短編 詫び金塊
剣の才能以外に、自分の才能で誇れるものがあるとすれば――
「描けた」
王宮内の広すぎるアトリエの中で、皇帝陛下にフォーサイス砂漠の土産話(話せる限りの内容)を肴に、俺は彼の絵を描いていた。
「この僕を練習台に、どんな風に描けたんだい?」
この国の皇帝陛下たるお方――今はただのダンデが、金の髪を揺らして画架の前に立つ俺のもとへ来た。
「どんな風もなにも、抽象画だからこんな風としか言えないな」
俺には画才が少しあるものの、絵画を鑑賞する才能は無いようで、自分で描いた抽象画すら出来栄えに納得も感動もできないという、ある意味では天才、ある意味では只人以下の感性の持ち主というのが自己評価である。
「すごい……芸術的だね」
ダンデがうっとりと見、手放しに俺の絵を褒める。本当に俺は褒められているのだろうか。
「この才能を職に活かせればいいのにね」
「……一応、画材店の店員だからな。活かせていなくはない」
今のところは異世界画材店未来堂を辞めるつもりはない。というより、家計の為には辞める道がない。つらい……。毎度毎度、出張で死にかけるほど楽しい職場だけどね!
ペインティングナイフに付着した顔料を白布で拭き切り、ようやく俺は椅子に腰かける。
すると、ダンデが隣にちょこんと座る。
「お前はダンデになると皇帝陛下の雰囲気が一瞬で消し飛ぶな」
「そのためにアナステシアスとダンデの名前を使い分けているんだよ!」
とはいえ、皇帝モードのダンデも別段、鋼竜の一件あたりから大して皇帝らしさというものに磨きがかかっているわけではないのだが。
「僕だって、最初から最後までダンデで在り続けたいよ。……ただ、それができる身分じゃないからね」
諦めたように醒めた顔で、ダンデは椅子の背もたれに身を預ける。
「そういう風に苦悶できるのは、善良な帝王様だな」
「そりゃあ、僕だって暗殺の類は受けたくないからね。痛いのは嫌だ。その為には庶民の隅々にまで媚びへつらいたい気分さ」
「……シノビさんという最強の武人が居ながら、それでも暗殺を受ける可能性があるのかよ。――そういえばシノビさんは?」
そういえば今日は、仕事中にいきなり宮廷の使者に呼び出され、いつのまにかここに通されてダンデの絵を描いていた。今の今までシノビさんには会っていない。
「シノビなら月のものでお休みだよ」
「……あ、そう。女性だもんな」
しかし生理現象だから仕方ないとしても、世の働く女性たちは皆我慢して働いているのか。
その苦痛は聞いたところによると、男性が股間を蹴飛ばされた時の痛みと同等以上を聞いたことがある。
と、まあ、それを理由に休めるというのはかなり上等なお仕事をしている女史ということだ。
「そういえばシノビさんって既婚者なのか? 何歳なんだ?」
「歳はよく知らないけど、既婚者ではあるよ。妻帯者だね」
ダンデの言葉に俺は疑問符を抱く。
「既婚者だったのかあの人。……って、そういうときは人妻って言うべきなんじゃないのか?」
俺の問いかけにダンデは悪い笑みを浮かべる。
「ヴァレリーの人種の多さを舐めちゃいけないよ、ケンシロー。シノビは同性愛者で妻を二人娶っているのさ」
「……――っ!」
色々とショックだ。方法としては下策ながらも、たしかにこの国で複数の相手と婚姻を結ぶことはできるし、なんならそれが異種族でも同性でもいい。それがこの国のルール。
なんでも、子を成しにくい異種間や子を成せないはずの同性間での結婚を許すことにより、過剰増加傾向にある人口を調整しようとしているとかいないとか。
「だからケンシロー」
ダンデの細腕が俺の方に回される。
「僕とケンシローもしようと思えば結婚出来ちゃうんだよ」
「やめろ。俺の相手は女がいい」
「一生遊んで暮らせるよ?」
「そんな言葉に釣られるか!」
できるものならこれから一生遊んで暮らしたいが、その選択を納得しない女たちを俺は知っている。養わなきゃいけないヤツがいるし、護らなきゃいけないヤツがいるし、画架に成らなきゃいけないヤツがいるのだ。
「つーか、ダンデ。お前はもう、正妻も第二夫人も第三夫人も決まっているんじゃないのか?」
成人する前から皇帝陛下の位を継いだダンデは、結婚相手が決まっていてもおかしくないのだ。本来はそういう身分なのだから。
「残念だったね。見合いの話は来ているけど、僕はまだ婚約は誰とも結んでいないよ」
「どうして」
すると、ダンデはバッと両手を広げて華やかに笑い、
「してみたいじゃないか。恋ってものを」
庶民のようにそう答えた。
「まったく、皇帝陛下様がそれでいいのかよ。――」
皇帝としての自覚が足りないとは言わないが、俺に気を許しすぎではないだろうか。
俺は何か言葉を継ごうとして、ノックの音に阻まれた。そして、
「アナステシアス陛下。客人の到着でございます」
「――よい。通せ」
