第二章07 全てが深緑
まず。まず主張したいことがある。
俺は未来堂の従業員であり所有物だという自覚はあるものの、売り物ではないと認識している。非売品というか、備品というか。すくなくとも未来堂の奴隷ではない。
なぜなら人身売買はヴィクトリア帝国ではちょっと悪いことだからだ。(ちょっと?)
だから俺が営利目的でどこかに売り飛ばされることなどあるはずがない!
「ケンシロー様。お腹は空いておられませんか?」
「あ、うん。空いてない。元気そのものだ」
「うふふ、疲れたらすぐに元気にして差し上げますからね」
全てが深緑の馬車の手綱を引くローゼは瀟洒に笑う。お淑やかだ。とてもお淑やかだ。どこにでも嫁げそうな穏やかさだ。
「ヴァレリーからアレスまでは長旅になります。手製の木馬車ですが、どうぞおくつろぎください」
ローゼの持ってきた商談は成った。アレスが生成する今後一切の樹木は未来堂を仲介して各地に卸される。その代わり、俺はアレスでいろいろとしなければならなくなった。いろいろとな。
その商談が成ったと思ったら、ローゼは大急ぎで旅の支度をするようにと求めてきて、気が付いたらローゼが自らの体から生成した材木で作った馬竜車――いや、木馬車でパッカラパッカラと首都ヴァレリーとドーツ地方を結ぶスイズイ街道を走っている。そろそろ走り出して四日が経った。
不本意だがしかし、この木馬車は座り心地がとてつもなく良い。絶妙な反発力でお尻の負担がゼロなのではと間違えるほど。幌のおかげで鬱々とした雨水もしのげている。
そして脱力してだらしなく木馬車の荷台に座るケンシロー・ハチオージ様の隣には、
「魔剣らしいわよ」
『魔剣でありんす』
当然の如くララ・ヒルダ・メディエーターとルビー・メタル・シルバーが同乗していた。
しかも現実から目を逸らそうとしている俺とは違って、偉いもので今回の依頼の予習をしている。
「アレスには象徴的なものが二つあります。ひとつが神樹・アレス。もうひとつが瀑布裏の祠です。今回、皆さんが関わることになるのは後者の祠になります」
「その祠に『絶対に折れず、抜けず、錆びない魔剣』があるって?」
「はい。そしてその魔剣をケンシロー様に、徹底的に叩き壊してほしいのです」
「……それから?」
「砕いてください」
「うん」
「鎔かしてください」
「お、おう……」
「魔剣としての存在がなかったことになるくらい徹底的にあれを――」
「恐いななんか!」
アレスの魔剣嫌われすぎだろ。なにしたんだ一体……。
「それくらいのことをしたのです。風の魔剣・ナギは」
ぎゅっと手綱を握りしめ、悔しそうな憎らしそうな声音のローゼ。
「魔剣・ナギ。彼はその身に宿す権能で病魔を撒き散らしました。病に臥せっているアレスの民は少なくありません。早くあれを撤去しなければなりません。アレスの危機です」
「風の魔剣っていうか、風邪の魔剣だな……。いや、病状自体はもっと重いのだろうけど」
相手を病気にする権能・魔法って風の扱いになるのか……。
『それで? わざわざ余のケンシローに白羽の矢が立ったのはなぜなんし?』
あ? 『余』の?
