第二章11 【ひゃはははは】
「びぇええええええええん!」
深緑色の髪の幼気な子どもが泣きじゃくり、ふらふらと逃げ惑う。
「かっはっは! 往生際の悪い小童じゃな! さっさとお縄につけ!」
嗜虐的に笑う青い髪の女性が逃げる子どもを児戯のように追いかける。女性が駆けると着ていた浴衣の裾がめくれ上がる。細く、綺麗な稜線を描いた美脚がのぞき、男心ながらにもう少し上までめくれないかとそわそわさせる。
「うわぁぁあああああん!」
そして子どもは捕まり、女性に抱き締められる。
「つーかまーえた!」
そして彼女の「再生」が始まる。
「ぎゃぁああああああ! 痛い! 痛い! 痛いぃいいいいいいいい!」
子どもは断末魔のような叫びをあげて彼女の拘束を外そうと暴れるが、体格の有利不利は明確で、俺にできることは両手を合わせて早く済むように祈るのみだった。
「さすがシロフォン先輩の再生魔法。体力の減退した子どもが必死に走っている」
「再生魔法の副作用で激痛が走るって、理に適っているような矛盾しているような変な感じね……。ママを悪罵されてムカついたけど、再生魔法の実力はあるみたい」
先輩は現在、魔剣の力によって病魔に侵された人々の治療中である。
彼女の再生魔法は強力で、欠損と呼ばれる負傷のほとんどは再生され、元通りになり、身体の内外の炎症・不調も健康状態に再生される。あの人に治せないものは、あの人がまだ研究段階にある新しい病気くらいだろう。たとえば、癌とか。しかしそれも遅かれ早かれ研究が追いつく。難点は口が悪くて体がひとつしかないところ。
「先輩、あんまり怖がらせるとあとで口きいてもらえなくなりますよ。子どもって良い意味でも悪い意味でも素直ですから」
「黙っていろ、凡愚風情がわらわに教授めいたものを垂れるな。知っておるわそれくらいじゃからやっておるのじゃ」
俺が厚意で助言したのに、先の喧嘩で何も反省しなかったようで悪態の調子はそのまま。
そもそも俺との喧嘩で負けなかった先輩が反省する動機がないんだよな……。
「副長、あとがつかえておりますので効率よくお願いいたします」
「当たり前じゃ黒ガキ。アレスの里の人口は百数人。そのうちの七割が病魔にやられている。わらわとて戯れに小童を追いかけまわしているのではないんじゃぞ」
「分かっておいでですか。失礼いたしました」
フィールは気に病んだ様子など見せず、というより先輩の悪罵など意にも介さないと言った様子で受け流し、広場を眺める。
「ここはわらわが担当する。じゃから貴公らでなすべきことをなして来い。突っ立っているだけじゃ大地の肥やしにもなれぬのじゃぞ。なぁに。こやつら、大病に至らないちょっとした熱病の一種じゃ。七十人程度なら二時間で捌ける」
「了解いたしました。僕たちで病魔を撒き散らしている風の魔剣と話をしてきます。少々お待ちください。――あと、いくら学生時代先輩だったからと言って、今は僕が上司です」
あ。今のフィール、少しイラッとしていた。
「ま、まあ……瀑布の裏の祠、だったか? 魔剣・ナギがいるっていうのは」
先輩がなにか言い返して不和が強まる前に俺は話を本筋に向けてローゼに話しかけた。
「はい。ナギが病魔を撒き散らすのは肌で刀身に触れた時だけです。刀身に触れず、柄を握れば安全ですのでご案内しますね!」
***
瀑布、つまりは滝のことだ。言い方を変えるだけでとてもかっこいい印象を抱くかもしれないが、滝のことである。
しかしその実、壮麗に水が流れ落ちる滝そのものも充分カッコよく、故郷の極東地方では信仰の対象になっていたりするので、滝がカッコいいのは必然だろう。名字にしてもカッコいい。くそ、自分の名字にすればよかった。
「昨日は悪かったな。見苦しいものを見せてしまって」
ローゼを先頭に俺、フィール、ララ、ルビーの五人で瀑布に向かって森林を歩いている途中、誰にともなく俺は謝る。
「――やめなさいよ。もっと皆に謝らなきゃいけない人間がいるはずでしょ。今ここにはいないけど」
皆が俺の発言の矛先を考えている少しの間にララが俺の謝罪を取り下げさせる。
「その件については僕がしっかり注意をするつもりだよ。先の勝負の勝敗はどうあれ、僕が謝るように指導する。先輩を指導というのも後ろめたいけどね」
『全くでありんす。あのような傲慢なメスは一度しっかり調教せねば性根は一生直らないなんし』
ルビーの言う調教がやや怪しげな響きを持っていたが、そこには触れないでおこう。
それにしても、先輩はどうして嫌われるようなことをするんだろうか。俺に至っては罵倒されすぎて慣れちゃったし。意味あるのか?
