第四章07 いってらっしゃい
黒髪が風になびき、それを騎士礼装の「騎士」は風流に撫でつける。
「やあやあ、ケンシロー君。なんだか顔色が悪いけれど、貧血にでもなったのかい?」
「――――ああ、出血大サービスでちょっとな」
「――ん? ふふん、献身というものだね」
違えよ。性欲とかそんなものだ。
「それよりも、出航の準備は出来たのかな?」
フィールは左手の旅行用鞄を持ち直しながら確認してくる。
「できてるぞ。荷物はまとめてある。服装はこのままでいいな?」
鼻血が止まり、血色はもう少しで元に戻る。水着姿で出血したおかげで旅行用であり仕事用でもある服に血が付着することはなかった。顔面セーフ。
「なるほど。ララさんも準備は良いかな?」
「ケンシローの血の匂いが手について離れないんだけれど、手の薄皮を削ぎ落とす魔法って知らないかしら、黒い騎士さん?」
「俺の血に酸化能力とかそんなんはねえよ!」
仕事中毒という変な病気に罹ってはいるが、俺の血液は健康だ。
「冗談よ。うるさいわねえ、ケンシローってば。素手で手当てしたんだから血の匂いがつくのは分かってるわよ」
「ふふん、それは良かった。ケンシロー君とララさんが元気そうでなによりだよ」
「なにも良くねえよ。今しがた、隣のこいつに傷つけられたところだ」
「ええ、とても元気よ。今しがた、隣のこいつの傷口に塩を塗ったから」
「この……」
「ケンシロー君、そろそろ舌禍の方は鎮めてくれるかな?」
フィールが俺とララの口論をやんわりと咎め、出航前の舌戦は一時停戦となる。
ところで、と俺は辺りを見回す。これから乗船するというのに、件のあの子がいない。
海水浴を止めた俺たちは埠頭の前でフィールたちを待ち、そして今しがた馬竜車を降りた彼が一人で旅行鞄片手にやってきたのだ。
『そういえば、ケンシローを指名したとかいうおなごらしき人物が見当たらんなんし』
「確かにそうですね。ケンシロー様に会いたがっていたとお聞きしましたが……」
「もしかしてぇ、吸血鬼粛清が恐くなって逃げたとかかなぁ?」
「やめておけ、剛砂。きっとアタシたちが大人数でここにたむろしていて来るに来られないのだろう。件の女は多人数では緊張すると言っていた」
女性陣が次々に俺の中に湧いた考えを代弁し、最終的にアズさんの言葉に行き着く。
フィールもその通りだと首肯し、
「申し訳ないね。先に乗船しておいてくれ給え。僕が彼女を連れて後から船に乗るから。馬竜車の中で緊張して固まってしまっているみたいだ」
「これから騎士に成ろうって子が、そんなんでやっていけるのかしら」
「分からんが、吸血鬼に襲われた場所にまた行くんだから、トラウマはあるんじゃないか?」
吸血鬼がどんな見た目でどんな性格か知らないが、きっと血の気が引くような恐い鬼そのものだったのだろう。鬼の中の鬼だったのだろう。きっと隣にいるやつよりも鬼だったのだ。
「今、私のことバカにしなかった?」
「……知らない。俺は何も知らない」
ケンシロー・ハチオージ。嘘はついても、人を騙して利益を得たりはしない男だ。今日からそうなるように頑張りたい。いや、明日からでもいいか。
「それより剣災。ひとつ持っていってほしいものがあるのだが、いいか?」
「もちろんですよ、アズさん。なんですか?」
即答した。ララに右手をつねられた。遺憾である。
「アタシたちの加護を込めたものだ」
アズライトは俺にそれを渡す。
「これって……」
――――極東式の刺繍の入った御守りだった。
『賢獣の鋼竜、ルビー・メタル・シルバー』
「アルラウネ族の植物亜人、ローゼ・ラフレシア・アレス」
「ゴーレム族の魔人、リシェス・ヴィオレ・ヌウェル」
「只人の金言術師、ザラカイア・アズライト・シーカー」
彼女たちは代わる代わる自己紹介し、そして――――
「四つの種族の結晶です。真心と魔力を込めると、そこには加護がこもるのです」
ローゼが頭から花を咲かせてにこやかに笑う。
「アタシが極東式の御守りを考案し」
『余の銀の髪とローゼの繊維を糸に混ぜて編み込み』
「ウチが刺繍で太陽のデザインを加えたんだよぉ」
「お前ら……」
未来堂に残していく四人が真心こめて加護入りの御守りを作ってくれた――――
俺はもう泣いてもいいのでは?
