第三章08 死神より性質が悪い
今は七月。短い雨季は終わり、すでに夏季。燦々と照りつける太陽が馬竜車を照らす。
「暑い……」
「暑いわね……」
「暑いですぅ~」
「あー……」
ヴァレリーを出発して既に八日が経過した。現在はフラン地方南部の街道をひた走っている途中である。そんな旅人たる俺たちの楽しみは――夜、立ち寄った宿屋で眠ることだけだった。
馬竜車の幌は付いているのに、それが逆効果だったのか御者の後ろ――造りの甘い客車の中は熱がこもって環境は最悪だった。アズさんに至っては連日、酔ってダウンしている。
『息苦しそうにしているな、少年』
一人だけ御者として馬竜車の手綱を取って外の空気を吸っているラピスが愉快そうに言う。
「俺だけじゃねえよ。客車内の全員がそう思ってるよ。ずるいぞあんただけ」
『ふぁっふぁっふぁ、御者を出来るのがこの老骨だけだからな。役得というものだ。だったら隣に座るか? 御者の練習でもしてみるといい』
「お? いいの? 俺が手綱なんか握っちゃって」
『構わないさ。失敗して全滅しない限りはね』
「不吉なことを言うな。実現したらどうすんだ」
下手しなくてもしかねないじゃないか。
とはいえ、今の未来堂の面々には御者を出来る人間がローゼしかいない。そのローゼも自分で造った木馬車を操っているだけだ。この機会に実質、常時素材調達員の俺が御者を出来るようになれば、未来堂の活動範囲も広まり、俺の株も上がる。
俺は客車を出て御者台に移り、気づく。
「……これ、馬竜なのか?」
どう見てもそれは馬竜ではない。馬竜は馬の体に竜の顔を持つ動物だ。しかしこの客車を引いていたのは、鈍重そうなずっしりとした体格で角があってそして足が逞しく、馬竜並みに速く走る爬虫類のような動物だ。以前、絵物語で見た動物に少しだけ似ている。
『これはトリケラという獣だ。力強くていいだろう』
「こんな獣もまだいるんだな。ヴィクトリア帝国はやはり広い……」
『これは老骨が造った獣だ』
「ほう。造っ……た? どういうことだ? 亜種交配させたってことか?」
『違うさ。使い潰してしまい死した馬竜と生きた犀という種類の賢獣を分解そして融合させて造ったものだ。合成獣という』
「キメラ? キマイラっていう魔獣とは別か?」
『別だ。キマイラは他者の体に寄生して同居し、乗っ取り、我がものとして同族と交配する歴史ある寄生種。しかしキメラは完全にこの老骨が骸竜の権能で分解し、再融合した一代限りの新種でしかない。雑種とは違う、合成種だ』
「……」
竜の権能でそんな生命を操作することまでできるとは。
「でも、デメリットもあるんだろ?」
『いかにも。キメラは体力があるものとないものの二つに分かれる。気性は合成元の性格による。創作魂をくすぐるものがあるが、あまりいい能力ではないね』
たしかに、生命の尊厳をいじくるような行為ではある。時代が時代なら許させないかもしれない行為だ。しかしたしかにクリエーターでもないのに創作魂はくすぐられる。
「死者と生者のセットじゃないとダメなのか? 生者と生者では?」
『生きた魂の生命力が衝突しあって死した肉塊になるか精神が壊れるかのどちらかだ。生者は一匹。その他の素材は全て死者の必要がある』
なるほど。魂はひとつの体にひとつだけしか存在できないってわけか。――じゃあ、魂の分解はどうなんだろうか。――――聞いても耳心地の良い答えは聞けなさそうだな。
「もうひとつだけ質問いいか? ――それ、人間で試したこと……あるか?」
俺の不穏当な質問に、ラピスの瑠璃色の瞳が邪悪に歪む。
『いつか試してみたいと思っている。と答えておこう』
「……食えねえババアだ」
『ふぁっふぁっふぁ! ババアはよしてくれ。まだまだ産まれて九〇年の幼い竜だよ』
ほら、食えない性格していやがる。死神より性質が悪い。
キメラの話はここまで。俺は手綱を貸して貰い、トリケラというキメラで御者の練習をして今日の宿場町まで向かった。
***
『明日にはスペーニャに――――ひいては第一目標の街、ウノに着くが……仮面が必要だということを忘れていた』
立ち寄った宿場町の飯屋でラピスが俺たち四人にそう告げる。
明日ようやく話が進むのか、という感慨は抜きにして、
「仮面? なんのために?」
と、俺は真っ当な質問を彼女に返す。
『正体を隠すためさ』
正体を隠す?
