第四章02 断片 特別な宿痾
宿願は宿痾だ。
たまにふと思う、俺は誰かを愛せるだろうかと。
未来堂の皆は好きだ。なんだかんだ言いながら、俺に力を与えてくれる。
未来堂の皆は大切だ。なんだかんだ言いながら、俺は力を貰っている。
俺もその恩義を還すのに躍起になって頑張っているが、職工見習いとしては不甲斐ない仕事ぶりで日々の負い目は増えるばかり。皆から力を奪ってばかりでなにも還元していないのではないのかと、そう思うのだ。
だから大好きな皆に多かれ少なかれ好かれているのだと思うことにする。
しかし好むことと愛おしむことは違う。
愛することなど、俺には分からない。そこまでの熱い感情を抱けないのかもしれない。
真っ当な愛し方が分からないのか、上等な愛され方が分からないのか。
それでもアズライトは俺に思慕の情以上の感情を向けてくれる。
俺がアズライトの情を奪っている。
俺はアズライトに情を還していない。
――――少ない知識の数学でいうと、不等式だ。
――――少ない知識の錬金学でいうと、原則無視だ。
知っている限りの道徳学の知識で言うと、恩知らずだ。
総合的な言い回しをすると、――――不平等だ。
俗っぽい言い捨て方をすると、――――不義だ。
俺は――騎士であるケンシロー・ハチオージは、仕える姫様たるアズライトを精神的に満たしてあげるための義理と責任がある。
彼女に魂の半分を押し付けた俺には、彼女に宿る俺の半身に働き続ける意力を与えるべきなのだ。半分だけでもそうするべきだ。
自分自身なら俺は愛せる自信がある。自分自身なら愛せている自覚がある。
自己愛というのもこじらせれば病魔になる。難治性の厄介な病に。
これ以上――――職業病、努力病の他に病気を増やしてなるものか。
自分で言うのもなんだが、色欲はある方だ。
自分で言うのもなんだが、欲情もする方だ。
自分で言うのもなんだが、欲望はある方だ。
自分で言うのもなんだが、欲求もある方だ。
しかし、愛されたいという欲求はあるのに、愛し還せる自信がないからか、俺は全く欲を出せない。
すくなくとも、俺が理想とする愛の形は――――情熱の後に忍耐があって、その後に老熟があるようなそんな他愛ない人生だ。
結婚は忍耐だと既婚者はよく言う。
だからきっとそうなのだろう。覚悟はする。諦念も持つ。
情熱をもって誰かを愛し、所帯を作って苦労に耐え忍ぶ。
家族が増えれば掛ける手間と金が増える。
それくらいの覚悟はある。諦めとは違うけれど、家族がいるから頑張れると既婚者は言ったりもする。だから、俺も頑張るはずだし、頑張る気でいる。
そして老いぼれて老骨に成って、もっと家族が増えた時、俺は皺だらけの顔でなにかに笑いかけていたい。熟した果実が木から落ちる前に啄まれるように、誰かの糧になって死にたい。
いや、死に様は特に決めていない。大事なのは生き様だ。
だから俺の生き様は――情熱、忍耐、老熟、そして糧になることで完成する。
俺が既婚者に言われて想像し、創造した将来の設計図。未来予想図で、未来理想図。
その未来を現在にするためには誰かを愛おしむという感情は避けられない。
だから俺は不安なのだ。
自分のねじくれた鈍感な自尊心と自己愛では、誰かをまともに愛することなど、もしかしたら永遠に――――と感じるのだ。
俺は竜ではない。少なくとも竜であるという自覚は無い。
ひどく非道な言い方をするけれど、九〇年も生きたら、この世界では老害だ。耄碌だ。
渡せるだけの財産を渡して骨になるのが礼儀というもの。
だから俺はこの未来理想図に九〇年もかけられないし、賭けられない。
たまに未来を思い、フッと脳裏に浮かぶ顔がある。寝る前に、仕事に行く前に、仕事場でそれぞれ違う仕事をしている時に、仕事が終わって帰宅する途中に、はしばみ色で亜麻色のあいつを想う。
――――すごく、もやもやする。
――――すごく、くらくらする。
あいつが悲しめば、俺も悲しい。あいつが喜べば、俺も喜ばしい。楽しければ楽しい。悔しければ悔しい。
