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剣と画材と鋼竜  作者: 鹿井緋色
第1章 鋼竜討伐篇
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出勤の朝

 普段の鍛錬のおかげか、歩き回り、驚き続けた昨日までの数日間が体に支障をきたすことはなかった。

俺が一人暮らししているここ、『パレス・ソリティア』は格安物件である。


 就職を機に学校寮から移り住んだが、めちゃくちゃ住みづらい。

 間取りが四角形ではなく、謎の五角形。シャワー、トイレ、炊事場、洗濯場共用。ベランダ無し。家賃一五〇〇〇ヤン。


 灯りが自動で灯る魔法設計になっているのが唯一の救い。

 学校側から斡旋されてここに住むことになったのだが、絶対大人の利権的ななにかが絡んでいる。斡旋したらなにかしら学校側にも見返りがあったんだろうな~……。


 ということで、シャワー室に隣接された洗面所――魔法で井戸から直接水が供給されるようになっている――で顔を洗う。


 そしてその残り水で湯を沸かす。茶葉を買う金はないので白湯だ。白湯を大量に飲んで腹を満たすのだ。


 朝食はこれだけ。ヴァレリー人もほとんど朝食をとらないのだ。せいぜいパンを一、二枚にお茶やコーヒーといったところか。本当は食べたいんだけど。


 昼食は未来堂から昼食費が出ると聞いたので少しだけワクワクだ。


 自分の部屋に戻り、鏡で身なりを確認したらいよいよ出勤。仕事道具はだいたい未来堂にあるので持っていく物は特にない。服を着ていて靴を履いていれば問題ない。……まあ、服も靴も身に着けていない店長という存在もいるのだが。


