表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
剣と画材と鋼竜  作者: 鹿井緋色
第1章 鋼竜討伐篇
9/146

画材店の店員は何ができるか

「全く、新入職員の二人には困らされるでしゃる。アズ、なぜ注意しないでしゃるか」


「すまんな。風が呼んでいた」


「いや、意味が分からないでしゃる。なにを言っているのでしゃるか」


「店長、本当にすいませんでした」


 アオネコ店長とアズさんの非生産的なやり取りが見ていられず、俺は率先して謝った。ちなみに工房から店先に向かっている途中である。

 するとアオネコ店長はアズさんの肩の上でぐでんと俺に偉そうに腹を見せる。


「全くでしゃる。君が遅刻して何分経ったと思っているでしゃるか。おかげで上客を待たせているでしゃる」


「上客?」


「定規の依頼主でしゃる」


「ああ……」


 そういえば明烏を狩ったのはつい昨日のことだったか。あれ? 昨日? 昨日で合ってる? 今日は何日だったっけ? 俺の世界の時間軸、合っているか?


「定規の材料を調達した人に是非会いたいそうでしゃる」


「え? マジで!?」


「もちろんメディエーター家の息女、ララ・ヒルダ・メディエーターにでしゃるぞ」


「ああ……ですよね……」


 俺は添え物か。別に悔しくないけど。


 だからか。と俺は隣の女子を見る。


 ララ・ヒルダ・メディエーターは真っ赤なワンピースを着て、気恥ずかしそうに、そして不機嫌そうに歩いていた。


「そんなに不機嫌そうだと客が逃げるぞ」


「あんたほど朴念仁じゃないわよ」


「なにを言う。俺は極東人では感受性豊かなほうだ」


 少なくとも、心の中では。


 俺たちが店先に繋がる扉の前に着くと、ヒルダは意地悪そうに笑って俺を見る。


「じゃ、頑張りましょう。引き立て役」


 ……言いやがるな、この女。



    ***



「いやー! 素晴らしい! そうは思わんかね!? ハチオージ君!」


「おお! すごいっスね!」


 俺と大建築家グウィン・デッカーはアズさんの造った定規を見て子どものようにはしゃいでいた。


 グウィン・デッカーという名前は仕事名で、私生活ではもうひとつ名前を持った所帯のある立派なおっさんだそうな。


 その証拠に髪も口ひげも白髪が混じっている。


「この透明感! これで定規の裏の書き込みも確認できる! これができるのは明烏の骨くらいなのだよ!」


「へぇー! やっぱそういうの重要になってきたりするんスね!」


「もちろんだとも! しかも適度にしなる!」


 アズさんの造った定規は非常に芸術的だった。無駄な装飾が一切なく、透明に印が記されただけのデザインだが、そのシンプルさが、光り出すように美しかった。


 それでかなぜだか俺とグウィンさんは意気投合していた。


「折れたときはどうしようかと思ったがこれでまた設計図が描ける」


「良かったッスね~。ほんと、俺の人生の設計図も描いてほしいくらいッスよ」


「……」


 ぱちんとグウィンさんは透明な定規をテーブルに置いた。


「それはダメだ。君の人生の設計図は君自身で描くべきだ。でなければ、出来上がりに納得できないよ」


「出来上がり……?」


 俺の人生の出来上がり、か……。


「それにしてもヒルダ君。君が明烏を捕まえたというのは本当かな?」


 ここでようやく話題がヒルダに移った。今まで話題が定規だけで完全にヒルダが空気のような存在だったのだ。


 グウィン・デッカーさん……なかなか建築一筋の人のようだ。


「ええ。まあ、私は剣に化けただけですが……それなりに、です」


「はっはぁ! さすがだ! さすがメディエーター家の息女! 経済を回すだけではなく、魔法にまで精通しているとは! やはりメディエーター家に頼んでよかった!」


 ヒルダの顔が固まる。しかし、「お褒めに預かり、光栄です」とヒルダはおとなしく浅い礼をした。


