第三章13 狂醒め
現代の剣聖が聖なる二つ名である「剣聖」の名を地に落としたのは約二十年前。俺が産まれた頃には既に剣聖は狂っていたことになる。十番隊の隊長だったくらいには剣聖も元はまともな人間だったのだろうが、今は見る影もない気がする。
とにかく二十年ほど前に剣聖は自分の部下全員を斬り殺したのだ。俺が生まれた頃には既にその逸話は極東地方にまで行き届いていて、だからこそ母さんは剣聖になりたいと語った俺を咎めたのだろう。
たしか、殺した数もそうだが、斬り殺し方も残忍だったと聞いている。
その禍々しい男こそが、『剣聖』ライアン・ソード・ハウリング。
狂に狂を掛け合わせ、狂を何文字重ねても形容が足りないような男。
――しかし、二十年くらい前にその事件を起こしたということは、剣聖はその時点で騎士団に所属する大人だ。現在の見た目が若すぎやしないだろうか。
『骸竜、ノーチェ・ラピス・アルキミアだ。明日も生きて、明日を生かす』
「現代剣聖、ライアン・ソード・ハウリングだゼ。今を殺して、今も殺す」
オネストが去った墓地で、二人は名乗り、口上を述べ、そして構える。
構えると言っても、剣聖はへらへらと、剣を持つと呼べないようなふざけた持ち方で、
骸竜は骸竜で、白い骨の尖った指先を手刀のようにして剣聖に向け、構えるだけ。
二人の中でなにかがきっかけだったのだろう。ほぼ同時に動き、剣聖は剣を振った。
――――黄砂が吹き始めたのは、その剣を振られたどの段階だったか。
「きはははハハははハァ!」
それは一閃だった。一閃が輝いて、その後には終わった。
それは一線だった。一線だけが伸びて、それだけだった。
それは一戦だった。一戦だけ交え、そしてもう決まった。
――それは一千回の剣戟よりも、闘いだった。
剣聖が跳ね、骸竜が骨ばった腕を構えた瞬間、その腕が斬り落とされたのだ。
魔法ではなく、跳躍力と剣を振る純然たる膂力で。
『――このっ! 糞餓鬼!』
骸竜は吼え、落ちた腕を拾って、元の場所に『融合』し直す。
「ぴィーちくぱァーちく吼えんじゃねえヨ! 現代竜!」
骸竜は果敢にも腕を突きだして剣聖を『分解』しようとする。
剣聖は純粋な人間だ。ならば彼は、ゴーレムと違って分解して殺すことができる。
それだけの戦法で、彼女――骸竜は大して伸びない腕を伸ばす。
斬り落とされた自身の体を融合し直せるからこその荒業。そして荒療治。
「きはははハハははハァ! 遅えぞ骨ババア!」
狂ったように哄笑を上げ、剣聖は骸竜の骨の腕を、脚を、肩を、腰を、次々に輪切りにし、最後に顎から上を斬り飛ばした。
ラピスのいたところに、骨の山が積み上がった。
「きはははははははははははははははははははハァ! 俺だゼ! これが俺ダ! 命を斬ってる俺が俺ダ! きははははははははははははははははハァ! 尊イ! 尊イ! 尊イィ!」
「あれが剣聖、ライアン・ソード・ハウリング……」
そう呟いたのは俺だっただろうか、ララだっただろうか。
――圧倒的な身体的能力と戦闘センス。剣の力。
――聖なる剣士と周囲に呼ばせた最高峰の剣技。
剣聖はどこまでも、どこまでも強く狂い、――見ているこちらの気分が醒めるくらいに、人を斬り殺すのに長けていた。
「きははははははハハハハハはははははははははははハァ! 世界が俺に斬れと言っていル! 尊イ! 尊イ! 尊イ! 俺が剣聖ダ! 剣聖! 剣聖! 剣聖、ライアン・ソード・ハウリングだァ!」
最強の剣士が、竜をも斬った。
「きはははハハハははははハハハはははははははははハァ! 俺が世界に斬ると言っていル! 尊イ! 尊イ! 尊イ! 尊イィ! 誰にも俺の剣は折れねエ! 誰にも俺の魂は斬れねエ!」
最狂の剣士が、骸まで斬った。
「ノーチェ・ラピス・アルキミア――」
俺の呟きと共に、運命の骨組みが崩れ去った。
「きははははははははハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハははははハァ! 俺は殺せル! まだまだ殺せル! たくさん殺せル! 殺している俺が、俺ダ! 俺ダ! 俺ダァ!」
剣聖の哄笑は止まることがないように響き続け、ラピスだった骨の山を剣で殴りつけて撒き散らかした。命の冒涜そのものだ。それが仕事だとでも言うのか。
「――さぁテ、次は見目麗しイ……」
剣聖の狂った藍色の瞳は嗜虐的に歪み、彼は無慈悲に剣の刃先を彼女に向ける。
「金髪碧眼の女ダ」
ゆらりと剣聖の足が動く。
「待て! 剣聖、ライ――」
「ケンシロー! 治りきらないうちに動かないで! 死人になるわよ!」
「今仕事しなきゃあ、死人以下だろうが!」
「ちょっと……」
俺はララの細腕を握り、『無理やり魔力を注いで剣に変身』させた。
「来るな、剣災! やめろ!」
「うおおおおおおおおおおおおおおらああああああああああああ!」
ぶちぶち、ぶちぶちと癒着したての傷の部分が千切れ、傷が広がっていく。
俺は、至近距離までアズさんに近づく剣聖を、嗜虐的に笑う狂った男を斬り殺すために、塞がりきっていない血の滲む腹を痛めて全力疾走する。
アズさんの制止する声は聞かなかった。
ここで素直に聞いていたら、俺は――――
「威勢が良いねエ、現代っ子ハァ」
既に彼に肉薄し、斬り殺せると確信した時、彼、『剣聖』は踵を返して俺に剣先を向けてきた。
――最初から俺を斬るための撒き餌……?
