酒癖の悪い同僚は面倒くさい
ヴァイオレット市はヴァレリー特別区の東側にあり、極東の農家出身の俺が言えたことではないが、はっきり言って田舎である。首都の枠内に入ってはいるが、やはり田舎である。騎士団員(日雇い)みたいなものだ。
ましてやヴァイオレット自然公園なんていう広大無辺の自然公園があるのはとびきり田舎である。だがその反面、首都ヴァレリーでも指折りの観光地でもある。
そして自然公園の出入り口周辺には観光客をターゲットにした店が軒を連ねて営業していた。宿屋はもちろん、飲み屋、銀行、遊技場、格技場、遊廓の類まで。
そしてこの時期は新入の学徒や新入の職員の歓迎会として観光客が殺到する。それがなにを意味するかといえば……。
「申し訳ありません。当館は本日、満室となっておりまして、お部屋をご提供させていただくことはできません」
「申し訳ありません。当宿は本日、満室となっておりまして、お部屋をご提供させていただくことはできません」
「申し訳ありません。当ホテルは本日、満室となっておりまして、お部屋をご提供させていただくことはできません」
宿泊施設は軒並み満室状態だった。
「どうなってるのよ、このクソ田舎!」
「つーか、夜通し明烏を探すんだから宿取る必要ないんじゃねぇか?」
特にこれといった大荷物も持ってきていない。明烏を二、三羽捕まえたら麻袋でも買ってそこにくるんで馬竜車で帰るつもりだった。
アオネコ店長が『明烏くらいなら大仰な荷物は必要ないでしゃる』と言っていたからだ。
「私はベッドじゃなくてシャワーを提供してもらいたいの!」
「だったら大衆浴場とか……」
「名前も知らない人の前で全裸を晒せるわけないでしょ! 個室シャワーを借りたいの! どうせ私の金じゃないんだから!」
うわーお嬢さまだー。
「さ、次の宿屋に突撃よ!」
「わざわざ遠方からご足労ありがとうございます。当家ではちょうど本日、急なキャンセルが一件ありましたのでお部屋をご提供させていただくことができます」
「個室シャワーは!?」
「もちろんついております」
「借りるわ!」
「ありがとうございます。ではこちらにお名前と現住所のほうを……」
ようやく部屋が見つかったらしい。ヒルダは水を得た魚のようにすいすいと必要記入欄にペンを走らせる。
「ありがとうございます。お部屋は二一〇号室のダブルになっております。いい夜を」
受け付けのその一言にヒルダの表情は凍りついた。
「待って! やっぱりなし! シングル一部屋だけでいいから!」
「申し訳ありません。現在空いているのはその一部屋だけになります」
「そこをなんとか!」
「おい、ようやく見つけた宿なんだから我がまま言うなよ」
「っしゃあかしぃ!」
ヒルダの右足が俺の股間にひと蹴り入れる。あれ……何発目だっけこれ?
「頭使いなさいよ! ダブルはまずいでしょうが!」
「くぅっ……はぁあ!? 夜通し外で明烏狩りするんだから、ベッドの型なんてどうでもいいだろ!?」
「それでも領収書にはダブルって書かれるの!」
「……あー……そういうことか」
つまるところ、ヒルダは俺たちがそういった関係になったと誤解されるのを恐れているのだ。領収書を見るのが誰かは知らないが、確かにそういう誤解はうけかねない。
「お前、めんどくさいやつなんだな」
「うっさい!」
俺とヒルダはその宿屋をあとにして、ヒルダ的には苦渋の選択で大衆浴場に入った。
体面を気にするあたり、やはり豪商メディエーター家のご令嬢なのだ。
***
ヴィクトリア帝国が時計を時計塔として利用し始めて数十年。時計塔の開発者である月読術師の某さんは一年を三六五日に定め、一二の月に分け、一日を二四の時間に分けた。
さらにヴィクトリア帝国はその一日を半分に分け、午前が一二時間、午後が一二時間ということにした。
そして今は午後の一〇時、もしくは二二時である。ヴァイオレット市の時計塔がそう記していたのだから間違いない。
「飲み屋のオジサン曰く、明烏は自然公園の森林地帯北西部によく現れるらしいわ。っていうか、毎晩毎夜東方から渡ってきた明烏がそこで一眠りして西方に渡っていくの。ヒック」
「その情報の信憑性は確かなんだろうな? 酔っ払い」
ヒルダは酒にめっぽう強かった。酒場で夕食兼情報収集している時にヒルダが男に声をかけられるという事案が発生し、酒呑み対決でヒルダが鎧袖一触のごとく勝利した。
勝利条件として飲み代の肩代わりと明烏の情報を手に入れたのだ。酔っ払いの情報ほど取り扱いが面倒くさいものはない。ちなみに俺は嗜む程度しか飲まなかった。果実酒の瓶を三本ほど。なぜなら違法じゃないから。
そんな酔っ払いの俺たちは……いや、俺はすっかり酒が回ってぐでんぐでんになったヒルダを背負って自然公園に入り、森林地帯北西部へ向かっていた。
「……」
「おいヒルダさんよ。情報の続きを聞かせてくれたまえ。特別な道具もない丸腰の俺ら二人で明烏を二、三羽捕まえるマル秘テクニックとやらを」
「ん……とぉ~明烏の骨がぁー……」
「え? 骨? 骨がどうした?」
話の続きを求めたが、ヒルダは急に無言になって……いや、くぅくぅと吐息を吐きはじめた。
こいつ……寝やがった。
え? うそ……本当に寝たの?
