第二章08 急襲、急襲
鬱蒼とした木々で雨粒すら鎖される。
今が病魔ヶ時のような気がする。
「ケンシロー、あんた生きてる? 苔人形じゃないわよね?」
「ちゃんとした肉人形だぞ。いや、人形じゃねえけど」
人間、圧倒的な戦闘力に驕らず恐怖する能力も大事だ。恐怖なくして自分自身は守れない。だから俺が薄暗い樹海の中で右も左も分からずにびくびくしていても、それは天が与えた生きるための力なのだ。生きるって最高。
結果、俺とララ、ルビーの三人で、食料を取ってくると言って姿を消したローゼの帰りを待っていた。
ローゼの体表を苔が覆い尽くしてボロボロに崩れていく様は、本当に心臓が爆発するほどの衝撃的かつ根源的な恐怖を感じた。ほ、本当に「生きてる」って感じだぜ。
『ケンシロー、なにかおかしな気を感じぬかえ?』
ようやく足の痛みが引いて俺の背中から降りたルビーが地面から剥き出た木の根に座って怪訝な顔をしている。
「おかしな気? たしかに俺は殺気に聡い方だが、獣の気配しかしないぞ? その気配も比較的安全な動物の」
『――うーむ。アレス樹海の構造を知っているかえ? ここはその昔、火山でありんした。溢れ出た溶岩が元々あった木々を焼き尽くし、そして冷え固まったところに火山灰と土砂が堆積し新しい巨木たちが群生するようになった。おそらく何万年も前のこと』
「……つまり、この巨木を支える地面の下には冷えた溶岩の層があるってことか?」
『そういうことになるでありんす。が、それだけではないぞえ。その溶岩が人間の感覚を狂わせているのやも知れぬ。それ以外にもおかしな気の類は感じるのでありんすが、ケンシロー。汝は……』
ゴゴゴゴゴ……
どこかから地鳴りのような地響きのような音が鳴る。どこかから? いや、
「下になにかいる!」
叫ぶと同時に地面が隆起し、おれはララとルビーを乱暴に両脇で抱え、土砂が巻き上がる寸前で避けた。
「マジか、マジか、マジか!」
現れたのは大きな土の竜。ただのモグラではなく、地面を掘って進む「穿孔竜」だった。
「グアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
穿孔竜。竜と言っても正確に分類するとドラゴンではない。馬竜は「竜に似た馬」という意味で使われているが、それに似ている。穿孔竜は「竜のように気性の激しいモグラ」なのだ。ちなみに肉食。好物は熊や猪など臭い肉。
長く鋭い爪と牙で地中を穿孔し、冷え固まった溶岩でさえも削り取る威力を持つ。地中では四足歩行。地上に上がると二足歩行に切り替えるという、生き抜くという執念の進化を遂げ、地上でも地中でも十全に獲物を捕らえるその能力は野生動物であり野性的動物である。
しかして知能は低い。人間の言葉を知らない。
「グアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
だが野性味あふれるその見た目と激しい気性はそれなりに殺意が高そうで、ドラゴンと呼称しても問題なさそうだった。
穿孔竜の身長は俺の三倍くらいだろうか。二足歩行でガラの悪いイキリ野郎のように、肩を揺らしてこちらへ向かってくる様子は本当に人間の言葉を介さないたかが魔獣なのか疑問でならなかった。
「ララって得意な攻撃魔法はなんだったっけ!?」
ルビーは俺の背中にはりつき、ララは剣に変身して俺の右手に収まっている。
「やっぱり変身系が得意と言いたいけど、攻撃はどれかというと炎の方が得意かも! でも……ここじゃ使えない」
「だよな! ここ樹海だもんな!」
ここは樹海。木々に囲まれ、数百年物の巨木が軒を連ねている。下手に炎を撒き散らしたら樹海が火の海になる。
『樹海を燃やし尽くしたとなったら、鋼竜殺し「ケンシロー・ハチオージ」の伝説によりいっそう箔が付くでありんすな』
「それ、箔じゃねえ! 決して癒えない病気のような何か!」
たとえ雨季で空気も木々も湿っているとしても、ララの魔力を馬鹿にしてはいけない。彼女の鋼竜の絶対零度を圧倒できるほどの威力があるのだ。
樹海を一瞬にして灰にするのはさすがに難しいだろうが、一部だけでも黒焦げにしたら樹海の住人であるアレスの民からの印象は最悪だろう。たぶん。
よって俺たちは、というか俺は、
「さすがに穿孔が得意なモグラでも木の上にまでは登って来られないか!」
『なんとかと煙は高いところが好き。というものでありんすな』
「ルビー。それちょっと意味が違うし、それだと私たち三人ともその『なんとか』だから」
我ながら久しぶりにした木登りで巨木を駆け登れるとは思っていなかった。本気ってすごい。本気、元気、病気、死ぬ気!
「よし! ララ、ここから穿孔竜に魔法で狙撃をしてみないか?」
「いいけど何魔法にする? モグたんに効きそうな魔法ってなにかしら……」
「そうだな。モグたんに効きそうなのは――――モグたん!? おい、ララ、お前あいつに名前つけたのか!? やりづらいだろが!」
『それよりも汝ら』
「あ?」
「ん?」
『この木、傾いているなんし』
ハッとして根元を眺めるとモグたんが自慢の鋭い牙で巨木をがりがりとさながらきこりのように削っていた。
「モグたんてめええええええええええええええええええええええええええええ!」
「グアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
気づいた時には既に遅い。モグたんの咆哮と共に俺たちが避難していた巨木は倒れはじめ、俺たち未来堂トリオも転落する。しかもかなり高い位置から。
「くっ!」
運よく俺が二人の下敷きになって少し生きていた場合、ララに治療をしてもらえばなんとか……なるか? 教えて、モグたん!
