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剣と画材と鋼竜  作者: 鹿井緋色
第3章 士魂死闘篇
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短編 ただの天職

 うちの画材のお姫様は、いつも綺麗で、壊れそうなほど、強くも脆くも見えた。


 それでも結局、心の奥底はただの女の子なのだ。



「剣災、今夜は暇か?」


 職工の仕事に小休止を入れていた時――会議室での休憩中に頭にいつものバンダナを巻いたアズさんにそう訊かれた。


「……」


 俺はアズさんの言葉の裏を読み、


「アタシがなにを目論んでいるかによっては暇ではないと答えたい。――――と思っている顔をしているな」


 アズさんに俺の顔色の裏を視透かされてしまった。さすが金言術。


「正解ですよ。なにが目的ですか? 俺としてはなんとなくばつが悪くなるのであんまりアズさんと仲良くなり過ぎる行為は避けたいです」


 なにに対してのばつが悪くなるのかは上手く説明できないが、俺は正直にそう答えた。


 アズさんとあわよくば――という色欲もないではないが、その後の責任が取れない。


 するとアズさんは碧い瞳を細めて微かに笑い、


「安心しろ、剣災。今夜一晩でお前をどうこうしようとは思っていない」


「……」


 その言い方だと着実に外堀を埋める方向でなにかを目論んでいるように聞こえるが……。


「それに剣災の相手はもう視えている。アタシでは敵わない」


「相手? なんの――――」


 アズさんは俺の唇に人差し指を押し当て、俺の言葉を奪う。


「そこだけは、自覚するべき案件だな」


 そして意味深長な言葉を還してきた。


 ――俺が自覚すべき案件……仕事ってことか? いや、義務か?


「剣災にちゃんとした礼がしたいんだ。つまりはけじめだな」


 魂の半分――――俺の残りの寿命の半分を分け与えたことに対するお礼か。


「俺は別にお礼が欲しくてやったわけじゃないです」


「じゃあ、心苦しいがアタシはあえてこう言わせてもらう。――――お前の魂の半分をアタシに押しつけた責任を取ってもらう。とな」


「…………」


 なるほど。アズさんなりの無理の通し方か。


「分かりました。今夜のケンシロー・ハチオージは健全な貴女の配下です。貴女の第一の騎士、ケンシロー・ハチオージです」


 そう約束して、騎士と画材の姫様の夜の逢引きの予約を入れた。



    ***



 アズさんは、「今夜は大事な用があるから早めに仕事を上がる」と店長に言って、見事度肝を抜き、午後の仕事に精を入れた。


 店長は店長で、「精を入れられすぎないように」といういささか不穏当に聞こえる返事をした。


 俺の終業時間が過ぎて、一時間後になる。アズさんが仕事から上がった。


 いつものもっさりとしたバンダナ付きの作業服ではなく、地味というのか、素朴というのか、垢抜けたララとは対照的な私服で更衣室から出てきた。前髪の一筋は黒いままだ。


「いつも何時間労働してるんですか?」


「憶えていない。いつも少しだけキリが悪いところで止めているから」


「――――なんでキリが悪い所で?」


「例えば本の第一章を読み終えてそれを閉じる。すると後から第二章に入るのが急に億劫になったりするからな。本当に読み続けたいなら、第一章の終わる前か、第二章が始まったばかりのところで一旦本を閉じた方がいいと、なんとなくの持論をアタシは持っている」


「ああー……」


 分かる気がする。本は全く読まないからそういうものなのだと信じるしかないが、仕事でも、たくさんある中のひとつの案件を完全に消化して小休止を入れると、後につかえている案件に対して唐突にやる気が失せる時がる。


 ただのなんとなくの感覚的なものなのだが、完全にゼロからのスタートは心にも身体にも負荷が生じるように思う。


「――――で、いつもは何時から何時まで働いてるんです?」


「だいたい朝の五時に未来堂に来て、夜の十一時頃には帰宅していることが多いかもな。蓄光灯で仕事をすればだいたい深夜の二時とか三時までとか……」


「常人でも早死にしますよ! その過重労働!」


 危なかった。俺が魂の半分を分けていなかったらアズさんは一年も経たずに死んでいたかもしれない。俺の魂の残量は算出できないが、平均寿命から考えれば、俺の魂で短くても健康的に過ごせばあと十年はいけるはず。


