第四章03 剣と画架3
女の子が頑張っている姿というのはすごく可愛らしいと思う。
しかし「女の子」という要素が重要なのか、「頑張っている姿」という要素が重要なのかは少し判断しかねる。
少なくとも、その二つが合わさると最強だということは確実だろうか。
――いや、可愛らしいと思うのが間違っているのかもしれない。力を貰えるという表現がやっぱり正しい。
俺が力を貰えている象徴的な人物が、――――ララ・ヒルダ・メディエーターだ。
だからこれはどういうことなのか。
「ララ、これは何事だ?」
「決まってるじゃない。私事よ」
俺は鋼竜討伐の帰還式の時に着たような礼服――ただし今回は燕尾服を現在着用中だ。
そしてララはその帰還式の時とは少し違う、燃えるような赤いドレスを着こなしていた。
そんな俺は対面のララの腰に手を回し、もう片方の手と手を合わせ、ほぼ密着していた。
「真面目に言え」
「あんたがついてきたんでしょ?」
「――――」
落ち着いた音楽に合わせて、俺は足を右へ、左へ、後ろへ、前へと動かし、ララはそれについてくる。この夜の為に管弦楽器の奏者を数人呼んだらしい。
「それはお前が、仕事終わりに『今夜、家で社交ダンスのお稽古があるけどあんたも来る?』って言うから……」
「言ったからなに?」
俺たちの会話は、小声だから周りで見ている大人達に気づかれていないのか、それともただ黙認されているだけなのか、とにかく誰も邪魔してこなかった。
「紳士の嗜みとして社交ダンスくらいは踊れないとな、とおもいました」
さすがにララを他の男と踊らせたくないとは言えなかった。
「そ。まあ、実際に男と踊るのは初めてだからこっちも勉強になるわ。いつもは女性の先生にリードしてもらっていたから、今日もそうだと思ってた」
「……!」
俺の考えは杞憂だったのか!
「あんた、初めてにしてはリードするの上手いわね」
「ララが合わせるの上手いだけじゃないか? 俺は本当に初めてだからな」
こんなに近くに居るのに彼女と目が合わせられないのはなぜだろうか。
「そもそも、こんな平坦な踊りでいいのか? なんかもっと派手な動きとか――――」
「いいのよ、こんなんで。社交ダンスなんてこんなものよ。別に私はダンスで主役になりたいわけじゃないから」
たしかにそうだ。世の中には主役になるための頑張りと、端役になるための頑張りが必要だ。
今回は後者の頑張りなのだろう。メディエーター家の引き立て役。
「ララはカンバスに主役を描く側の人間だもんな」
「……ばか。分かってきたじゃない」
四ヶ月くらいか。戦い続けて一緒にいれば、なんとなくの領域だが分かってくるものもある。
「そういうケンシローは剣で主役をぶった切る側の人間よね」
とんだ敵役じゃねえか。
「…………事故で足でも踏んでやろうか? 俺はダンスの初心者なんだ」
「そうね。初心者のリードだとこっちも事故で足を踏んでしまいそう」
「……」
ララが今履いているのは、少し高めのピンヒールだ。
「俺が切り拓いた未来に向かって進むための足を砕かないでくれ」
「ふふ、未来は絵画で描きだすものよ」
「ハッ」
どれだけ息が合っていても、そこだけは合わないところがいかにも俺たちらしい。
そこで管弦楽器の演奏が止み、今日のお稽古が終了する。
俺はしこたまダンスの先生からダメ出しを受け、少しだけ凹む。ララは下手なリードを上手く活かせていた。頑張っているのが分かった。との高評価を受けていた。むう。
そして管弦楽器の奏者たちは解散し、メディエーター邸をあとにする。
俺は――――というと、稽古終了後、またしてもララの部屋にいた。二度目の来訪である。
今度はあのルビーはいない。今ごろ家でローゼに手を焼かせているのだろう。そこはなんとなく申し訳ない。
そして俺たちは二人だけの酒宴を開く。開くというか、ララが勝手に飲みはじめたので付き合っているだけなのだが。軽く飲むだけといっていたが、絶対そうはならない。
「今日のあんたは上出来よ。なかなかいいダンサーっぷりだったわ」
酒の入ったグラスをもってソファにもたれるララが俺を褒める。
「ダンサーって。……そりゃどうも。……にしても、お前ってこういう練習を定期的にやってんのか? 金持ちの子はそういう点では大変だな」
「分かってくれるかしら? はやく庶民になりたいわね」
「……」
金持ちの発想だな。
「そもそも、宮廷画家に成って成功するのが夢なんだから庶民には成れないだろ」
「そうなんだけどさ、でもやっぱり目標が高すぎる気がしてきたの。パパはなんか、他の分野に興味を持ち始めちゃったし」
「他の分野?」
たしかララ――――メディエーター家は生まれた子どもに農業とか工業とか、得意分野を持つようにと、育て上げられたのが今の代なんだったか。
「伯父さん、伯母さんにせっつかれたらしいのよ。『すっかり美術のメディエーター家になってしまったね』って皮肉も一緒に」
つまり、美術分野以外では豪商を名乗るには力不足ということか?
