第二章25 樹竜『バウム=バウム』
ララが作ってくれる飯は美味い。
ルビーと一緒に食う飯は美味い。
また三人で飯を食うんだ。
また三人で未来堂に出勤するんだ。
俺があの職場を選んだのだから――――
温かい雨季の雨が篠突くように強く降り頻る。それはもう地面を抉るように水滴の槍が叩きつけられている。
そんな樹海――樹竜の体表――を走り抜けて、先輩を探す。
「シロフォン先輩ぃ――――っ!」
俺の言葉は谺してそっくりそのまま撥ね返ってくる。効果はイマイチだった。
「毒舌ぼっちぃぃぃ――――っ!」
こちらから悪罵しても理想の効果は得られなかった。あの先輩、煽り耐性は無駄に強いからなぁ……。むしろ煽り返してくるから耐性が低いという見方もあるが。
「くそ。結局、迷ってんじゃねえかよ、俺!」
このままいたずらに走っていても時間を浪費するだけだ。その結果、バウム=バウムは自害するだろう。もしくは先輩が彼の首を落とすかだ。この巨大な竜の首を討つ方法など思いつかないが。だったら――――、
「バウム=バウム! お前、聞こえてるだろ!? 俺を先輩のところまで連れていけ!」
困った時の竜頼み。しかし気を病んだ自殺志願者にこんなこと頼んでいいものか。
「バウバム! おい! 返事しろ! バウバウ! おい! バムウ!」
バサッと大きく翼をしならせる音がする。その音はまさしく天空を飛翔する竜が鳴らす威風堂々とした羽音だった。
「っ――――」
心と目を奪われ、息をするのを忘れた。自分の両側――右と左にあるのは草木の生えた翼だったからだ。
壮大な樹木の寄せ集めが骨格の上を陣作り、巨木と苔の生えた竜の飛膜がゆっくりと伸縮を繰り返す。弛緩し、緊張し、少しずつ少しずつ大空に上がっていく。その体の果ては茫漠で見えない。
「本当に、樹海全てが竜の体だったのか……!」
さすが最大の竜、樹竜。魔力の塊。鋼竜とは桁違いの大きさだ。今、遠くから見ればもっとしっかりとしたさぞかし壮大華麗で深緑色の竜の姿形を見ることができるだろう。
――いや、もはや灰桜色の竜か。体表から生えた木々の葉っぱたちは竜としての在り方を思い出したかのように、神樹と同じ鮮やかな灰桜色に色づいている。
狂い咲き、今、本当の意味で樹竜が目覚めたのだ。
「じゃあ、俺が向かうは……頭か」
頭があるだろう上方に傾いた先を見る。目の前に広がるのはいまだ獣道のような苔むした木の根だらけの地面。それがこの竜の巨大さの象徴で、時折舞い落ちる灰桜色の葉っぱが視界のアクセントになっていた。
神樹・アレスがあった場所は、さながら樹竜の一番上の脊椎が飛び出たようなものなのだろう。
「陽が落ちる前に止めてやる。この壮大な自殺劇を止めて、ララとルビーと一緒に焼き立てのパンを腹いっぱい食わなきゃいけねえんだ! 待ってろよ、バカ女ぁ――――っ!」
***
今日ももうすぐ日が落ちる。
記憶を振り返ってみると、最近の俺は走り回ってばかりだ。……っというか、今日の俺は樹海を迷走してばかり――が正しいか。
「しかも男に追っかけられたり、女を追っかけたり……変人の極みだ」
まだ今日は終わらない。どデカい花火は上げさせない。こんなことで死者を出してやるものか。
俺は首から頭にあたる部分まで走り続け、ようやく青色の影を視界に捉えた。
「フォルテ・シロフォン・クラシック!」
俺の叫びに彼女は振り返る。銀色の瞳が俺を映す。
「はぁ……結局、来たんじゃな。この愚物は」
耳の尖ったハーフエルフはいつも通りの悪態をつく。そして諦めたように笑った。
「ここまで来たら、心中じゃ」
俺の我慢も限界だ。ララとの約束もルビーとの契約も守る。そのためには目の前のバカ女にちゃんと俺の覚悟と鋼の意志を見せつけてやらないと。
「俺は死にに来てないし、お前は死なせない」
俺が敬語を使わないことに先輩は驚いたのか、銀の目を丸くした。
しかし怒る様子はなく、それよりもむしろ喜んでいるようだった。
「反骨が遅いんじゃ、馬鹿垂れ。こっちへ来て見よ」