 さて、出勤。



 家から未来堂まで歩いて約三〇分弱。坂を下って橋を渡り、もうひとつ橋を渡り、少し歩くと未来堂。


 もっと近い物件もあったのだが、職場が近いといろいろと面倒な気がしたのでわざと今の距離にした。馬竜車に乗る金はない。


 昼食手当と住宅手当と通勤手当からひとつ選べたから昼食手当を選んだのだ。


 給付額はひと月二〇〇〇〇ヤン。昼食にあてるのが一番妥当な気がする。


 そういえばヒルダは自分の親を守銭奴と言っていたが、どこまで支援してもらっているのだろうか。


 下り坂の終わりが見え、橋に行き当たると懐かしいものを見た。


 作務衣のお爺さん。

 作務衣は極東諸島の着物のひとつ。元は作業服の一種だったが、今はファッションのひとつになっている。


 そんな作務衣のお爺さんは橋の欄干に手をかけて橋の下を見下ろしていた。この川は生活用水を流しているので決してキレイな川ではない。


 顔つきは髭を伸ばした極東人だが、なにをしているのだろうか。


「どうしたんスか?」


 同郷のよしみで声をかけると、お爺さんは「はて……?」というような顔で振り返った。


「いや、なんてことやないんやけどもやな……」


 お爺さんは気恥ずかしそうに後ろ頭を掻く。


 っていうか関西弁かよ。極東出身間違いナシだな。


「ん? なんや、自分。極東もんか?」


「あんたと違って関東出身ッスよ」


「ほう。えろぉ、遠くから来とんねんなぁ。出稼ぎか?」


「いや、夢に向かって大迷走中」


「かっはっはっは! それはええことやなぁ! 夢は迷わんと『らしさ』が出ぇへん!」


「らしさ……? それより、橋の下眺めてなにしてんスか?」


 するとお爺さんは思い出したように慌てて橋の下を指差した。


「せやせや、あれを見ぃ。俺の絵筆が落っこちてしもたんや」


 お爺さんが指差した先には、汚い川の水面に筆が石に引っかかって止まっていた。


「取ってきましょうか?」


「おお? ええんか、にーちゃん」


「同郷のよしみっスよ」


 橋から水面まで俺の身長二つ分。水深は膝下程度。問題なのは水質が汚いところ。まあ、洗えばいいレベルだが。


 というわけで、橋から川に飛び込み、着水。うわっ、なんかぐずっとする汚いの踏んだ。


 だがこれも安物の靴。給料日になったらまた闇市で格安で買おう。


 川の流れに逆らってザバッと歩き、筆を掴む。そしたら後は川を上がるのみ。なだらかな傾斜のついた川辺からお爺さんのいる場所まで戻る。


「ほら、じーさん。回収してきてやったぜ」


「おお、ありがとおなぁ! にーちゃんみたいにええ奴と会ったんは久し振りやわぁ!」


 俺はお爺さんに筆を渡すが、俺もお爺さんも無言になる。その筆はなにに使ったのか分からない水に浸かっていたものだ。不衛生極まりない。


「あー……こらぁ、もう絵描きには使えへんなあ」


 お爺さんの呟きに俺はピンときた。


「じゃ、じゃあ、お爺さん。新しい筆をご所望なら我が画材店にいらっしゃいませ」


 俺は鞄からこの前もらった未来堂のチラシをお爺さんに手渡す。入職当日に目印にしたもので、地図が載っている。


「ん? おお! にーちゃん、画材屋かぁ! おおきになぁ! 今は行かれへんけどあとで顔見せに行かせてもらうわぁ!」


「まいどあり!」


 なにか少し、いいことをしたような気分だ。一日一善ではないけれど。


「にーちゃん、名前は!?」


「ケンシロー・ハチオージ。あんたは?」

「カネツグ! ジンエモン・カネツグ・サトーや!」

「ご来店お待ちしております!」


 実は俺も時間を急いでいる身。そのまま振り返らずに職場へ向かった。



    ***



「やべぇな……」


 午前一〇時の鐘が鳴った。だというのに俺は職場にたどり着いていない。


 次に渡る予定だった橋が落ちたのだ。


 それにより、もちろん遠回りをして職場を目指すのだが、人間考えることは同じこと。大渋滞になって今に至る。


 馬竜車も通行人も牛歩で通行。そこで俺が思うことはただひとつ。


 俺の膝から下、超くせぇ……。


 俺は詰め詰めで並んでいるのに、後ろにはなにか不思議なスペースができている。なにこれ? 俺、結界魔法なんて使ったっけ? いや、使えねぇよ。


 とにかく早くこの長蛇の列を抜けたい。なんていうか、申し訳ない。



 結局俺が未来堂に着いたのは十一時の鐘が鳴る少し前だった。



 そして現在、未来堂の前。約二時間の遅刻である。こういう時、店長はどういう怒り方をするのだろう。二時間分の減給はあってしかるべきだが、それ以上の叱責が恐ろしい。


 このままフケればずるずると職を失うことになるだろうし、入らないわけにはいかないのだが……。


「なにをしている、貴様」


 後ろから俺を射殺すような声をかけられる。俺は反射的に即時撤退を試みようとしたが、その声の主に聞き覚えがあったのでぎこちなく振り返った。


「ど、ども……アズさん」


 そこにいたのは金髪碧眼作業服姿でバンダナを巻いた麗人、ザラカイア・アズライト・シーカーさんだった。


「なんだ、剣災か」


 アズさんはそう言って俺の足元を見る。金言術のあの目が俺のくっさい足元を見つめている。


 そして俺の左手を掴み、引っ張る。


「こい」


 継いで店の裏手に俺を誘う。


「あ、いや、その……」


 やはり重役出勤は怒られるのだと察して抵抗したい気持ちと全て諦めたような気持ちがないまぜになる。まあ、どっかの女みたいに股間を蹴り上げられなければ文句ないのだが。


「剣災、その靴は大切なものか?」


 そういえば剣災ってアダ名つけられていたな……。


「いや、安物です。ちょっといろいろあって汚れたんで買い換えようと思って……」


「昨日の狩猟で壊れたことにしろ」


「は?」


 アズさんに手を引かれて店の裏手に到着すると、むせかえるような熱気に迎えられる。店の裏手は小さな工房になっていた。小さな、と言っても何に使うか分からないような器具がひしめき合っているからそう感じるのだが。


「替えの靴を貸してやる」


「経費で落とせるんですか?」


 アズさんはガシャガシャと道具を掘りあげて適当な靴を見つけたら、俺にそれをひょいっと投げてよこした。


「騎士になりたいなら、靴には拘れ」


「え? あ、ああ……そりゃ、そうですけど……」


 なぜ騎士のことを知っている? もしかして金言術とやらで俺が騎士になりたいことを読まれたのか?