「一応、加護を作ってやってと依頼したのは私だからね」
「今のお前に言われると、素直に喜べないんだよなあ……」
「分かったわ。喧嘩なら船上でやりましょう。そこが私たちの戦場よ」
「おーう、やってやるよ。俺が舌戦で勝つところをようやく見せられる」
俺とララが火花を散らしていると、アズさんが、
「ほら、覚魔。お前の分だ」
ララにもう一つの御守りを手渡す。
「え? なんで私に?」
ララは月のデザインが施された御守りを受け取ってキョトンとし、
『そんなの、決まっているでありんしょう』
「ララ様は苦境・窮境・逆境の時、いつだって」
「ケンちゃんの隣で剣に成るんだからぁ」
「華奢な体の覚魔の無事が一番大事だ」
四人の愛に、ララは嬉しさから大泣きした。
こんなに泣かれては、俺が泣くに泣けないではないか。女の涙は強い。
彼女が泣いている様は、本当にこの女の子集団の仲の良さの象徴のようだった。
女の子の仲がいいと、俺も安心できる。うちの職場ほとんど女子だからな……。女子?
――まあ、年齢的な女性呼称問題は置いておいて、彼女たち――未来堂の女性陣は仲がいい。まるで五人で割り切れないケーキを仲良く均等にしようとわいわいやっているかのようで、仲良きことは美しきかなとはこのことだ。
「本当にこの友情は良い事なのかな?」
フィールが不意にそうこぼす。
「――――は?」
いいこと、だよな……?
ひとしきりララの嬉し涙が落ち着くと、
「じゃあ、護悪、賢樹、剛砂。帰るぞ。仕事が待っている」
アズさんがルビーとリシェスの手を引いて埠頭から離れようとする。
正解だ。アズさん。その二人が一番ごねる。
「――――それと、黒閃」
アズさんは一度立ち止まってフィールに碧い瞳を向ける。
「――――なんですか? アズさんは僕になにか言い残したことでも?」
「その黒い思想。金言術師から言わせてもらえば、――――黒さが足りない」
「――――――――」
フィールが悲しさや悔しさ、戸惑いを内包したような複雑な表情で閉口した。こんな顔、少なくとも俺は初めて見た。
「だが、煮詰めるほどに黒さは増す。だからまだ伸びしろはある。漆黒への深みもまだある。お前のその漆黒趣味の生き方を否定はしないが、――――剣災の生き方に横槍を入れるようであれば、アタシの瞳がお前の……息の根を必ず止める」
「な……アズさん……?」
俺が呟きを絞り出し、他の連中が絶句する。
アズさんが金言術師の眼で殺意めいた視線をフィールに送って、実際に殺意を仄めかしたのだ。まるでフィールが将来、俺の障壁になるような予言まで添えて。
「申し訳ないと思っているよ。アズさん。貴女の騎士を担えなかったのは僕の――――」
「アタシの騎士はケンシロー・ハチオージだ。他に護り手が増えようと、アタシの騎士はそこにいる厄災の剣士だけだ。間違えるな、シュバルツ」
アズさんはそう言い残して、ルビーとリシェスの手をもう一度引き直し、埠頭から離れて往路に使ったローゼ製作の木馬車に向かう。
『ちょ、痛いでありんす! 強く引っ張るなでありんす!』
「アズ先輩、どうしたんですかぁ? おこなんですかぁ?」
「お待ちください。三人とも。わたくしも行きますから!」
