第二章13 無理を通すための戦い
無理を通してでも、押し通したいわがままというものもある。
無理やりに見えても、成し遂げなければならないこともある。
俺は騎士に成ろうという無理を通そうとした。
ララは画家に成ろうという無理を通そうとした。
ならば悪罵という病気に罹患している先輩は、一体なんのために無理を押し通そうとしている?
※※※※
わたくしの仕事はアレスの民です。
わたくしの全てはアレスの里です。
わたくしはアレスの為に、アレスはアレスの為に。
わたくしのものはアレスの里のもの。アレスの里のものはアレスの神のもの。
わたくしにとって生きるとはアレスの神のために動くのと同義でありまして、
わたくしにとっての本懐とはアレスの里が未来永劫続くことでありまして、
わたくしはもっとアレス族を、アレスの里を良くしたいのです。
永遠に根を下ろすように、アレスの里を良い状態にしておきたいのです。
――アレスの神がそれを望んでおられるからなのです。
神樹・アレスが咲き誇るのはわたくしたちへの天啓なのです。
――『アレスに全てを捧げ、子を成して死ね』という、お役目なのです。
しかし、わたくしはたまに疼痛を覚えます。それはきっとアレスが――――
※※※※
***
濃厚で、少し不愉快に感じるほどの深緑で濃厚なアレスの精気が俺の鼻腔に入って来る。
「アレスを捨てる……ですか?」
ローゼはフィールを連れて戻ってきた俺と先輩――特に先輩から乱暴な案を提出される。
「そうじゃ。それが一番手っ取り早い解決策じゃ。貴公らも外の世界を見られる絶好の機会じゃな。よし、いますぐ出発の支度を始めろ」
「そ……そんな簡単に言わないでください! ……故郷を捨てるなんてこと、か、簡単に言わないでください……! それにわたくしにはここでのお役目が……」
先輩の出した乱暴な案をローゼは強く拒絶する。
「かっはっは! 貴公一人の意見では軽すぎて十分な反対材料にはなりえんな」
「わたくしたちアレスにそんな無理が通るわけないじゃないですか!」
「かっはっは! 無理を通さねば自分の欲求など満たせんじゃろうが、苔女」
ローゼが懸命に抵抗しても、威圧的かつ高圧的な先輩の言葉は変わらない。無理やりなことを言ってまかり通そうとしている。
「私は反対よ、フォルテ。土地を捨てる判断なんてそんな簡単にしちゃいけないわ。……それに、あんたたちがフィールを探している間にいくつか案を出してみたの。それを試してからまた考え直した方がいいわ」
『そうでありんす。土地を捨てるという判断は最後に打つ手でありんす。百数人を大移動させるより、触れた時だけ、気分で病魔を撒き散らすあの魔剣を駆除したほうが手っ取り早いというものではないかえ?』
ララとルビーはアレスと捨てることに反対の模様。それを聞いてローゼの顔がパッと明るくなり、次に俺の顔を見る。
「俺も里を捨てるのは最後の手段くらいにした方が……」
先ほど外で半泣きの先輩が俺に言った内容は伏せる。伏せるというか、話していいものか分からなかった。先輩の口から言わないのであれば、それは言わない方が賢明なのかもしれない。俺より先輩の方が努力をして何千倍も賢くなったのだから。
「ふん」
里を捨てて外に避難するべきだというシロフォン先輩。
里を捨てるのは本当にどうにもならなかった場合にするべきだというローゼ、ララ、ルビー、そして俺・ケンシロー。
四対一。また先輩は数の多さでは不利になった。俺たちに与えた最初の印象が印象なだけに、先輩の意見に同意するのは難しい雰囲気になっている。
「僕はアレスの里を離れるべきだと思うかな」
そこで先輩に賛成意見を出したのは後輩であり上司でもあるフィールだった。
「あの魔剣は厄介だよ。たった一ヶ月で里の七割の人間を病魔に至らしめるだけの力がある。良策を講じるためにここに滞在し続けて、排除に失敗し、手抜かりで病魔を撒き散らされてごらんよ。墓荒らしが墓の肥やしになるだけさ」
「し、しかしですね! フィール様、ナギが病魔を撒き散らすのは条件があります! 刀身に触れなければいいだけです! ナギの件については一族の長から一任されて意志も確認しています! 細心の注意を払ってわたくしたちで試行錯誤を重ねれば……」
なんとか違う選択ができないものかとフィールと先輩の宮廷騎士側を説得しようとするローゼ。意志を確認しているなら、ここで里を捨てる決断をしても、それを里の民に呑み込ませるのというのも難しそうだ。
