第二章12 耳元
「いってぇぇえええええええええええ!」
「かっはっは! こら、子どもでもないのに抵抗するな! 貴公はわらわの再生魔法で散々痛めつけられて、治され慣れているはずじゃろうが!」
「痛い! 痛い! もう嫌だ! 俺を殺して俺も死ぬぅうううう!」
「騒がないでようるさいわねえ! さっさと治して作戦を練り直すわよ!」
場所は俺が起きた客人用の大部屋に戻る。時間が巻き戻ったわけではなく、脱臼した肩を治してもらうために一旦、里まで戻って先輩に処方を受けているのだ。
俺だってこの歳で治療に泣き喚きたくはない。先輩に抱き締められて豊満な胸を押し当てられながら治療を受けて、神経に直接ダメージを与えられるような副作用と突き刺さる冷めた視線がただ刹那的に俺を泣きたくさせるのだ。俺は悪くない。世界が悪い。あと仕事が悪い。仕事のせいだ。仕事のあんちくしょうめ!
『確かに引き抜けない、折れない、錆びないという話は本当でありんした。あれを駆除するのは厄介なんし』
「ええ。見たところ露出していた刀身も錆びていなかったし、刺さった時からあの状態を保っていると思われるわ」
「そうなんです! ……それで、打開策は浮かびそうですか?」
『ふむ。砥石で削るという案を余は考えていたでありんす。なにせ余の鱗は鋼でできているでありんすから、一片だけ剥がして使ってみるなんし』
「それはありかもしれないわね! あと、魔法を遣って超高熱で溶かすとか!」
「なるほど! お二人の力ならできるかもしれません!」
「お前ら、俺がこんなに痛がってんのに、よく平気で話進められるよな! フィールに至ってはどっかに行っちゃったし! いててててて! 先輩! もう治ってるでしょ!? 無意味に関節極めないでください!」
傍若無人極まる先輩に後輩としての弱みを抱えたまま抵抗するが、また背面から抱きつかれてしまう。そして耳元で、
「妙案を教えてやるから静かにわらわと共にここを出よ」
と妖しく囁かれた。
「な……。なにを考えたんですか?」
思わず俺も小声になって聞き返す。
「返事は『はい』じゃ。従わぬなら貴公の耳の穴に息を吹きかけ、舌を挿入し、舐め回し、噛みつき、噛みちぎり、治すを繰り返すことになるんじゃが?」
「はい!」
精神的な死の予感がして俺は大きな声で即答した。
「俺が逆立ちしても頭脳と発想じゃ勝てない美男子であるフィールを探してくる」という真っ赤な嘘をついたら、遺憾ながら三人に納得されて、俺と先輩は不自然なく外に出ることに成功した。大変遺憾である。忖度という言葉を知らんのか。俺はよく知らない。
「――それで、妙案っていうのは」
「かっはっは! 飼い犬にエサをやるのは最後の褒美じゃ。それまでは腹芸でわらわを楽しませよ! そうじゃ、今のうちにここを探索しようじゃないか!」
「はぁ!? ちょっと!」
理不尽な先輩の振る舞いに戸惑いながら、俺は青い髪を揺らして走っていく彼女を追いかけた。久しぶりに先輩に振り回されて、俺の心はなぜか弾んでいた。
***
「かっはっは! 後輩を従えて逢引きとは気分が良い!」
「俺の気分は最悪ですよ」
先輩に無理やり手を繋ぐことを要求され、なんとなく嫌だったので右手ではなく左手を差し出し、結局手を繋いで指まで絡ませている。どうしてこうなった。
そして不自然なほど緑の精気に満ちたアレスの里を散策する。
そもそも俺はなぜ先輩と手を繋いでここら辺を探険しなければならないのか。
たしかに先輩はハーフエルフらしく美人で、隣に立たれれば多少は気も大きくなるが、今は仕事中の身だし、なんならそんなの関係なくとも俺は先輩に昨日の夜、精神的・肉体的にボコボコにされた人間である。
普通なら全速疾走で逃げて関係を断つレベル。うん、俺がおかしいな! 病気だぁ……。
「それにしても……この里はなにかおかしい……」
「気づいたようじゃな、ケン」
さっきから、アレスの里の人には会うのに、動物が全くいないのだ。
「この里は完全に外界と鎖されている。アレスの里のもの――もしくは人間ではないと辿り着けないようじゃ。動物――とくに害獣と呼ばれる熊も猪も、鼠すらほとんど見ない始末。かなりの引き篭り様じゃな」
「…………」