「……ああ」
呼ばれて先輩の隣に立つ。そこでようやく俺が行き着いた場所が分かった。
「昨日の温泉……! ここが頭だったのか」
「そうじゃ。今はもう、温泉じゃなく、魔力の源泉じゃな」
薄く色のついたお湯だった温泉は、今はもう魔力にあてられて電光のように光っていた。奇妙なまでに妖しい、魔の虹色に。
「ここがわらわの死に場所じゃ」
「……言い残したことがあるなら聞いてやる。死なせないけどな」
「どっちじゃ。愚物め」
「どっちもだ。どっちもやって俺は俺に納得する。自分の仕事に情熱を保つ」
「やれやれ……墓標を残さないのがわらわの憧れじゃのに」
先輩は諦めて、諦めきって重たい口を開いた。
「…………わらわは人に好かれないようにしておる。努力を見せないようにしておる。わらわは人が好きじゃし努力が好きじゃ。――でも、故郷はそれを望まなかった。浮遊する大陸は、わらわが好きではなかった。只人など――他人など足置き以下のゴミ同然。努力などしなくても出来るのが当たり前。わらわは落ちこぼれておった……そして捨てられて下界に落とされて魔法騎士養成学校の教師に拾われた」
「……っ」
俺と同じ以上だった。本当は人が好きで、好きで好きで、そのせいで近づけなくて、努力をしても認めてもらえない。そして放り出された。境遇が俺と少し似ている。
「じゃから宮廷騎士を目指した、しかたなく養育者への機嫌を取るために。わらわの価値は宮廷騎士にしかないからな。仕事をしないと、誰もわらわを見てくれん。仕事のための、わらわの仕事じゃ」
「そんなことは――っ!」
俺は先輩を見ている。きっと宮廷騎士ではない何かになった先輩でも必ず見るはずだ。
「宮廷騎士の仕事は嫌じゃ。体は疲れるし、心はくたびれる。早く辞めたい。辞める口実が欲しい。じゃからわらわは――――」
「死ぬ確率が高い仕事を請けた?」
先輩は清々しいほどきれいな顔で首肯した。
「人の記憶に残りたくない。いなかったことになりたい。存在そのものをなかったことにしたい。じゃから悪罵して遠ざけた。努力を隠して同情されぬようにした。じゃのに貴公は……なぜ捨てられた子犬のようにわらわを慕うのじゃ」
「お前の同属だから、じゃダメか?」
「ダメじゃな。エゴの押しつけじゃ」
「エゴは押しつけるもの。恩はお仕着せるものだ」
「つまらん」
先輩は目を合わせずに、魔の源泉の傍らにしゃがみこんだ。
「わらわの自分語りは終わりじゃ。――あとはわらわがこれからしようとしている仕事じゃな。聞くかえ?」
もちろん首肯する。それを聞かなければ納得できない。
「再生術を応用して溜まりに溜まった魔力を揮散させる」
「――? 揮散させてどうする」
「上空に向かって蒸発するじゃろうな。運が良ければそのまま薄まって無害化される。もっと運が良ければ浮遊大陸のやつらを皆殺しにできるかもしれのじゃがな」
にやりと悪戯めいた悪い笑みを浮かべる。しかし声音は晴れやかでおそらく後者は冗談だ。――いや、いつもの悪罵だ。
「それ、成功する確率は?」
「貴公がわらわに惚れる確率に等しいな」
「冗談言うな。そんな勝算の低い賭け、お前はしない」
「かっはっは! なにをいう。成功したも同然じゃないか!」
「なに言ってんだ……そんな簡単に俺がお前に惚れるわけ……」
「はたして貴公はなにを選ぶのじゃろうな」
「妄言はいいから仕事しろ。辞めたいなら一緒に帰るぞ」
先輩の比喩がなにかは分からなかったが、俺は仕事とプライベートを分けたい性分に成りたいと今唐突に思った。成るとは言ってない。
「かっはっは! そうじゃな。じゃあ、帰れ」
「だから……」
俺もそろそろ我慢の限界だ。先輩の手をひっつかみ、無理やり立ち上がらせる。
「なんじゃ――」
左手で手を握る。しっかりと男の力で。
「一緒にやれば仕事は早く終わるだろ。ちょっとした残業だ」
俺は魔力を溜め込めないが、魔力を瞬間的にいくらか生成して渡すだけならできる。
唖然、という顔を彼女はした。