「そ、それより皆さん。あれを見てください。アレスの瀑布です」
先輩の陰口合戦になることを優しいローゼは危惧したようで、パワーワードを使って話題を変える。
「え? もう着いたのか? でも滝の音なんて……」
歩いた時間は一時間未満。川もなければ水の流れる音もしない。
俺は怪訝に思ってローゼの指差した先を見た。
「お、おお……」
滝だ。確かに滝だった。ルクレーシャス鉱山で相対した鋼竜の上背より少し高いところから流れ落ちるのは水ではない。水ではなく、真っ白な気体だ。真っ白な気体が無音で流れ落ちて地面に着く前に霧散して消えていく。
その光景は今まで見てきた滝とは一線を画していて、奇妙で美しく、不可思議なまでに濃艶さを湧き立たせていた。
――そしてその奥には、
「自然というのはいつも僕たちの想像を越えていくね。……あの壁面にできた洞窟が祠ってことなのかい? ローゼさん」
「はい。あそこに風の魔剣・ナギが……」
【ひゃはははははははははははははははははははははは! ローゼ嬢、自分たちではどうしようもねえと思ってヨソもん連れて来たのかぁ!?】
ガサツそうな男の低い声が洞窟の中から反響して響いてきた。
『そういえばケンシロー。魔剣・ナギとやらは流暢に喋るのでありんした』
「ああ憶えてるよ、ルビー。つまりあの声の主が」
アレスの里に病魔を撒き散らす風の魔剣・ナギだ。声がなんか既に嫌い。
【ひゃはははははははははははははははははははははは!】
俺たちは哄笑を上げるナギの声を聞きながら気体の滝をくぐり、洞窟の奥へ足を進める。
「さすが洞窟の中ね。馬鹿笑いが反響して耳が変になりそうだわ」
ララがナギの哄笑に不快そうな表情を浮かべ、こめかみに手を添える。
「俺も聞いてて頭が割れそうだ。なんなら耳に穴が開きそうだ」
【聞こえてるぜぇえ! ひゃはははははははははははははははははははははは!】
うるせえなぁもう……。俺のジョークには皆して無視だし……。
だみ声を我慢して足を進めると、ようやく祠の全体が見えた。そこには豪華絢爛な飾りのついた祭壇と、その手前に装飾のされた祭具用の剣が台座に真っ直ぐ突き刺さっていた。
【オハヨウゴザイマァス! 旅人諸君! アレスの民からもてなしはされたか? されたんなら帰っていいぜ!】
「ナギさん! 今日という今日はそこから出ていってもらいますからね。それが嫌なら病魔を撒き散らすのを止めてください!」
【うるせえなぁ、ローゼ嬢は。オレサマは今、旅人諸君に話しかけてんだぜ? ほら、べっぴんさん・べっぴんさん・ひとつ飛ばして二枚目役者】
「俺を飛ばしてんじゃねえよ、金属片の分際で」
【はっはぁ! 悪いな少年! オレサマってば思っていても差別用語は使わねえ主義なんだぜ!】
「その言い回しは差別用語を使ったのと同じ効力を持つと思われるが!?」
俺が叫ぶと不意に、つんっとルビーの白い尻尾で頭をつつかれる。
『間抜けな話をするのはその辺にしておくなんし。さっさと仕事を終わらせるでありんす』
「……ルビーに言われるとなんか違和感があるな。どうした急に」
『余は早く帰って焼き立ての美味いパンを食べたいのでありんす』
「動機ができたてだなおい……」
いやまあ、食欲は大事な欲求のひとつだけれども。