「はい。ケンシロー・ハチオージ様は鋼竜討伐を果たした騎士様……? 兵士様? まあ、剣の使い手様ですから。きっと鍛え抜かれた身体、刀剣、魔法力、知識等々持っていらっしゃるのだと思ってお声をお掛けしたのです」
「ごめんね~ローゼ。こいつ筋肉はともかく剣も魔法も一般教養もなんにも持ってないの」
「おい。それは俺が自嘲してへりくだって自虐的に言うセリフであって、お前が横から言っていいセリフじゃない……」
「ふふ。仲良しさんなんですね」
「違う!」
「違う!」
――ただの大切な仕事の同僚だ。ただの同僚だ。
ローゼがどこを見てそう感じたのか理解に苦しむものがあるが、これから一緒に行動する今回のキーカード「その一」である俺の「剣」の機嫌を意味もなく悪くするのも得策ではないので無駄な口論は控える。舌戦では誰かに勝った記憶がない。
『ふあぁぁ~。――して、ローゼ。あとどれくらいで到着するのかえ?』
「竜の欠伸が聞けるとは、この世も泰平極まるな」
べしっ
自分の腕を枕にして寝っころがる俺に鋼竜の尻尾が制裁をくわえる。
「あ、はは……あと半日ほどです。ルビー様は退屈になられましたか? 座ったままというのも疲れますよね」
『疲れるということはない。退屈ということもない。しかしローゼ、このようなもてなしの仕方では、目的地に着く前に客人に逃げられてしまうぞえ?』
「それを人語に訳すと『退屈で疲れた』って意味でよろしいか? おい」
『違うでありんす。ケンシローの阿呆。せっかく時間があるのだから、今のうちにもっと予習をしておかねば――と思っただけでありんす』
今回のキーカード「その二」、俺の「鋼」がもっともらしいことを言って更なる情報の提供を求める。言っていること自体は真っ当なので、言い負かされた感がある。
「じゃあ、アズさんからの伝言を披露するか」
今回のキーカード「その三」である俺の「画材」、アズサイト・ザラカイア・シーカーさんから渡された紙袋――ひいては中にある手紙を取り出す。
「ん?」
紙袋の中に入っていたのは手紙ではなく、厚紙を切って作ったカードだった。
……これはなんだ? まるで正体が分からない。
魔法陣のようなものが書かれているが、見覚えはなく少なくとも俺の知っている魔法の類ではないようだった。それが複数枚。
「アズさんからはなんだって?」
ララの問いかけに返す言葉が見つからず、俺はもう一度紙袋の中をまさぐった。しかし指先には空を切る感触しか生まれない。
「いや、伝言らしい伝言はないんだが……これが……」
魔法陣カードをララに見せると、彼女は少し戸惑った声で反応した。
「それってもしかして……」
「知ってるのか、ララ?」
ララはカードを手に取って感触を確かめ、
「いや、アレス製の紙だってことくらいしか分からない」
俺につき返した。
「おい」
『あの乳女の手土産などどうでもよい。それよりローゼ、その魔剣の弱点は?』
「弱点ですか? 分かりません」
「おい」
とはいえ、弱点が分かれば俺たちに助けを求める必要などないか。
「そうですね。弱点と言える弱点は……喋ること、でしょうか」
「喋るのか? 剣が?」
「はい。それはもう流暢に」
『まあ、口は災いの元、と言ったりするでありんすからな』
ルビーはニヤリと俺を一瞥した。
災いの――――元なぁ……。
「剣が喋るなんておかしな話ね。どんな性格なの?」
……剣の姿で喋ることもできる人間がよく言うよ。
「そうですね。良くも悪くも、風の魔剣・ナギは人を喰ったような性格……でしょうか。騒がしくて皆さん嫌いです」
嫌いと断言した! どれだけ……?
「な、なるほど。人を喰う剣、か。今回の依頼も厄介なものになりそうだな」
「それと、魔剣・ナギは直接刃に触れない限り、その身に宿した魔力を発揮することはできません。しかし魔剣を撤去しようとうっかり触れるたびに病魔を撒き散らすので……」
なるほど。自分単体では力を発揮できないあたり、武器としての領分を踏み外してはいないようだ。
「さて」
樹海の始まりともいえる、木々が右手に見える所でローゼは木馬車を止める。
「ここから先は徒歩です」
木馬車を走らせて四日目。ようやくアレス樹海の入り口に到着した。
***
憂鬱になり蒼ざめるような景色。樹海という鋳型に填めるには適さないような規格外の樹木たちが鬱蒼と生い茂る。