見渡せど見渡せど、アレスの里には蝶も鳥も飛んでおらず、完全にアレス樹海の中のアレスの里は、アレス族のための場所なのだ。
深緑色の精気が深く濃く、気分が悪くなりそうなほど里を満たし、外から雨が降ってきているはずなのに広場にあった湧水以外に水辺は無い。
――――なにより一番おかしいのは、光だ。
外は雨季で薄暗くなっているはずなのに、ここは蛍光色ではない自然の薄緑色の木漏れ日の光が、天を鎖している木々の枝葉から注がれてくる。
まるで世界の中でここだけが時間を忘れているみたいな、病的なまでに鎖された空間。
「木々は妙に静かだし、なんか慣れないせいか気分まで悪くなる……」
風が無いから静かというよりも、嵐の前の静けさのような違和感。なんというか、地鳴りのような音さえ聞こえる気がしてきた。
「かっはっは! 貴公は軟弱男にでもなったつもりか!? 学舎での硬派な落ちぶれっぷりを発揮してみい!」
「俺は別に硬派気取っていたつもりはないんですけど……」
落ちぶれていたのは認めるが。
先輩に言われて学舎でのことを思い出す。
フィールに演習で負けて恥をかき、先輩に悪罵されて心に負荷をかけ、他の学徒に陰でこそこそ言われてイライラし、時には実力行使を受けて、やり返して問題児扱い。教員にまで扱いづらい要らない子扱いを受けて陰でぐちぐち言われ……。
「俺、学生時代にロクな思い出ねえな……」
途端に悪かった気分がさらに悪くなる。
そんな最悪の気分の中で黄色い声が俺の耳に届く。
「あー! 青いおねえちゃんだー!」「みっけー!」
深緑の髪の小さい子どもたちが数人、先輩を指差して楽しそうに笑っていた。
「かっはっはー! かわいい子どもじゃのう! 食べちゃうぞ!」
「きゃー!」
先輩の分かり易い冗談に子どもたちが嬉しそうにはしゃぎまわる。
そして、子どもたちは協力して作り上げたのだろうか、一輪の花冠を取り出した。
「――ん?」
「青いおねえちゃん。皆の病気、治してくれてありがとう!」
子どもたちはそれだけ言うと照れたのか、先輩の頭に花冠を乗せて走り去っていった。
花冠を乗せられた先輩はというと、戸惑いと照れで頬を薄紅に染めてしばらく硬直していた。
「先輩、せんぱーい?」
「似合っておるか? ケン」
「な、なんすか。似合ってはいますよ? はい」
「はっきりせんやつじゃな! 貴公め!」
先輩は精一杯の力加減をして片方の手で俺をポカポカと叩く。しかし優しく俺を叩くその力もさらに弱まっていって、しだいに先輩は声を震わせる。
「わらわはな、こんなものを貰うために仕事をしているのではない」
花冠を手に取り、先輩は頭から外す。
「こんなものって、子どもたちが頑張って作ってくれた……」
「だからじゃよ。だからわらわは悔しいのじゃ。わらわは感謝されるようなことなど、ここでしたくはなかった……!」
指を絡ませたまま、先輩は俺の体に密着し、子どもがぐずるように、滲ませる程度の細い涙を流しはじめた。
泣かれた理由は正直よく分からなかったが、憎たらしく恐ろしい先輩には今でも泣く時があるのだと、俺は先輩に人間味のある温かみを感じた。
「人の病気を治しておいてそれはないですよ。それにほら、人は勝手に感謝をしてくる生き物じゃ――」
「もうよい、ケン。妙案を教える」
そう告げた先輩の涙はあっさり引いていた。どうやら先輩の考えを教えてくれるらしい。意外と教えてくれるのが早かったような気がする。ついでに手を離してくれた。
「ただしじゃ、聞いたら必ずそれを実行するんじゃ。よいな?」
「部下でもなんでもないのでその命令には従いかねますが、それでも聞いていいですか?」
「ふん、よかろう。魔法の使えぬ凡愚にも選択肢くらい与えてやろう」
相変わらずの悪態をつきながら、つま先立ちし、さらに先輩は首を伸ばし、俺の耳元に囁きかける。
「ここの民にアレスの里を捨てさせろ」
「は? いやいや――」
その選択肢はローゼが個人的に断っていたはずだ。
「この土地は、わらわの手によって滅ぼされることになる」
「……………………っ」
長い沈黙の末に俺が生唾を呑みこむ音が、先輩にまで届いた気がする。
第二章12話です。シロフォン先輩の真意やいかに――です。
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