第三章04 ××先生
給仕服のスカートが揺れる。
「ぐすんぐすん、かなしいなぁ~男の子に泣かされちゃったなぁ~」
ぐすんぐすんって、泣いているのは口だけじゃねえか。
「……気遣いができずすいませんでした、先輩」
公休中の俺はなぜか未来堂の井戸に腰掛けて隣に同じように腰掛ける先輩に謝る。
「いいですよぉ~。ウチ、どうせオジサンですも~ん」
二十歳女子のオジサンアピールきっついなぁ……。
「先輩は――」
俺が職工のことについて聞こうとしたら、俺の唇に指を押し当てて喋るのを妨害してきた。
「ヴィオレでいいですよぉ~。ウチも君のことはケンちゃんって呼びますしぃ~、先輩って言っても三か月だけだから、ライバルみたいなもんですよぉ~。だからぁそっちはタメ語でお願いしますねぇ~」
ライバル? なんか引っかかるな。しかもそっちは敬語なのか。それも引っかかるな。
「じゃ、じゃあ、ヴィオレ。職工って言ってたけど、どれくらい作れるんだ?」
「えぇ~? ウチなんてなんにも作れないですよぉ~」
「いや、謙遜しなくても……」
「本当になんにもですよぉ~。ウチは作るより引き篭る方が得意な方なんですから」
「嘆かわしいな、それはそれは」
しかし、その方が未来堂のバランスが取れている感じがする。だってここ、剣とか鋼竜とか凶暴な女子多めだし。
「それよりケンちゃんはぁ~、好みの女の子ってどんなですかぁ~?」
ヴィオレの紫紺の瞳が妖しく揺れる。それよりからの話の飛び幅がすごいな。
「……もしかして俺のこと口説いてる?」
「――」
閉口するヴィオレ。しかし少しした後に、
「え、えぇ~? そう見えましたぁ~? やだぁ~、はずかしぃ~」
自分の両頬に手をやって、俺に体重を預けて傾いてくる。
「いや、俺の勘違いかも……」
「んん~ケンちゃんはどう思いますぅ~?」
うわぁー! 俺、この人苦手だー!
初めて気づいた。俺は毒を吐いたり白黒はっきりさせたりする相手の方が好きなのだ。そっちのほうがとてつもなく気が楽だ。俺を品定めするようなこの人の媚びた声音が苦手だ。
「ええと、俺はよく分からないかな」
俺自身がこうやって濁したことをよく言うから、相手にはどちらかというとハッキリしていて欲しいんだ。随分と自分勝手な理由だが、こういうヴィオレみたいな女には俺っぽい感じが出せない。っていうか、悪態吐いて吐かれて、が俺の当たり前になっていたから落ち着かない。
「でも、正直な人の方が好きかもな」
付け足すと、ヴィオレは「あっはは~」と柔らかく笑い、
「女の子はみぃ~んな嘘つきなんですよぉ~? 男性よりもずっとずぅ~っと」
紫紺の瞳が悪戯めいた笑みを含んで俺を見る。
その言葉がすでに嘘くさい。少なくとも、俺が今まで未来堂で会ったどの女の子よりも。
「はは、じゃあ、二十歳っていうのも案外嘘だったり……」
「……」
ヴィオレはそれを聞いてムッとした顔をし、押し黙る。そして、
「そうですよねぇ……、二十歳の長身の女に嫁の貰い手なんてないですよねぇ……隣に立って見下ろすだけでドン引きされるんですもん」
がっくりと俯く。歳と長身を気にしていたのか……。
「女さん、二十歳過ぎれば、ただの肉」
いきなりなにかを詠んだぞ!? しかももの凄くひんしゅくを買いそうなことを!
これは下手に聞かなかったことにしようとしたら俺の魂の尊厳が誰かから穢されるレベル。
「そ、そんなわけないだろ! よ、嫁の貰い手はいるんじゃないか? それこそ探せば、うようよと。二十歳なんて成人して二年しか経っていないし。お前、けっこう可愛いし」
背が高くて見た目頼もしいし。
「ホントぉーですかぁ!?」
俺のフォローを聞いて、顔を上げ、今度はパッと表情が華やぐ。
こいつ、肌は褐色だが、意外とピュアというか、心根が白いというか、
……あまり世間を知らない?
「じゃあ、結婚してくれますかぁ~?」
「いや、しないよ!?」
こんな勢いで籍を入れるほどケンシロー・ハチオージも盲目ではない。相手がヴィオレだとか、二十歳だとか長身だとかは関係ない。俺は二十歳大歓迎だ。数百歳の同棲相手がいるくらいだからな。
「ほらぁ~。皆そう言うんです……ウチは世間知らずなまま体だけ大人になったから、誰も相手してくれないんです。ぐすん」
「お、おお……ええ……」
世間知らずの自覚はあったのか。こいつ、他のクセの強いメンバーと上手くやっていけるのかな。例えば――――
「例えばケンシロー、真っ昼間から一生の相方と熱い約束をしたその昼の内に、知らない女と急接近できる神経ってどんなものだと思う?」
「――――」
いつのまにか、ララが工芸用のナイフを持って俺の前に立っていた。目に闇が入っている。
「……違いますよ?」
思わず俺は敬語になる。
「なにが違うって? ――変われ、メタフル」
彼女の持っていた工芸用ナイフが禍々しい形状の剣に変身する。
「俺は別に、ヴィオレにはなにも……す、すごいなぁー! も、物を変身させることもできるのかー! へー! さすがは変身魔法が得意な女の子だー!」
たどたどしくも、ケンシローのすり替え術、発動!
