第三章22 紫紺死闘
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騎士様のようにかっこいいものは好き。
皆から愛されるようなかわいいものも好き。
お姫様のように美しいものも好き。
心まで洗われるような綺麗なものも好き。
どんなに喧嘩しても元に戻る仲良しさんが好き。
不器用でもちゃんと陰で支える優しいものも好き。
目がくらむくらい眩しいものも好き。
とてつもなくえっちなものも、部分的に好き。
――ウチにはどれも、持っていないものだから。
――ずっと憧れていたものだから。
――恋しかったものだから。
ウチの名前はリシェス・ヴィオレ・ヌウェル。
名付けたのは肉親。
――リシェスは「富」という意味。
――ヴィオレは「紫」という意味。
――ヌウェルは「愛のお祭り」が訛った言葉が間違って伝わった名字だと聞いたことがある。ウチの誕生日とは縁が全くないけれど、親の名字だから仕方がない。
生まれはフラン地方ナイトレイ砂漠。
育ちは首都ヴァレリー。
――本当の意味で育った場所はオラクル孤児院。
ウチの両親は両方ともゴーレム族。
紫紺の瞳をした貧乏夫婦。いや、劣悪夫婦。
性格は最悪で、男親は鳥葬場で死体漁りを、女親は娼館で体を売って生活費を稼いでいた。
必要な仕事なのかは人によるけれど、ウチの目には最悪に映った。
ウチは最悪と最悪に作られた子供だった。
最悪の片方はウチを泥棒に育てようとして、最悪の片方はウチを情婦に育てようとした。
時に殴り、時に蹴り、叩き、突き刺し、焼きゴテを押し付け、真冬の野外に放置したりなんかもした。ゴーレム族だったからか、どんなに痛くても死ななかった。
そんなウチが聖人のような性格になるはずもなく、性格が確立される前に――心身と魂を穢される前に、オラクル孤児院に逃げた。
――保護されたウチは読み書きが少しできるだけの純潔で不潔なゴーレム娘だった。
逃げて、保護されて、あったかいご飯を食べて、与えられた部屋から一歩も出なかった。
偽善のような愛をくれる修道女の顔色を窺って書物を読み、同じ境遇の子とは距離の詰め方が分からなくて、ほとんど仲良くなれなかった。劣等感だった。
だからウチは一日の、ほとんどを食べるか寝るか、そして読書に費やした。
読み、食べ、寝、それでも太りたくなかったウチは、さらに部屋の中でこっそり運動した。
食べて寝て、体を鍛えたウチは身長がもの凄く伸びた。
それが劣等感に拍車をかけて、十九歳までさらに引き篭り続けた。
かっこいいものも、可愛いものも、美しいものも、――――当たり前のものさえ視なかった。
それらはすべて、お伽噺の向こう側だった。
そして、ある時祭りがあった。毎年冬季・十二月終盤にやる愛のお祭り。
恋人たちが、家族たちが、友人たちが愛を確かめ合うお祭り。
その日、ウチは外に出た。
――あたりまえの愛を見たかった。
押し付けられる偽善愛じゃなくて、くっつき合う本物の信愛が見たかった。
――雪夜を歩いて外の世界を知らないウチは、簡単に道に迷って闇市に入った。
そこでウチが見たものは、――――とてつもなくえっちなものだった。
ウチよりおそらくは年下の女の子が、『グレーチーズ』という春絵師の集団に混じってとてつもなくえっちな春絵を売っていた。
灰色の外套で必死に顔を隠してはいたけれど、ウチは遠くから、近くから、どうしてそんなことをするんだろうかと、その子を凝視して顔と姿を覚えた。
――亜麻色の髪で、はしばみ色の瞳。
――育ちが良さそうで、芯の強そうな女の子。
ペンネームはとてつもなくダサかったけど、その子が「自分が描いた」と言って売っていた春絵は世間知らずなウチには衝撃的すぎて、思わず買ってしまった。
それからずっと恋をしている。
もっと外に出なきゃと思った。
修道女のひとりに言って、孤児院を卒業させてもらった。
修道女のひとりは半分賛成で、半分反対した。
彼女曰く、「あなたは外の世界を知らなすぎる。でも、勉強だけはそこら辺の学生よりしていた」だそうで、ウチはなんとか無理を通して外の世界に足を踏み入れた。
――行き先は、異世界画材店未来堂だった。
あんなにボロボロな看板のお店なら簡単に雇ってくれると思った。
――事実、とてつもなく美しい、アズライトという女性に「剛砂」とかいう変な名前を付けられて、それで就職が決まった。
住居は青い毛色の猫の賢獣、アオネコ店長に斡旋してもらった。
ウチはついに社会人デビューした。
――すぐ仕事に根を上げて辞めたくなって、本気でもないのに婚活パーティに逃げた。
人生から、逃げて、隠れて、媚びて、負けて、迷って、折れて、泣いて、居場所が無くて、また職場に復帰した。
かっこいい黒髪の男の子がウチの代わりに仕事をしていた。
でも、大してかっこいい扱いは受けていなかった。
でも、ウチの中ではかっこいいと思った。
それからすぐに口説こうとして、そのあとすぐに春絵師の先生に再会した。
