第二章29 流行り病
已むに已まれず、雨季は続く。
「ローゼ、動かないの」
「はい! すみません、ララ様」
ララの前でローゼは動かないように竦み上がる。
「描きかけだったけど、持ち帰れてよかった。さすがアレスの紙。燃えないし、濡れないし、折り畳んだ後開いても、折れ目が残らない」
ララは未来堂の工房でアレスの里で描いていたローゼの人物画の続きをしていた。
「わざわざ公休日まで職場に来て絵を描くとはな」
「いいじゃない。従業員割引で安く絵の具が買えるんだもの。休みの日くらい自由にさせてよ」
「じゃあ――――なんで俺はここにいる? なぜ俺はお前の隣に座らされているんだ?」
俺とララ、そしてルビーの出勤日は統一してある。つまり俺も公休日なのだ。ルビーは家で寝っぱなしだ。
「はあ? そりゃ、勝手にあんたが来たんでしょ」
さも当然かのようにララは答える。
「――――なぜ、俺は来たんだ?」
いや、この質問は俺に対して酷過ぎる。言わなければよかったか。
「あんたが家に一日中居たら落ち着かないからって――――それであんたは職場である未来堂に休日なのに来たんでしょう? ――私の隣に勝手に座って絵を見てる」
「俺、絶対病気だよ……」
何かの病魔に憑りつかれている気がする。病魔騒動は終わったはずなのに。今度は俺にしか効かない職業病という流行り病が蔓延している。
「病気と言えば、私のママ、癌が治ったって」
ララがさりげなく呟く。危うく聞き逃しそうになるほどのさりげなさだった。
「ほーん。それは良かった良かった――――――――はあ!?」
現代の魔法、医学では治せなかったんじゃなかったのか!?
「どうやって治ったんだ!? 奇跡か!? なんなんだ!?」
まさか鬼籍に入ったことを治ったとは言わないだろう。そういうときは終わったとかだ。
つまりラウラ・ノーラさんは生きて病魔・癌を克服したということになる。
「フォルテよ。ヴァレリーでママを治せるのはあの人くらいだもの」
「……はあ?」
要領を得ないというか、的を射ないというか、フォルテはもう――――
「私たちがアレスに出発した翌日に外科手術を行って、あの人は腫瘍を摘出したの。それで経過も診ずに黒騎士さんと一緒に飛竜でアレスにひとっ飛びだそうよ。悪い医者ね」
悪い医者。悪罵する医者――――悪医。
「……そうだな。患者が治った顔を見ないで消えるのは、悪い医者だ」
あの人はどこまでも素直じゃない。ララにラウラ・ノーラさんを散々侮辱しておいて、その時は既にラウラ・ノーラさんは治っていたのだ。逃げやがった。
口汚い言葉を撒き散らして、俺から、人から逃げる。あの人は――俺の遠くにしかいられないのかもしれない。遠くでずっと診守ってくれているのかもしれない。
あの人はそういう病気持ちなのだ。仕事をしすぎた医者の不養生だ。
最後の最後に人の心に残るあたりが、あの人の覚悟の弱さだ。努力不足だ。
「ララはこれからどうする? これからも俺の隣にいてくれるか?」
「え?」
ララが隣にいてくれるなら、俺は違う方向で騎士を目指そうと思う。もう少しだけ、努力をしてみようと思う。再生医サマが、黒騎士サマが嫌う宮廷騎士の仕事とか、そんなのではなくて。
「私は……あんたの……となり……」
ララの顔がみるみる紅潮していく。
「――――――――っ! ごめん! ちょっと家に忘れ物してくる!」
ララは画材をその場に置いて、丸腰のまま未来堂を猛ダッシュで出ていった。
「はあ? おいっ……」
忘れ物「してくる」ってどういうことだ?
「……なんかの病気か? あいつ」
「うふふふふ、流行り病ですね」
「うおっと!?」
そういえばいたのを忘れていた。すまん、ローゼ。
「悪いな、ローゼ。あいつ……よく分かんないが逃げた。――――流行り病なのか、あれ?」
「もちろんです。わたくしも罹っていますよ。きっとルビー様とアズライト様も、――もしかしたらフォルテ様もその病気かもしれませんね」
「マジで!? 今回の依頼やばいな!? 未来堂ピンチじゃん!」
俺もその流行り病とやらをうつされないように気をつけないと。
「ちなみにその病気って、どんな症状が出るんだ? どうしたら罹るんだ?」
「患者のわたくしに聞くんですか? ずるいですよ、ケンシロー様?」
「え? あ? すまん。なんかデリケートな病気なのか?」
「もちろんです。厄介な病気です。とても簡単に罹りますし、とても治りにくいです」
「なにその典型的な厄介な流行り病……病原体はどこにいやがるんだ……」
俺は憎き病魔の源を探すが、目視しても視界には入らず、視えたのは鏡に映った俺自身くらいだった。
「その病気が厄介なのは、きっとフォルテさんでも治せない心気の病だからです。その流行り病はですね、素敵な方と出会い、話し、触れ合うと発病します」
「まじでか!?」
発病条件緩いな!?
