第二章22 除草パーティ
雨が滂沱と流れ落ちる。ずっとずっと降り続けていたように、当たり前のように、永遠のように降り頻る。俺の心中に流れる涙さえも一緒に流し落としてくれたならいいのに。
「雨が止まない……」
「言うとる場合かえ? ケン、このままじゃ鋼竜の退化形態は……」
「分かってます。助けないと、助けないと、助けないと……そうだ、召喚札……はアズさんに返したんだった。くそ、俺じゃどうにも……でも、なんとかしないと」
「諦めんのじゃな」
意外そうな先輩の声。しかしその声音は重たく低いままだった。
「当たり前です。ルビーは俺の――異世界画材店未来堂のアイドルですから」
なにか解決策はあるはずだ。なにか上手くやる方法はあるはずだ。考えろ、考えろ、考えろ、考えろ……! 今の俺にできること!
【雨が止めねえなぁ。おい、病気も撒き散らしてねえのにケンシローってば病気かよ】
俺の心情も考えずに能天気なことを言いたいだけ言うナギ。うざい。
「うるせえ、考えさせろ。俺は――」
こんな時くらい静かにしろ――
【賭けに乗らねえかぁ? ケンシロー・ハチオージ。ちょいとした案があるんだ】
「……か、賭け?」
【ああ。オレサマぁ、ここで樹竜のエサになるのは勘弁だ。だからなんとしてでも脱出したい。そこでオレサマの魔法を遣うって寸法だ! ひゃあはは!】
なにが面白いのか、愉快そうにナギは言う。しかし樹だか竜だか分からないやつのエサになって終わりたくないのは同意である。
「その話、詳しく頼む」
【ひゃはは、簡単さ。――樹竜、つまり樹海を病気にしちまえばいい。除草パーティだ】
病気? パーティ?
「即効性のある病気をかけるのか? この樹海全体に? 俺たちまで病気になるんじゃないか? その病気って罹ると変な偏見を受けたりしないか?」
【別に性病撒き散らしたりなんかしねえよ! 植物にしか効かねえ病気さ。お前さんたちは病気の瘴気に触れてもぴんぴんだ。除草だよ除草】
「……本当だろうな?」
【本当さぁ! いつものようにオレサマを信じろ! ひゃはあ!】
俺が胡乱な視線を投げかけていると、憤慨したような声音で不平不満を訴えてくる。いつものようにだと? いつもっていつだよ。
【だいたい、お前さんたちはその病気でも平気だったろ? あれを超強力にするんだ】
「その病気……?」
「なるほど。アレスの里に撒き散らしていた病気というのは、植物にしか効かないモノじゃったか。それでフィールもわらわもぴんぴんと……」
そういうことだったか。納得した。だから閉じた里の中で俺たちは病気にならなかったんだ。閉じているということは病魔も完全に消えていないということなのに。
閉じた里に充満する独特の不快な深緑の精気はその残滓のひとつ……か?
「まあいい。やってみてくれ! ここらで一丁派手に」
【ひゃはは! 賭けに乗ったな? これがダメなら竜の嬢ちゃんは諦めてオレサマと一緒に風魔法でここから飛んで避難するこったぁ!】
「はあ!? ちょっ……それは聞いてな――」
【行くぜぇ! 風の大魔剣様、ナギ様の一世一代の植物殺しの大魔法! 騒げ! 踊れ! 狂い咲け! ――――レッツ、除草パーリー! ひゃははははははあ!】
「うおっ……」
次の瞬間、ナギの刀身から竜巻の如く強風が吹き出て樹海の落ち葉を巻き上げていく。
つーか、こいつは俺が柄を握っているだけで魔法を遣いやがった。刃を触らないとダメじゃなかったのかよ。今まで騙してやがったな、フィールたち同様に。
ナギが放つ疾風のその香りは植物を殺すのには最適だと思うしかないほど――――臭い。
「くっさ! ナギ、お前くっさ!」
「うぐ……これは確かに酷い臭いじゃ」
【ひゃはははははははははははははははははははははははははははははははははははは!】
ナギは俺たちの言葉を聞かずに哄笑を上げて病魔――ひいては除草薬を散布する。一陣の風が二陣も三陣もお祭り騒ぎのように吹き抜けていき、そして――
ゴォォォォォォォォォォォオオオオオオ!
とてつもなく盛大な轟音が鳴り響き、俺たちの周囲を大地もなにもかも貫いて溢れ出た噴魔が立ち昇る。草木は即座に枯れなくとも、これは確実に効いている。
「――――」
俺はなにか叫んだ気がしたが、噴魔の音と樹竜の叫びにかき消されて無音と同化した。
『ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!』
絶命さながらの声のする方向、神樹・アレスのあった方角だ。
俺と先輩は顔を目で会話してそこへ向かってひた走る。
早く行かなければ。ルビーを救い出さなければ。
【ひゃはははははははははははははははははははははははははははははははははははは!】
『ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!』
【ひゃはははははははははははははははははははははははははははははははははははは!】
『ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!』
ナギの哄笑と樹竜の呻き声。気味の悪い両方の声で耳が潰れそうだった。本当に喧しい狂乱の除草パーティだな……!