「すまない、剣災。剣災がくれた魂だ。しっかりと長持ちさせるよう気を付ける」


「本当に頼みましたからね…………で、これからどこまで?」


 アズさんはなにも未来堂に残って駄弁るために俺の予約をしたのではないだろう。


「まずは、アタシも剣災も人間だからな。順当に夕食だろう」


 そういえば、アズさんとは未来堂で昼食と共にしたことはあっても、ヴァレリーでは他の食事というものをとっている姿を見たことはないのだった。私生活では何を食べるのだろうか。


 少しだけ楽しみなような気がして、でも少しだけ不安なような気がして、どちらもが的中するような気がして、俺の心は幼気な好奇心でいっぱいだった。



    ***



 世界は未だに病んでいる。


 不幸という病と、幸せという病に。


 そこで重要なのは、自分が幸せであるという認識をすることだ。というようなことを店長に言われたことがある。


 だから今の俺は、道案内をするアズさんの後ろをついて歩いて、少なくとも多幸感というものを感じていると認識できる。


 認識できているということが福と転じるかは別の話として。



 アズさんと二人で向かった食事処は、――――菓子専門店だった。


「アズさん? 俺たち夕食を取りに……」


「アタシは朝食に野菜とタンパク質を、昼食に健康食を、夕食には糖質と脂質を摂ると決めている。ここは行きつけの店だ」


「毎食バランスよく摂ってください」


「未来堂に勤めてからはずっとこうだ。仕事を欠勤したことは一度もない」


「よく欠勤に至りませんでしたね……」


 よく分からないが、いきなり俺がその食生活を始めたら、胃がパニックを起こすだろう。


 俺は菓子専門店の看板を見る。


『お菓子専門【プリティシュガー】』という店名だった。


 どんな菓子があるのか全く想像のつかない看板を背負っている……。


「さあ、入るぞ。剣災。――――だがその前に、ひとつだけ条件がある」


「――? どうぞ。言うだけならタダです」


「店内ではお前を『ケンシロー』と呼ばせてもらう」


「……あ? はい」


 俺は一回も、アズさんに「剣災」と呼べなんて頼んでいないんだが……。


「――そして、アタシのことを呼ぶ時は『アズさん』ではなく、『アズライト』だ。いいな?」


「……了解です」


「――――あと、敬語もダメだ」


「……分かった」


 それに至った理由の全部が分かったわけではないが、この店の中でアズさんは未来堂職工長ではない、「アズライト」という違う人物であるようだった。


「行くぞ、ケンサイシロー」


 あ。この人、俺をケンシローって呼ぶの慣れてない。大丈夫かな。


 とにもかくにも、俺はアズさ……アズライトのあとに続いて入店した。


「お帰りなさいませ! お嬢様、ご主人様!」


「――――」


 突然の出迎えに思わず絶句した。


 リシェスのものとは少し違い、白を基調とした給仕服を身に纏った可愛らしい女性店員が俺を「ご主人様」と呼んできたのだ。なんだこりゃあ……。


 そしてアズライトは、「いつもの二倍」と短く答え、千ヤン硬貨を十数枚店員に手渡した。そんな高額でなにを頼んだんだ。


「いつもお給金ありがとうございます! アズライトお嬢様!」


 給仕服の店員はそう答えて、俺たちを上席に通したのだ。


「……アズ、ライト。――この店の趣旨を教えてくれ」


「そうだな。分かっていない顔をしている。……先に教えておくか。――ケンシュロー」


 この人、今夜中に俺の名前しっかり言えるようになるかな。


「その前に練習させてくれ」


 そうしてアズライトは俺から顔をそむけ、小声で俺の名前を呼ぶ練習を始める。


「ケンシロー、ケンシロー、ケンシロー、ケンシロー、ケンシロー、好き、ケンシロー、ケンシロー、ケンシロー……」


 俺の名前じゃない単語が混じっていた気がするけれど、俺はそんな細かいことを気にしないことにした。可能性として、ケンシローを三段活用させるとそうなるかもしれないし。もしくはケンシローの複数形がそれの可能性もある。ケンシローの関係代名詞説もあるかもしれない。


「ケンシロー」


 ようやくアズライトは凛々しい顔と声でこちらを向き、俺の名前を正確に呼ぶ。


「アズライト」


 名前を呼ばれたので呼び返す。


「――――」


 アズライトの顔がトマトのように赤くなる。え? 嘘、アズライトってこんな顔するのか。


「アズライト?」


「ひんっ――――」


 アズライトは俺の声に謎の反応を示してか細い悲鳴めいた声を漏らし、両腕で顔を隠す。え?