アズさんが先頭で、両翼のようにルビーとリシェスが、その後ろをローゼが歩き、木馬車に真っ直ぐ向かって言った。
「剣災、胸を張って行ってこい……それと、誕生日おめでとう」
アズさんが俺に背中を向けたまま言い、それに続いて、
『おめでとうなんし。ケンシロー、鋼の意志を失うなでありんす。行ってこい』
「おめでとうございます。ケンシロー様。花の準備は出来ています! いってらっしゃいませ!」
「おめでとぉ。ケンちゃん、最強の盾が未来堂を護ってるからねぇ。行ってらぁ~」
ヴァレリーに残す大切たちが、俺に「誕生日おめでとう」と「いってらっしゃい」を言ってくれた。今こそ泣いていい。からかわれるから泣かないけれど。
途中でアズさんはフィールが使った馬竜車を一瞥したみたいだが、背中を向けた彼女がどんな眼をしていたのかを、俺は知るすべを持たない。
「……フィール。お前、まだ何か隠してんのか?」
俺は真っ当な答えなどフィールに求めてはいなかったが、返事を待つと、
「――――いつかその質問に『ありえない』と答えたいものだね」
やはり真っ当な回答は返ってこなかった。
「お前、やっぱり腹黒だから黒騎士なんだな」
自分が二番手であることを忌み嫌う黒騎士。
「ふふん、何度でも言うけれど、僕のはただの漆黒趣味さ。まだまだ腹黒を目指す者だよ」
「……あ、そう」
こいつが将来、腹黒界のトップに君臨できた時は、必ず俺がトップの座から引き摺り下ろしてろうと思った。
「じゃあ、彼女を呼んで来るから乗船して待っていてくれ給え。一番眺めのいい部屋をとっておいたから、島に着くまではゆったり船旅に興じようじゃあないか」
呑気に船旅に興じた結果、騎士候補生たちはひとりを残して全滅したんだがな。
フィールが馬竜車へ同行する女を呼びに行こうと、踵を返した瞬間だった。
「げふ」
――――彼は間抜けな声を上げて仰向けに倒れた。
――――っというか、そのまま海に落ちた。
「ふぃー……」
あまりにも唐突だったので「ざまあみろ」とも思えず、煉瓦と土木で固めた埠頭から落ちるフィールをぼうっとしながら眺めていたら、今度は俺が何者かに突き飛ばされた。
「うおっ……」
幸い、俺は今いた埠頭の位置から落ちると、小舟に拾われたため、海に着水するには至らなかった。
「ケンシロー!?」
ララの声に呼ばれて俺は即座に閉じた目を開き、状況を確認する。
――――騎士礼装を着た幼女が俺の胸に抱きついていた。
「なんだ、この子……?」
「待ち焦がれていたとはいえ、蹴るなんてひどいじゃあないか」
ザバッと海に沈んだかと思われたフィールが海面から顔を上げて船のヘリに手を掛ける。
「…………ケンにぃ。…………見つけた」
抱きつく幼女は顔を俺の胸にうずめたまま、か弱い声で呟いた。
「フィール。もしかしてこの子が……?」
「そうだよ。ケンシロー君」
水も滴るいい男――――フィール・フロイデ・シュバルツは海に落ちても爽やかに言う。
「彼女曰く、過去にケンシロー君と婚約したんだってさ」
「――――――――」
その場の空気が凍りつく。灼熱の夏が終わった気がした。
第四章07話でした。最近一日一話投稿が出来ていなくて申し訳ないです。
いろいろと年末進行なのです……。
応援よろしくお願い致します!