「他人の仕事を引き受けてまで残業するのは愚の骨頂じゃぞ?」
「大丈夫。ウチの職場は俺が真っ当な従業員になるために経験値稼ぎで仕事を引き受けさせてくれる職場だ。慣れてる」
「優しさがしんどそうな職場じゃな――――騎士の仕事を紹介してやろうか?」
同情するな。悪罵してこいよ。
「いいよ。今の仕事、けっこう嫌いじゃなくなったから。仕事中毒患者だと思ってくれ」
「……かっはっは! 貴公め、店の家畜に身を落としたか! 滑稽じゃ!」
先輩は上機嫌に悪罵し大笑いする。俺はそれを――――不快に感じない。
「じゃあ、始めよう」
「かはっ! そうじゃな!」
二人で手を繋ぎ、魔の源泉を見下ろす。ナギが除草薬ならば、先輩は空気清浄剤とでも言おうか。
先輩は強く手を握り、そして――
『僕の贖罪の邪魔はさせないよ』
「アレスの神の邪魔はさせません」
背後からバウム=バウムとローゼの声がする。
***
灰桜色の髪、翡翠の瞳。樹竜、バウム=バウム。
深緑色の髪、翡翠の瞳。アルラウネ族の末裔、ローゼ・ラフレシア・アレス。
二人は並び、俺たちに敵意の視線を向ける。
「ちょっとまて、ローゼ。お前、なんでここに……」
「はい。ケンシロー様。わたくしはルビー様を追って戻ってきたのです。アズライト様はしっかり避難する村長と一緒にいらっしゃるはずです。ご安心ください」
「それで、なんでバウム=バウムと……?」
「かっは! 血は争えぬということじゃ。わらわたちに向ける視線はつまり、――そういうことじゃろう?」
「……はい」
ローゼは陶然とした顔で隣にいるバウム=バウムを眺める。その表情は咲き誇るように可憐で、散り落ちるように儚げで、腐り落ちるほどに美しかった。
「我らが父であるアレスの神が神託をくださいました。アレスの里は滅びる。しかし、必ず蘇えると。でもそのためには、神域を荒らすものを排除しなければならないと。――わたくしと一緒に消えてください。お二人とも」
不撓不屈の精神で拳闘士さながらの構えを取るローゼを見て俺は強い怒りを覚えた。対象は隣にいる子どもだ。
「バウム=バウム! お前、どこまで死にたがりなんだ! こんな女の子にまでお前の自殺の幇助をさせるなんて!」
『仕方ないでしょう? 諦めが悪いのはお互い様さ。だから、延長戦のやり直し。最後の場外乱闘を始めようか』
とてつもなく気持ちの悪い殺意が、再び漂う。その刹那、
音を立てて地面が割れ、木の杭が壁のように生え出して俺と先輩を分断した。
「先輩!」
「ケン! そっちは任せたぞ! あとでな!」
木杭の壁の向こうから先輩の声が。言われて視線を向けられる敵意に合わせると、
「すみません、ケンシロー様。所詮わたくしは御神木が伸ばした小枝。折れない限りは神の一部です」
ローゼは拳を勢いよく突き出す。その勢いで腕が伸びる。いや、伸びたのではなく、手の甲から角材のような木を生やして打突してきたのだ。いわばあれは手甲剣の鈍器版。しかも伸縮自在な多機能設計。厄介に厄介を重ねてきやがった。
「くそっ!」
丸腰の俺は樹木の連撃を避けるしかなく、だんだんとさっきまでいた魔力の源泉から遠く引き離されていく。
「女の子殴るのは気が引けるし、そもそも殴れる間合いに入れねえ!」
植物の弱点は火。火を熾せば楽勝じゃんとは思ったが、今の天気はあいにくの土砂降り。なにもかもが湿気ている。なんなら大時化だ。猛烈にヤバい。
今日の俺はこいつら同様、過重労働の仕事中毒患者だ。
しかも途中で仕事を勝手に増やすような、俺の方が重傷のやつ!
「覚えてろよ、樹竜『バウム=バウム』! 俺の仕事はケンシロー・ハチオージだ!」
バウム=バウム、お前の仕事を言ってみろ。
第二章25話でした。もうすぐ今章も終わりが近いですが、ここからは戦闘よりも舌戦が増えます。
第二章が、ケンシローたちが、樹竜がどうなるか……というところですね。
感想・アドバイス等々お待ちしております! では、これからもよろしくお願い致します。