 ああ、そうか。


 ヒルダもまた、メディエーター家の引き立て役なのだ。


 額縁のように、主役になれない。


 家柄に恵まれた人間が家柄に満足できているとは限らない。

 才能に恵まれた人間が才能に満足できているとは限らない。

 家柄に恵まれた人間の家柄は本当に欲しかった家柄なのだろうか。

 才能に恵まれた人間の才能は本当に欲しかった才能なのだろうか。

 ヒルダが恵まれているのは外側だけなのでは……。




「じゃあ、また定規が必要になったら頼みに来るよ! 実にいい定規だ! 私は満足だよ!」


 大建築家グウィン・デッカーは満足顔で店を出ていった。リピーターになってくれるらしい。


「にゃるん。上出来でしゃる。上出来の接客でしゃる」


 アオネコ店長は俺の接客に満足のようだった。


 対してヒルダの様子は……。


「さて! 絵ぇー描くわよ!」


 あれ? 意外にさばさばとしている。


 もうちょっと不満をおおっぴろげにすると思ったのだが、既にそういう環境に慣れてしまっているようだ。


「俺も適当な棒で練習するか」


 木剣は家だが、最近練習を怠っている傾向にある。このままでは腕が鈍ってしまう。


「にゃかにゃかに君たちは分かっていないでしゃるね。君たちは今、勤務時間内でしゃる」


「……そうでしたね」


 そういえば俺は仕事中の身だった。仕事したくねぇなぁ……。はたらくってたいへん。


「とはいえ、依頼が来ていないでしゃるから君に仕事を与えるのは不可能な話でしゃる」


「えっ!? じゃあ俺、今日……休」


「仕事は自分で見つけてくるでしゃる。仕事量に応じた給与を与えるでしゃる」


 ぅおい。仕事を自分で見つけるってなんだよ。そもそも仕事が見つからなかったから俺はこんな辺鄙な画材屋に来たんだろうが。


「その代わりにでしゃるが仕事が終わり次第、二日間の休暇を与えるでしゃる。公休でしゃる」


 公休。ヴィクトリア帝国では月に最低八日間の公休を雇用人に与えるようにと、各ギルドや商会に義務づけている。


「休暇ですか……!?」


 しかも月にある休暇の四分の一である。貴重な二日間が我が手に……!


「もちろんでしゃる。目に見える成果を持ち帰ってきたら、でしゃるがにゃ」


「……目に見える成果……」


 若干キツめの条件だが、なんとかちょろまかせばなんとか……! いや、待てよ? このアオネコ店長のご慧眼にちょろまかしが通じるとは思えないのだが……。


「では、二人とも。営業行ってくるでしゃる」


「へーい」


「……ちょっ!? なんで私もなんですか!?」


 数コンマ遅れてヒルダがアオネコ店長に食い下がる。自分の扱いに不服のようだ。


「私はここの店員として着任したんです! 私はここで仕事を……」


「ヒルダ君。ここには君にしかできない仕事はないでしゃる。店内の掃除、接客、会計ともに、この我が輩、アオネコ店長ができるでしゃる」


「しかし私は確かにここの『店員』として契約して……」


「アズもその『店員』扱いでしゃる。しかしアズは自分にしかできない仕事を見つけてやっているでしゃる。そして明烏を捕まえるのも店員の仕事でしゃった。……さて、君はどうするでしゃるか?」


「んぐぐぐぐ……」


 ヒルダは言い返せないようだった。拳を握って悔しそうにしている。この舌戦はアオネコ店長の勝ちである。詐欺じゃない詐欺じゃない。ただちょっと黒いだけ。


「職務報告書を書いたら上がって良いでしゃる。我が未来堂にふさわしい成果を期待しているでしゃる。さあ、その辛気くさい顔は工房まで引っ込めるでしゃる」


「……はい」




 アオネコ店長に言われて俺とヒルダはすごすごと引き下がり、工房の地べたに座って作戦会議する。


「でだ、職務報告書ってのはどうやって書けばいいんだ?」


「そんなのは重要じゃないのよ! レトリックを使いなさいよ!」


 股間を蹴れないかわりにヒルダに脳天チョップを入れられた。レトリックってなに?


