短編 未来の新常識
「未来の新常識をつくりたい」
――そう話してくれた最近のアズライトは(食生活に不思議な点・ツッコむべき点はあるものの)あまり体に無理をしなくなった。
七月の死闘で死にかけたから――――というか、一回死んで俺の魂を移植されたからか、魂や体を大事にするようになった。俺に気を遣っているのか、かつて短かった寿命が延びて焦らなくなったのか。
それがなにを意味するかというと、
定時――九時から十八時の間に昼休憩以外でも三回ほど小休止を入れるようになった。
当然、職工長の指導が無ければ無知蒙昧なる愚鈍な職工見習いの俺とリシェスはやれることがなくなるので、一緒に休憩することになる。それでも上司の指示に従っているだけなので俺の給料は減らない。貴女が神か。
それで俺はリシェスと共に会議室で休憩する。アズライトは工房の外で日光浴をしている。
「それでさぁ。ケンちゃんはさぁ、現段階ではひとりで造れる画材ってあるの?」
「……ないな。イチから最後まで作れる画材は無い。素材調達員の仕事の方がどちらかというと、比重が重い状態だな」
「ふぅ~ん」
俺が答えると、砂製の給仕服姿のリシェスは愉快そうに鼻を鳴らす。
「じゃあ、本当にどっこいどっこいなんだねぇ」
「いつものリシェスの働きぶりからしたら、そうだな」
むしろ俺より作業を覚える能力は微妙に高い気がする。微妙にな、微妙に、高い壁だ……。
しかしライバルとして競い合うには充分な存在。毎日が真剣勝負の連続だ。
だが、ライバルという関係だけではない。
ライバルとは意味を広く取れば戦友に成り得る存在。そもそも戦友からライバルに成ったわけだし、俺にとってリシェスとは、自分を護る盾としての戦友という意識の方が強い。
そう、戦友とは、時に競い、時に助け合う間柄なのだ。
そして今日は、
「へっへへぇ~、それではケンちゃん。例のモノを持ってきたよ」
「――――ほう、なに系?」
「*********だよぉ」
あえてリシェスの発したカテゴリーやジャンルの内容は伏せるが、つまりは未成年には不健全な絵として有名な春絵のことである。
「ダメだな。俺の得意な分野じゃない」
「えぇ~? ケンちゃんはこういう攻め攻めのジャンル苦手ぇ?」
「苦手というか、もっと和やかなやつがいい」
なんというか、あんまりそういう色事には無理を通したくないのだ。なに言ってんの俺?
そもそも本当は未成年が春絵を嗜んではいけないはずなのだが、俺の誕生日ももうすぐだし、これはもう、ほとんど成年でセーフと呼んでもいいのではなかろうか。
「っていうか、ここで広げないでくれ。他の連中に見つかったら俺の騎士生命が断たれる」
「そのときはウチがケンちゃんを護ってやるぜ?」
勇ましく、頼もしく聞こえるセリフだが、春絵がらみの話である。
「ケンシロー様! リシェス様!」
会議室の外から俺たちを呼びに来るローゼの声が聞こえる。
「やべえ、リシェス! 隠せ! はやく!」
「おっとっとっと!」
リシェスは自分の鞄に春絵を筒状に丸めてしまいこみ、俺たちは何事もなかったようにローゼを迎える。
「ケンシロー様、リシェス様、お二人にお手紙です!」
ローゼは手紙の束をもって会議室に入ってきた。ギリギリセーフ。
「そんなに俺宛ての手紙が?」
見たところローゼは十通くらいの手紙を紐で括って持っていた。
「いえ、ほとんどは店長様へのお手紙です。ケンシロー様には一通。リシェス様には三通です」
「あ、そう。一通か」
一通ということは手紙をくれたのは一人だけなのだ。手紙の数でもリシェスに負けるとは。思わず口に苦いものが広がる。
「ウチに手紙? だれからぁ?」
「オネストという方からです」
「がはぁっ――――」
俺は飲み下そうとした苦い唾が気管に入りかけて思わずむせた。
ローゼがリシェスに手渡した三通の手紙には、確かに差出人に「オネスト」と書かれている。それどころか、丁寧に①、②、③とナンバリングしてあった。順番に読めということか。
そして俺への手紙の差出人は――――当たり前だが、悪医のフォルテ。
リシェスの顔が得意顔になる。
「あっははぁ~想いの量でもウチの勝ちだねぇ~」
「……」
このライバル、確実に俺より強い。
「いや、大切なのは文量じゃねえ、熱量だ。きっとフォルテは思いつく限りの罵詈雑言を手紙にしたためているはず――――」
「その熱量って、悪熱だよねぇ……」
「あの人のは悪熱が標準なんだよ。今までもこれからも」
努力家で非天才だから、きっとそういう手段しか思い浮かばないのだ。
リシェスはそれを彼女の鞄にしまう。
俺も手紙を自分の鞄の中にしまう。リシェスは俺同様に家でじっくり読むことにするようだ。
フォルテから手紙が届くようになってから、俺は特になにも入れていない鞄を、いつ届くか分からない手紙を入れるためだけに職場に持ってくるようになったのだ。