顔の皮が剥がれ落ちたかのようにダンデはアナステシアス二世へと戻った。
「ケンシロー」
「……あ?」
「貴公の今日の仕事は王の護衛だ」
「……なるほど」
俺がここに呼ばれたことは意味のないことなどではなく、客人とかいうのから皇帝陛下の身を護ることだったのか。かーっ! 頼られる男は手が二本あっても足りねえや。
「護衛? ……皇帝陛下ともあろうお方が、なにを言っておられる。己れに護衛は必要ない」
死んだような声、死んだような風貌の小柄な男が大きな扉の向こうに立っていた。
「ケンシローの今日のお役目は、フォーサイス砂漠のゴーレム族の新しい王――オネストの案内人だ。知り合いなんだろう?」
「ましてや、そんな只人におもりなどされるつもりなどない」
「……」
ダンデという男は、俺に押しつける仕事がいちいち性格の悪いモノだらけだ。
***
黄色い声が街を駆け抜けていく。
「……………………」
「……………………」
俺とオネストの周りに薄い膜でも張っているのか、黄色い声は俺の心に届かない。
ヴァレリーでも指折りの繁華街を歩いているというのに、並んで歩く俺とオネストは全く楽しくならない。
そもそも俺たちには繁るほどの華がない。
「なんか喋れよ」
「実のある会話が貴様にできるのか? ケンシロー・ハチオージ」
「それはなんというか、俺にはできなくともお前にはできるみたいな言い方だな、おい」
「事実だ。貴様と己れとでは受けた教育が違う。これでも己れは貴族の生まれということになっているからな」
「くそ、手柄だけ掠め取ったくせに」
「結果が全てだという言葉を聞いたことがあるか? ケンシロー・ハチオージ」
「……」
なんで、なんで、なんで、なんで、なんで俺はスペーニャで殺し合った間柄のオネストをこのヴァレリーでもてなさなきゃなんないんだ? もっと適役がいただろ!
「……オネスト、今からでも遅くない。仕事場のリシェスとバトンタッチしていいか?」
「黙れ。次にあの女に会う時は、あの女を抱く時だ。手紙にそうしたためた。今、会えるはずがないだろう」
愛が不器用すぎるだろうが! 手紙になんてこと書いてんだよ!
「オネスト。お前、そんなにリシェスのことが好きなのか? そもそも惚れた理由って最強の盾ってだけ……だよな?」
「なにを言う。あの覚悟の固さ、そしてあの高身長は強い子を産むだろう」
こいつは強い兵隊でも作ろうとしてんのかね。
「……もしかして、自分の背が低いこと気にしてんのか?」
「……」
オネストの、足が、止まる。
「気にしていない。己れは父と母が作ったこの躰に誇りを持っている。己れの身長がやや低めだということなど、全く気にしていない」
うわーお、気にしてるぅー。
「はは……まあ、リシェスに好かれたいんだったらまず表情をもっと活き活きとさせることだな。低身長を気にするのはそれからだ――」
ガツッと俺の服をオネストが乱雑に掴み、
「誰が『救いようのないチビ』だと……?」
俺の服を破かんと引っぱり寄せる。そこまで言ってねえ。
今までで一番くらいに目に生気があるが、今までで一番くらい目に殺意がこもっていた。
こいつを怒らせたら、丸腰の俺は死ぬ。すぐ死ぬ。滑るように死ぬ。
「落ちつけよ、オネスト。俺が死んだらリシェスが悲しむぞ」
「あの女を使って命乞いをするとは命知らずの死人だな。いいだろう、ここで殺してやる」
「だから、俺は挑発とか嘲弄とか、そんなつもりで言ったんじゃねえよ!」
「……」
ようやく、オネストの気はおさまったのか、握っていた拳の力を抜いてくれる。
「オネスト、ご機嫌取りってわけじゃないが、――酒はいける口か?」
***
酒場でオネストがもの凄く渋い顔をした。
無愛想なお前にもそこに表情筋ついてたんだ!? みたいな顔のひしゃげ方をしている。
「……なんだ、この茶は?」
「茶じゃねえよ、酒だ」
「人の飲み物ではないな。何の生物の尿だ?」
「発酵飲料水だ!」
オネスト――こいつはどうやら、酒を嗜んだことがなかったらしい。
初めて口に触れる酒に、オネストは明らかな嫌悪感を現していた。
俺も初めてのアルコールにはこんな反応を示したものだった。
「こんなものを好きこのんで呑むなど、どうかしている」
「酒を飲むのが初めてってことは、酔ったこともないのか?」
酔って暴れられたら手が付けられないし、気分がハイになっている上機嫌なオネストを見る勇気は俺にはなかった。
「己れは酔わないということを美徳としている。まともな飲み物を用意しろ」
「俺が奢る前提なのはなんでだろうな。――マスター、このボーイに水持って来てぇー!」
「味のついた飲み物を出せ」
「残念ながら、酒場に酒以外で味のついた液体を期待するな。ちなみに何が欲しかったんだ?」
「味のついた飲み物と言えば、チョコレートだ」
子どもだぁー! 舌がガキだぁー! しかも贅沢な舌のガキだぁー!