 たしかに学校に通っていた時は馬や牛の革をなめした上等な革のブーツを履いていたが、金に困って売ったのだった。


 今履いているのは木枠に麻布を貼り付けたいわゆるサンダルという庶民の履き物だ。


「上等のブーツを造ってやる。ただ、少し重いぞ」


 つまり、アズさんが造ってくれるというのか? ありがたい。ありがたいがしかし……。


「ありがとうございます。……ここ、画材店ですけど、靴も造れるんですか? ……あと、定規造らなくていいんですか?」


「定規はさっき造り終わった。暇なんだ。なにか造ってないと落ち着かない」


 ああ、なるほど。俺が剣を振りたいように、この人もなにかを造っていることが人生の一部になっているのだ。職業病というものだ。


 あらぬ好意を期待しちゃったじゃないか。


「アタシは生活に必要な物は全て自分で造っている。鍋も包丁も家も靴も自分で造れる。……たまに古物商に既製品と偽って売っている。けっこう金になる」


 おい。

 ツッコもうと思ったが、闇市で買い物している俺に言えた義理ではない。


 にしてもアズさん、器用だな。自給自足できそうな勢い。あの碧い目で作業すれば造り方が手に取るように分かるのだろうか。それともそういう才能なのか。


「じゃあ、欲しいものはなんでも造れちゃいますね」


「そんなことはない。アタシは素材を手に入れる戦闘力がないからそれらを持ってきてくれる人が必要だ」


「あ……確かに」


「あと、女一人では子どもをつくれない」


「こ……っ! ……なるほど。確かにそれは女性だけでは……確かに……」


 確かにそれは人類の真理だが、そんな真顔で淡々と言われると反応に困る。男にふる話題じゃないだろうに。


「この眼を持っていると厄介なんだ。人の本質のようなものが見えてしまって、愛と呼べる感情を持つに至れないまま二七歳になってしまった」


 アズさん二七歳!? 見た目は俺と同い年くらいかと思っていたが、そういえば金言術師は老いる速度が遅いと聞いたことがあるようなないような……。


「剣災はいい性根をしている。嫁をもらい損ねたらアタシをもらいに来い。アタシはいつだって歓迎だ」


「あ……は、はい。あっ……」


 やべぇ。承諾しちゃった。今の完全にプロポーズだったよな? 俺の知らない速度で俺にキープの恋人ができてしまった。恋人をキープするとかめちゃくちゃ騎士道精神に反するんですけど。ヴィクトリア帝国の騎士道精神はすっかり形骸化しているけども。


「ちょっと」


 ふいに後ろから怒り気味の声。聞き覚えがあったようななかったような。っていうか聞こえないふりしてやり過ごした方がいい声色。


 嫌な予感を抱きつつも俺は振り返る。たとえ形骸化したとしても、騎士道精神に則るのが美学というもの。


「なんだ、ヒルダ……か?」


 振り返った先には、ララ・ヒルダ・メディエーターが立っていた。左手にペインティングナイフを、右手にパレットを持って。


 どう見てもヒルダなのだが、その表情はヒルダなのか分からないくらいに怒り心頭顔だった。


「ごめんなさい」と、とりあえず謝っておく。


 なんで怒っているのか分からないが、ヒルダは怒っている。とても怒っている。ただひたすらに怒っている。


 そしてつかつかと靴音を鳴らして俺に近づき、


「あんたは本当に……っ!」


 と言って蹴りを入れた。その標的はいつもどおり、股間でした。さようなら。


「アズさんを誑かすとかっ! 頭の中にウツボカズラでも栽培してんのかっ!」


「ウツボカズラに例えるのは、俺はともかくアズさんに失礼だぞ……ひっく」


 俺はなんとか引っ込んでしまったなにかを戻そうと躍起になっていた。なにが引っ込んだのかについては考えるのをやめにする。ああ……ヒルダのせいで考えがまとまらない……。


「ごめんなさい、アズさん。私はそんなつもりなかったんです。ただ、この食虫植物がアズさんに変なことを……」


「アタシは特に不快に思ってはいないから大丈夫だ。それより、覚魔」


 そういえばアズさんはヒルダに『覚魔』というアダ名をつけていた。確かに名は体を顕している部分もある。


「剣災は非常に優れた男性個体だ。子孫を残すなら相手はこいつにしておけ」


 アズさんの発言に俺とヒルダは不覚にも「いぃー!?」と声を揃えて言った。


 ヒルダは顔を赤らめ、動揺して持っていたペインティングナイフでパレットの顔料をぐちゃぐちゃにかき回していた。


 もしかしてアズさんは金言術で見定めた相手に頓着なくこういうことを言っているのか?


