短編 大切に至る病
俺とルビーが住んでいるパレス・ソリティアは格安集合住宅である。
ひとつの大きな建屋の中に、人が住める部屋がいくつかあるのだが、あいにく間取りが特殊かつ貧相すぎて俺たち以外に住んでいる者はいない。
大家の人間もいるのだが、家賃の集まらないこの集合住宅の扱いに困っている模様。
俺がルビーと一緒に住むと言った時も、渋い顔をしたものだが、ダメなら出ていくと仄めかしたら必死に引き止めるように今までと同じ家賃で二人暮らしを許可してくれた。
「ケンシロー、起きるなんし」
いつものように、ルビーに尻尾で叩き起こされる。
「……うが?」
もう朝なのか、と思って目を覚ますが、窓からの景色は、朝焼けがこれから上がってくるところだった。
「……今日が何の日か分かるか、ルビー?」
「公休日でありんす」
そうだ。今日は公休日。仕事休みの日である。
「――――もう一回寝ていいか?」
「その前に上客の対応をするなんし。家主殿」
「上客? こんな貧乏臭い部屋にか?」
「おはようございます。ケンシロー様!」
思わず一度、脳の働きがストップして、もう一度動き直したのは部屋の出入り口付近にローゼがいたのを視界に捉えたからだった。彼女は気分が良いようで、頭から花を咲かせている。
「ローゼか。こんな朝っぱらから遊びに来たのか?」
たまにローゼはルビーにお呼ばれして終業後や休日に遊びに来ることがあった。
今回もそれなのだろうと思ったが、
「いえ。今日はもっと大事な用です。……パレス・ソリティアに越してきちゃいました」
「……は?」
「分からないなんし?ローゼが今日から隣人でありんす」
寝起きの頭を鈍器で目覚めさせるような乱暴な起こし方をされた気がする。
――つまり、お隣さんってやつか?
「お、おう……これからよろしく。ローゼ」
「はい!」
ローゼの頭の花が、一層華やぎを増した気がした。
ローゼは今まで、アレスに避難してきてからというもの、未来堂に泊まったり、ララやアズさんの家に泊まったりしていたのだ。俺の家は俺とルビーでいっぱいなので難しい。ようやく見つけた新居になるが、
「なんでこんな貧乏臭い家を選んだんだ?」
「それはもちろん、心強い殿方が隣にいるからですよ! ケンシロー様が隣に住んでいれば安心です」
「……そ、そうか」
「それで、ですね! ケンシロー様!」
彼女の翡翠色の瞳が輝く。
「今日はお引っ越しのご挨拶を兼ねてお料理を振る舞おうと思うんです!」
「料理? いまさら?」
今までもルビーに誘われて遊びに来た時は料理を振る舞ってもらっていたが。
「はい、いまさらです!」
にっこり笑って頭から花を咲かせるローゼ。
「……ローゼはさ、自分が引っ越しのお祝いを受ける方だと思うことはないのか?」
「……」
彼女の表情が固まり、しばらく沈黙する。
「はっ! もしかしてわたくしは失礼なことをしていましたか!?」
俺の目の前でおろおろと狼狽える彼女を見て、俺の方が失礼なことをしたような気になってきた。いや、俺もローゼも特に無礼は働いていないけどな。
「待て、待て! 俺の言葉の伝え方が悪かった! 引っ越しの祝いは合同でやろう! ララももうすぐ来るだろうから、そのパーティっぽいのは食材を買って夜にパーッと行こう!」
そもそも俺たちの朝食の材料を持ってくるのはいつもララだ。今の食料庫には食材が無いし、ローゼも引っ越したばかりで食材など持っていないだろう。
「ケンシロー。騒いでるのが外から丸聞こえよ? 喧嘩でもしてんの?」
俺たちの最後のピース、ララがノックもせずに俺たちの部屋に入ってきた。
***
今日の朝食はメディエーター邸で焼いた、いい色合いに焦げた正方形のパンと、果実を煮詰めて作ったジャム。――ジャム! とてつもなく甘い! 美味い! それを小瓶にひとつストックとしてタダで貰った! これは夜な夜な、俺とルビーによるジャムつまみ食い戦争が勃発する予感! 絶対負けないからな!