常温で液体のチョコレートは冷やし固めて食べることもできるが、飲むこともできる。しかし、飲む場合は衛生面がネックになってくるため、値段が高めなのだ。
「俺の財布じゃあ、買えねえよ! お前、言うからには金くらい持っているんだろうな!?」
「……ふんっ」
ごとりっ
オネストがポケットから金塊を一握り分とり出した。重厚感のある金属の輝きを放つ、拳大の黄色い塊がテーブルの上に置かれる。
「ぁ……?」
「これは貴様にくれてやる。自由に使え」
「お前、こんなもんどうやって手に入れた……?」
「宝物庫にはこれと似たようなものが何千とあったぞ」
うわーお、セレブ! ――じゃなくて!
「……どういうつもりだ?」
「スペーニャでの詫びだ。骸竜に詫びてこいと言われてな」
「……」
詫びと言われても。確かにこいつに内臓抉られて緊急メンテナンスは行ったわけだが。
「骸竜は今ごろ、未来堂に来ているだろう。土産のプディングを持って来ている。帰ったらそれを食え。そしてこの金塊で、――指輪を買え」
ユビワ……? ユビワってなに? 食いモンじゃないよな?
いや、指輪自体は分かるんだが、なんのための指輪なのか……。
「これは己れの信条なのだが、――外堀は埋めるもの、防壁は壊すものだ」
「――――」
「どう使うかは貴様次第だ。好きに使え」
そう言って、オネストは椅子に座り直し、天井を見上げて――――寝落ちした。
ほとんど酒の匂いだけで酔って、寝潰れた。
「こいつ、素直じゃねえな」
俺はしばらく一人で飲んだ後、オネストの分のお代も払い、彼を背負って店を出た。ようやく暗くなりそうな世界で、俺はポケットを純金でパンパンにし、そして馬竜車広場で骸竜と偶然行き合い、オネストを引き渡した。
どうやら二人で挨拶回りのためにヴァレリーに来たらしい。
そして、
『ふぁっふぁっふぁ、オネスト。酒が弱点とは思わなんだ』
「しっかりしてくれよ。新しいゴーレム族の領主なんだろ?」
『ふぁっふぁ、少年もそろそろしっかりするべきだな』
「こんなにしっかりしている奴を捕まえて、なにをいう」
『ふぁっふぁっふぁ、そんなにしっかりしているからこそ、さ』
「……」
言わんとすることがよく分からねえ。幼竜だからか、九〇の婆さんだからか。
「もうスペーニャ地方に帰るのか?」
『ああ。オネスト王子が飛竜を下賜されてね。ひとっ飛びさ』
うぐう……! 俺も飛竜に乗って飛びたい!
「……まあ、飛行中に落ちて怪我しないようにな」
『安心しろ。老骨は自動で再生できる。ゴーレムも再構成して元通りだ』
……よく出来たお体で。
「じゃあ、湿っぽい話題もねえし、また会えたらな」
『ああ、少年。君が生きている限り、老骨と会う機会はあるだろう』
骸竜、ラピスはオネストを背負い、下賜された飛竜がいるであろう騎士団詰所に向かう。
そういえば詰所にはあの黒騎士もいるかもしれない。
……あの二人は意外と喧嘩しなさそうだな。ちゃんとしてるし。
そう考えた後、俺はもう、意識を未来堂に向けていた。
まだ営業時間内だから皆いるだろう。
砂漠での仕事で心配かけた詫びをしないといけないな。
この詫び金塊が砂金に成るまで、俺は皆を――――。
短編その④でした。次回から第四章に入る予定です。頑張りますので応援よろしくお願いします!