第三章07 贈り物
スペーニャが西国「情熱の国」と呼ばれていたのも今は昔。かつて情熱の国と呼ばれていたスペーニャも、今はヴィクトリア帝国に呑み込まれて「スペーニャ地方」と呼ばれるようになった。
が、それは他の元王国たちも同じである。ルクレーシャス鉱山のあるドーツ地方しかり、アレスの里のあった地域もしかりだ。――そして、かつて神々の国と呼ばれた俺の故郷も、今は「マホロ神国」という国名から、極東地方と名を変えて呼ばれるようになった。
かつていた、マホロの神々はさぞや窮屈な思いをしているだろう。
そして、砂地を治める一柱の神が作った「人形騎士」もしくは「土魂」と呼ばれる――ゴーレム族もまた、窮屈な思いをしていた。
砂塵の魔人、ゴーレム。スペーニャ地方、フォーサイス砂漠の彼らは彼らの唯一神「ラビ」を崇め、自分たちが生きやすくするための理想の押しつけの戒律と聖典を作った。
やがて厳しい砂礫の大地で暮らすゴーレム族の思想は過激に加熱されていき、宮廷の勧告を無視して蜂起しようとした。
その結果、宮廷騎士団に自慢の戒律も聖典も滅ぼされ、今は小規模な魔人の一族として砂漠の大地に押し込まれている。
それも結局、今は昔の物語。
『――だが、彼らの憎しみは消えなかった』
フラン地方を経由してスペーニャを目指す旅の途中、馬竜車の中でラピスは語る。
『それもそのはず。弾圧も迫害も、やった側は一言謝って終われても、やられた側はそう簡単には満足できない。現状に満足できなければ尚更だ。老骨の生きた九〇年では計り知れない憎悪と遺恨がいまだ不毛の砂漠に根付き続けている』
「やられた方は覚えている、か……」
ルビーもまた、親の仇を憎悪して、数百年間暴れていた鋼竜だったのだ。
『――しかしそれは馬鹿げた話だ。現状を打破し、楽しいはずの人生を享受する余裕のない、呆けのすることだ』
「結構言いますね」
『老骨は恨みを骨髄にまで沁み込ませないように生きているからな』
「なるほど」
羨ましいね、ストレスを溜めない生き方ができるだなんて。俺なんてストレスばっかり溜まる生活なのに。金もっと貯まれ。
『これから我々はスペーニャ北東部の街・ウノに行く。そこで協力者と落ち合うつもりだ』
「協力者?」
『ああ。老骨にフォーサイスの情報を流してくれるフラン地方・ナイトレイ砂丘出身のゴーレム族の娘だよ。お代を要求するのが老骨の懐を痛めるのだがね』
なるほど情報屋か。頼もしいが、こちらの情報まで流されなきゃいいな。
「そろそろ俺たちが倒すべき敵ってのを詳しく教えてくれないか?」
『ああ、そういえばまだ話していなかったな。老骨が倒してほしいのは、ベラノ・プリメロ・アンビシオン。フォーサイス砂漠の砂城に居座る――砂の王だ』
「砂の……王様ベラノか」
かっこいいじゃないか。砂の王様、ベラノ・プリメロ・アンビシオン。強そうだ。
強敵の予感に思わず頬が緩む。それを見咎めたのかラピスは、
『油断はするなよ。やつは非情で、使えない部下までも殺す始末。敵と判断されたなら砂塵に巻き込まれて死を贈り込んでくるだろう』
「分かってるよ。舐めた真似はしない。あくまで俺たちの表向きの目的はフォーサイス粘土の採集だからな」
死ぬなんて贈り物、俺たちはいらない。
「ねぇ~ねぇ~ケンちゃ~ん。難しい話なんてしてないでウチにもかまってくださいよぉ~。さっきから同じ景色ばっかりで暇なんですぅ~」
暇を持て余し、蕩けるような声で俺の肩を揺らしてくるヴィオレ。たしかに出発してからずっと街道を走っているだけだ。
「なんだよ。暇なら尊敬するララ先生に絡んでいればいいだろ。そもそも難しい話なんて俺が理解できないからできない……」
「はむ」
――ヴィオレが柔らかい唇で俺の耳たぶを甘噛みしてきやがった。
「うわああああああああああ!? ちょ、なにすんのぉお!?」
「あっははぁ~暇だから悪戯しちゃいましたぁ~おもしろぉ~い」
「ビックリするからやめろよ! 心臓どころかいろいろな臓器が穴という穴から飛び出るかと思ったわ!」
「あっははぁ~ケンちゃんってぇ~、耳が弱いんですねぇ~」
「弱いのは頭でしょ」
ぼそっと馬竜車の隅で暇つぶしの絵本を広げて風景を眺めながらララが呟く。ひどすぎる。