「目に見える成果ってなによぉ……! つまり、それがなきゃ永劫休みがないってことじゃない……!」


 休みがない?


「それは困る! なんとかしてくれ」


 現状、このコンビのブレーンはヒルダなのだ。俺は主に力仕事要員でしかない。それでも魔法を使えばヒルダは俺よりも強いのだが。


「……剣災、覚魔」


「なんですか!」


 半ギレのヒルダが話しかけてきたアズさんに強めの反抗。


 俺はアズさんに透明な製図用定規を三本渡される。


「これって……」


「売ってこい。今日の余りだ」


「おお……」


 商品ゲット。


「そうよ! 私、依頼を受けて商品を提供するまでが仕事だと思ってた! ありものを売るのだって仕事だわ!」


「お? じゃあ、これ売ったら休み? ですか!?」


 俺とヒルダが嬉々としてアズさんの顔を見ると、アズさんは眠たそうな目をして答える。


「……慰めにはなる」


「わー……い……」


 これを売り切っても不十分らしい。まあ、この三本の定規で俺とヒルダの一日分の給料になるとは思えないから仕方がないが。


 しばらく俺とヒルダは無言になるが、ヒルダが静寂を斬るように俺の頭をぺしりと叩いた。


「考えていても仕方がないわ! とりあえず持てるだけの画材を持って売りに行きましょう!」


「売りにってどこにだよ! 正式な市場は許可がなきゃ商売できないんだから……あれ? じゃあ、定規はどうやって売れば……?」


「あんた本当に馬鹿ね。その頭蓋骨になに入れてんの?」


 酷い言い草。いろいろと入っているとも。剣のこととか剣のこととか、あと剣のこととか。


「アトリエに売りに行くのよ」


「アトリエ?」


「絵画、彫刻、製図に使いそうな画材を直接制作現場に売り込みに行くの」


「なるほど! なにせこっちのはアズさん作の一級品!」


「アタシ作じゃないのもあるぞ」


 ぼそっ


「……山も積もればなんとやらだな!」


「うん。それは塵も積もればだけど、そういうことよ。金目のものを金に変える。それがビジネスよ。ふふっ、あのネコに不意打ちを食らわせてやるわ!」


 俺とヒルダの営業周り、始動。



    ***



「いらん」

「間に合ってます」

「未来堂? どこ?」

「メーカーは揃えたいんだ」

「悪いが懇意にしている画材店があるんだ。余所を当たってくれ」



 一蹴に次ぐ一蹴。一蹴またいでまた一蹴。そんな感じの『成果』だった。

 断る理由は確かにそのとおりなのだ。使っている画材のメーカーは揃えておきたいのが人の常。黄色い絵の具だけ違う社名なのはなんとなく気持ち悪い。


 さらにはどのアトリエにも『お得意様』の画材店があったのだ。そりゃそうだ。相手は芸術のプロなのだから。

 つまり俺たちが三時間かけて手に入れた売上金は……


「一二四〇ヤンか……」


 地味にリアルな金額。


「明烏の定規一本にも満たないじゃない」


「一本どれくらいなんだ?」


「二八〇〇ヤンよ」


 たっかぁー……。そんなにすんのかよ。アズさんそんな高価なもの造れるのか。さすが金言術……は関係あるのか?


「この金で昼飯でも食うか?」


 割り勘で六二〇ヤンか。肉串と白米と大麦酒が飲めるな。


「たった一〇〇〇ヤンちょっとじゃなんにも食べられないじゃない。チョコレートケーキも食べられないわ」


「……お嬢さまめ」


 今まで俺はそれ以下の食生活を送ってきたんだが? チョコレートケーキ食べたくなってきたんだが?


