第三章16 騎士『ケンシロー・ハチオージ』
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世の人は自分の魂のことをどれだけ知っているのだろうか。
世の人は自分の魂のことをどれだけ視えているのだろうか。
アタシは魂の仕組みを知っている。
魂は生命力の源泉でしかないことを知っている。動力源とでも呼ぼうか、それとも天命とでも呼ぼうか。有り得ない話だが、魂を二分割すれば、寿命はおそらく半分になるだろう。
それが世の中の人間が無駄に崇め奉る魂の仕組みだ。
魂とは別に、飛来した感情は精神に、去来した記憶は脳に、それぞれ蓄積される。
つまり「人格」は魂には宿らず、精神や肉体に宿るものだ。
だから魂はただ生命力を生成するだけの視えない器官に過ぎない。
生物は魂が無くては生きられないが、肉体無く魂だけでも生きられない。
それがこの世の絶対の仕組みだ。魂とは、そんなに神聖視するモノではない。
しかしたまに、「自らの魂に誓う」と豪語する者がいる。
それは大抵の者が口だけの者だが、――――稀にほんものがいる。ほんものの馬鹿がいる。
そういう者にとって「魂」とは自らの全てなのだろう。矜持の塊なのだろう。決死の覚悟というものなのだろう。
あの時――剣聖の凶刃がアタシの心臓を貫いた時、アタシには確かに自分の魂が尽きた感覚があった。そしてアタシの全てが壊れ去り、アタシの矜持には孔が開いた。
アタシは死んだのだ。
もともと最近は体調が悪くて、馬竜車で酔ったりなんかもして、仕事の出来もイマイチだったのを量で誤魔化したりなんかもしていた。――だからだろうか、
金言術師としての寿命をまっとうすることもできずに、
女としての幸せすら享受することもできずに、
剣災――ケンシロー・ハチオージの正体を看破できずに、
――アタシは死んだのだ。
だから、もう目覚めることはない。
だから瞼が開くことはない。
もうなにも、視ることはない。
だからおかしいんだ。
アタシの目には光が差し込み、そしてそこには剣災がいて、声をかけてくる。
そんなこと、あるはずがないのに――――
「おはよう、アズライト。――――俺の美しい大切の半分」
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魂の分解、そして融合は痛みなく進められた。――いや、魂に痛覚が無いだけなのかもしれないが、とにかく成功したのだ。
俺が目を覚ましたのは翌朝。鏡で見た自分の見た目は、以前のままの、黒髪黒目の純正の極東人顔だった。
そして、アズライトはなかなか目を覚まさなかった。
『なにか後遺症が出るかもしれない』とラピスは語ったが、とりあえず今の俺は安堵する。
――――だって寝台に眠るアズさんが、碧い瞳を見せて俺を視たのだから。
「おはよう、アズライト。――――俺の美しい大切の半分」
俺の魂を半分だけ分けた人、ザラカイア・アズライト・シーカー。
俺の半身、ザラカイア・アズライト・シーカー。
俺の片割れ、ザラカイア・アズライト・シーカー。
俺の――――、ザラカイア・アズライト・シーカー。
貴女は生きているのだと、俺は手鏡で彼女自身の美しい顔を確認させる。
彼女の前髪の一筋が俺の魂の影響で黒いメッシュになっているのを、気づいているだろうか。
「剣災……アタシは……?」
珍しく、びくびくと怯えるように聞いてくる彼女に可愛らしさを感じながら、俺は魂を分けた経緯を話す。アズさんが死んで一時、俺の心が壊れたことも、正直に話した。
アズさんはそれを聞いて、驚いたり、怒ったり、悲しんだり、笑ったり、喜んだり、不器用な感情を揺らしてくれた。
しまいには、
「こんな無理を通すなんて、けんさいのばかものめ……」
しとしとと叱りつけて泣いてきた。
「すみませんでした」
「壊れかけるなんて、けんさいのばかものめ……」
「すみませんでした」
「けんさいの、ほんもののばかものめ……」
何度も何度も泣いている彼女に叱られた。
「アズライト」
綺麗な名前を俺は呼ぶ。そして俺は彼女の手を取り、西岸式に片膝をついて跪く。
「俺は貴女を護ります」
碧眼の彼女は、置かれた状況にはてと疑問符を浮かべている。
「――俺には剣になってくれるやつが隣にいて、鋼の意思を与えてくれるやつが上にいて、花を飾ってくれるやつが根を張って待っていて、はるか遠くで俺に意見してくれる悪辣な主治医がいます」
俺は何度でも息を吸う。魂にまで空気が入るように。
「そして貴女は――勝つためのチャンスをくれます。生きるためのチャンスをくれます。――だから貴女を護ります。貴女の騎士に成ります。魂を分けた貴女は俺の魂と等しく貴い」
――だから、
「だから俺は貴女の騎士に成れる。――俺に残った半分の魂が、剣を持ち、鋼の意志でこれから起こるあらゆる困難を断つでしょう。俺は貴女の騎士として、貴女の未来を切り拓く。――そう、貴女の中に宿した片割れの俺の魂に誓います」
魂に誓った。俺の、貴女の、同じ魂に。
碧眼の貴女はばつが悪そうに困惑した表情を見せる。
「あたしはただの作り手だ。物を作ることしか能がなくて、金とも権力とも戦争とも無縁だぞ? ――お前はそれでも、アタシを姫として護ってくれるのか?」
「――はい。俺は血と汗と涙を、貴女という画材の姫君を護るために流したいのです。だから貴女はお怪我をなされないように、少し離れて俺を視つめていてください」
俺は彼女に誓った。俺という生き物は、アズライトを護るために剣を振ろうと。鋼の意志を研ぎ澄まそうと。そう誓う。
彼女はとてもうれしそうな美しい顔をしていた。俺は面映ゆさからろくに正視できなくなった。
「ありがとう……! アタシの騎士、ケンシロー・ハチオージ」
「はい。俺は貴女の騎士です」
「騎士様」
「どうしましたか? 俺の姫様」
俺は彼女の次の言葉を待つ。
「アタシと結婚をしてくれ」
「――――ん?」
「アタシを抱け」
「――――はい?」
「アタシと一緒に子を成そう」
「――――――はあ!?」
融合の後遺症で頭がおかしくなったのか!?