「絵画の世界ではヴァレリー一位でも、他の世界ではお株を奪われた状態ってことか?」
「そう。とにかく私のパパの発言力が一番強いから農業担当の伯父さんとか、工業担当の伯母さんとかの意見が通るのが遅くなって、ヴァレリー最大手の豪商・メディエーター商会の立場が揺らぎ始めているの。もしかしたら当主替えすることになったりしてね」
「……」
あまりにも自分の住んでいる世界とかけ離れすぎていて、なにを言われているのかすぐに想像するのが困難だった。
「つまり、メディエーター家の当主替えをしたら、もしかしたらララはただの庶民になる可能性もあるということか?」
「そこまでパパの立場が落ちることはないでしょうけど、今よりも生活が苦しくなったりはするかもしれないわね。そうだからなのか、焦ってるのか、パパ、迷走してるし」
「迷走?」
あの強そうなというか、強面なというような図体の男が焦るのか。しまいには褪せるのか。
「音楽とかに手を出そうとしてるんだって。音楽もほら、芸術でしょ? それなりに知識はあるのよ。ただ、他に音楽に力を入れているところよりかは劣るんだけどね」
「後追いになっちまうもんなぁ……たしかに迷走か」
俺は経営の難しさを少しも理解していないのに、している風を装ってグラスに口をつけ、
「しまいにはなにを動転したのか、私の結婚相手まで見つける始末」
ララのそれを聞いて盛大に噴いた。
「結婚!? 誰と!?」
隣に座っているララと目が合い、ほんのり酒の力で赤くなっているララは汚いようなものを見る目で俺を見る。
「ちょっと、大事なお酒を吐かないで」
「吐いてねえ! 噴いたんだ! それより結婚ってどういうことだよ! 相手って誰だよ!?」
ララは俺から視線を逸らしてグラスの酒をちびりと飲む。
「……まだ婚約成立してないから、秘密」
そして俺の質問に答えなかった。まるでそいつとは会ったことがあるような言い方だ。
「どんなやつなんだ?」
「秘密って言ったでしょ? 秘密なの」
ララが誰かと結婚する? まだ婚約はしていないそうだが、そうなると……。
「ララの結婚相手は、未来堂での仕事を反対するだろうな……」
「それは分からないけれど、確かに普通の神経の持ち主なら反対するわよね」
下手したら死ぬかもしれない戦地で俺の剣として戦いに参加し、必要があれば対象の命すら奪う仕事――――。
「仮の話をしていいかしら?」
「――? ああ」
「私とあんたが結婚したら、あんたはそれでも私を剣として扱える?」
「――――?」
どういう、意図の質問だ?
「お前が、頑張って剣に成ってくれるなら俺は――――」
「そうじゃないの」
ララは俺の言葉を遮ってぴしゃりと放つ。
「妻の私に『剣に成れ』って言える?」
「――――」
俺は閉口して頭が真っ白になった。なにも考えられなくなっていた。
「妻もなにも、恋人すらできたことがない俺が、そんなこと想像できるかよ」
「そうね」
「ただし、ララの意志を尊重したいとは思う。俺が『剣に成れ』って言って、ララがそれに『嫌だ』と答えたら、俺は他のやり方を探して仕事を続ける」
「そんなに仕事が好きなの?」
「――仕事は別に好きじゃない。ただ、大切なだけだ。あそこにいると、頑張ってるやつの力を貰えるから」
今のことで言えば、ララやルビー、アズライト、ローゼ、リシェスが目指す先は微妙に違えども、頑張っている。それを見るだけで力を貰えた気になる。
「――――――――――――」
ララはそれきり無言になって、なにかを考えた後に、
「ケンシローも頑張っているじゃない。私の画架に成ってくれるんでしょ?」
「ああ。お前が望むなら、必ず」
「あんたの奥さん――もしくは恋人がそれを反対したらどうする?」
「――――はぁ?」
奥さん? 恋人? 俺の?
「たとえばアズさんがさ、あんたの恋人になって私に嫉妬して『ララじゃなくてアタシを見ろ。アタシを護るためだけの存在で在ってくれ』って仮に言ったらどうする?」
つまり、「俺が画架で、ララが剣」という今の関係を解消しろというお願いを恋人にされたらどうするか、か。
「その時は三者面談でも四者面談でもするさ。そうして妥協案を探るしかない。俺はそういう問題に、パッと解決策を出せないバカだから」
少々情けないが、そうするしかないだろう。
「バカ、か。確かにあんたはバカね。頭は回らないし、強いわりに勝率は低いし、身の程知らずのバカね。ばーか」
「子どもかよ。そんな安い挑発には引っかからねえぞ。もう一回言ってみろよ。おい」
「あはははは!」
ララは笑う。俺の反応がそんなに愉快だっただろうか。
「ケンシローこそ頑張ってる。努力してる。だから私は剣に成って応援するの。あんたが護りたいものを護れるように。あんたが握ってくれるなら、私はずっとあんたの剣よ」
ララの甘く可愛い頑張りの姿に俺はまたしても力を貰った。
明日もまた、仕事を頑張れそうだ。
「ところで、身の程知らずのケンシローはさあ――」
「……ああ?」
まだその話を続ける気か。
「――酔い潰れるほど呑んだことってあるの?」
***
あれから先の記憶は定かではないが、おそらく飲み比べを始めたのだと思う。
「絶対、何もなかったはずよ」
俺の剣――ララは毛布で自らの肢体を俺に隠して断言する。
「ああ、何もなかったことにしよう」
ララの画架――俺は彼女の意見に同調し、このことは墓場まで持っていこうと決意する。
俺とララは半裸の状態で次の朝、同じベッドの中で目を覚ましたのだった。
第三章3話目でした。今章はケンシローとララの関係に動きが出る予定です。
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