『君たちも無駄に情報屋へ個人情報を投げ売りたくないだろう?』
「ああ、そういうことか」
たしかにどこに売るか分からない情報屋に下手に自分の情報を無償で手渡したくはない。
「だけど、仮面屋なんていう面白い店がこの宿場町にあるのか?」
見たところ、繁華街は飲み屋や娼館ばかりで衣装を用意できる店は見当たらなかった。
『さてね。あるかもしれないし、ないかもしれない』
「おい、ふざけるな。ないなら手に入らないだろ」
この骸竜も大概、人を小馬鹿にするのが上手い。
ラピスはもっていたナイフとフォークを置き、人差し指を立てる。
『だがまあ、老骨の権能をもってすれば用意するのは簡単だ』
――――なるほど。分解・融合能力で仮面を作ってくれるらしい。
『ただし二つだけ君たちに頼みたいことがある。各自、明朝までに自分の付ける仮面のデザインとその素材を用意しておいてくれ。素材は土でもなんでもいいが、土の仮面をつけるかどうかは自己責任だ。考えておくように』
「えぇ~面倒ですねぇ~。早く寝ないとお肌に悪いんですよぉ~?」
自分勝手な理由で不満を口にしたのはヴィオレ。本当に空気読まねえな……。
「ここは不満を言うところじゃないでしょう? 情報屋っていうのは顔だけじゃなくて、声や匂い、体格や癖までひとりひとり細かいところまで覚えて、売れる時にできるだけ高値で売る生き物なのよ」
「詳しいんだな、ララ」
「パパがそう言ってたもの」
……なるほど受け売りか。
「そういうことだ。ここは素直に仮面の様相を考えてから眠れ。剛砂」
「……はぁ~い」
アズさんの一押しでようやくヴィオレは了承し、食事を取り直して各自、借りた部屋へと解散した。
***
宿部屋番号二〇四号室にて、机に向かっていた俺は納得の息をついた。
「……ふむ。こんなもんでいいか」
なんとなくだがいい出来の仮面デザイン案ができた。なんてことはない髑髏モチーフのデザインの顔全面を覆う仮面だが、オーソドックスなものが一番印象に残らないだろう。
アズさんからもらったタクティカル万年筆のインクのノリも最高だった。
「後は仮面の素材だな。まあ、木が順当だよな……」
朝早く起きて林に落ちている枝木を集めて素材にすることにして、今日はもう寝るか。
そう思ってベッドに横たわる。いつもならルビーに占領されて使えないベッドをこの旅では独占することができるのだ。柔らかい布団最高。ルビーは今ごろ隣室のローゼと一緒に夜会でも開いているかもな。
そして寝ようと思ったら、部屋のドアをノックされる。
「なんだよ、寝ようと思ってたのに」
扉を開けてびっくり、寝間着姿のヴィオレが俺の部屋に訊ねてきたのだ。
「なんだよ、寝ようと思ってたのに」
「あっははぁ~、二回言いましたねぇ~」
とりあえず部屋に招き入れると、ヴィオレは当たり前のようにベッドに寝そべった。
しかたなく俺は椅子に座る。
「おい、なんの用だよ」
「んん~なんとなく、ですかねぇ~」
なんとなくで女一人が夜に男の部屋に来るな。
「他の二人はどうしたんだ?」
ララとアズさん、そしてヴィオレは同じ三人部屋を借りたはずだ。
「ケンちゃんの話ばっかりしててぇ~、それでいつのまにか寝ててぇ~、ウチだけ暇になったから来ましたぁ~」
「俺、寝ようと思ってたって言ったよな?」
「だってぇ~、ララ先生もアズ先輩もささぁーと仮面のデザイン考えてウチを置いてけぼりにしちゃうんですもん! ぷんすかですよこれはぁ~」
「ああ……」
画家志望と画材職人。二人にとってデザインを考えるのは楽な仕事か。
「ヴィオレはまだ思いつかないのか?」
「え? いいえ~? かわいいウサギちゃんの仮面を考えましたよぉ~?」
「じゃあなんでまだ起きてんだよ。夜更かしはお肌に悪いんじゃないのか?」
俺のところに来たのはデザインが思いつかなかったからとかじゃないのか。
「えぇ~でもぉ~……えっちなことするとお肌に良い成分が分泌されるらしいですよ!」
「ひとりでやってろ!」
こいつ、夜這いを仕掛けにきやがったのか……!