「狂おしく愛おしいぞ。アタシの半分!」
「~~~~っ!?」
俺の姫様は、寝台に身を起こした状態で、俺を抱き寄せ、――――頬に口づけてきた。
しっとりと温かく柔らかい感触に浸りたかったが、壁の向こうに剣と鋼竜がいるのだ。
このまま魂が加熱して唇同士を合わせはじめたらなにかがやばい――――。
俺が急いでアズライトと頬と唇を離し、代わりに額をくっつけ合う。
「落ち着いてください、アズさん。勢いに任せ過ぎです」
「すまない、剣災。あまりにも愛情を感じてしまって……」
彼女の額は温かかった。もう冷たくなんてなかった。そう感慨深いものを感じていると、
『ふぁっふぁっふぁ、お熱い主従愛だな』
骸竜、ラピスが俺たちを茶化しながら現れた。
「――出歯亀は感心しないな、進悪」
いつもの声音のアズさんに戻った。
『ふぁっふぁっふぁ、人間の魂をいじくり回す――おかげで面白い実験と研究結果ができたよ。目の調子はどうだね?』
「剣災のお蔭ですこぶる快調だ。――今までよりもよく視える」
『ふぁっふぁっふぁ、それは嬉しいね。これでようやくゴーレムの王を討てる』
「こんな時まで仕事の話かよ……」
『当り前さ。仕事の最中なのだから』
その減らない口は竜全員そうなのか? だが、まあ――
「――ありがとな、ラピス。おかげで……救われた」
無理を通すことができた。大切な人を取り戻すことができた。
俺に初めてできた仕えるべき主人――ザラカイア・アズライト・シーカーさん。
俺に初めてできた魂の片割れの姫――ザラカイア・アズライト・シーカーさん。
『老骨は誰も救ってなんかいないさ。――――半人前がさらに半人前に成っただけさ』
――言ってくれるな。
「ねえ、ケンシロー。さっき変な声が聞こえたけど、またなにかしたの?」
『ケンシロー。あまり性的な悪戯はよすなんし』
ララとルビーが向こうの部屋から業腹なことを言いながら部屋に入ってきた。
剣と画材と鋼竜が揃った。
「あっははぁ~、ケンちゃんの顔に生気が戻りましたねぇ~」
リシェスも俺を茶化しながら入室してきた。
今回の依頼のメンバーが揃った。
「ここからだ」
『――なんの決意表明だね? 少年?』
その老獪な淑女の顔は、すでにそれを分かっているようだった。
「ここからまだまだ我慢して――――未来堂の販路を広げる仕事の続きだ。そんでここから逆転して、成功して、皆でもっと笑顔になろう」
俺が皆を護るから。
俺が貴女を護るから。
皆と貴女は、俺に力を与えてください。
勝つための、生きるための、戦うための力をください。
――――必ず生きて、帰ってやろう。
異世界画材店未来堂に待たせている人が、首都ヴァレリーに待たせている人が、仕事を持ってくる人が、俺にはたくさん、たくさん、いるのだから。
家に帰るまでが仕事。なんなら、家に帰っても仕事はあるのだ。ツラい……。
「もう仕事なんかに殺されねえからな。誰も彼も、――俺までも」
自分に残った半分の魂に、貴女に宿した片割れの魂に――――俺は固く誓う。
俺はザラカイア・アズライト・シーカーの第一の騎士だ。
騎士『ケンシロー・ハチオージ』だ。
ケンシローが騎士に成った日とでも呼びましょうか。そんな第三章16話でした。
土日は投稿時間が不規則になってしまい申し訳ない……。
ケンシローの仕事はまだまだ続きます。応援よろしくお願いいたします。