第四章06 出血大サービス
まず、今回の仕事に「お前は不参加だ」との旨を我らが未来堂の最強の盾に伝える。
「えぇ~? 明日出発するのぉ? ウチはぁ?」
「なんか、同行する女の子ってのが、多人数は嫌なんだってよ。だから未来堂からは俺とララの二人だけだ」
「だったらその女の子が来なきゃいいじゃん!」
「無茶言うなよ。その女の子に吸血鬼粛清の命令が下ったんだから、その子がいないと始まらないだろ」
「じゃあ、ケンちゃんが行かなきゃいいのにぃ~」
「俺に降って沸いてきた仕事なんだっつの」
俺が行かなかったら未来堂の仕事じゃなくなるだろうが。
俺が趣味でフィールと船旅に興じたら、それはもう狂気の沙汰だ。
――あ、そうか。今回は馬竜車の旅じゃなくて船旅になるんだった。
「分かったよぉ。じゃあ、明日は見送りに行かなきゃだねぇ。ヴァレリー第三〇区にぃ」
「……ああ。――あ? 三〇区まで来る必要は……」
「じゃあ、出発の準備頑張ってねぇ」
リシェスはそれっきり、自分に与えられた今日の仕事に打ち込み、のめり込んで作業した。
よく分からないが、こいつはやっぱり頑張っている。
次に居眠りしているオッサン清掃員を踏みつけてアズライトの元へ行く。
「アズライト」
「ああ、明日だな。楽しみだ」
……楽しみ?
アズライトはそれっきり、自分で視つけた仕事を続けた。
何かが変だと思って俺は「行ってくる」の挨拶をしようと郵便物の回収をしているローゼに会いに行こうとして、廊下でララに鉢合わせる。
「おう」
「うん」
「…………」
無言のまま互いに向き合い、俺は何をしようとしていたのだか忘れかける。
「ローゼって郵便受けに……」
「うん。私が代わりに挨拶してきたから、大丈夫よ。ルビーも同じく。今日は今日できる仕事をしましょう。明日が楽しみね」
「あ、ああ……。あ?」
それっきり、ララも接客の仕事に戻って、たまに来る客に笑顔を振りまいていた。
それっきり、俺は呆けたように、会議室で明日必要になりそうなものを店長と話し合っていた。――――全く、頭に入らなかった。
***
黄色い声、というか、色とりどりの明るい声が俺の耳から脳に、魂に浸透していく。
八月、つまり灼熱の夏。訪れたのはヴァレリー三〇区の大海を臨める港町。太陽光が容赦なく降り注ぐ真夏。船を横付けする埠頭と、その隣にある砂浜。太陽光に照らされる人の肌。
――――つまり、地上の楽園。
異世界画材店未来堂は店長と清掃員に任せ、フィールとの約束の時間まで女性陣と俺とで海を満喫していた。
水着姿のララ、ルビー、ローゼ、リシェスが砂浜でボール遊びに興じている。
たまに砂浜に足をとられてすっ転び、海水でびしょ濡れになってもお構いなしに笑っている。
女性陣が楽しみにしていた理由はこれか。人の見送りを撒き餌に海水浴とは。しかし、
ララが楽しそうにしている。
ルビーが喜んでいる。
ローゼが動き回っている。
リシェスがはしゃいでいる。
アズライトはというと、俺の隣――日傘の下で水着姿になって一緒に彼女たちを眺めていた。なんでも、あの四人に混ざらないのは体力に自信が無いかららしい。
起伏に富んだ肉体美の方は未来堂で断トツなんだがな……。
なんというか、いろいろと眼福だ。俺はアズライトの差し入れで貰ったオレンジジュースに口をつける。
「剣災、あいつらは楽しそうだな」
「アズライトは楽しくないんですか?」
「……」
沈黙するアズライト。
「アズライト?」
「名前に敬称を付けるか、敬語を止めてくれ。なんだか、アンバランスで気味が悪い」
「あー……たしかに」
俺もなんとなく感じていた。実際に口にすればするほど不協和音が鳴るように違和感がある。
「じゃあ、今まで通りアズさんって呼びますよ。上司にタメ口は利けませんから」
「……そうだな。剣災はそういうやつだ。それと――――」
「それと?」
アズさんは両腕で胸を覆い隠す。
「あんまり胸を見つめるな。さっきから、お前の視線と同期していて、……性欲が丸見えだ」
思わず俺はオレンジジュースを噴いた。
「す、すんません……年頃なもので節操がなくて……すんません……」
「気分が抑えられなくなったら言え。いつでもアタシは合意の上だ」
「冗談に聞こえない……」
っていうか、この人はきっと、嘘をつくことはあっても冗談とかは言わないのだろう。
俺は性欲を収めるために、アズライトとの視界のペアリングを一度切って(アズライトとお互いを想い合うと勝手に繋がるようになっているので、会話を交わすと自然に同期する)、ボール遊びをしている女性陣四人を眺めるが、ちっとも収まらなかった。学生時代に殺ぎ、抑え込んでいた性欲が今になって……。
「ふふ、ペアリングが切れても剣災の目は正直だな」
「はい?」
「誰を見ているのか一目瞭然だ」
思わず俺はオレンジジュースを噴いた。二度目。
「俺は別にララなんて眺めてませんよ! あいつ、大して見る所ないし!」
あ、動転していつの間にか自分からアズさんに白状している。
「眺めるだけの恋というのも、気楽でいいものだな」
「いや、別に恋とかじゃなくて……」
なんとなく目が行くというか、他の連中の肢体を眺めるのが申し訳ないというか……。
たとえばルビー。
彼女はスカートのように裾の広いパレオのついた水着から尻尾を出している。あのパレオの下の構造はどうなっているんだ……。ちゃんと穿いているのか?