食事を終えて、狭い俺の部屋で今日のスケジュールを確認し合う。
「今日の私は午後四時くらいまで未来堂で絵を描いてるから、何かあったら来てね。ローゼ」
「はい、わたくしがケンシロー様の挙動を監視しておりますので、ご安心ください」
「おい、ローゼ。自分を照らしてくれる光を監視する気分ってなんだろうな」
「ふふ、ローゼが隣に住むのなら、私が毎日足しげく通う必要もなさそうね」
「任せてください! ケンシロー様とルビー様のお食事の介助など、ララ様が難しい時はわたくしがやらせていただきます! とりあえず今晩は引っ越しのお祝い会ですね!」
平然と、まるで俺とルビーの世話を介護の如く言うローゼ・ラフレシア・アレス。
それなりに毒舌家。しかも無自覚な毒舌家。丁寧な物腰の裏に毒あり。
そういえば、ローゼの体を見ていて思ったことがある。いや、いやらしい意味ではなくて。
「ローゼって自分で果物の実をつけることってできるのか?」
それができれば、毎朝新鮮な果実をシャリッと――――
「わ、わたくしの体力が著しく損耗しますが、か……可能ですよ。欲しいですか?」
ローゼは恥らった顔で声を上ずらせる。両手を柔らかく合わせて何かの実を作ろうとした。
「いや、待て! ごめん! 悪かった! もうお腹いっぱいだからしないでくれ!」
体力が著しく損耗する。――――植物が実をつけることを人間に擬人化してトレースすると、つまりそういう行為なのだろう。セクハラ紛いのことを言ってしまった。
「ケンシローの変態」
『ケンシローの変態』
ララとルビーからの真っ当な舌鋒を食らう。本当に今のやりとりは俺の失言だった。
よし、ここで挽回できるような面白いオハナシを一篇編んで――――
コンコンッ
不意に部屋の扉をノックされ、俺の挑戦意欲は分断される。
「……誰だよ」
俺の大切な時間を邪魔する輩は。そもそもこんな汚い部屋に訪ねる理由が皆無だろうに!
俺が不満な顔をしながらドアを開けると、そこに立っていたのは、
「やあ、ケンシロー君。ちょっと今日だけ君をお借りしたいんだけれど」
漆黒の黒髪を撫でつけるフィールがそこにいた。
***
一閃が飛び、折れた木剣が弾け、彼の手から離れて乾いた音を鳴らしながら床を転がる。
「……お見事だ。ケンシロー君」
汗だくのフィールが声だけは涼しげに俺を賛辞する。
「たしか、十勝したら帰っていいんだったよな?」
木剣のみによる剣術勝負。その十戦目が終わった。
「十戦十敗か。僕もまだまだのようだね」
「――ったく、俺に届いたフォルテの手紙を撒き餌に剣の練習に付き合わせるとは。罰当たりなやつだな」
「正確には異世界画材店未来堂のケンシロー君にだね。僕が先に未来堂を訪ねなかったら、今日中には読めなかったと思うよ」
どうかな。未来堂にはララが行く予定だと言っていた。今日の夜か明日には読めただろう。
俺がフィールの剣戟練習に付き合っていたのは、フォルテからの二通目の手紙が理由だ。
これが欲しければ木剣勝負で十回勝つことだ――そう言ってフィールは半ば強制的に俺に剣戟練習の付き合いをさせ、宮廷騎士団屋外調査室詰所の練兵場で俺にストレート負けしたのだ。
剣だけなら俺の方が強い。まだ正午にもなっていないではないか!
ちなみにルビーとローゼは一緒に家でのんびりすると言って俺を見送った。これなら昼飯は一緒に食えそうだな。
「……君より強い剣の使い手がいるといいんだけれどね」
「どういう意味だそれは」
「君がもっと強くなるってことさ。……じゃあ、終わりだね。汗が引くまでネタばらしの時間としようか」
……ネタばらし?
