第二章20 約束
漆黒の騎士・フィールは語る。
「神樹・アレスは樹に擬態した竜だよ。……いや、樹そのもので合っているかな。いや、違う。樹海そのものが竜なのさ。鋼竜が氷を司る鋼の竜とするならば、この樹海の竜は魔力を司る樹の竜さ。ハーフエルフの姫巫女であるフォルテ先輩の方が詳しいのだけれど、君に鋼竜を討つ使命が下ったように、樹竜を討つのが先輩の使命だよ」
樹竜だと? そんな竜など初めて聞いた。
俺は隣にいる銀髪の少女を見ると、彼女は気まずそうに紅玉の瞳を陰らせていた。
『余も弱くなり過ぎたか。あの汚物に気づかぬとは……』
鋼竜の残りカス状態であるルビーも今まで神樹・アレスひいてはアレス樹海を竜だと気づいていなかった様子。しかし樹竜のことは知っているみたいだ。しかもどうやら仲良くないはようで汚物と呼ぶ悪態の吐き方。
「嫌いなのか? ルビー」
『別に嫌いではないでありんす。ただ、やつのことを気高き鋼の余は汚物としか思っていないでありんす』
「嫌いじゃなくて大嫌いってやつじゃん……なんかかわいそうだな」
「あながち、嫌われて当然かもしれないよ。樹竜は歴史の節目ごとに各所で自然現象である噴魔を意図的に起こしてきた。その度に周囲の里の民から自然物や魔獣の類まで死に至らしめきた。僕ならそんな生き物、口を利かなくても嫌いになるかもしれないね」
逆説的に言うと、歴史の節目を作ってきたとも言えるな。
【ひゃはは! 口を利かなくても嫌いって! まるでオレサマには嫌われる要素しかないってかぁ!?】
そりゃそうだろ。こいつの性格、俺、キライ。
「……歴史の節目ごとにって最近だといつだ?」
「ヴィクトリア帝国の建国以前かな。樹竜の噴魔によってドーツ王国とその周辺諸国は甚大な被害を被って国力が減退し、ヴィクトリー聖国に併呑されたのさ。アレスの里が出来たのはその後だったはず。……たしか学校の座学授業で聞いたはずだけれど?」
「あ、そう……あー聞いた。超聞いた。すげえ鮮明にあの時のことが――」
「お勉強が全く身についていないわね。つまり樹竜は太古の昔に火山跡地だったこの地に降りたって樹海を成したってことね。ばーか」
「うるせえ。そ、それより、さっきの話が本当なら神樹に先輩がいるんじゃないか? よし、行こう。今すぐ行こう。飛んで行こう」
「待って」
俺の握り固めた決意がララによって引き止められた。
「もうどこもかしこも噴魔だらけなのよ? 下手に動くのは危険すぎるわ。その上、噴魔の原因である樹竜がいる場所まで行くとか死にたいの? いや、ここも樹竜の『上』なんでしょうけど」
「う……しかし、先輩がいるみたいだし……」
「私は魔力が尽きて今ここでは足手まといな存在なの。あんたの盾になって死ぬことしかできないわ。そんな私から言わせてもらうと、ケンシローも十分……」
『まあまあ、ララ。よいではないか。ケンシローには余がついていく。ララはフィールと共に避難するでありんす』
ララを制したのはルビー。彼女が俺について神樹まで行ってくれるらしい。
「危険なのはルビーも同じでしょう!?」
『大丈夫でありんす。あの汚物に一言もの申してくるだけでありんす。そうしたらケンシローを色仕掛けで樹海の外まで誘い出すでありんす』
「お前の色仕掛けなんて効かね――」
ベシッといつものやつをいただき、額をおさえて四人で話を進める。
「本当に行くつもりなのかい? 僕は強くは止めないよ」
「たとえお前に強く止められても構わねえ。俺は先輩のところへ行く」
「行ってどうするの? ケンシローはあの口の悪いハーフエルフになにをしたいの?」
ララの質問で俺以外の三人の視線が集まる。俺にちゃんとした意義のある回答を要求している視線だった。だが、
「悪いけど意義のある返事はできない。俺はただシロフォン先輩に、あの人に死なれて欲しくないだけだ。どんなに悪態吐こうがあの人は死を願われるほど魅力のない人じゃない」
少なくとも、俺の中ではだが。
それを聞いて、ララは呆れたように顔を手で隠し、ルビーは白けた顔で尻尾をうねらせ、フィールは薄い笑みを浮かべて汗の引いた自分の黒髪を爽やかに撫でつけた。
「仕方ないわね。行ってきたら?」
『かわいそうに。お供するでありんすよ』
「二度目だけれど、僕は強くは止めないよ」
三人とも承諾してくれたみたいで、俺は神樹・アレス――いや、先輩の元へ馳せ参じることとなった。
「よっしゃあ、ルビー! 俺がやばい時は知恵関係のサポートを頼んだ! ララ! ちゃんと避難して待ってろよ! フィール! ……お前はなんか、大けがでもしてろ」