たとえばローゼ。
彼女は黄緑色のフリルのついたビキニを着用している。いつもよりか開放的で、着やせするタイプの女性のようだった。意外と太すぎず、かつむっちりしている。
たとえばリシェス。
彼女は褐色の肌に長身細身のスタイルが映えるような、女学生が授業で着るような水着を着ている。本気で泳げそうだ。色気を出す気は無いらしいが、それがいい。
そしてララ。
彼女は何の変哲もない赤い水着を身に纏っていて、水着から出る白い肢体は普段から屋内で作業していることがひと目でわかり、華奢で、思わず守りたくなるようで、しかしそれでいて彼女の瞳は強いはしばみ色に輝いている。胸の谷間は控えめだが、その方がむしろ健全に見える。か弱く見えるこその強さというか、貧相に見えるからこその色気というか……、いやいや、俺は胸が大きい方が好きというか男の本懐をそそるものがあるし、なんなら尻尾なんて生えていても別にいいと思える度量があるし、少しむっちりしていてなんなら分類学上は植物に近い体でも構わないし、肌が白くなくて褐色の肌で自分よりも長身でも別にいいので、亜麻色の髪の彼女の十人並みな肉体に特別魅入る要素なんてないし、見入る必要だってないし、だから彼女のことを無意識に目で追ったり、眺めて不健全な妄想をしたりするはずがなく、そんなことがあってはならないわけで、今、彼女がお尻に食い込んだ水着のパンツを直した仕草や、ずれた水着の肩紐を手で直す仕草に、俺が生理的な反応を示したのも特段、なにか彼女に特別な感情を持っていたわけではないのだ。つまりだ、つまり、俺がなにを言いたいのかといえば、俺は、はしばみ色の瞳の彼女を目で追うし、不健全な妄想もするし、生理的反応も示すのだが、それでも俺は彼女のことが大切で、大切に思うからこそ不純な感情は持たないべきだし、そもそも彼女は俺の剣であり、俺は彼女の画架であるというだけの関係であって、別に異性だからどうこうということは無く、異性だけどどうこうということもなく、男女だからこそという関係を望んでいるわけでもなく、彼女ともっと精神的に深くつながり合っていたいと感じるとともに、肉体的にもというか、身体的にもというか、感情論としてというか、自然体としての情欲というか、在るがままの俺の――とどのつまり、俺が本当に言いたいことは、俺が自分自身で自覚していることといえば、それはつまり俺は画家志望であり剣である、ララ・ヒルダ・メディエーターのことを――――――――
バコンッと女性陣四人が遊んでいたボールが俺の顔ど真ん中に直撃する。
「ごめん、ケンシロー!」
誰か、耳が幸せになるようなとても好みの誰かの声に謝られて、俺はようやく我に返る。
――――――――俺は今、何を考えていたんだ?
なにか支離滅裂で意味不明なモノローグを数秒間、語っていたような気がするが、全く思い出せない。思い出せないどころか、何も思っていなかったような気さえする。
ボールに全ての記憶を奪われたかのように俺は硬直していた。
「ケンシロー! 血! 鼻血出てるわよ!」
亜麻色の髪の女の子がそう指摘して俺の鼻をつまんで顔だけ仰向けにする。
「ら……」
「大丈夫、ケンシロー? 衝撃で頭良くなったりしてない?」
「お前、それどういう意味……」
何か業腹なことを言われた気がするが、なにかを言い返しきる前に鼻に丸めた薄布を突っ込まれて止血の処置を受ける。
顔の痛みは鈍いが、血は派手に出る。
残りの女性陣三人も駆け寄ってきて、代わる代わる俺の鼻血顔をオモチャみたいにべたべたと触り、そして俺が無事だと分かると安堵したように笑って俺に謝罪する。
『すまなんだ、ケンシロー』
「申し訳ありません、ケンシロー様!」
「ごめんねぇ、ケンちゃん」
その笑顔と可愛らしい声たちに全てを許してしまい、しかし俺は素直になれずに、
「殺人犯は誰だ」
――と、益体もない戯れ言を言った。
業務上過失致死犯はルビー・メタル・シルバーという鋼竜の残りカスの強靭な尻尾だった。大目に見て許そう。
「お前らみたいな危ない遊び方をしてたら、いずれボール遊びをしていい場所がなくなるぞ。今回は許すけども」
俺はぶつくさ言ってはいたが、四人のボール遊びに少しでも混じれたことに無理やり感謝の念を抱くことで、――――無理を通すことで、禍根は残さない方向に進んだ。
これはつまり、出血大サービスだ。
何か頭がくらくらするのは鼻血を出し過ぎたせいだな。あとは夏の暑さにうだっているからだろう。
鼻血が出たのも頭がくらくらするのも、水着姿の美女五人に囲まれて、手当てを受けていることが直結しているわけではないのだと、俺は思うことにした。
――――冷静になって考えると、俺の記憶には水着のララが一番強く残っていた。
第四章06話目でした。水着回です――と言うほど肌色成分は濃くなかったですね。すみません。
次回もよろしくお願い致します。