借りた訓練用の動きやすい衣服を脱ぎ、俺は詰所内に設置されたシャワーを借りて汗を流す。さすがにこの季節では動かなくても汗をかくものだ。
シャワー室を出ると、すでにフィールがガウンを着て更衣室の椅子に座っていた。
「冷たいお茶を用意したよ。飲んでいくだろう?」
「……妊娠したりしないならな」
「え?」
「なんでもない。いただくよ」
そういえばあの最大の竜のあの言葉はネタだったのだろうか。
俺はフィールから冷たい茶の入った水筒を受け取り、ひとり分距離をとってフィールの近くに座った。ネタばらしのためだ。付き合うか。
「まず何から言えばいいかな。君が宮殿を襲撃していた頃、僕はアレスの里に潜り込んで裏工作を始めた。いや、漆黒工作かな? つまりは魔剣・ナギの手配と、樹竜の容態を確認していた。ナギが手に入ったら、一ヵ月を目安に考えていたから、あの一件の一ヶ月前に病魔騒動を起こさせ始めた」
俺が宮殿を襲撃していた頃ってことは……つまりは、うん。過去にそんなことがあったな。
「そして『折れない、抜けない、錆びない』の仕掛けだけれど、折れないのと錆びないのはナギの構造と権能によるものさ。ナギ自身が折れにくい作りになっていて、権能で錆びないようになっていたのさ。しかし抜けないのは僕が呪詛魔法で台座を固めたからだね。僕以外には台座を壊すことも、台座から引き抜くこともできないのさ」
なるほどそれでか。と思えるほどフィールの初期の挙動に不信感を抱かなかったのは、ひとえに彼の演技力の賜物だ。二枚目役者とはそういうことだったのか。
「騙したみたいで申し訳なかったね。一応、調査室の機密事項だったから」
「だったら、……フォルテのことはどうして止めなかったんだよ」
フィールがフォルテを止めて、相討ち覚悟の樹竜退治をさせなかったら、アレスの民を全員避難させただけで終われたのではないだろうか……。いや、あくまで俺の希望的観測か。
「彼女の覚悟を尊重したのさ。……惚れた弱みというやつさ」
「――え?」
フィールの口から零れ落ちた言葉。えっとまさかもしかして……。
「フィールってフォルテに恋していたのか?」
思わず彼の顔を見ると、彼は寂しそうな表情で虚空を眺めていた。
「恋ではなくて、失恋さ」
フォルテ・シロフォン・クラシック――あの人が恋人や想い人を作っている姿を想像できない。そういう人を相手にしても悪罵をするのだろうか。しそうだなあ……。
ざまあみろとは、さすがに言えない。
「僕が二代目黒騎士と呼ばれることを嫌がるのは、二番手扱いのような気がするからさ。僕は僕の望む形で一番の存在になりたいのさ。誰かの代替品としての人生は、好きではないよ。黒騎士という呼び名自体は気に入っているけれど、二代目というのがね」
フィール・フロイデ・シュバルツの苦悩。誰かの代替品になるのは確かに嫌なことだ。
そういえばフィールの実家のシュバルツ領は、優秀な兄が継ぐ予定だからと昔に彼から聞いたことがある。自分はその予備だと。弟のフィール。次男坊のフィール。それがフィール・フロイデ・シュバルツ。
だからこいつは小器用になったのか。表では涼しい顔をして、裏では一番に成りたくて努力を続けているのだろう。なんて不器用な男なのか。
「ケンシロー君。君は大切なものを護るべきだよ。護って一番の大切を目指すべきだ」
「一番の大切か」
大切なものに大切に思われる。大切なものを大切にする。結果的に護っている。
「フィール。傷口に塩擦りつけるようなこと言うけどいいか?」
「いいよ。ケンシロー君になら言われてもいい」
ハッ、意味不明な病だな。
「大切な女を飯に誘う方法って分かるか?」
***
屋外調査室詰所を出て家に帰ろうとする。外で昼食を食える金は持って来ていないし、手紙を落ち着く部屋内で早く読みたかった。
そして詰所の門を出かかった時だった。
「用件は終わった?」
ララが門前で待ってくれていた。
「……いつから待ってた?」
「さっき来たところ。あんたならこのくらいの時間には十回くらい勝てると思って」
「わざわざどうも」
――俺のことを良く知っていやがる。さすが俺の剣。
「他の剣に浮気した気分はどう?」
からかうような語調で、ララが俺に問いかけてくる。
「木剣に妬くなよ……。ララの方が、使い心地が良いと思うぞ」
「ふふ、ならいいわ。じゃあ、帰りましょう。ルビーをローゼに押し付けっ放しは悪いし」
「ララ」
足を進めるララの左手の裾をつまんで名を呼び、彼女の動きを制する。
「……どうしたの? なに?」
不意の感覚だったのか唇を尖らせる彼女に俺は緊張を感じながら口を開く。
「今度、二人だけで食事をする機会をくれ。お前と食事がしたい」
ララは尖らせた唇を弧に変えて笑い、
「この前のご褒美ってことでしょ? いいわよ。割り勘で勘弁してあげる」
フィールのアドバイス曰く、シンプルに食事がしたいということを伝えればいい。とのこと。
それで全ての女性が釣れるのは美男子だけだと思っていた。
「とりあえず、歩きながら話しましょ」
「ああ」
俺は彼女の隣を歩く。
彼女は俺の隣を歩く。
彼女の横顔がたまに俺へ笑顔を向けるのを見ると、なんとなく気持ちが柔らかく病みそうになる。不可解で、それでいて実に心地良い感覚。
病にも似たこの感覚は、きっと大切に至るはずだ。
短編その2でした。今回の話は次章に影響しそうな予感を覚えながら書いていました。
つまり短編とは短い本編だったのです……。
感想・評価等々お待ちしております!