「いいネ、気づいたカ」
誘われた!? ――だが、まだ避けられる圏内だ。これくらいで俺をはめた気になっているのだとしたら、剣聖め、慢心が出たな。斬られてたまるかっつーの!
「剣災!」
アズさんが叫び、剣聖の袖を引いた。俺も斬られないように一瞬で飛び退く。
「撒き餌は多い方がイイってなもんヨ」
アズさんの袖を引く力は必死だったのか思ったよりも強く、剣聖の体を完全に彼女自身に引き直した。むしろ剣聖もそうするつもりだったように彼女へ向き直り、そして――
剣聖の剣が、アズさんの胸の真ん中を突いた。――――突いて、貫いた。
「アズさん――――――――っ!」
「けんさい、おまえは……」
アズさんは俺を視た後、目を伏してその場に力なく倒れ込む。
ぐったりと倒れ込み、そして大量の血だまりができる。
「アズ、さ――――」
俺の大切が俺のミスで傷つけられて――――
「きはははははハハハハはははははははハハハははははははハァ! オ次は威勢よく吼える黒髪の剣士ノ――――ッ!」
剣聖はアズさんの血に濡れた刃先をこちらへ向ける。来る――っ! と、そう思った刹那、
ドッ――――――――
『それはさせないぞ。剣聖、ライアン・ソード・ハウリング』
殺意に満ちた骸骨の骨が、剣聖の腹を突き破った。
「カッ――――ッ!」
剣聖は血泡を吐きながらその場を跳びすさる。ラピスは死に損なっていたのか、剣聖の腹を、指だった尖った骨で刺したのだ。しかし、『分解』の工程までは間に合わなかった。
「きははははははははハァ! 現代竜! てめえ死なねえように進化でもしたのかァ!?」
『あいにく老骨は自身を自動で「融合再生」することができる。――残念だが、そうだな。死なないように予防できるよう、進化はしたよ。他よりは死ににくい方だ』
「つっっっっまんネェ――――――――ッ! 斬っても死なねえとか劣化ババアの極みだナ! 老いたら死ぬのが礼儀だゾ! 老害がァ!」
バラバラになったラピスの骨が、浮遊し、接合し直して人の骨格を成していく。
脚、腰、骨盤、背骨、肋骨、腕、手、指、翼、尻尾、竜の頭蓋が元の形に戻る。
命が再構成される。
『老いたら死ぬのは自然の摂理――それは否定しないが、まだ老骨は九〇年しか生きていない雛竜でね。死ぬには世界を知らなすぎる。なにより自分に納得できない』
ラピスは足下に倒れたアズさんをしゃがみこんで一瞥し、そして――――優しく彼女の頬を撫でて立ち上がる。
傷は『融合再生』で治さなかった。再生する必要がなかったのか? いや、そんなはずはないはず……。
「ラピス……? おい……なんで、アズさんを……」
『立ち去れ、剣聖。ここに剣を持った相手はいない。……平伏して従おう』
「――――は?」
ラピスによる突然の降伏宣言。はたと右手を見ると、
俺の右手の「剣」は、人に戻っていた。俺と目を合わせようとはしない。
『金髪碧眼の金言術師、ザラカイア・アズライト・シーカーは今ここで心臓を貫かれて――死んだ。矮小で幼齢な老骨の力では、彼女の尽きて無くなった魂魄を「融合再生」することはもう――――――不可能だ』
「――――っ」
『我々はもう、ゴーレム族に勝つ術も貴様に勝つ術も持たない』
「ぁぁ……」
黄砂が肌を、撫でて止んだ。
『アズライトに死なれた我々の――負けだ』
自分の顔が、ひどく蒼ざめるのが分かった。
狂人の顔が、つまらなそうに醒めていった。
第三章13話でした。今章の重大事件です。ですが、悲しいだけでは終わらせませんのでもうしばらくお付き合い下さい。ただの鬱展開ではないと約束いたします。
第三章も中盤です。これからも応援のほどよろしくお願いします!