「ララ、お前、憶えてろよ。その恨み骨髄にまで染み込ませたからな」
「はいはい。長旅なんだから序盤から骨を折らないようにしてよね」
「ペロペロリーナのくせに……」
対抗して俺もぼそりと呟くと、
「春絵の角に頭ぶつけて死ね」
「それで死んだらその頭は本当に弱いな!?」
だいたい春絵の角ってなんだよ。春絵って一枚の絵だぞ。
「あぁ~! そうだ、ララせんせぇ~。今度ウチの肖像画とかを描いてくださいよぉ~。ほら、もしお見合いとかする機会があったらかわいいビジュアルが分かった方がいいじゃないですかぁ~」
「いや、なんであんたの絵なんて……」
「いいじゃないですかぁ~どうせプロじゃないんですしぃ~タダで書いてくださいよぉ~」
「この……っ!」
ああ、ララがムカついているのが分かる。第三者から見るとララの不機嫌顔ってあんなふうに見えるのか。往来では怒らせないようにしよう。
「け、ケンシローに描いてもらえば? ほら、ケンシローって絵がお上手だしっ」
ララはなんとか怒りを抑え、俺にヴィオレを押し付けてきた。
「へぇ~! ケンちゃんって戦えて絵も描けるのぉ~? すごぉ~い! なんでもできちゃうねぇ~!」
いや、たぶんその二つしか俺はできない。
「今描いてみてよぉ~」
「いや、今の俺どころか、家にもペンがないから絵なんて描きようがない……絵を描く紙も持ってないしさ」
「ペンと紙なら用意してあるぞ。剣災」
ナイスアシスト(なのか?)をしたのはアズさん。真っ白なアレス製の紙を取り出していた。
「ちなみにペンは剣災のために作った特別製だ。ほら、丈夫で長く使えるやつだ」
そういえばペンを作ってもらえる話になっていたんだった。忘れかけていた。
そうして渡されたアズさん特製のペンは――なんだこれ。
「なんですか、これ?」
見慣れない形のペン。白を基調とした色で木製のペン軸ではないし、何のためなのかキャップがついている。キャップを開けるとよく見るペン先が現れる。
「インクをストックして使えるペンだ。いつでも書けるから『万年筆』と名付けた。万年筆と言うのはだな――」
アズさんはぺらぺらと万年筆の特徴を説明し始めた。そのほとんどを俺は理解できず、からくも「毛細管現象」というもののおかげでなんやかんやして万年筆は文字が書けるのだと知ったくらいだ。
「――ちなみに柄の部分は賢樹からとった樹脂を他のモノと合成し、ペン先の反対側には護悪の鋼を使って加工した」
ペン先の逆――尻部分とでも言おうか――は硬い鋼鉄でできており、軽く触れた程度では刺さりはしないが、攻撃力は高そうだった。
「つまりローゼの体液とルビーの鱗を加工したと。……ローゼの体液? ってどうやって手に入れたんですか?」
「穴に指を入れたら出てきた」
平然と答えるアズさん。どことなく卑猥に聞こえるのは俺の心が猥褻だからだろうか。
「護身用のペンをタクティカルペンと呼ぶ。言うなればそれは、剣災だけの『タクティカル万年筆』だ。絵描き用ではないがな」
タクティカル万年筆!
なんか、かっこいい響き!
「ありがとうございます。アズさん。大切に保管します!」
「いや、ちゃんと使ってくれ」
真っ当なツッコミをアズさんからいただき、今日からこの白きタクティカル万年筆が俺の愛ペンとなった。やったぜ!
「あ、でもこんな高そうなの、俺買えない……」
俺、低所得者。貧乏真っ盛り。――思うんだが、若者の所得を底上げたほうが消費も増えて経済が今よりも回るんじゃないかなー。
「お代はそうだな……剣災の気持ちだけでいい」
「あ、はい……いや、でもそれは……」
重くて一番困る奴だ。
「それより剣災」
「はい? なんですか?」
アズさんの声がいつもより神妙。そして顔色が少し悪い。
「馬竜車の振動で酔った。吐いていいか?」
「……とりあえず一回、馬竜車を止めましょうか」
アズさんってこういうので酔う人だったのか。たしかにアレスの行き帰りとは違って乗り心地は最悪の馬竜車だったけれど。
絶世の美女の吐瀉風景を見られたのは、なにかの贈り物と受け取ろう。
第三章07話です。よろしくお願いします。
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