ローゼは陶然としてその「病気」を語る。
「その病気の症状は、動悸や不整脈、熱感や不眠、食欲不振に自信喪失、特定の場面での混乱などです。心中の状態は混沌です」
「厄災レベルの流行り病だなそれ……奇病っつーか、疫病っつーか……。治す方法はないのか? 可能ならローゼだけでも俺が治してやろうか?」
これから先輩後輩として一緒に仕事していく仲だ。先輩風でも吹かせてやろう。
しかしローゼは笑顔でかぶりを振る。
「それはダメです。ケンシロー様はこの流行り病をきっと治せますが、治せるのはおひとりだけです。本当に治したい相手を考えてください、ね?」
「本当に治したい相手って……俺は未来堂の全員が病気なら、なんとしてでも全員ともまるごと治してやるよ」
「――っ」
ローゼの頬はいつの間にか灰桜色に染まっていた。
「……ケンシロー様の変態」
「なぜ俺を悪罵する!? 治しちゃいけないのかよ!?」
「……ケンシロー様がいけないんですからね? ケンシロー様は医神ではないのです」
「はあ……?」
わけがわからない。そりゃそうだが、どういうこった……?
「それよりケンシロー様。お約束をしませんか?」
「――――約束?」
突然、ローゼに話を変えられ、約束の話題になる。それも流行り病の病状のひとつか?
――――約束とか、仕事の匂いしか感じないのは俺が職業病だからか?
「わたくしとケンシロー様がこれからもお仕事を頑張れるように、わたくしとケンシロー様とで役割分担をします。いいですか?」
「……ん? ああ。役割分担か」
なるほど、先輩後輩で仕事を分け合おうってか。
ローゼは手を差し伸べる。――――俺はその手を取る。握手。
「わたくしはケンシロー様の花に成ります。ケンシロー様が立派な仕事を為された時は、わたくしはケンシロー様を飾る花飾りに成ります。わたくしだけはうだつの上がらないケンシロー様を肯定し、花冠として飾り立てましょう。大した取り柄もないケンシロー様ですが、わたくしだけは華やかにその肩を持ちましょう」
「俺のことバカにしてるよな!?」
それ、悪罵だよー……。
しかしローゼは言い足りないようで、言葉を溜めて、矯めるように続ける。
「だから――――ケンシロー様はわたくしの光に成ってください」
「光……?」
「はい。お役目に潰されかけたわたくしに再び力を与えて下さったのは他でもないケンシロー様ですから。わたくしにとっては眩い閃光も同然でした。だからわたくしを照らす光に成ってほしいのです」
光合成で生きる、ローゼの光に?
「……具体的に何をすればいいんだ?」
「つらい時に、決して自分の大切なものを捨てないでください。わたくしはケンシロー様のその光を浴びられるように、ただ後ろをついております。ただ根を生やして仕事を為すのを待っています。それをお許しくださればいいのです」
「……それだけ?」
「それだけです」
「……そう、か?」
ローゼはなかなかただお淑やか女性に見えて、天然ボケな女の子のようだ。
彼女の言っていることはよく分からなかったが、彼女の為にやるべきことは分かった。
「いいよ。大切なものは捨てない。俺は剣も画材姫も鋼竜も――きれいな花飾りも捨てないさ。責任取るよ」
「――っ」
ローゼは頬を灰桜から朱に色を濃くし、うっとりと俺に笑いかけ、
「それでこそ、ケンシロー様です」
そしてローゼは、
――――――頭からぱやぱや~と花を咲かせた。
「……その花、真剣な場面では咲かすなよ?」
なんとなく、真剣味が殺がれる…………。
俺の言葉をよそに、ローゼはぽわっとお淑やかに笑っていた。――いや、咲いていた。
俺たち未来堂の病魔騒動は、病原体は、きっとこれから猛威を振るうのかもしれない。
流行りはいずれ、消え去るか、もしくは常しえのものになる。
第二章29話・エピローグ①でした。ケンシローも業が深く、罪深い男になりました。しかしケンシローもまだまだ半人前です。ケンシローの挫折と成長は第三章でも出していきたいと思ってます。
エピローグ②か③くらいで第二章は終幕し、その後に短編が数話挟まる予定です。
もしかしたら第三章に影響する内容になるかもしれませんし、第二章を補完する内容になるかもしれません。そこはまだ推測できないですが、時系列は分かり易く真っ直ぐになるようにします。
長々とすみませんが、感想・評価などなどお待ちしております!