 俺は今、もの凄く珍しい光景を目撃しているのではないか!?


「アズライト、大丈夫か?」


「ぅぅ……」


 今だけアズライトはただの女の子のように照れて俺と目を合わせられなくなっている。


 ――かわいい。


「お前の名前、呼ばない方がいいのか?」


 アズライトはその問いかけに、碧い瞳を湿らせてコクン、と首肯した。


 ――この美貌でその所作は卑怯なほどにかわいい。そしてその卑怯者は口を開き、


「――――この店の概要だが」


 いくら反応が女の子でも、取り直せば口調はいつも通りだった。


「給仕喫茶だ」


「給仕喫茶? 給仕人の女性が接客する喫茶店ってことか?」


「その通り。ここのウェートレスは給仕人の格好をするんだ」


 給仕人――ウェートレス。当たり前でそのままでイコールのような気がするが、ただしここの店員は服装だけは違っていた。


 通常、ヴァレリーでは貴人の側仕えをする給仕人がいわゆる給仕服エプロンドレスを着て働く。ウェートレスと呼ばれる飲食店の店員は前掛エプロンのみを付けて接客する。


 エプロンドレスはれっきとした衣装。エプロンはあくまで前掛である。


 別に、給仕人に縁もゆかりもないウェートレスや一般女性が給仕服を着てはいけない決まりはないが、給仕服は手に入れづらい、素材のしっかりしたそれなりの高級品なのだ。


 リシェスは自分の砂肌を加工して給仕服として着飾っていたが、本来手に入れるのは難しい。


 相当な金額をはたかなければ一回着て破けてしまうような贋作しか手に入らない。


「……もしかして、ここの店員は皆、元給仕人……?」


「そういうことだ」


 俺の中では、ピンキリさえあるが給仕人は高給取り。飲食店員はどちらかというと薄給というイメージがある。何故わざわざそんな転職を。


「――――ここの元給仕人たちは、接客の仕事を愛しているから転職したんだ」


「……」


 確かに、給仕人は接客だけではなく、調理や掃除、着替えの手伝いに、執事に近い仕事を任されることもある。つまり、学と才能がなければできないのだが、


「ここの店員たちは、給仕人の仕事に限界を感じて転職し、天職にした」


「――――つまり、接客だけならできるけど他はできないと?」


「ああ」


「アズライト」


「ひんっ――――」


 やはり名前を呼ばれると嬌声を出すという反応をするらしい。いつもの「アズさん」と性格が違いすぎる。


「接客しかできないって……まあ、それも才能っちゃあ、才能か」


「そうだ。最初に代金を渡しだだろう? あいつらは厨房にそれを伝えて、厨房の菓子職人が作った菓子を届けに来るだけの仕事をしている。もちろん金額分の菓子は届く」


「はーい! アズライトお嬢様! プリティチョコケーキの到着でぇーす!」


 給仕人――店員のひとりが菓子二人分を盆にのせて持ってくる。


「プリティチョコケーキは愛情のたっくさんこもった生菓子なので、早めに食べて下さいね?」


 チョコレートケーキは生菓子だから愛情が無くても今日中には食べないといけないはずだが。プリティ要素がなにかを加速させているのか?


「さあ、ケンシリュゥ――食べて腹を満たそう」


 確信した。彼女は俺の名前を正確に言えない。少なくとも今夜中には。別に剣災と呼んでもいいはずなのだが。既に俺はそこに抵抗を感じないのだから。


「おう。いただきます」


 そのまま、フォークでチョコレートケーキを一口大に切り、口に運んで咀嚼する。


 こ、これは……!