「冗談ですよぉ~そんなに躍起になって拒否んないで下さいよぉ~。傷ついちゃいますよぉ~」
「旦那探ししている相手から言われたら、純粋な冗談に聞こえないんだよ」
「むぅ……ま、それもそうですかねぇ~」
「……」
そのまま暫し無言の時間ができ、耐えきれなくなった俺はヴィオレに話しかける。
「俺の仮面のデザインってどう思う?」
俺が聞くと、ヴィオレはベッドから身を起こし、俺が見せている紙を見た。
「髑髏ですかぁ~すごいリアルですねぇ~。でも、ここは角を二本生やしてみてはいかがでしょう?」
「角を二本? こうか?」
言われたように書き直してみる。……んん。
「なんか、異世界の死神っぽいな。いや、死神より性質が悪そうだ」
「ケンちゃんってほら、どっちかっていうと厄病神みたいなものじゃないですかぁ~」
どんなイメージだ。
俺がそう言おうとジトりと目で訴えかけると、ヴィオレは続ける。
「二人からのろけ話を聞きましたよぉ~。剣の厄災者、すなわち剣災。剣の腕は確かなのに、魔法が遣えないからヴィクトリア帝国の騎士には成れなかった。でも、異世界画材店未来堂でララ先生と一緒に鋼竜は倒した。ですよねぇ~?」
「たしかに、剣災――疫病神……ううん、あながち間違いではないのか」
ただし、それのどこがのろけ話だったんだ? しかも、のろけられるような間柄ではないし。
「ウチもこんなんですけどぉ~、けっこう、苦労した人生を送ってる人間なんですよぉ~」
「ほう。どんな?」
ヴィオレがこんな風に成ったバックボーンでも聞いてみようか。
「実の親に虐待されて孤児院に逃げて十九歳まで引き篭ってましたぁ~。だからぁ、世間の荒波とか全く分かりませぇ~ん」
「……」
彼女はいつもの柔らかい口調で言ったが、想像以上に重い。重たすぎる。
「――だから、ウチは幸せになりたいんです。男性にいっぱい媚びて、結婚して、幸せになって昔の不幸を清算したいんです。そうでもしなきゃ、ウチの人生は割に合わない……」
いつの間にか声の調子がいつもよりも重たい。本気だ。本気の本気、重たい想いだ。
「……」
俺もそうだ。故郷で心が弱いなりに暴れるだけ暴れて、手が付けられないと、周囲から浮いて遠ざけられて、ヴァレリーの学校でも魔法が遣えないと小馬鹿にされて嘲弄されて、騎士にでも成れなきゃ自分の人生は割に合わないと思っていた。
――幸せに成れないと過去を清算できないと思っていた。
ヴィオレと俺は似ているといえば、確かに似ている。
俺たちの神様は疫病神や死神より性質が悪い。でも、
「――形はどうあれ、幸せには成れるんじゃないか?」
「……え?」
「幸せに成ろうとしないやつは幸せになんか成れっこない。でも、お前は幸せに成ろうとしてるんだろ? だったら、大丈夫だ」
ヴィオレはフッと笑い、そして、
「……えぇ~? ホントにそう思いますぅ~? もしかしてケンちゃん、ウチのこと口説いてますかぁ~? やっだぁ~」
暗かった顔が明るくなり、いつもの調子に戻った。そして立ち上がり、
「このままだと口説き落とされそうなんでぇ、ウチは自分の部屋に退散しまぁ~す」
静かに部屋のドアを開けた。
「……あとぉ~、ケンちゃん。このことは皆には秘密にしてくださいねぇ~。ウチのファーストネームの『リシェス』って呼んでいいんでぇ~」
そう言い残して部屋を出ていった。
それはつまり、明日からあいつのことをリシェスと呼べと言うことだろう。
「はは」
少しだけあの子が苦手じゃなくなった気がする。
第三章08話でした。リシェスもなかなかの厄介持ちです。
体調は万全になったのですが、また崩れるといけないのでストック話数の関係もあり、基本一日一話投稿が続くと思います。でも筆がノって、きまぐれで二話投稿する日もあるかもしれません。
とにかくまずは第三章を完成させるところからです。
率直な感想・ご意見・質問等いただけると筆のノリも良くなると思います! よろしくお願い致します!