「僕だけ扱いが酷いけれど死を願わない所にケンシロー君らしさが出ているね。――じゃあ、さっそく避難を開始しようか。ララさん」
「ええ。ここから走ってなんとかローゼのところまで……体力続くかしら」
ララを剣に変身させて持ち歩くという方法もあったが、肝心要の魔力がララに残っていないのでそれは不可能。ララには荒れた樹海を走ってローゼのところまでたどり着いてもらうしかない。ここが完全な魔境になる前に俺たちもララ達も逃げ切らなければ。
――と、そんなときにフィールが空を仰いで指笛を吹く。
「おい、フィール。そんな呑気に鷹匠ごっこなんて……」
「嫌だなぁ、違うよ。飛竜を呼んでいるのさ。宮廷騎士の遠征には不可欠だからね」
「なんだ、飛竜か。……チッ、勝ち組の特権だな」
「ふふ、否定はしないよ」
「おい、今の言い方すっげえムカつくなぁ! 妬み嫉みを浴びるような言い方しやがって! あぁん? こっちにはなあ、鋼竜サマっていう超~殺意高いドラゴンがついてんだかんな!?」
「ケンシロー」
俺が一方的にフィールへ嫉妬を覚え喧嘩を売りつけようとしていると、ララに割って入られ俺の溢れるルサンチマンが一旦内側へ引っ込む。
「必ず戻ってくるのよ。大規模噴魔が起きる前にね?」
「分かってる。先輩連れて必ずな」
「それと……」
ララは恥ずかしそうに頬を赤らめて、俺の右肩に手をやって近づき、耳元で囁いた。
「ちゃんと戻ってきたら……ご褒美、あげるから。なにが欲しいか考えておいて」
「なにって……なんでもいいのか?」
「うん。――――い、いやらしいのはダメよ!? そういうのは段階を踏んで……」
亜麻色の髪の女の子は綺麗なはしばみ色の瞳を揺らして動揺する。俺はそこまでの鬼畜生じゃないんだが……。
とにかく、
「考えとく。ちゃんと戻るからな」
俺がしっかり笑ってそう伝えると、ララもしっかり笑い返してくれる。
「うん。約束、だからね」
男、ケンシロー・ハチオージ。やるしかないときはやる男だ。
すると不意にバサバサと翼をはためかせる音が聞こえ、二、三人が縦に並んで乗れるようなサイズの黒い飛竜が降りてくる。ぐぬぬ。羨ましい……。
そしてフィールは飛竜に飛び乗り、後ろにララを乗せる。
「ケンシロー君、リベンジはまた今度しよう。ナギを貸すよ」
【ひゃはあ!? オレサマまだ仕事あんのか!?】
「ハッ、真っ黒い斬撃に追いかけられるなんてもう二度とごめんだね。さっさと行け」
魔剣・ナギを受け取り、しっしっと俺が手でフィールを鬱陶しげにしていると、御主人様を馬鹿にされたと思ったのか飛竜が少しだけ怒って吠えた。
そして本当に、一時的な別れの時が来る。
「ケンシロー」
「ララ」
「いってらっしゃい」
俺とララの声が重なり、少し気恥ずかしく、そして誇らしくもありなんとも言えない感慨があった。
飛竜はもう一度大きな翼で中空まで上がり、飛行をはじめ、アレス樹海の外を目指して小さくなっていく。
噴魔で虚ろに空いた空からは雨季らしい弱雨が降り注ぎ始めた。
『――さて、ケンシロー。余を背負ってあの汚物に向かって走るなんし』
「樹に向かって汚物って呼ぶのやめてやれよ。話したことないけど可哀想すぎるだろ」
『やつは汚物でよいのでありんす。なにせ汚物のような思考をしているでありんすからな』
可哀想。やっぱり樹竜とやらが可哀想に思えてきた。こんなに噴魔を引き起こして混乱を呼び起こしている輩のくせに俺に同情を買わせるとは。
俺はそれでも樹竜より先輩の味方だ。ルビーを背中に背負って、かの地に向かって走り出す。ほんの数歩後ろで噴魔が起こり、いよいよ事態も窮境。果ては魔境と言ったところだろうか。弛んだ神経が再び引き締まる。
そこでルビーが一言。
『ケンシロー・ハチオージという男は、つくづく女の為に凶悪な竜と対峙する男なのでありんすなあ』
うむうむ。あながち間違っていないから、この騒動が終わったら戒めにルビーの頬をあとが残らないように優しくつねってやろう。
「こういうところが、騎士に不向きなのかもなぁ……」
粗積りだが、俺はこと舌戦に於いて、善戦はするが全敗している気がするのだ。
そして次の大舌戦が始まるのだろう。
それは俺が不得手で、つまり無理筋な戦いだ。
第二章20話です。今章の竜は樹竜です。「いつき」と読みます。
樹竜本人ももうすぐ登場させられます。どうぞこれからもよろしくお願いいたします。
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