こんな真夜中の森林地帯で?
見渡せど見渡せど周囲には俺とヒルダしかいないから体面的にはいいのかもしれないが、背中に女を背負ったままでなにを捕まえろっていうんだ?
「お……?」
真っ暗な森林地帯に休憩所のようなものがあった。木造の小屋で、中には座れる場所もあるようだ。
「よかった。ようやくこのバカから解放される」
中に入ってベンチにヒルダを横たえる。感知して発動する魔法がかけられていたようで、自動的に燭台に火が灯された。休憩所の中には汚い網と麻袋とロープが無造作に放置されている。
「……さて、どうするか」
森林地帯北西部まではまだ距離がある。ヒルダが起きるのを待っては日が明けてしまいそうだし、かといってヒルダを背負ったままではなにもできない。ここにヒルダを置いていくことはもってのほかだ。
さすがに婦女子を真夜中の森林に置いていくのは人としてダメだ。
「おい、ヒルダ。夜だぞ、起きろ」
ベンチに横たわって寝ているヒルダの頬をぺちぺち叩くが起きる気配はない。
「ん、んん……」とヒルダの妙に色気のある寝息。
今まで意識していなかったが、存外、ヒルダの容姿は整っている。根拠はないが、可愛らしい。女性として隣にいてほしいと思えるような雰囲気。なんというか、全体的なバランスがいい。くそっ、詳細に説明できる語彙力が欲しい……!
……まあ、性格というか気性というか、そういうのを丸ごと盲点に据えて見えないふりをしていればの話だが。
うん。この性格はない。自分の股間を蹴り上げる恋人とか一部の中の一部にしか需要はないだろう。
閑話休題。
「明烏狩りをどうするか……。そもそもどんな見た目の烏なのかも知らないしなあ……」
平均的な体長も知らないし、予備知識が少なすぎる。なぜアオネコ店長はなにも教えてくれないのか。
面倒くさいな……なんでこんな仕事やらされてるんだ。騎士でも騎士候補生でもない俺は木剣しか持つ資格がない。しかし木剣を佩くのはオノボリの象徴。街にそんな奴がいたら嘲笑されて終わりだ。
「はやく受験料を貯めないと……」
ヒルダも五〇万ヤン貯めないと実家に帰れないんだったか。寮生活はキツいだろうな……魔法騎士の寮生活時代は男色こじらせた奴がひと悶着起こしてたな。無断外泊で一週間停学になったやつもいた。女なのに男色をこじらせていた奴もいた。あれはなんでだ?
まあ、それはそれとして、明烏がここまで狩られに来てはくれないものか。
「明烏……ぶっとばしてぇ……」
「んん……ごはんがおいしい……」
ヒルダの呟き。そんなベタベタな寝言を言うとは。お前はほとんど酒しか飲んでなかっただろうが。
「カア」
ほら、烏まで呆れたように鳴いている。
「え?」
不意打ちをくらって声のしたほうを見ると、出入り口のすぐ前に烏が立っていた。
漆黒の翼を生やした、両手で抱えられる程度の烏が。
「もしかして……明烏さん?」
「カア」
「……」
これはアレだな。とりあえず捕まえよう。
「っとぅ!」
「ガアアア!」
黒い烏は反射的に羽ばたき飛んだ。その瞬間、ピカッと青白く光る。こんな烏は帝国にはそうそういないだろう。明烏さんで間違いない。
「くっそ……」
空飛ばれたらなんにもできねぇよ!
俺はイチかバチかで呪文を唱え、魔術の執行を試みる。
「捕縛の舞、ハーヴス!」
俺の手から半透明な魔力でできた腕が飛び出て明烏に掴みかかる。しかし、
「あー、くそっ!」
その腕は蒸発するように消えていった。俺の魔法力ってば。
そのまま明烏はピカピカ明滅しながら樹上高くの梢に飛んでいってしまった。
「光ってるから丸わかりだけど……!」
手が届かない。
俺には、あの樹上に手をかける魔法力はない。木を登ってもいいのだが、おそらく登っている途中で明烏は逃げるだろう。実際に明烏は北西側にピカピカ光って消えていった。
「ちっくしょー……」
諦めて俺はヒルダの眠っている休憩所に戻ることにした。
休憩所では特に誰かが訪ねてくるとかいうイベントはなく、ヒルダがひとり静かに寝息をたてて眠っていた。
上着を脱いで毛布替わりにヒルダにかけてやる。風邪を引いたらなにかイチャモンつけられそうだし。
「幸せそうだなこいつ……」
でも、ヒルダも才能を見限られてここにいるんだよな……。そんなこんなで今は建築家の製図用定規を造るために光る烏を追いかけている。
「それで建築家が設計図書くのはいいけど、俺の人生の設計図はどこで書き間違えたんだろうな……」
俺は休憩所のもう片方のベンチに紙を広げ、インクとペンを持つ。
記憶が新しい今のうちに明烏の特徴を絵にして描いておこう。骨格が直線的でバサバサと翼を羽ばたか
せていたあの明烏を。
「ついでにこの酔っ払いの寝顔も写生してやろう」
それくらいの仕返しはしてもいいだろう。
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