「ただの、チョコレートケーキだ……!」


 ただのチョコレートを生地に練り込み、焼いた甘いケーキだ。俺の下が貧乏舌のせいなのかもと思って、何度も口に運んでみるが、やはりプリティな要素は感じない。


「そうだ、ケンチュロー。これはそこら辺の菓子職人が作ったただのケーキだ」


「じゃあ、プリティとは……?」


「添え物の言葉に過ぎない」


 詐欺くせえ……! しかしプリティとか愛情とか、具体的な実在する材料は言っていないからセーフなのか、この商法。


「あんたはその目でこのケーキを見てどう思うんだ? 愛情とプリティは?」


「残念だが、薄給の菓子職人が所詮は仕事だと割り切り、惰性で作ったものだ」


「…………」


 給仕服を着た店員たちが、明るく黄色い声で他の客に接客する声がかすかに聞こえた。


「……言っておくが、あの金額なら、プリティと名のついたただのケーキや他の菓子たちが、これから山ほど来るぞ」


 いつものをと頼むとしっかり出てくるほど、アズライトの行きつけの店で、その料理は惰性で適当に作られたものだと分かるケーキやその他の菓子など。


「……なんでここに通ってんの?」


 アズライトは目を眇め、そして接客している店員たちを見る。


「ここの子たちはこの仕事が楽しくて仕方がないと、そういう風にアタシの目には映るからだ」


「――――」


 アズライトの金言術では人の本質が見える。


 人が嫌々仕事をしているかどうかも、好き好んで仕事をしているかも分かる。


 はた、と思って他を接客中の彼女達を見る。


 ――たしかにすごく、活き活きとしている。


「ケンシ……剣災に伝えたかったんだ。お前は最初に会った時、このケーキみたいな顔だった。――――でも、今はもっと景気のいい顔をして働いているぞ、と」


 俺の名前を呼ぶことを諦めた彼女の顔は晴れやかだった。


 ケーキより景気の良い顔、か。


 確かに俺は、今の仕事を最初よりも好きになれた。俺の中で大好きとまでは呼べないまでも、大切とは呼べる存在になっている。


「――――今日はここで食べ終わったら解散しよう。剣災を家で護悪が待っているだろう」


「いいのか? でも、他にやりたいことでもあって俺を誘ったんじゃ――」


「彼女達を見ていたら、仕事をしたくなってきた」


「――――」


 フッと、俺は笑みをこぼす。


「本当に、あんたの天職だよ」


「剣災」


 アズライトは晴れやかな笑顔を浮かべている。


「これからは未来堂でも、呼び捨てでアズライトと呼んでくれ」


「――――もう、恥ずかしがったりするなよ?」


「大丈夫だ。今夜中には慣れる。アタシは色々と未来の新常識をつくりたいんだ」


 将来的に当たり前になるだろうことを、か。



 その後の食事で「アズライト」と俺は彼女を何度も呼んだ。


 彼女の顔の赤らみは、少しずつ薄くなっていき、そして大量の菓子を食べ終わった後、店を出て、おおよその彼女の家の近くまで送り別れる頃には、


「じゃあ、また明日よろしくお願いします。アズライト」


「ああ。剣災も、竜の怒りを買わないように」


 彼女はいつも通りの無機質な顔で俺に一時の別れを告げた。


 家に帰る道すがら、俺はふと思う。


 アズライトの過去を俺はよく知らない。


 過去にどんな仕事をしていて、未来堂にはどんな経緯で就職したのか、全く知らない。


 知ってみたいと思うのだけれど、そんなことよりも現在の彼女の方が魅力的で、ずっと知りたいと思える。


 彼女はきっと、――――給仕服の彼女たちはきっと、偶然、天職に就いたのではなく、今を天職に仕立て上げたのだ。


 ――――人という存在はきっと、生まれながらにして、現職を天職に変える才能が――見出す才能あるのだと、そう思った。


 ただの女の子になった彼女がそれを教えてくれた。


 それはきっと俺も同じで――――


短編その①でした。いつもと違って長めの回です。

天職ってなんだろうと思ったところから書きました。

次回、短編その②です。よろしくお願いします。

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