走り抜け、走り抜け、走り抜け、生け垣のように草木の生い茂った場所を抜けると神樹・アレスの根元に辿り着く。
「ルビぃぃぃー!」
『ケンシロー!』
俺が咽を嗄らす勢いで名前を呼ぶと、白銀の髪を揺らす少女、ルビー・メタル・シルバーは返事をした。神樹のすぐ下に居たのだ。木製のチェアに座りながら。思わず俺は立ち止まる。対面で灰桜髪のバウム=バウムも平気な顔でチェアに座って茶を飲んでいるのだ。
「…………ルビー? なにしてんの?」
『見て分からぬかえ? 拷問でありんす』
ご、拷問ですか? 見るところルビーは縛りつけられてそこに座っているようには見えないのだが。
『静かにここに座っていないとケンシロー君を殺すって脅したんだよ。この樹海は僕のおなかの中みたいなものだからね。まあ、それも拷問の一種かもね。いやぁ、僕も悪い男になったなあ。一緒にお茶したかっただけなんだけれどなぁ。どうしてだれも僕のお茶を飲んでくれないんだろう』
人質に取られていたのは俺たちも同じだったのか。
「ナギの病気は効かなかったのか……?」
【ひゃあ!? お、オレサマは本気でやったんだぜぇ……?】
『聞いたし、効いたよ。通称・除草パーティでしょ? とてつもなく効いた。思わず苦しくて叫んじゃったよ。僕はもっと静かなパーティが好きでさ、大きな声出したら喉が乾いちゃってね。あ、君たちも飲む? 僕のブレンドした特製のお茶さ』
「飲まねえよ。絶対毒とか入ってるだろ」
『心外だね。毒なんて入ってないよ。妊娠はするかもしれないけれど』
「やっぱり飲めるか! いいからルビーを解放しろ!」
捉えようによっては最低最悪最恐の毒物だ。しかも俺、男だし。
『大丈夫。男性でも妊娠できる魔法の茶葉さ。さあ、一気にぐいっと』
「だから飲まねえっつの! 俺の話聞けよ!」
「ケン、あまり樹竜と会話を交わすな。あの戯けのペースに乗せられ、心も体も取り込まれる」
先輩が俺の肩に手をやり、落ち着かせようとする。なるほど。こうやって相手のペースを乱す魂胆か。危ない。たしかにこれでは思うツボだ。
俺が鼻息荒くバウム=バウムを睨んでいると、彼はふっと冷笑して俺に微笑む。
――その笑顔すら気味が悪い。
『面白いね。そのツッコミスキル。ちょっとケンシロー君に興味が出ちゃったなあ。お話がしたいなあ』
「んだよ。お前と話すことなんか、ない」
今まさにこの瞬間にも、大地から噴魔する音が遠くで鳴り響いているのだ。あんまり帰りが遅いとララたちに心配かけてしまう。
『じゃあ、交換しよう。ここにいる鋼竜とケンシロー君を交換だ。鋼竜とハーフエルフの二人には……それと魔剣・ナギにも少しの間退出してもらおうかなあ。自主的に退出してくれなきゃあ、僕も少し乱暴なことをしなくちゃいけなくなるなあ。いやだなあ、弱い者いじめは気乗りしないや。嫌いじゃないけど』
バウム=バウムがなにを考えているのか分からない。分からないが、それでルビーが解放されるのなら、
「いいだろう。お話に付き合ってやるさ。バウム=バウム。お前のそのコミュニケーション能力じゃあ、社会でやっていけないって教えてやる」
『ふふふ、二千年の歳月を生きる僕に社会の適合力を解くなんて、やっぱり君は面白い。茶話会が弾みそうでなによりだよ』
俺は渋い顔のルビーが空けたバウム=バウムの椅子に座る。
「ほら、座ってやったぞ。なんの話がしたいんだ?」
『腕を千切っちゃって悪かったね。そうだなぁ、政治・宗教・病気の話がしたいかな』
「一番荒れる奴だ……しかも謝り方、軽い……」
この灰桜髪の男の子・樹竜、またの名をバウム=バウム。何を考えているのか察するだけで吐き気のもよおしそうな悍ましい雰囲気。あまり長居はしたくないが……。
「樹竜。わらわはまだうんとは言っておらんのじゃぞ。その細首を掻っ切るのがわらわの仕事じゃからなぁ!」
殺意をなみなみと漲らせた先輩は俺に手渡された魔剣・ナギの切っ先を樹竜に向けながら吼える。
『うるさいよ。ハーフエルフの再生医、フォルテ・シロフォン・クラシックちゃん。人がせっかく超ぐるーびーな名前を名乗っているのに全然定着しないじゃないか。これは営業妨害に他ならないよ。ひどいよ。正義の味方、宮廷騎士団に訴えるよ?』
いや、宮廷騎士団そこにいるだろ。
「ふざけるでない樹竜。わらわは貴公の首を取るために宮廷から馳せ参じて……」
『いい加減にしてよ。半魔の分際で。僕だって怒るんだよ? 僕はケンシロー君と話がしたいんだ。だから早く――ここから出ていってよ』
どろりと粘つく殺意が辺り一面に広がった。粘液の洪水のような殺意が俺たちを溺死させようとしてくる。
「――――――――っ!? はぁっ! はぁっ!」
その殺意にあてられたのか、先輩は膝をついて呼吸を荒げる。
『ケンシロー、危なくなったらいつでも叫ぶなんし。余は汝の声の聞こえるところにいるでありんす』
ルビーはモノ分かり良くこの場を去ろうとする。……というよりも、樹竜の恐ろしさでも知っているのか。
『ほら、行くでありんすよ。半魔のおなご。こちらはこちらで作戦会議なんし』
「この、ハーフエルフを半魔などと……。しかしじゃな……」
ルビーは先輩の手を引いて歩きだし、捨て台詞のように放つ。
『樹竜、余のケンシローに余計な真似をしてみろ。枝先から根元まで汝の全てを凍りつかせてやるでありんす』
ぎらりと紅い目を赫赫に滾らせて、ルビーは威嚇する。
『ふふ、それは怖いね。震えて風邪を引いてしまいそうだよ』
バウム=バウムは無感情に笑う。それはなんとも病気のそれだった。
噴魔のパーティはそろそろ序奏を過ぎただろうか。
第二章22話です。さっきに続けての投稿です。
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