『一ヶ月?』
ぽつりと確認するようにルビーが呟いた。全員の視線が彼女に集まる。
『フィール、たった一ヵ月で~と言ったでありんすな? ということは一ヶ月前まであのうるさい魔剣は病魔を撒き散らしていなかったでありんすか? その情報はどこで得た?』
「……」
少しの間だけ無言になるフィール。急所を突かれてもフィールは顔色ひとつ変えない。だから今、急所を突かれているかは分からない。
「知ったのはさっきさ。村の民に聞いたのだよ。錆びなかっただけの今までとは打って変わって一ヶ月前にいきなり病魔を撒き散らし始めたって――」
「それは違います! あの魔剣は、一ヶ月前にあの祠に何者かによって持ち込まれ、病魔を撒き散らし始めたんです! 刀身を錆びさせて折るという案も実行しましたが、少しも錆びなかったのです!」
「…………」
フィールは顔色を変えない。しかし今、少しだけ彼を取り巻く空気が変わった。
「フィール、確認なんだが……その情報をくれた里の民っていうのになんとかして会わせてくれないか?」
「それは……できないね」
俺と目を合わせようとせず、フィールは虚空を眺める。まるでそこに伝えるべき真実でもあるかのように。
『それではフィール。汝の意見に説得力はないものと考えよ』
ルビーが尻尾をうねらせながら、冷たい表情でフィールを睨む。
「かっは!」
険悪的な雰囲気を破ったのは先輩の湿った笑い声。
「かっはっはっはっは! フィール! 貴公は本当に愚物じゃのう! 強く、美しく、賢しく、そして愚かじゃ! 嘘と無理を通すにはまだまだ半人前じゃのう! もうよい、本当のことを言うてやれ!」
「副長。おやめください。我々の仕事が水泡に帰します」
「本当のこと……? なんだよ、それ。お前らいったい何を隠してる!」
俺が立ち上がってフィールに詰め寄ろうとすると、鞘に入れられたままの剣を先輩は俺に突きつけてきた。
「……なんですか」
「室長を護るのもわらわの仕事じゃ」
……へえ。
「昨日の続き、しようってことですか? シロフォン先輩。もう次は勝ちますよ。勝ったら……分かってますよね?」
「昨日の再生、と言い直せ凡愚。歴史は繰り返されると言うしのう。まあ、わらわが負けたら昨日のことは謝ってやってもよいんじゃがな」
「ケンシロー。やるっていうなら手伝うわよ。私が剣になれば、昨日の焼き直しなんかにはならないから」
ララが俺の後ろに立ち、参戦を表明する。ララにも晴らしておきたい恨みがあるのだ。
「かっはっはっは! よい、よい、よい! よかろうて半端者共、二人だか三人だかまとめてかかって来るがよい! わらわが焼き直してやろう!」
「お待ちください、副長」
血気盛んに気分を昂揚させる先輩を制したのはフィールだった。しかし、
「あなたは先ほどの治療で魔力を大幅に消費しています。ここは僕が出ましょう。今は魔力の回復を待ってください」
喧嘩そのものを無しにするつもりはないらしく、戦うのは自分だと立候補してきた。
「ケンシロー君、謝れとは言えないが、引くなら今だと思うよ?」
「嘘がバレたのが運の尽きだったな、フィール。なに隠してるか知らねえが、隠してるのがバレバレだぜ」
俺とフィールの視線が交錯し、そして場の空気が加熱されていく。
「拓けたところに出よう。そうだ、あの瀑布の前で剣を交え、お互いに理解を深め合おうじゃないか」
「いいぜ、フィール。俺が勝ったら洗いざらい吐け」
「分かったよ、ケンシロー君。僕が勝ったらアレスの民には里を出てもらう」
もう一度、俺とフィールは視線をぶつけ合い、お互いの意志を確認した。
***
場所を移して瀑布の前。
剣に変身したララを握る俺と、自らの漆黒の剣をいつでも抜剣出来るように構えるフィールが相対している。
決闘の空気を読むこともできるらしく、祠にいるだろうナギは静かなものだった。
ルビーはこの戦いに参加しない。彼女曰く、『ララが出るなら自分が出るのは結果がどうあれ俺が納得できない』とのことだそうだ。鋼竜の残りカスである彼女はそもそも戦闘向きではない。
しずかにフィールは抜剣し、漆黒の刀身を持つ彼の愛剣が顔を出す。
「始めよう、ケンシロー君。これは無理を通すための戦いだ」
第二章13話です。ここから少しだけ仕事の内容が変わってきます。
仕事の内容が突然変わるのはよくあることですよね……。
そんな第二章の分岐点です。よろしくお願いします。