第二章27 起死に至る病
ローゼ・ラフレシア・アレスの呼号に呼応して、木々が隆起し、襲いかかる。
木が、蔓が、蔦が、枝が、根が、葉っぱが、花が、全てが俺に襲い掛かる。
全てが深緑色の蔦が俺の手足を絡め取ろうとしてきて、俺の動きはまた鈍る。
「はああああああ――――――――っ!」
怒声と共に地面から暴れるように飛び出る木の根と横薙ぎのローゼの槌撃が撃ち込まれ、俺は全身の骨という骨を軋ませて押し飛ばされる。
「うぐぅあっ……!」
押し飛ばされながらも見事着地に成功した俺は、生き残るためにひた走る。いつの間にか温泉地帯から大きく離れ、またしても巨木に囲まれた樹海地帯に迷い込む。焦る俺は出っ張った木の根につまずいて転んだ。
もはや俺の衣服は泥だらけで、降り注ぐ雨はなにかに至らしめそうな陰雨だった。
「追い詰めましたよ、ケンシロー様」
降り注ぐ雨を撥ね、静かに翡翠の瞳を曇らせるローゼが俺に近づく。
――もはや俺もここまでか?
一瞬、諦念がよぎり、それでも俺は諦めきれず、ローゼと強く視線をぶつけ合う。
「お前には殺されねえぞ、ローゼ・ラフレシア・アレス」
「――――っ」
彼女の無理やり厳めしくしたような顔が動揺した。
「俺には生きて帰る仕事がある。お前にも俺を駆除する仕事がある。でもな、――お前にはその仕事は似合わねえ。お前の長所はひとを和ませる花の顔を持ってるところだ。そんな顔で仕事をするもんじゃない。その顔は似合わない。お前、その仕事、やりたくてやっているのか?」
「――――っ! わたくしはそれでも、お役目を守らないといけない立場なのです! お役目を守れと言われてきたのです! それが仕事なのです! それ以外にやることが無いのです!」
「現状は花に嵐に感じるかもしれないけど、お前はもっと華やかな世界を作れる可能性を――そこで生きられる未来を秘めている。……だからローゼ」
「聞きたくないです! わたくしはもう、聞きたくありません! そんな慰めにもならない綺麗な言葉なんて、もうわたくしの光にはなってくれない……! わたくしのしたかったわたくしのお役目は――」
「本音を言えよ! ローゼ・ラフレシア・アレス!」
彼女の全てに問いかける。一族の全てに問いかける。アレスの意味を問いかける。
「――――分かりました」
彼女の瞳は惑うように歪み、諦めたように血の気が引き、そして、
「お願いします。助けてください」
と、追い詰められていた俺に、跪いて助けを求めてきた。
「――ローゼ」
「わたくしの本来のお役目は、――わたくしが納得して、やらせて頂いていたお仕事は、人を痛めつけることではありません。……ケンシロー様を殺す仕事ではありません」
額を雨で濡れた地面にべたりとつけて、ローゼは極東でいうところの土下座をする。
「ずっと皆様には隠していましたが、わたくしのお役目はアレスの里を守り、豊かに育み、アレスの里の民も土地も、全てをずっと一緒に未来に残すことです。そしてわたくしの寿命が尽きた時、わたくしはアレスの里の大地に還るのです。そのお役目を守るために――そのお役目のためだけに約四〇年間、里の守り手・調整役を勤めてまいりました」
「……そんなに年上だったのか」
同い年くらいだと思っていた。見た目と声がすげえ若い。いや、アルラウネ族の末裔というのは皆そうなのかもしれないけれど。
「神からいただいたお役目を全うできないわたくしに価値などありません。上旨のお役目を遂げられなければ死んでいるも同然です! そう言われてきたから、風の魔剣・ナギの病魔が蔓延した時は、焦りでわたくしの心はどうにかなってしまいそうでした! その挙げ句、未来堂の皆様を巻き込んでこんな事態にまで発展して……!」
声を荒げ、震わせるローゼの涙は雨と同化して判別できなかった。しかし周囲の木々達は彼女の苦しみに呼応するかのように風雨に揺られて強くざわめく。
宮廷騎士団の――フィールのやった裏工作はけっこう罪深い。
「わたくしのお役目は人を殺めることではないのです! なのに、なぜですか! なぜ神は命を弄ぶような真似を! もう、わたくしたちアレスの命を育んだ神の下でなど……っ、――――わたくしはそんな仕事はしたくありません! なにより自分に納得できない!」
木々がざわめき、風雨は吹き荒れ、そしてまたしても地を貫いて噴魔が発生した。
――――ちっ、ここもかよ!
今日は本当に厄日だ! 災日だ!
