ララ・ヒルダ・メディエーターの身の上話
「ったく! ふっざけんじゃないわよ、あの駄猫!」
不機嫌そうにグチグチ言いながら俺の隣を歩くララ。俺まで不機嫌になりそうだ。なぜ俺とララが並んで歩いているのかというと、アオネコ店長曰わく、
『たとえ嫌々でもうちで働く以上は最低賃金並の仕事はしてもらうでしゃる。というわけで、仲のいい二人で定規の素材である明烏を捕まえてくるでしゃる。嫌なら辞めろでしゃる』
とのこと。
「ありえないありえないありえないありえない……寂れた画材屋の店員として五〇万ヤン稼いだら帰ってきていいって約束だったのに。それまで寮生活よ」
「五〇万ヤンとか……リアルな金額だな……」
五〇万ヤンもあれば俺ならあと一年は学校に通えたのに。
……まあ、あと一年通えば騎士団に入れるという自信はないのだが。せめてもっと魔法が使えたら俺は宮廷騎士団に入れたのに。
「まあ、でもこういう肉体労働のほうが金の入りはいいだろ」
「労働と賃金の割りが合わないのよ!」
ごもっともで。
特に肉体労働は主として男の仕事。女の華奢な体では確かに割に合わない仕事だ。
「……でだ、その明烏っつーのはどこで捕まえるんだ? ララは知ってるのか?」
そう言うと、ララはピタリと足を止めた。
「ちょっと、馴れ馴れしくファーストネームで呼ばないでくれない? キモいんだけど」
「……一言余計だな。じゃあなんて呼べばいいんだよ」
「ヒルダ。ミドルネームのヒルダ。あんたの名前は?」
なるほど。迂闊だった。わが国ヴィクトリア帝国ではあまりファーストネームを周りに言いふらさない習慣がある。ファーストネームは真名。ミドルネームは仮名として非公式の場ではミドルネームを使うのだ。
学校は基本的に公式の場なのでフルネームで呼ばれることが多かったため、そこらへんを失念していた。
これからはヒルダと呼ばなければ。
「ケンシロー・ハチオージ。好きに呼べよ」
「極東名? ミドルネームとかないの?」
「あいにく。俺は極東諸島の農家の生まれでな。ミドルネームどころかファミリーネームも持ってなかったよ。親から貰ったのはファーストネームのケンシローだけ。ハチオージはただの出身地で、学校に入学するときに適当に付けた」
するとヒルダは少しだけ苦い顔をして頷いた。
「分かったわ。ならあんたのことケンシローって呼ぶから」
おい。馴れているからいいけど、それファーストネームなんだけど。
「てゆーかケンシローさぁ、学校ってなんの学校? 画材屋ってことは……美術系? 工学系?」
やけにフランクになりやがった。この数秒のやりとりでどうしてそこまで。
「……魔法騎士養成学校」
「っ……」
ヒルダは心底驚いた。という顔をした。そして数秒おいて俺の発した単語の意味を理解したのか、吹き出した。
「……ぷっ……ふふふふ……あははははははは! この世界最大国家、ユールアシア大陸ヴィクトリア大帝国民の番人たる魔法騎士様のっ! 就職先がっ! 画材店とかっ!」
ヒルダの爆笑。やめてくれやめてくれ。一番恥ずかしいのは俺なんだよ。
ヒルダの言うとおりだ。わが国ヴィクトリア帝国は世界に広がる巨大大陸ユールアシア全土を統治している。その極東の島が俺の故郷だ。ちなみに首都ヴァレリーは真逆の西側に位置する。
ハチオージ村からヴァレリーまで大移動するのに三ヶ月の月日を要した。
俺はそんなとてつもない巨大帝国の栄えある役職『宮廷騎士』を目指していたのだ。
「黙れ。俺だって騎士団の入団試験料が貯まったら宮廷騎士になるつもりだ」
わざわざ修羅と呼ばれて村から爪弾きにされて魔法騎士目指して上京したのに、こんな場末の画材店で骨になるまで働いてたまるか。
「ヒルダ、お前だって人を笑える立場じゃないだろ。店長が言うには名家の息女が春絵を描いて小銭を稼いでたらしいじゃないか」
「私だってお金が必要なのよ!」
「豪商メディエーター家の娘なら親のスネかじり放題だろ」
「あーもう、知恵ナシめ……」
ヒルダは業腹業腹と眉間にシワを寄せ、俺をかわいそうなものを見るような目で言う。
大丈夫。その手の目つきは慣れている。嬉しくはない。
「メディエーター家は三代つながる豪商なの。分かる? 裏を返せば金の亡者の一族なの。つまり守銭奴なの。そんな信条の両親……パパが遊ぶお金を無償でくれると思う?」
「……」
その言い方からして答えは明白だ。
「その沈黙は私の意図を汲んでくれたと解釈していい?」
俺は腰に手をあて、呆れて息をもらす。
「……つまり、春絵で遊ぶ小銭を稼いでたってことか」
「違うわよ! あんたの脳みそはウサギ並みか!」
再び俺の股間に雄々しい蹴り上げ。怒涛の理不尽。
「~~~~~~!」
せっかく作った俺の自慢げ顔が苦悶に変わる。
今出した俺の声は西岸文字でも極東文字でも表せない絶妙に女々しい鳴き声だっただろう。
やばい。このままじゃあ、俺の股間が男の仕事をできなくなる。俺は剣の腕前を修羅と呼ばれても、その他の部位は無抵抗主義の子羊なんだぞ……!
