第二章24 迷わず行くよ。行かなきゃ分からない
樹竜は狂っていた。考えすぎて考えることを止めていた。つまり、あいつは相当の馬鹿で、仕事中毒で、仕事嫌いで、仕事納めを企んでいて、仕事に迷っているんだ。迷いすぎて狂ったんだ。自分の考えが分からなくなっていたんだ。それで「全て」をなかったことにしようとしている。歪んだ責任感でこの世界の「全て」を巻き込んでまで死のうとする。
俺はそんな壊れた考えを論破することができなかった。
やはり舌鋒も舌戦も俺には向いていない。絶叫の方がまだ向いている。だから、
「ルビぃぃぃぃいいいいいいいいいいい! 助けてくれぇぇええええええええええ!」
自害を宣言したバウム=バウム。彼はそれに反対した俺を神樹に縛りつけて、姿を消した。だから俺は助けを乞う。
「くそっ、バウム=バウムぅ! お前聞いてんだろ!? なに自害しようとしてやがんだよお! その自己満足は誰も納得しねえぞ!」
いつの間にか噴魔活動が止まっている。空いた虚空から当たり前の雨音が鳴るだけなのに、その方が不気味に聞こえてしまう。
「自死なんて……、そもそもお前が一番納得できねえだろうがぁ!」
メキメキメキメキと地鳴りのような音が鳴る。少しずつ少しずつ、地面が竜の体に戻り始めているのだ。
『ケンシロー! 大丈夫でありんすか!? この音は!?』
【おいおい、ひとりでどういう遊びしてんだお前さんは!】
すぐに駆けつけたルビーと先輩とナギが俺の拘束を解いてくれる。好きでこうなったんじゃねえ。
「悪い、二人……と一本。説得したつもりだったんだけど、あの竜……自殺してなにもかも――全てを投げ捨てるつもりらしい」
「自殺じゃと!? それはもう、心中というのじゃあないか!?」
おもむろに『ゴゴゴゴゴゴゴゴ…………』と大地が裂ける不穏な音が鳴り響く。バウム=バウムが空に浮き始めているのだ。
「まさか俺たちもろともどこか火山か海に沈む気じゃあ……」
『違うでありんす。アレス樹海ほどの大きさの樹竜が入ることのできる火口などない。そして、重すぎてこやつはまともに海まで飛ぶことはできないなんし』
「じゃあ、こいつはなにするつもりなんだ?」
「自爆じゃ。噴魔の力を一点に集中させてその身を爆発させる気じゃな」
「それって……避難してるララとかアズさんとかローゼとかは無事に済むんですか!?」
「爆風に曝されて街何個分かは飛ばされるかもしれんな。もしくは飛び散った魔力に被爆して死ぬかじゃ。どちらにせよ、ここでそれらに巻き込まれるわらわたちよりか死ぬ可能性は低い! 今は自分の身を守ることを優先して考えるのじゃ!」
先輩は俺の疑問に声を荒げて答え、そして走り出そうと足を明後日の方角へ向ける。
俺はそんな彼女の腕を掴んで止める。
「先輩はどこへ行くつもりなんですか」
「……わらわは樹竜の核部分を」
「自分の身を優先してください」
放っておけば、先輩は今からバウム=バウムを止めるために心中覚悟で核部分とやらを探しに行くのだろう。しかしそうはさせない。
「離すんじゃ。能無しの半端な凡愚のくせに!」
「あんたを死なせないためにここまで来たんだ! 噛みついてでも連れ帰るぞ!」
「恩着せがましいことをするな! わらわは樹竜の首を……!」
先輩は顔を歪めて泣きそうな悲しそうな苦痛を纏った顔をする。俺がもう見ることはないと思っていた顔だ。しかし覚悟を決めたのかキッと唇を引き結んだ凛とした顔になり、
「ケン、近う寄れ。妙案じゃ」
「妙案? なんの……」
俺が耳を貸しに顔を近づけると、額に先輩の人差し指が押し当てられる。
「眠れ、ナルコレプ」
催眠魔法。まさか俺を――――っ!
