俺の住んでる部屋より少し狭いくらいなんだよ」
「なるほど、つまり?」
「本当なら一人部屋にするべき広さだ。……やっぱりここって一人部屋だよな?」
「二人部屋だけれど、確かに狭いのは認めるよ。しかし、大帆船ではないから、広さはしかたがないのさ」
「……たしか一番いい部屋って」
「一番『眺め』がいい部屋だね」
「……」
なるほど、そういう気の回し方だったのか。
「分かった。部屋の広さについての疑問は以上だ。――部屋の割り振りってのは?」
「額面通りさ。謝らないと、と思っていたのさ。四人分の部屋を確保しようとしたら、部屋が三部屋しか用意できなかったってことだよ」
「……二足す一足す一は、四。しかし答えは三でもある。ってことか?」
「え!? 嘘でしょ!? それって……!」
ララがなにかに勘付いたのか、やや大袈裟気味に驚く。
「ケンシローって足し算できたの!?」
「できるに決まってんだろ!」
なんなら減算、乗算、除算も桁が少なければできる。大丈夫、家計の赤字の額は少しずつ減っているから心配いらない。
「ふふん。まあ、ケンシロー君の暗算能力はそれでいいとして、部屋割りなんだけれど……これはなんというか、ケンシロー君がこの部屋で誰と二人で寝るかという問題に行き着く気がするのだけれど」
「は? 二人部屋は女子二人で使えばいいだろ?」
もしくは男子二人の組み合わせが妥当だ。
一番有り得ないのがララとフィールのコンビ。そうなったら俺はフィールを殺さねばならない。とりあえず自然死に一番近い殺害方法を考えることになる。
「普通はそうなのだろうけどね」
「…………やだ。…………レンナ、ケンにぃと…………いっしょがいい」
俺が婚約を結んだ疑惑のあるレンナは無表情に俺と閨を共にすることを希望してくる。
「小柄なレンナさんが二人部屋のひとりになるべきだと僕は思うのだけれど、そうするとララさんがね……」
俺がその言葉の続きを聞くためにララに顔を向けると、
「私はこの部屋でその子と雑魚寝するくらいなら、ケンシローと雑魚寝する方がマシよ」
あれれー? おかしいぞー?
俺を二人の女子が取り合っているような、取り合っていないような謎の状況。
「なんでレンナを避けてんだよ。コロポックル族が嫌いなのか?」
「私は人種差別的に避けているわけじゃないのよ」
「じゃあ、なんで?」
「その子って今現在、吸血鬼の眷属なのよね?」
「まあ、吸血鬼に血を吸われたんなら、……そうなんだろ」
吸血鬼の眷属だとなにか問題でも?
「ふふん、つまりララさんが言いたいことはだね――――吸血鬼の眷属は吸血鬼以外の血を吸うと吸血鬼に成るっていうことを言いたいのさ」
「ああー……昨日の店長の話を思い出してきた」
コロポックル族でもあり、吸血鬼の眷属でもあるレンナがララの血を吸うと、レンナは吸血鬼に成り、ララはその眷属になるのか。それはたしかに、
「私は吸血鬼の眷属になるのは御免よ。しかもさっき会ったばかりの相手の眷属になんて」
ララが抵抗を覚えてしまうのも仕方がない。
「吸血鬼と眷属の関係は絶対だからね。吸血鬼の血を吸わせろという命令に眷属は逆らえないし、眷属は吸われる回数が増えるたびに快感と敬神のような感情が強くなる。つまり眷属から隷属に成り下がる。次第に吸血以外の命令も聞くようになる。そこから脱却するには、他の誰かを吸血して自分が吸血鬼に成ることだね」
吸血鬼にも、吸血鬼の眷属にも、常人は成りたくないだろう。なぜならさらに、
「吸血鬼は強い太陽光に当たると体が燃えて灰になる。吸血鬼はつまり、夜の眷属ってことだもんな」
吸血鬼の最大の弱点は太陽光だ。それを補い得るほどの身体能力や権能も手には入るが、やはり日中に活動できなくなるのは人間にとっては不便なことだ。晴れた昼間には間違いなく外での活動はできない――――仕事ができない。
「だから、その子はひとりで寝させた方が安全よ。いつ吸血衝動が出るか分からないんだから」
眷属の吸血衝動は発症こそ稀の稀だが、発症した場合は自分でもいいのだが、誰かの血を飲まなければ衝動は止まらない。そうしないと精神に異常をきたす。
「吸血鬼とその眷属は、互いの吸血衝動を満たすために依存症のように互いの血を吸い合うんだってね」
――――その繰り返しの結果、眷属は吸血鬼に隷属するようになるということか。
「だから私はレンナとの相部屋については拒否させてもらうわ。ついでに言うと、ケンシローにもその子と相部屋にはならないで。これからの仕事に支障をきたすかもしれないから」
至極真っ当な意見。しかし、
「フィールが言うにはレンナは完全眷属じゃないんだろ? 目が紅いのは左だけだし」
「それでも稀の稀に稀の稀をかけて吸血衝動は起きるのよ」
……さいですか。
「つまり、部屋割りは決まったな」
俺が言うと、ララとフィールとレンナは各々の感情を滲ませて首肯する。
ララは俺を信頼の目で決心したように見つめ、
フィールは俺を信頼しているのか、瞑目し、
レンナは俺に縋るように目を潤ませていた。
「この二人部屋を使うのは、私とケンシローよ」
「は?」
俺は相方と相部屋をすることになった。
蕗子兼吸血鬼の幼女の体が縮こまる。
第四章08話でした。お疲れさまです。
コロポックルで合っていますか? コロボックルでしたっけ?
まあ、コロポックルで行きますが。よろしくお願い致します。