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剣と画材と鋼竜  作者: 鹿井緋色
第2章 病魔騒動篇
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第二章03 上に竜、隣に剣

 十八時の鐘が鳴る。


 異世界画材店未来堂に勤める俺とルビー、そして今はいないがララの終業時間だ。


『くふふ、ケンシロー! 仕事が終わったでありんす!』


 鐘が鳴ったその刹那、工房に接客用エプロンを半分はだけたままのルビーが俺を呼びつけてきた。


「こりゃっ」

『うぎゃっ』


 そしてすぐに店長に捕まり咎められた。


「終業の鐘が鳴った瞬間に帰宅準備を始めるとは何事でしゃるか。目の前の客が呆然と取り残されていたでしゃる」


 うわぁ、それはダメだ。


『ふん、余の働く時間は余が決める。ねこっぱげにとやかく言われる筋合いはありんせん』


 ねこっぱげって初めて聞く単語だな……。


「勤務態度が悪いなら減給、もしくは契約従業員のままでしゃる。昇給などしないでしゃる。次の更新はないと思うでしゃる」


『ケンシロー! 悪徳経営者がいるでありんす! 助けて!』


 俺に飛び火させやがったな。


「今のはルビー、お前も悪かった。悪徳従業員っぽかった。これ以上立場を悪くする言葉を売り買いするな」


「剣災君を見習うでしゃる。彼は自分のミスで無駄にしたペン先を鋳潰して再利用しようとしているのでしゃる。おかげでアズの手が止まって困っているのでしゃる。まるでこの店の病原体でしゃる」


「店長、ルビーが俺を見習う材料がお粗末すぎませんか!? 病原体!?」


 いちおう釈明させてもらうと、俺の伝達ミスで誤鋳造したペン先を溶かして造り直す作業を俺に経験させてくれようと、午後の間ずっとアズさんがつきっきりで指導してくれていたのだ。


『ケンシロー、早くするでありんす。お腹いっぱいになるのが一番の治療でありんす』


「剣災。あとは明日やればいい。今日は素直に退勤しておけ。使えない従業員に残業させてもそれはただの残業代の浪費だ」


「アズさんも言い方がちょいちょいキツいですね!? 怒ってますか!?」


 ザラカイア・アズライト・シーカー。気遣いが少し苦手なお人。


 工房の文字入れ作業専任のオッサン職工にドッと笑われて俺とルビーは退勤し、次の目的地へ向かうことにした。



    ***



 ごつん


「ルビーさん、ルビーさん。もうちょっと上手く傘をさせないのかい?」


『無理でありんす。ほら、汝の後頭部を余の太ももで挟んでやっているのだから我慢するなんし』


「それでウィンウィンな取引扱いになっているとかやめてくれよ。超恥ずかしいんだけど」


 メディエーター家へ向かう道すがら、雨足が強くなったので泣く泣く傘を一本買った。ヴァレリー人はそれなりの雨が降らなければ傘を差さないが、ルビーが髪が濡れるとごねたのでしかたなく。


 そもそも傘を差すのは馬竜車を使えない貧乏人の証だからなんとなく白い目で見られるというのに、その傘をルビーはとんでもない使い方をしているのだ。


 それはなにかというと、――――俺に肩車された上で傘を差しているのだ。


 俺が歩くたびに肩の上のルビーはよろよろとよろめき、傘の柄を俺の額に直撃させる。


 ルビーの背丈は小さい方だが幼女まではいかない。そんな身長の少女が高身長の男に肩車されて、その上で傘を差しているという、大量の視線を集める珍妙な絵面に恥ずかしさを覚えずにはいられなかった俺だった。雑技団じゃねえんだぞ。


 ごつん


 ルビーが一人で傘を差すのはばつが悪いからと俺を入れるために考案したやり方だが、なぜそこに行き着いたのだと言わざるを得ない。言わなかったけど。


「本当に転落して怪我とかしないでくれよな? それがララに伝わったら俺の遺灰は氷漬けにして魔境と化したルクレーシャス鉱山に葬ってくれ」


『くふ、落ちるわけが無かろう。なぜなら余は可愛い』


「……せめて身体能力があるとか言ってくれ」


 愛らしく可愛いのは俺も認めるが、文脈的にも論理的にも間違いだらけで反論の余地がありまくりだ。でも可愛いから許してしまう。これがアイドル理論だ。なにそれ。


『ケンシロー、もっと早く歩けぬのかえ? 余は空腹でありんす』


「傘独占していいから降りてくんねえかな。だれのせいで牛歩になってると思ってんの?」


『陰雨のせいでありんす』


「……」


 どうにも俺はルビーに軽口で勝てそうにない。いや、それを言ったら俺は誰にも軽口で勝てるとは思えないのだが。あの人とか、あの人とか。あと、あいつとか。


『ところでケンシロー。昼餉に変態巨乳が作ったのは何ぞ?』


「味噌汁だよ。パンじゃねえ。……アズさんを変態巨乳で片付けるのやめろ。あの人はなんて言うか、愛すべき無垢な巨乳だ」


『ハッ! 三十手前でまだ生娘とは。女の使い方がなっておらん』


「……さすがルビー・メタル・シルバー。数百歳生きてきただけはある。雌犬ならぬ雌竜の極みだな。このビッ――」


 メキッ……。


 俺がルビーを悪罵しかけた途端にルビーは両足で俺の首を締め上げはじめた。


「かっはっ……!」


 ルビーの下半身が俺の頭に密着するのが良いか悪いか、俺は呼吸の仕方を失いかける。


『ケンシロー、良くないなんし。余は操で男を誑かし遊ぶのは好きでありんすが、操自体を穢すことはせぬ。そういうのは汝のような凌辱し甲斐のある雄にとっておくというものでありんす!』


――死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死!