「アレスの神は里を自ら狂い壊し、自死を望まれました! わたくしはお役目を守れなかった! 遂げられなかった! わたくしにはもうこのお役目を続ける気概と才能がありません! 情熱が足りません! お役目を守れないわたくしなど……もういっそのこと神と共に死んだ方が――――」
「バカいうな!」
「いだっ」
俺は土下座するローゼの脳天に手刀を落とす。しかも気持ち強めに落としておいた。
ローゼは頭を押さえて涙目で唖然と俺を見上げる。
そんな彼女の手を取り、土下座を止めさせ正座をさせる。そして俺は息を大きく吸う。
「――――ここに残っている連中は病人ばっかりだ! なんだよ、ちょっと自分がやっていることに行き詰まったくらいで、『死ぬ』とか『死にたい』とか『死んだ方がいい』とか! 精神がデリケートすぎんだろうが! バカバカしい!」
「――っ!」
俺の発言が横暴に聞こえたのか、ローゼは俺にムッとした顔を向ける。
「なんで仕事のために死ななきゃいけねえんだ! 報酬を払ってもらうために仕事してんのに、言われたままに仕事して命まで払ってたらそれはただの上司の奴隷じゃねえか! 仕事は人生の全てじゃねえんだぞ! 情熱を失くしてまで仕事なんかすんじゃねえ!」
「……ぁ」
「分かんねえのかよ!? 仕事っていうのは替えの利くものなんだ! 好きでやってんなら続けりゃいいけど、自分に決定的に合わないと思ったら辞めちまえばいいんだ! 仕事はこの世に五万とあるけど自分は世界に一人しかいねえだろ!?」
「けん……」
「経営者は神じゃねえんだ! 雇ったやつを守る義務がある! 仕事に対する正当な見返りを支払う義務がある! うちの店長はそういうところは分かってたよ! あの猫はルクレーシャス鉱山まで俺を助けに来てくれた! すげえ良い経営者なんだ!」
ローゼが、困惑したような、呆然としたような表情で俺の言葉を聞き入る。
「狂った上司につき従う部下なんて、頭がおかしいか何も考えていないかのどっちかだ! 俺たちは使い潰されて捨てられていいものじゃねえ! 従業員は経営者のれっきとした財産なんだよ! 過労自殺なんて、俺は絶対――病的に許さねえからな!」
「けんしろーさま……」
「だからお前も――」
ひとしきり今日の鬱憤を晴らした俺は、彼女の濡れた頬に手を添える。
「――そんな嫌な仕事はスッパリやめて、俺たちと働こうぜ」
ローゼの翡翠色の瞳は再び惑う。
「け……結局、わたくしは違う仕事をしなければならないんですか?」
うーん。そこは仕方がない真理。ちょっとばつが悪くなる。
「そ、そりゃそうだろ。仕事しなきゃあ飯が食えないからな。もっというと寝床もなくなる。それに――もらった給料は楽しくて大切なものに使わなきゃだしな!」
最大限、俺はばつの悪さを隠して笑いかける。仕事はやはり、人生の添え物であるべきだ。楽しいことのために仕事をし、大切なもののために仕事をする。でも、仕事のために仕事をしてはいけない。自分のための仕事だ。
「仕事は人生のオードブルみたいなもんだ。味そのものも大切だけど、味わい方も大切だ」
ん? なんかしっくりこないなその喩えかた。でもまあ、俺にとっては、の話だ。
俺が仕事の愚痴を解放し、胸がすくような感慨にふけっていると、
「ぷふっ、ふふふふ、ふふふふふふふふ!」
ローゼが破顔して笑い始めた。……なぬ?
「ケンシロー様は、どれだけお仕事に不満を持っておられたのですか!」
「は?」
「ふふ、ふふふふふ、ふふふふふふふふ!」
ローゼは笑い、笑い、笑いつづけた。強雨の中で、噴魔の隣で、希死念慮する巨大な樹竜のうなじの上で。
俺は楽しそうに笑う彼女に手を差し伸べる。
「――行こう、ローゼ。竜に情のこもった温かい関係、押し付けに行こうぜ」
彼女はまだ笑い、俺の手を取る。
「どこまでも、ご一緒させてください! 貴方のお力添えをします!」
ローゼのしがらみはここで解き放たれた。俺たちはもう一度、魔力の源泉の元へ向かう。
「辞めんなよ」
「なにを言っているのですか! わたくしは合わないと決定的に思ったら、そこでスッパリと辞めさせていただきますっ!」
「あー……そうだな。俺もそうする」
弾む声と萌える花。切り拓かれた未来の雨音が俺たちを柔らかく包んでいた。
ひとり、俺の病的な言葉で死から起き上がらせるに至れた。あとは――――
第二章27話です。ケンシローの「仕事なんて嫌い。でも好き!」みたいな感じが出せていたでしょうか。
第二章もそろそろ終幕。第三章に向けて構想を練りはじめようと思っております。
つまり第三章もやります。もしよろしければお付き合い下さい。