――――その時々の顔を浮かべて、俺はもやもや、くらくらとする。
しかしそれは仕事の同僚だからだ。同じ時期に就職して、ただ出来ることが重なって、だから俺はあいつの隣に立っている。
あいつが隣にいない時は、少し寂しくて、とても不安だ。
あいつがどこかで泣き崩れていないだろうか。俺がどこかで泣き崩れないだろうか。
俺はあいつから夢を奪っている気がする。
あいつの画家に成るという夢を、俺は画架に成ることで果たそうと約束した。
でも俺はあいつに剣に成ることを求めるばかりで、絵画のチャンスを奪い、俺はなにも還元できていない。あいつにも俺は不義を働いている。
――でも、俺がこうしてあいつに負い目を感じることすら、あいつの負い目をかきたてるのだろう。きっとそうして大切に思ってくれているのだろう。
そう思いたい。
あいつはきっと、俺の右手の魄動を聞いている。剣に成って俺が握れば、あいつに俺の考えているは案外、ダダ漏れなのかもしれない。
ならば、俺があいつの画架に成れば、俺はあいつの考えていることを少しは感じとることができるのだろうか。あいつがどんなふうに絵を描いて、世界にどんな永遠を描きたいのか、それが分かれば、あいつのことをもっと大切だと思うことができるはずだ。
しかし、大切だと思い合うことと、恋しい愛しいと思い合うことは少し違う気がする。
重なる部分はあるけれど、どこかが重なりきらなくて、どこかがはみ出していて、似て非なるもの。
ララとの今の関係について強いて形容するとしたら、――――男女以上恋人未満だろう。
家族のように大切に思い合えるが、恋人のように恋愛に押し切ることはできない。
四月に会って、もう八月。
まだ四ヶ月と少しの付き合いとはいえ、月日が過ぎるのはあっという間だった。
鋼竜と戦い、
樹竜に巻き込まれ、
骸竜に大切を気づかされた。
死闘の結果、大切と気づけたのは良かったのに、結局、自分が何をしたいのかが分からない。
俺は画架に成るべきで、
俺は騎士に成るべきで、
俺は推薦者に成るべきで、
俺は光に成るべきで、
俺は好敵手に成るべきで、
ずっと「べきべきべきべき」と思い続けて、俺は肝心の「したい」が出てこない。
このままでは宮廷騎士に「成るべきだ」という思いに縛られた学舎時代の焼き直しだ。
もっと自分を作るために努力しなければいけない。自尊心は取り戻してもいいはずだ。
でないと、俺はまた、自分に負けて納得できない。――――只人にすらなれない。
剣聖は「剣以外は慙死」と言った。
しかし俺は、「剣こそが慙死」だと思う。
俺の人生は剣にこそ斃れてはならないとさえ思う。
戦える剣があって、
仕える姫様がいて、
鋼の意志を貰えて、
花飾りが俺を待ち、
盾が護ってくれる。
俺が剣で斃れたら、俺の大切はどうなる?
戦う力を与えたのに還元すらされず、それこそ奪われたようなものではないか。
剣で戦う力をたくさん貰ったのに、還せず、それこそ強奪したようなものではないか。
彼女たちの力に報いるのであれば、「剣こそが慙死」なのだ。
不等式、原則無視、恩知らず、不義。
そんな集合体に進んで成りたくはない。
俺は想いの恩に報いたい。
――少なくとも、はしばみ色の瞳が泣かなくて済むように在りたい。
それこそが宿願だ。
それこそが宿痾だ。
俺は、誰かを愛したいという宿痾に罹っている。
恋愛依存症とかではなく、むしろ恋愛欠乏症だ。
なあ、ララ・ヒルダ・メディエーター。俺がこんなひ弱な話をしたら、お前はなんて還すんだろうな――――?
「下手したら激怒させちまって、地獄の業火で土に返されるかもしれねえな……」
あとには血痕しか残らない――――そんな制裁を食らわせて来るかもしれないな。
貰う世界の断片で、俺は宿痾に身を焦がす。
――特別な思いが身を焦がす。
第四章02話でした。ケンシローのモノローグのみです。次回はしっかり他のキャラクターも出てきます。
応援よろしくお願いします。