「そういえば、ローゼちゃんも休憩中?」
「はい。お手紙の仕分けが終わったら小休止を入れるようにとアズ様に」
ローゼちゃん――――リシェスは店長とアズライトとレオナルド以外には親しみを込めて、ちゃん付けで呼んでいるのだ。
アオネコ店長は店長。
アズライトはアズ先輩。
レオナルドはレオ先輩。
ケンシローはケンちゃん。
ローゼはローゼちゃん。
ルビーはルビーちゃん。
……というように。
――ああ、ララはララ先生のままだが。
いや、しかしララがペロペロリーナ先生だとは思ってもみなかった。買った後すぐに金に困って売ったから、きっともっと眺めていれば画風のようなものの一致に気づけていたのかもしれない。あの時より早く気づいて得することはなかったと思うが。
そういえば、俺はあの春絵をサークルで買ったということだから、ララに会っていた可能性があるんだ。あの時話しかけていたら、俺たちはどうなっていたんだろうか。
ふと、そんなことを考えていると、リシェスが、
「じゃあじゃあ、三人で世間話でもしようよぉ。ちょうど面白い組み合わせだしぃ」
「面白い組み合わせ……ですか?」
面白い組み合わせ? ――――確かに。
「ゴーレム魔人のウチとぉ、アルラウネ族の末裔である植物亜人のローゼちゃんとぉ、――只人のケンちゃん」
只人っていうな。
「人種の三大カテゴリーが贅肉なく集結しているのですっ! ぱちぱちぱちー!」
リシェスは呑気に軽く短い拍手をし、三人によるちょっとした座談会を始める。
とはいえ、何を話題にするというのか。
「結婚相手って同種族間が良いとか異種族間が良いとかある?」
第一の話題がそれかよ。
「……まあ、たしかにヴァレリーでは石を五個投げたら五種族の人種にぶつかるくらい人間、亜人、魔人とか色々が闊歩しているが、どういう価値観なのか、異種間同士の結婚はあんまりないんだよな……」
アレスの里では血が濃くなるのを防ぐために色々と色々していたようだが、ヴァレリーにはそれこそ俺のように極東からわざわざやってくる人間もいるため、同種族間でもある意味、血は濃くなりにくいといえる。
「それはもったいないです! 同種族間にのみ結婚相手を絞るなんて、種族の未来を削っているようなものです! 開放的ではありません! それはすこし閉鎖的です!」
「じゃあ、ローゼちゃんは両方オーケーってことだねぇ。ウチもそんな感じかなぁ。一応、ウチもヴァレリー育ちなんだけど、そういう価値観は持ってないよぉ。育った環境のせいかもねぇ……ケンちゃんは?」
「……」
当然、俺にも回答は迫られるわな。
俺はここでふと思う。
たとえば俺になにかがあって、魔人のリシェスと結婚したり、亜人のローゼと結婚したり、賢獣のルビーと結婚したりするとしよう。
当然、結婚すればいつかは子宝にも恵まれるのかもしれないが、その時出来た子どもはハーフの混血種ということになる。なにかしら生命としての構造が混じり合う新しい混血種になるわけだ。
「生まれてきたのが、父親とも母親とも違う混血種ってのは……親や周囲もそうだが、子ども自身も混乱しそうだよな。特に混血種の少ないヴァレリーではの話だけどさ」
「うーん……」とリシェスの渋い顔と声。
たとえば人間でもそうだ。
ヴィクトリア帝国の人間と、その他の国の人間との間に生まれた子どもの本当の居場所は、――――国籍やふるさとは、どちらになるのか、どちらでもなくなるのか。
両方の血を持っているがために両方の性質を求められるのか、片方だけの性質を求められるのか。
両方を求められても、両方にはなりきれないのではないか。
片方だけを求められたら、もう片方はどうなるのか。
「たとえばレオナルドは賢獣であるシロクマと人間のハーフだけど、賢獣――熊としての生活はほぼ捨てているよな。亜人であることは認めつつ、ほぼ人間として生きてる」
たとえばゴーレム魔人と人間のハーフが、植物亜人と人間のハーフが、賢獣鋼竜と人間のハーフが、人間らしく生きることを周囲に願われたら、そいつに流れるもう片方の血は、――性質は、そいつにとってどういうものとして生涯背負うことになるのか。
ゴーレムらしさを、植物らしさを、ドラゴンらしさを封じられたら、苦痛ではないだろうか。
――もう片方の血も、れっきとした自分らしさだろうに。
どちらでもない自分というのはツラくなったりしないだろうか。
どちらでもあるのだと、思える強さは身につけられるだろうか。
「混血者っていうのは、どちらでもあるのに、どちらにも成りきれない自分に、苦悩したり、煩悶したりしないのかな」
「……」
「……」
俺のやや考えすぎとさえ自分でも感じる疑問に、リシェスとローゼも黙り込む。
俺は別に異種間結婚に否定的なわけではないのだが、そういうところが心配なのだ。