 それにしても魔法の使えない俺が優れた男性個体のはずがないのだが。


 そこで「なるほど」と俺はアズさんの思考回路に納得。すぐさま「納得すんな!」とヒルダのパレットが眉間に激突。轟沈。当たったのがペインティングナイフだったら死んでいた。


 ヒルダには面白いから言わないでやるが、きっとこれはアズさんなりのジョークだ。こうやって冗談を言って仲を深めようという魂胆なのだ。


 下品なのはいただけないが、世代の壁を越えられる話のネタとしては今日日、下ネタが最適なのも間違いではない。政治・宗教の話は荒れるしな……。


「まあ、戯れ言はこの辺で、靴造ってくれるんですね。ありがとうございます」


「へ? 戯れ言?」


 ヒルダは気の抜けたような声を出して戸惑う。やっぱり本気にしていたのか。


「ああ。任せろ剣災」


 それっきりアズさんは無口になって靴造りを始めた。


 股間の痛みが引いた俺はヒルダの装いに話を逸らすことにした。


「ヒルダ、お前はなにやってるんだ?」


「……見て分かんない? 絵」


 苛立ったようなヒルダの答え。いや、分かっていたけども。パレットとペインティングナイフ携えてりゃ絵描きだろうよ。


 ひょいっと絵を見ると、ヒルダの身長ほどのカンバスにアズさんの肖像画が描かれていた。


「おお……」


 かなりの精密な絵。アズさんの上に紙を敷いてトレースしたのかと思うほどの完璧な肖像画。金色の髪も碧色の目もよく描けている。でも……どこか味気ない。


「味がない絵」


 俺の感想を見透かしたようにヒルダは言う。


「お前の絵は無味乾燥で無味無臭。魅力がない……ってパパに言われた」


 俺が思うにけっこうきついことを言われている。それを気にしているのか?


「父親の言うことがそんなに偉くて絶対なのか?」


 そこまでして父親の評価に囚われる必要もないだろう。現にこの精密な絵に芸術的なエッセンスを加えればいい絵になるだろうに。


「パパの代のメディエーター家は受けた教育が違うの。農業、工業、学術、武術、芸術……みたいにね。それらを商業的に盛り立てるための英才教育を施されたの。五男坊だったパパは芸術を割り振られ、人生のほとんどを芸術に費やした」


 ペインティングナイフを持ち直したヒルダは哀しそうに笑う。


「そしてパパは画商として美術界に名を轟かせ、名だたる宮廷画家を輩出し、あの人の目に狂いなしの太鼓判が押されましたとさ」


 ヒルダは笑う。可哀想なくらい、笑う。


「そんな人に絵の才能がないって言われてみてよ。夢も希望も……」


「でもお前は描いてる。絵を描いて、描いて、あらがってる。夢も希望もあるからだろ」


 少なくとも俺は魔法の才能がないからという理由で騎士の道を諦めてなどいない。そこには騎士になる夢と希望があるからだ。野心とでも言おうか……。


「違うわよ。私のは夢や希望なんかじゃなくて……妄想よ」

「……」


 それを言うなよな……。それを言ったら、俺の騎士の夢だって妄想になってしまう。それじゃあこの先、俺は夢を追えなくなってしまう。


「妄想でも原動力になるんなら、希望だし、夢だ」


 そう言い換えなければ、俺の夢は終わってしまう。


 妄想で動き始められればそれは力になる。妄想するだけなら妄想のままだが。


 ヒルダは「そうね……」と呟いてカンバスを眺める。


「私は絵で世界に永遠を刻みたい。私が確かにこの世界にいたって記憶を残したい」


「永遠か……」


 ヒルダのいう絵が俺でいう剣なのかもしれない。


「どれだけ背伸びすれば届くんだろう」


「そうだなぁ……背伸びして、身長を伸ばして、手を伸ばして、跳んで、手の先に絵筆か剣かなにか持って、そうやって……」


 考えうる努力をしつくしてようやく永遠は見つかるのかもしれない。それでも見つけて手が届くかどうかは……。


「にゃーにをしてるんでしゃるか? 従業員ども」


 独特の口調にねっとりとした怒り気味の語調。やばい人に見つかってしまった感。


「……ども、おはようございます……店長」


「減給でしゃる」


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