「先ぱ……」
言いかけて、俺は深い海底に沈むように眠気が回って世界が暗転した。
***
先輩は花や蝶、子どもや小動物など、目につく色々なものを愛でるのが好きな人だった。
俺はものを愛でる時の優しい先輩の銀色の目が好きだった。
表では愉快そうに汚い言葉を言い散らかしているが、裏では懸命に努力して、苦痛に顔を歪ませて魔法や武術の鍛錬をする人だった。
俺はその表と裏のギャップにいつしか見とれるようになって、そうして先輩を視線でよく追うようになった。
魔法騎士養成学校では孤立していた俺にたまにちょっかいを出してきた。悪罵を撒き散らす先輩もまた、孤立していた。
粗雑に罵倒されながらも、それでも俺と先輩は健全な先輩後輩の上下関係を築けていた。いや、悪罵されても俺が勝手に先輩について行っていただけなのかもしれないが、
頑張るあの人を、努力するあの人を尊敬していたからだ。力を貰っていたから。
それから先輩の卒業が決まる。その時はまだ、どの騎士団に勤めるのかは教えてくれなかった。ただ、先輩はいつも通り笑顔で俺を悪罵して、静かにいなくなった。
その半年後、先輩は卒業生として学校を訪れ、俺に「フォルテ先輩」と呼ぶことを禁じた。目は険しく、声はドスが効くようになっていて、そしておそらくその時には、
――――歴史の節目をつくる竜。最大の竜、嫉妬の竜、樹竜、バウム=バウムを討つ指令が下っていたのだと思う。
***
「――――ッ!」
先輩の憎たらしい笑顔が脳裏に浮かんで飛び起きた。飛び起きて、辺りを確認すると、俺は右肩に尻尾を巻きつかれて掴まれて引きずられていた。木の蔦で腹にナギを括りつけられている。
『んしょ、んしょ……』と重たそうに漏れる声や尻尾の感触などですぐに誰か分かる。
「ルビー? なにしてんの?」
『起きたでありんすか!? ほら、さっさと自分で歩くなんし!』
「いや、なにしてんのか聞いてんだけど」
『汝を生かしてヴァレリーに戻るのが、余のやっていることでありんす』
「……」
答えになっているのかそれは。
「俺が聞いているのはお前が今やっていることをだな……って! 先輩は!?」
『やかましいでありんす! 汚物が本物の汚物になるだけでありんす!』
「お前、それどういう……!」
『ケンシロー、余は汝を絶対に死なせないでありんす。またララと三人で飯を食うなんし!』
「それより先輩だ! 先輩をどうして行かせ――――」
『汝は余に焼き立ての美味いパンをたらふく食わせると契約した! 汝が稼いだ金で! 契約を破るのであれば、今ここで汝を咬み殺し絞め殺すでありんす! 余は殉職手当など受け取らぬ! 分かったかえ!?』
「っ……」
ルビーの激昂に俺の体が強張る。その威圧力と気迫は鋼竜のそれだ。
『――ここで余との契約を破るのであれば、汝は口だけの軽薄男でありんす。本当にそこまで落ちぶれる気かえ。阿呆が。なにもかも全部守ることは出来ぬでありんす』
ルビーの言い分は正論と言えば正論だが、暴論と言えば暴論だった。悪罵にも似ている。
「お前さあ、俺が女の子との食事を優先して尊敬する先輩の命を諦める男でいいの?」
『そのおなごの尻尾に引きずられている感想を言ってみるなんし』
「言葉がねえよ!」
いい加減、ルビーに引きずられているという絵にならない状態を解除してもらい、俺は立ち上がる。
【ぶひゃはあ! 背中泥だらけじゃんかよ!】
うぜえ。
「ルビー」
『もう時間がないなんし。もう汚物の体は飛翔を始めているなんし……チッ、あの老害め。耄碌しおって』
「老害は言いすぎだろ。若作りして矍鑠としてたほうだ」
樹竜バウム=バウムと鋼竜ルビー・メタル・シルバー。たしかに年の差で言えばバウム=バウムはお爺さんそのものか。
「そうじゃなくて、俺は行くからな」
『余は行かせぬと言ったつもりでありんす』
頑としてルビーは意思を変えない。俺をどうしても先輩の元へ行かせたくないみたいだ。
「だったら、力ずくで連れ去ってみろよ。鋼竜」
『言ったでありんすな? 人ケラの餓鬼』
ルビーの声音が不穏な響きを孕む。彼女の口から殺気立った冷気が漏れ出た。
このままではルビーと事を構えるのは必至だ。ならば、
「――風の魔剣・ナギ、ルビー連れてフィールのところまで飛べるか?」
【ひゃはあ!? せっかく空気に成って黙っててやってたのに、ここでオレサマに話振んのかよ!? 空気読めよ!】
「悪いな。変な空気吸いすぎて、俺もおかしくなってるのかもしれねえ」
俺は自分に巻かれていた蔦を今度はルビーに巻きつけてナギを背中に挿す。
『け、ケンシロー? なにをするつもりなんし……?』
俺が予想外の行動をとったからなのか、ルビーの殺気と冷気は混乱して収まる。
「ナギ、迷わず行けよ。行けば分かるさ」
ナギは今まで祠にいる時、「刀身に触れないと病魔を撒き散らせない」と嘘もしくは錯覚させていた。――ということは、だ。
【お、おう……】
『ケンシロー、汝は一体……』
「契約は必ず守るからな、ルビー。下手に動いたら、怪我どころか死ぬかもしれない。もしもの時は持ち前の翼を使え」
にっこりと俺は気持ちだけは満面の作り笑いを浮かべる。そしてルビーの腰を持って、抱え、――――投げ飛ばした。
「飛べぇぇええええええええええええええええええええええええええええええ!」
【うおおおおおお! オレサマってばやってやらばばばば――――――――っ!】
『ケンシローのアホぉぉぉおおお! 帰ったら覚えておるなんしぃぃいいいい!』
ナギは風の魔剣の権能を活かして風を纏い、はるか空の彼方へ飛んでいった。飛行ショーは雨天決行である。
「俺も迷わず行くよ。行かなきゃ分からないからな」
もう少しだけ、仕事をさせてくれ。
第二章24話です。とある有名人の言葉をお借りしました。第二章ももうすぐ大詰めといったところです。
これからもぜひよろしくお願いいたします。
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皆さんの応援は確かに力になっております。ありがとうございます。
これからも「剣と画材と鋼竜」をご贔屓に!