「言い訳を聞いてやるからそのまま続けろ……っうぐ」
俺は石畳でもなんでもない汚い砂の地べたに股間を押さえたまま這いつくばって虚勢をはった。
「私は宮廷画家を目指してるの」
「宮廷画家!?」
宮廷画家といえば数ある絵描きの仕事の中で最上級の職業だ。春絵師を地べたとするならば、宮廷画家はまさしく天辺。
全国各地を行脚して領主やその他お偉いさんの絵を描きちらし、描いた絵画は永遠に飾られ、その代わりに富と名声を手に入れる。なんでも、目をつむって適当に描いた絵で一般家庭の三ヶ月分の値がついたこともあるそうだ。
宮廷画家のナンバーワンは名前通り、宮廷の皇帝陛下直属の画家として歴史に名を残す。一般に『宮廷画家に俺はなる!』と言う奴はだいたい皇帝陛下直属の画家のことを言っている。
絵を描くとお金持ちになれるという安いイメージから安直に宮廷画家を目指す奴はバカみたいにいる。俺は興味がなかったが、宮廷騎士兼画家を目指している奴もいた。
「つまり宮廷画家になるために春絵で絵の勉強をしていたというわけか……」
「微妙に違うわ。私は画家養成学校の学費を貯めるために春絵チームの顔貸しをやっていたの」
「顔貸し? つまり、あれか? 昼間の闇市であの男とかが描いた春絵を『私が描きました』って顔して売り子をして金を稼いでたのか?」
「むっ……今度は正解。かかと落としもしようと思ってたのに」
誰か俺の職業を教えてくれ!
「でも、それこそおかしくないか? 将来宮廷画家になりたいから学費を出してください。出資してください……って言えば豪商の財布は緩むんじゃないか?」
俺の完全な偏見だが、商売人というものは『投資』とか『出資』とか『融資』とか聞こえのいいギャンブルが好きそうなイメージがある。それが娘からの提案なら父親なんていろいろと出すだろう。
「その企画書は書いたわよ。でも……通らなかった」
「企画書になに書いたんだよ……」
あーもう。股間の鈍痛が後引く……。
「カンバスにパパの肖像画を描いたのよ。それを見てパパは私に絵の才能がないと判断したの。だから学費は出してもらえなかったの。それで今に至るの!」
完全にご機嫌斜めなヒルダの声。そしてダンッと俺の左耳の隣で苛立つ靴音が鳴る。
商売人が恐いのか、画材屋稼業が恐いのか、女が恐いのか、もうわけが分からない。
ただ、むやみやたらと人の画力を否定してはいけないということは分かった。特に絵を描きもしないやつが絵描きの画力を小ばかにしてはいけない。戒めである。
「よし。俺は唯々諾々だ。明烏捕獲任務を遂行するために従おう」
このまま身の上話を聞いていたら俺の身がもたない。話題をすり替える。いや、極東語では閑話休題というべきか。
騎士は民を守るのが仕事。ここでは俺が(不本意ながら)ヒルダを守らねば。
「そりゃ、明烏は烏なんだから、烏が集まる場所といえば……鳥葬場でしょ」
まだまだ続きます! 応援よろしくお願いします!