俺の身長以上の胴回りの木などざらにあり、さもそれが当然とばかりに空を貫かんと連立し、屹立し、それこそ自然に存在している。
見渡す限りの全てが深緑色で、苔が地面にびっしりむしていて俺たちはそこをひたすら歩く。足場は最悪で、湿った苔やらとび出た木の根やら足元を見なければ怪我しかねない。
「今、何時だ? 昼か? 夜か?」
アレス樹海に足を踏み込んで数時間経った。時間はどれくらい経っただろうか。 空を鎖す大樹の枝葉が太陽光を阻害しているせいで、薄暗く、今が昼なのか夜なのかも分からなくなっていた。
隆起し、ねじ曲がった苔だらけの木の根に躓いて足を痛めたルビーを背負った俺の疲労感たるや……。
「今は昼です。わたくしは光合成できますので、太陽光には敏感なのです」
「こんなに薄暗くても光合成できるとか、植物は偉大だな」
『なあ、ローゼ。そろそろ余は味のあるものを食みたい気分なのでありんすが』
「あら、お食事ですか? そうですね。忘れていました。食料は残っているのですか?」
「悪いが俺たちの食料はついさっき尽きた」
一週間分の食料を持って出発したはずなのに、いつのまにか四日目の今日で無くなった。
俺はララかルビー、もしくは夢遊病に罹った俺の三人のうちの誰かが夜な夜な夜食がわりにつまんでいたのだと推測する。うん、ルビーだ。絶対ルビーだ。
「ケンシローの背中は安心するなんし」
即座に話題を変えてきたあたり、やはり決まりの悪いことをしたのだろう。鋼竜の尻尾って食えんのかな。
「いや、俺の背中をルビーの定位置にしようとするな。困るんだけど……」
『くふふ、余のやわっこい胸を背中に感じて役得でありんすな』
「お前の胸、まな板じゃん。感じるもなにもねえだろ。ごりごりして――――」
『まさか空腹を紛らわすために愛する者の肉を食らうことになるとはのう!』
「よーし! ルビー! お前、本当可愛いな! 顔も声も性格も可愛い通り越してもはや聖女のそれだ! 銀糸のような細く輝く白銀の髪! 燃えたぎる紅玉! 野性味あふれる竜の尻尾! けがれのない純白の肌! ひゅうー! 世の男どもがほっとかねえぜ! だからルビー! 首締めんのゃめ……」
殺意高いドラゴンが首を極めにかかったので、俺はその場で思いつく限りの美辞麗句を並べてなんとか生き長らえた。
「もうすぐアレスの里に到着するのですが……そうですね、客人を餓えさせるのは失礼です。お食事をお持ちしますのでお待ちください」
「え? ローゼ、どこ行くの? 私たちもう方向感覚死んでるから地の利に聡い人と離れたくないんだけど……」
首を絞める力をようやく緩めてくれたルビーと、頭の血液が正常に回り始めて生き返る俺をよそにララはどこかへ行こうとするローゼを引き止めようとする。
「ご安心ください。最近の樹海には野犬や熊、猪やゴブリン、有毒植物など皆さんなら対処可能な生き物しかいませんので大丈夫ですよ。それも今はなぜか数が少ないです!」
対処可能なの? それ? それより俺の首から下はちゃんとついてますか?
にっこり! とローゼは俺たちに笑いかけ、小さく手を振り、苔が生える。
「うおおおおおおおっ!?」
瞬きする暇もなく彼女の体をもさもさとした全てが深緑色の苔で覆い尽くされたのだ。
女の子の身体が苔に覆われる様は恐怖しかない。錯視と思いたくなるほどグロテスクな光景だった。もはやローゼというか、人型の苔なのだが。
「ローゼ? 悪ふざけはやめ……」
俺はローゼを窘めようと彼女の肩を叩く。
アルラウネ族――ひいてはその末裔であるアレス族の妙技で苔を体表に生やしただけだと思ったのだ。
ボトンッ――――
――――――――――首が落ちた。
「ぎゃああああああああああああああああああああ!?」
「わぁああああああああああああああああああああ!?」
『ひゃああああああああああああああああああああ!?』
恐怖が連鎖した。
ローゼだった人型の苔が苔のまま、俺が触れた途端に首が取れてボロボロと崩れ去ったのだ。
場所は死霊でも出てきそうな薄暗く全てが深緑の樹海の中。恐怖の声は谺し、悪夢に出そうなほどショッキングな光景だった。
第二章7話です。よろしくお願いします。
活動報告のほうで書きましたが、1000pv超えました。
読んで下さっている方が実在していらっしゃるみたいで嬉しいです。
ですので感想や質問、ご意見などお待ちしています。