「ええ。自分自身が変身したほうがすごぉ~く精度が上がるから、私はあんたの『剣』をやっているのよ? おい」
すり替え術、失敗。
「ちょ、ヴィオレさん。俺の代わりにさ、ララ――ララ・ヒルダ・メディエーターに説明してくれ。なんか、困ったことに変な誤解してるんだよ、あの子」
「ララ・ヒルダさん、ですかぁ~……」
ヴィオレは含みを持たせた言葉を呟き、そして再会を噛み締めるような嫣然とした顔で俺とララの間に立ち、給仕服の裾をつまみ、ララにペコりとカーテシーした。
「再び会えて光栄ですぅ~! ペロペロリーナせぇ~んせっ!」
ヴィオレが柔らかい声音で先生と慕う挨拶とお辞儀をし、
「――――――――」
ララの長い無言がその場に響く。
どうやら二人――ヴィオレは一方的なララの知り合いらしい。
ララの顔は釣り針に引っかかったように引き攣っている。
それにしてもペロペロリーナ先生って……どこかの絵描きだったと聞き覚えがあるな……。
***
ペロペロリーナ先生。
一時、春絵界に彗星のごとく現れ、彗星の如く消えていった伝説の神春絵師である。
それはもう、子を持つ親としては赫怒するような際どい角度でこちらを誘惑する扇情的な素晴らしい絵を描く春絵師で、描いた春絵は五枚もないと言われている。
「やっぱりお前、ただの売り子をしていただけって言うのは嘘だったのか……」
「き、気まぐれで描いたのよ! ペロペロリーナって言うペンネームで! でも、二枚しか描いていないからほとんどノーカンね。隠し通せると思ったのに……まさか私だと知ってるやつがいるなんて、思いもしなかった……」
ララの顔が恥辱で赤く染まっている。その内、一枚の元所有者は俺だ。大股を開き、局部を拡げて誘惑する無修正の女性のお色気に何度お世話になったことか。金のために売って今は手元にないから言わないでおくけど。
しかしペロペロリーナとかいう源氏名はちょっと間が抜けすぎていていないだろうか。
「転売された一枚の春絵がパパに見つかって大激怒された――っていうのが未来堂に来た本当の理由なのよね……」
……俺とララの出会いがかなりエロい絆で結ばれている可能性が浮上した。
「ヴ、ヴィオレはどうしてペロペロリーナ先輩の顔を知ってたんだ?」
「だってぇ~、皇帝陛下の肖像画の色使いとかタッチとか、そっくりだったんですもぉ~ん。同一人物だって気付いちゃいましたぁ~! ウチなんか大ファンでぇ~、なんと一枚持ってるんですぅ~。なんか今ぁ~、最高の気分ですぅ~!」
「つーか女なのになんで春絵なんて持ってんの?」
「やだなぁ~ケンちゃんってばぁ~、女の子は男性が思っているよりずぅ~っとえっちなんですよぉ~?」
「そうだったのか……」
あんまり知りたくなかった。最近女子に囲まれて仕事する傾向にある俺は複雑だった。
「捨てなさい」
ララの恥辱と後悔と殺意を含んだ一言。
「本当に、捨ててね? お願い! あれは私の葬るべき歴史なの! だってあの絵は、参考にした女体の、あの部位は……私の……私の……う、うあああああああああああああああ!」
ララが恥ずかしさのあまり、慙死寸前の叫びを上げる。
まけるな、ペロペロリーナ先生。
すごいぞ、ペロペロリーナ先生。
俺は好きだぞ、ペロペロリーナ先生。
いったい何を参考にしたんだ、ペロペロリーナ先生。
「それはそうと、ペロ……ララは何しに未来堂へ?」
ひとしきりララの慚愧が終わった後に、ようやく聞きたかったことを彼女に訊く。
「持ってる絵の具が切れたから買いに来たの」
俺と同じで真っ当な理由だった。
「――あ、そうだケンシロー。今日の夕食は何がいい? 『相方』の私が食べさせてあげる」
じろりとヴィオレを一瞥したララは言葉の端々を強調しながら俺に施しを与えてくれた。
なんだか今日はペロペロっとたいらげられそうな気がする。
「それよりも剣災君、覚魔君。今から至急、護悪君と賢樹君を呼んでくるでしゃる。仕事が舞い込んで来たでしゃる。走るでしゃる。駆けるでしゃる。翔けるでしゃる。飛ぶでしゃる」
またしても俺の不意をついて現れたのはアオネコ店長だった。とにかく俺を急がせる。
「――え? 今日の俺たちは公休日で……働く義務なんて……」
「そんなもの後でまた振替休日をくれてやるでしゃる。――面白い上客が来たのでしゃる」
俺の反駁に機嫌を悪くした様子は無いようで、店長は上機嫌に耳をぴょこんと揺らした。
第三章04話でした。ララの意外な過去が明らかに――というほどではありませんが、
ケンシロー、ララ、ヴィオレのやりとりの話です。
それと、体調が少しずつ戻ってきました。全快に向けて頑張ります。
それでは次話もよろしくお願いします。