「だいたいそれくらいのお金なら今持ってるし」


「……お金持ちめ。ならなんか奢ってくれ」


「だったら見返りをよこしなさい」


「……商人め」


 見返りなんてこの体くらいしか思いつかないし、しかも需要ないし。この世界はどうなっているんだ。


「だったら飯でも食ってこいよ。俺は営業周りを続ける」


「あんたにアトリエへの伝手なんてないでしょう?」


「……」


 ぐうの音も出ない。


 といってもアトリエへの伝手があったヒルダだってまともに画材を売れなかったじゃないか。


「とりあえず、貸しにしといてあげるから、ご飯を食べましょう」


「……ありがとう」


 この女が高利貸しでないことを精霊に祈ろう。



    ***



「提案があるんだけど」


 食事の席でヒルダが言う。


「借りを一部返済しよう」


「がめついわね。ひょっとして金の亡者なのかしら」


「豪商の娘に言われたくねえ」


 俺は金の亡者じゃなくて金を亡くした者だ。無惨。


「で? なんだ?」


 俺はフォークで赤野菜麺を食べながら聞く。払いはヒルダだ。うまー。


「この前の約束覚えてる?」


「この前ってーと……なにか描けだっけか?」


「そうそう。ある人の絵を描いてほしいの」


「ある人ってのは? 絵なんてそんなに描いた経験ないんだけど」


 ヒルダは後ろめたそうに手元の麦茶が入ったコップを見る。


「それは、その時に教えるわ。絵は抽象画を描いてもらうつもり」


「抽象画?」


「最近の美術界は抽象画が流行りなの。……そっちのほうが芸術的だって……パパが流行りを作った」


「へぇ……」


 それじゃ余計にヒルダの精密画の需要がないわけだ。


 それにしても抽象画か。余計に描いたことないな。あれって適当に描いているようでそうでもないみたいだからな。作者のセンスが伝わらないと落書き以下の無駄絵だし。


「それを描いて、営業を再開しましょう。しつこく売り込めばアトリエももうちょっと画材を買ってくれるかもしれないし」


「分かったよ。それでいこう。アトリエも時間を置いて夜中の方が仕事してるかもしれないしな」


 現在、昼の三時半。目に見える成果を求め、裁量労働制(?)で働く俺たちはしばしの休憩に入る。もしかしたら明日も仕事になるかもしれない悪寒。仕事の成果を認められなかった日はサボり扱いになるのだろうか。入ったばっかりで有給は取れないだろうな。


 ヒルダの貸しで昼食をとり終え、俺はヒルダの向かう先へついて行った。



    ***



「で、でかい……」


「そう? もう見飽きたわ。潰れればいいのにこんな家」


 俺の家の三倍の高さはあろう門壁が俺たちの前に立ちはだかっていた。


「そんなこと言うなよ。……実家だろ」


 ここは超豪商メディエーター家の門前なのだ。胃が痛い。


「えー……っと、俺に誰を描けって?」


「私のママ。ラウラ・ノーラ」


 メディエーター家の御母堂。メディエーター夫人……ラウラ・ノーラ・メディエーター!


 いくら芸術オンチの俺でも知っている。ラウラ・ノーラといえばヴァレリー三大芸術家の女傑だ。十八歳で宮廷画家に召し上げられた大天才。抽象画の先駆者として有名で、新しい絵を描くごとに街中の掲示板に取り上げられている。


 嫌でも目につくというものだ。……そうか、画商と結婚していたのか。


 いやいやいやいや。


「抽象画家の第一人者の抽象画を描くとかほとんど挑発行為だぞ! それか冷やかし! ヒルダ先生! 俺、嫌です!」


「大丈夫よ。ママは優しいから死にはしないわ」


「当たり前だ! 絵ぇ描いて殺されるとか今日日、皇帝陛下にもされねぇよ!」


 最近のヴィクトリア帝国は保守的なのだ。先代まで武力征伐で領土を拡大してきたちょっと危ない帝国だったが。おかげで騎士の求人が減っている。悩ましい……。


「いいから。もう門兵に話通しちゃったの。行くわよ」


「門兵のいる帝国市民って何様……? くそっ、腹くくるか」


 俺だって騎士志願者。死に際くらいは綺麗に整えようではないか。


 そんなやり取りを経て俺とヒルダはメディエーター邸に乗り込んだ。


 入邸早々『シークレットサービス』なるものの存在を初めて知ったことは秘密だ。


もう少しで鋼竜が出る予定です。遅くて申し訳ない……

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