――ララ先生とケンちゃんは仲がとてつもなく良かった。
だからすぐに諦めた。
諦めて、仕事をした。
でも、諦めきれなくなってきた。
ケンちゃんは仕事中ずっと戦っていた。
――負けても戦って、傷ついても戦って、失っても戦っていた。
また好きになった。
無理を押し通す、ケンシロー・ハチオージを、
隣で剣に成る、ララ・ヒルダ・メディエーターを、
鋼の意志を与える、ルビー・メタル・シルバーを、
職場でひたすら待つ、ローゼ・ラフレシア・アレスを、
がめついて店の財産すべてを管理する、アオネコ店長を、
綺麗好きな清掃員なのにサボる、レオナルド・ダン・ヴィートを、
画材の世界のお姫様である、ザラカイア・アズライト・シーカーを、
憧れた――――大好きな、ウチが知らなかった異世界を護りたいと思った。
自分の魂を半分こして蘇生することを思いつくことに、成功することに、そこまで人を想えることに、その後の誓いに、――すごいなって思った。ウチもそう在りたいと憧れた。
あそこまでお互いを想い合って喧嘩が出来る、言い争える、仲直りが出来ることに、もう一度剣士として戦えることに、――すごいなって思った。ウチもそう在りたいと憧れた。
折れかけた心を立ち直らせることに、また剣を取れることに、まだ剣を振れることに、納得するまで戦い続けることに、――すごいなって思った。ウチもそう在りたいと憧れた。
なにもかもを護ろうとして、躍起になって、傷ついて、ぶつかって、傷つけ合って、ぶつかり合って、――――まだまだ仲良くなる二つで一人のあの騎士を、
無理を通り越して立ち上がったあの剣災を、
隣に寄り添って戦う力になるあの覚魔を、
絶対に我が儘を突き通す小悪魔なあの護悪を、
いつも穏やかで、優しく華やかなあの賢樹を、
なんだかんだでウチを捨てないあの店長を、
堕落しているのに心は熱いあの間熊を、
見定め、見破り、視続ける金言術師を、
――護るんだって自分の魂に誓った。
ウチは――――に恋をした。
だからウチは、紫紺の瞳で死闘する。
――だからウチは、
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***
オネストは俺の剣を離し、十数歩先まで後退した。
リシェスが俺たちを助けてくれた。――いや、護ってくれた。
「リシェス……」
俺は半泣きの声で、目の前に仁王立つ彼女に謝意を伝えようとした。
「らしくないですよぉ~? そんな声出すなんてぇ~」
「……」
いつもの声の彼女がいた。
「ケンシロー!」
ララが人の姿に戻り、大泣きで俺の傷を魔法で治し始めた。
「ごめんね、ケンシロー。私……私……っ!」
「ばかやろー……。泣きながら人を治すなよ。治るかどうか、こっちが不安になるだろが」
「うん……」
ララはそれでも俺の砕かれた手首を、蹴り折られた数か所を、――――刺された胸骨を泣きながら治療した。
俺は彼女の頭を、生きている左手で懸命に撫でた。元気づけたかったし、元気づきたかった。
「ララ」
「ケンシロー」
「ララ」
「ケンシロー」
俺たちはお互いにお互いを甘い声で呼び合う。
「あのぉ~、いちゃいちゃしてるところ心苦しいんですけどぉ~、ウチが護って戦っているところも見ていてくださいねぇ~?」
そんなふうに媚びるように優しくリシェスに水を差され、正気に戻る。
「度し難い」
オネストが嫌悪感を静かに表した。
彼の精神が揺らいだのを初めて見た気がする。
しかし彼は俺にもララにもリシェスにも、俺の指示に従い続け、黙って戦いを見続けている恐竜たちにも攻撃してこない。
ララが俺を治すのをただ見ている。いつでも殺せるからなのか、今は殺せないからなのかは分からない。分からないが、そういう選択を彼はとっている。
「くだらない」
オネストが怒りを抑えて吐き捨てる。
「くだらないことに命かけたり、必死になったりするのが人間ですよぉ~」
「己れと同じゴーレムが、人間の真似事などするな」
「真似事じゃないですぅ~! 人間もゴーレムも、持ってる温もりは同じですぅ~!」
「……戯れ言だ」
いたずらに砂の風が一陣吹き抜けていき、
「そうだ。気高きゴーレムが、決して人の道に堕ちてはならん」
「――――っ!?」
突如として黄土色の砂塵が寄り集まって現れたのは、金髪に黒紫の瞳、そして褐色の肌の五十代くらいの少し老いた男だった。
「――――お前、誰だ!?」
俺が彼に誰何すると、オネストが答える。
「――誰だ、だと? 愚昧だな。愚かにも自分たちが殺そうとしていたお人の人相画も見ていないのか?」
「――――っ」
俺はその言葉で真相に行き着く。
「そうだ。老生がアバリシアの総統、フォーサイス砂漠の領主。……砂の王とでも名乗らせて頂こうか、――――ベラノ・プリメロ・アンビシオンだ」
高年の男性ゴーレムは高々と宣言した。
フォーサイス砂漠の全てが彼に傅いていた。
第三章22話でした。リシェスの過去、そして砂の王の登場です。
よろしくお願いいたします。