『ケンシロー! ララを手放すでないぞ!』
ルビーの一言で俺は右手の剣に力を込める。ルビーはと言えば、俺の左手を両手と尻尾でガッチリ掴む。そして――飛んだ。
美しく、柔らかそうにしなる白銀の飛膜が、薄暗い樹海で光り輝く。
ルビーが背中に翼を生やしたのだ。
『ケンシロー。今の余の翼、長く飛行することは出来ぬ。なるべく衝撃を抑えられるように不時着するでありんす』
苦しそうにルビーは言い、俺たちを連れて巨木の枝葉の下を飛行する。
ゆっくり飛べば衝撃は減る。しかしゆらゆら飛べばモグたんに追いつかれてしまう。だからなのか、ルビーは全力で走るように速く飛び、高度もイメージより早く下がってゆく。
大柄な男一人を小柄な少女一人が運ぶのにはどこからどう見ても無理がある。
『ケンシロー! 近くに湧水がある! 着水するでありんす!』
「よし、分かった! ルビーも怪我すんなよ!」
巨木の群れがだんだん小型化していき、細く低い――一般的なサイズの――木々になってく。そして茂る枝葉をむりやり突破し、俺たちは勢いよく泉に落水した。
***
ルビーは見た目と違って頭が良い。いや、見た目が頭悪そうとかではなくて、幼く見えるがやはりそこは約五〇〇年生きている女竜なのだ。五感・六感・経験・知識、全てが鋭く全てに聡い。たまに聡すぎてバカになる時もあるが真面目な時はちゃんとやる奴だ。
そんなルビーの嗅覚はちゃんと人間以上の精度で、毒物を嗅ぎ分けることもできる。
だからルビーがとっさに選んだ泉は、毒素のない安全な泉なのだ。しかもなんだか……。
「あっつい!」
しばらく着水の衝撃を水に浸ってごまかそうと思っていたが、予想外の温度に吃驚して暴れるように水、いやお湯から脱出する。といってもお湯からあげたのは上半身だけだ。
「これ、温泉か。さすが樹海、か?」
温泉はどちらかというと火山では? いや、ここも元・火山か。
「ぷはぁっ! うええ! 鼻に水が入っちゃったぁ!」
『ケンシロー! 大丈夫かえ!?』
温泉に浸りながらララとルビーも顔を出し、生存を確認する。
「俺は平気だがお前ら怪我とか……」
「大丈夫よ。剣のまま落水したから」
『余もケンシローほどではないでありんす』
よかった。奇跡的に怪我はないか。しかも奇跡に奇跡が重なって温泉に落ちるとは。
『しかしびしょびしょの濡れ濡れでありんす。自然に乾くのを待てば風邪を引きかねんな』
「よっし、ひとまず湯から出てのろしを上げよう。水辺なら焚火をしても問題あるまい。火で服が乾くし、煙を目印にローゼが来てくれる」
「グアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
ズシンズシンと地面を踏み荒らす地響きがする。
「……まじか?」
思わず俺はぶるっと身震いした。
嫌な予感はただの悪寒であってほしかったが、どうしてか冒険は俺に優しくない。
「ララ、もう一回剣に変身してくれ。幸いここは拓けて……」
温泉の奥を見つめた俺の目が点になる。
「どうしたの? ケンシロー?」
「いや、なんでもない」
湯煙だ。きっと湯煙が人の影に見えたんだ。白い肌と青い髪。きっと温泉の奥の方には有毒ガスが発生していて青色の煙が湧いているんだ。
「モグたんを倒してローゼと合流するぞ!」
『おー』
「グアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
ダダダダダっと件のモグたんが温泉までたどり着き、俺たちと相対する。ただし俺は背後が気になって仕方がない。湯気だ湯気。あれは湯気。冷たい空気と暖かい空気がいろいろあった末の蜃気楼の一種。
俺は温泉から完全に上がろうと端へ向かってじゃばじゃば歩くが、
「くそ、服が水を吸って重くてろくに歩けない!」
くそったれ! こんなところで魔獣に殺されてたまるか!
「痴れ」
「グアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア! アアアアアアアアアアアアアッ――――ブブッ!」
俺たちの背後から放たれた鎌風の魔法でモグたんがひと薙ぎにされた。
「誰!?」
『後ろかえ!?』
ララがびっくりして崩れるモグたんをかわいそうに一瞥し、ルビーと一緒に後ろを振り返る。
「振り返ってわらわを見たら殺す。分かっておるじゃろう? ケン」
命の惜しいケン――つまりケンシローである俺は振り返らない。振り返らずに、背中を向けて返事をする。
「申し訳ありません! シロフォン先輩!」
俺が温泉の奥で見たのは入浴中のフォルテ・シロフォン・クラシックさん。青髪を入浴用にお団子にした蒼白い肌の女性。銀色の光を目に宿す耳の尖ったハーフエルフ。
魔法騎士養成学校時代の――――急襲する俺の先輩。
第二章8話です。今日は夜にももう一話更新できたらと思っております。
どうぞよろしくお願い致します。