どのみち、同じ賃金なら仕事は早く終わる方がいいってのは真理なんだよなぁ……。
「それでローゼ、依頼内容の確認だけれども、このうるさい魔剣をぶっ壊せばいいのか?」
【ひゃは!? ぶっ壊すとは不穏当だなぁ! ローゼ嬢、こいつら大量破壊兵器でも持って来てんのかよ! ウケるわぁー】
「うぜえ」
俺はナギの話し方にイラッときて台座まで近づき渾身の力で蹴り飛ばす。
が、ナギの刀身は折れることも曲がることもしなることもせず、完全に俺を拒絶し、跳ね返した。
「うわっ」
【ぶひゃはははは! 突然話してる相手を蹴りつけて逆に押し返されて転ぶとか! 無様ちゃんすぎだろ! ぶひゃは!】
うっぜぇええええ……。
「くそっ、悔しいが俺の全力の蹴りでも破壊できないということは分かった」
「そうなんです! まことに悔しいことですが……過重な圧力をぶつけても折れないどころか曲がりもしないんです。困っているんです」
「このままこの剣が病魔を撒き散らし続ければ、またアレスが危機に陥るのよね。最悪、こいつ一本の為にアレスを捨てて新しい暮らしをしなきゃいけなくなる……」
ララも悔しそうに唇を引き結んで台座に刺さって屹立するナギを見下ろす。
【ひゃはははは! そうだそうだ! いっそこんな雑草だらけの辺鄙なところなんて捨てちまえ! 捨てて街へ出てシャレた服でも着て暮らしちまえばいいんだ!】
「なにをいうのですか、ナギ! ここはわたくしたちにとって揺り籠であり墓場なんです! そんな選択肢はありません! ここを捨てるだなんてとんでもない!」
「ひとつ疑問に思ったのだけど、ローゼさん。この剣を台座ごと捨てないのはなぜかな?」
不快なナギのだみ声に眉ひとつ動かさず、極めて冷静にフィールがローゼに質問する。
「ああ、すみません。説明不足でした! 持ってみると分かり易いですが、かなり重いんです」
「ほう。重いのか。――――だそうだケンシロー君。持ってみてくれないかな」
「なぜそこで俺に振る。……いや、この中で一番筋力があるのは俺か」
メンバーを見れば、画家志望の少女、竜の残りカスの少女、植物に変身できる少女、優男というラインナップで、俺にお鉢が回るのも順当と言っていい。
「筋力増加の魔法ならかけてあげるわよ?」
ララが気を利かせてくれたのでお言葉に甘え、魔法で身体能力を上げる。うお、すげえ力が漲る。
引き抜けないという話を信じるならば、台座にがっちり突き刺さっているということになる。なら重いという話とその二つを一度に検証しようか。
俺はローゼが安全と言っていたナギの柄を持ち、
【ひゃはははは! おいおい! 俺の耳をそんな力で持たないでくれよ! 妊娠したらどうすんだぁ!?】
「どういう原理だ! 俺もお前もどっちもしねえから安心しろ!」
――っていうか、こいつの耳って柄の部分だったんだ。
ひとりは人間の男、ひとつは魔剣の男。万に一つもあり得ないカップルの組み合わせだ。どこの世界でも有り得ないはずだ。……有り得ないよな?
俺は両手で柄を握り、勢いよく引き抜かんと持ち上げる――!
ゴキッ
俺の両肩が衝撃で外れた。
第二章11話です。ついに魔剣・ナギの登場です。
ナギの会話文が【】になっているのは生き物ではないものが話しているからだと思ってください。
そんなわけで物語もいよいよ本番。これからもよろしくお願いします!