――死ぬって! 首! 首絞まってる! 極まってる! 軋んでる! 死ぬ! 死にます! 死んじゃいます! 降参! 無理! 無理無理無理無理!


 俺が降参のサインでルビーの脚をばしばし叩くが、文化の違いか全く気づく様子がない。



『性としての雄を確実に殺すにはのう。行為の直前にいきり立ったその部分を露わにした状態が最適だと覚えておれ。その部分を削ぎ落とせば確実でありんす』



 パッと俺を絞めあげていたルビーの脚が首を離れる。そのまま落下するように彼女は雨で湿った地面に着地し、くずおれる俺を見下ろしてきた。


「はー……はー……はー……はー……」


 ルビーの言い捨てたセリフに俺はなにも返さず息を整えることに注力した。


 ルビーを女の代表には据えたくないが、しばらく性欲は湧かなくなりそうだ。女怖い。俺はどこかを治療しないといけなくなる。



「あんた達なに遊んでんの? こんな所でこんな雨天に」


「うるさい。遊んでない。俺は今まさに女の巧緻な足技で極楽に逝かされる危険なところだった……ん?」


 昨日も聞いた声が後ろからして、俺は反射的に真実混じりの軽口を返した。


「ら、ララ……」


「おやおや、ララでありんすか」


 ララ・ヒルダ・メディエーター。俺の同僚であり、俺の剣。俺の才能。


「今をときめく画家志望の女性春絵師。いやらしい絵を描かせたら世界一!」


「ち、が、う、わ!」


 ようやく顔を上げた俺の顔面に泥のついた靴底が押し付けられる。


「……音吐朗々、気韻生動。八面玲瓏、傾城傾国。虚静恬淡、明眸皓歯」


「意味が伝わらなきゃ褒めているうちに入らないわよ?」


「いつも美味しいご飯をありがとう。ララ」


 俺は素直に容姿を褒める単語が出てこず、いつもの感謝を口にすると、ララは顔をほんのり紅に染めた。


「て、適当に美しいとか、可愛いとか言っとけばいいのに。そういうふうに褒められるとむしろ……」


「なにお前、照れてんの? 飯作るくらいで?」


「うるさいわねえ! 喋る時は後先考えて喋んなさいよ!」


『夫婦喧嘩はそのくらいにして、余の空腹を満たしてくれぬか?』



「夫婦じゃねえ!」

「夫婦じゃない!」



 雨雲に月は隠れ、暗くなった街に魔法による街灯の灯りがつく。逆光に紛れてララの顔は朧に霞んでいた。



    ***



「ルビー、あなたまたわがまま言ったの?」


『ふん、それに見合う仕事はしたでありんす。はむ』


「どこがですかー? 終わり頃に店長に怒られてたじゃねえかよ。ルビーの口は朝から焼き立てパンのままだな」


『くふ、そういうケンシローの口はずっとララのままでありんしたな』


「……は? なに言ってくれてんのルビー? そんなわけないだろが。つーかララの口ってどういうことだよ」


『どうだかの。そろそろと思っているのではないかえ?』


「な、なにをそろそろだ?」


「うるさいわよ。あんたたち。私の家なんだから静かにして」


 ララに咎められてようやく話題が流れる。しかし少しだけララの頬が紅潮していて、なにかばつの悪い感情を押し流しているようにも見えた。ララの家というより、ララの父親の家なのだが。


「そ、そういや……なんでララの部屋で俺たち飯食ってんの? なんでララの私室に料理台があんの? もしかしてララって本当は料理人志望だったのか?」


 初めて入ったララの部屋は整理整頓が行き届いていて、かつ色々なものが充実していて、もし部屋に引き篭っても一ヵ月は生き延びられそうな生活用品の揃い具合だった。俺の部屋の四倍の広さといったところか。部屋の中に部屋があるという不思議な空間。