周囲からの偏見・差別・いじめもそうだが、内的なところから湧き出る苦痛のようなものが。
『ふん、なにを湿ったれたことを言っているのでありんすか。ケンシローは』
会議室にいつの間にか現れたのはルビーだった。
「ルビー……サボりか?」
『ただの厠休憩の途中でありんす!』
なんだ、便所の帰りに立ち聞きしていたのか。
「ルビーちゃんはケンちゃんの杞憂というか、煩悶みたいなものにどう答えるぅ?」
ルビーは自信ありげに、銀糸のような髪をくるくるいじりながら答える。
『そもそも、どちらでもあり、どちらでもないというのは、同種族間でも同じでありんす』
「――というと?」
『父親の子どもなのに父親に似ない。母親の子どもなのに母親に似ない。どっちにも似ているが、完全に同じではない。それが生物の常でありんす。同じ親から生まれたのに、兄と弟でこんなにも違うとか、同じ人間種の子どもなのに、あっちの人間夫婦の子どもとは持っているものが全然違うことなど、よくあることなんし。同じなのに、同じじゃないとでも言おうか、』
ルビーは一旦、そこで言葉を切って、息を吸う。
『つまり横暴に言ってしまえば――子どもというのは、どちらでもあり、どちらでもない全て生命の新種なのでありんす』
「――――」
『子どもというのは常に新しい存在。旧式の木枠にはめようとする大人が悪い。つまり、子どもに今までの木枠に自分が合わないなどという、そんな悩みを持たせたら、それは親や大人の手抜かりでありんす』
――――旧式の木枠……つまりは古今の常識。子どもはいつも、新しい常識の担い手であり、作り手である。
「つまり、ルビーが言いたいのは、純血だろうと、混血だろうと、両親、片親、家系の当たり前のようにある血筋になぞらえさせること自体がナンセンスだってことか?」
『うむ。それもありんす。例えば貴族の子どもだから貴族で在らなければならないのが常識というのは、確かに血筋は守れても、個性は守れないなんし。個を潰されては、生きている心地はしまい』
「なるほど! そうですよね!」とローゼが花を咲かせる。
齢五〇〇を越える竜の有り難いお言葉。
そうか。確かにそれも一理ある。
例えば、豪商メディエーター家の息女、ララは豪商メディエーター家らしさを求められるだろう。豪商メディエーター家らしさという従来の当たり前に符合することを求められるはずだ。
しかし、ララは別にメディエーター夫妻の完全複製体ではないのだから、豪商メディエーター家らしさという従来の当たり前に無理やり符合するわけがない。
彼女の半分は天才画家であり、もう半分は画商であり、それゆえに両方の素質はあっても、両方の当たり前やそれらしさを両立させることはできないのだ。
両方でもあり、両方でもない。すなわち、――――新種の人種。
いつだって子どもを既にある旧式の常識に無理やりはめようとするのは大人たちなのだ。ぴったりはまるはずがないというのに、ぴったりはまることを求める。
「たしかに、子どもがそんなことで悩んでいたら、……それは大人の責任だよな」
ルビーはそこで、『くふふ』と笑い、
『――と、余の妄想と理想の主張でありんした』
「――あ? 妄想?」
『当たり前でありんしょう? 余は確かに五〇〇を超える年月を生きた鋼竜でありんすが、子どもはまだこさえたことがないでありんす。いつか余に子どもが出来たら、そういうふうに悩まぬように育てようと理想を描いていただけのことなんし』
ルビーの理想論かよ。
『親心など、親にならなきゃ一生、分からないでありんすよ』
齢五〇〇を超える竜の有り難いお言葉。
ルビーのその理想に、俺は納得する。なるほどそれは、現代の常識だ。
「俺は、自分の結婚相手は自分が好きだと思える相手で、相手が自分を好きでいてくれる相手で、――――そんでもって、子どもに今の常識を押しつけない相手が良いな」
フッと他の三人が微笑んだ。
子どもは常に最新式で、進化するもの。だからこそ、従来の当たり前で判断してはいけない。
将来生まれる子どもには、古い常識に合わないことを誇れるように育ってほしい。
それが、魔人と亜人と賢獣と只人の、座談会の最終的な結論だった。
親心にはまだ遠いが、子ども心なりの未来の抱負だ。
「ルビー! サボってないで仕事してよ! 品出しの仕事がつかえてるんだから!」
『ひゃう! すまなんだ、ララ!』
店先の方でララに叱責され、ルビーは焦りながら店頭に戻っていった。
「…………」
俺、ローゼ、リシェスは静かになった部屋で半眼をぶつけ合う。
「……そろそろ仕事するか」
さて――未来の為に、未来の新常識をつくろう。
短編その②でした。もう少し短編は続きます。
第四章の構想をもう少し練りたいのです……。
応援よろしくお願いいたします!