「バカ言わないで。私は産まれた時から画家志望よ。アレが見えないの?」


 面倒くさそうにララが指差した部屋の一角には大きなカンバス。この部屋では寝食と共に芸術活動ができるスペースがあつらえられていた。


「寮生活が終わってひとまず安心……か?」


 ララは鋼竜の一件と皇帝陛下の肖像画を描いた一件で父親の怒りを鎮めることに成功し、罰としてすごしていた寮生活から解放されたのだった。


 ただよくよく考えれば、


「ララって父親からの罰則で未来堂勤務をしていたんだよな? 未来堂は辞めないのか?」


「いいのいいの。どっちみち夢を追うにはお金がいるから働かなきゃとは思ってたの。今から職探しするのも面倒だから、今はこのまま」


「夢、追うのか?」


 俺がぼそりと呟いた一言にララは亜麻色の髪とはしばみ色の瞳を揺らし、俺を凝視する。


「あんたは……」


 ゴン


 テーブルになにかがぶつかる音が鳴り、なにごとかと思ってそちらを見ると、ルビーが額を打ちつけて寝落ちしていた。


 ナルコレプシーかお前は。


「ふふ」


 ララは保護者のような顔つきでくすりと笑って席を立つ。


「ケンシロー、ルビーを抱えてついてきて」


「あ、ああ」


 とろんと可愛らしく眠るルビーを横抱きにして、俺はララの後ろをついていく。部屋の中にある部屋の扉を彼女が開き、続いて中に入る。


 寝室といっていいのだろうか、俺の部屋のベッドとは比べ物にならない天蓋付きの豪華なベッドが置かれていた。何人寝れんだこのサイズ……。


「さすが豪商……守銭奴といえど親バカか」


 こんなの娘にひょいっと与えられる代物じゃねえよ。


 その豪華絢爛な寝台にルビーを寝かせ、俺たちはまた料理の残ったテーブルに戻る。


「あんたも泊まってく? 部屋なら山ほどあるわよ?」


「いや、それは悪いから俺だけ帰るよ。明日ルビーと同伴出勤してくれ」


 同僚とはいえ女の子の実家に泊まるというのは少し抵抗がある。ララの家族もこの家にいるのだから俺の方が気を遣いそうで居心地が悪そうだ。


「うん。じゃあ、とりあえず作った料理だけでもなくして帰って。それより」


「それより?」


 ララは色の濃い瓶を持って得意そうに笑っていた。


「飲む? 葡萄酒の赤」


「飲むよ。酔っ払いの相手は酔っ払ってこそだ」


 大体、ララ自身が飲みたいからついでで聞いてきたのだろうに。あと酒癖悪いくせに。




 俺とララはソファに移動して残った夕食の主菜をつまみに晩酌を始めた。


「ルビーはあのパンで満足したの?」


「満足しなきゃ寝入ってねえよ。朝一番で焼き立てパンをねだってきてな。だから、ありがとう。まさかパンの生地をストックしてあるなんて思ってなかった」


「これくらいならいくらでも作るわよ。ケンシローとルビーの頼みだもの。料理なんてめったに振る舞わないし」


「ああ、この家は給仕人だかシークレットサービスだかが山ほどいるしな。そういや父親とラウラ・ノーラさんは?」


 ここに来る途中、ララの家族らしき人には一人も会わなかった。ララをよく知る執事っぽい人にも会わなかった。まあ、豪商といえど王族や爵位持ちには及ばない。きっとララ専任の執事とやらは元からいないのだろう。


「パパは上客対応中。ママは病院で療養中。怒りは鎮まっても私に構ってる暇はないのよ」


「せっかく家族がいるのに寂しいもんだな」


「寂しくなんかないもーん」


「ちょ、おい……」


 ララが空のグラスを持ったまま俺に体重を預けてきた。酒が回ってきているな……。


「あんたが口やかましく構ってくれるから寂しくない」


「ぁ……」


 葡萄酒の匂いを漂わせながら、上目遣いで甘えるような語調でララが話してくる。


 ララの唇をこんなに間近でまじまじと見つめたのは初めてじゃないだろうか。薄くて、紅も塗らずに艶のある桃色をしている。めちゃくちゃ近い。


「あー……酔っ払ってるってことは……なんかヤなことでもあったのか?」


「……」


 ララのとろんとした目が、薄い唇が白けたように尖る。そして俺の肩に頭を預け、


「今日の勉強会でちょっとね」


 と愚痴をこぼし始めた。


「私の描いた皇帝陛下の肖像画……真正面から否定されたの」


「あれが? よく描けてたじゃないか」


「でしょ~!? やっぱあの女、嫉妬してああ言ったんだ!」


 ララはソファから飛ぶように立ち上がり、そして葡萄酒を注ぎ直す。何杯目だよ。明日仕事あるんだぞ。酒精中毒め。


「具体的にはなんて?」


 毒を食らわば皿までじゃないが、愚痴は愚痴として全て言ってしまったほうがスッキリするのではないかと思って深く聞いてみることにした。


 するとララはグラスの酒をちびりと啜り、忌々しげに話す。


「曰く、『わらわたち画家という動物は肖像画・風景画で絵の練習をし、そして抽象画に辿り着く。あのような見たままの姿など画家と名乗れる人間ならば誰しもが描ける。陛下を練習台に使うとはなかなかのオオモノっぷりじゃな』――だってさ」


 その人のモノマネなのか、ララは妙に語調を古めかしくして話した。


「すげえ皮肉。なんて言い返したんだ?」


「なんとも。いろんな立場を背負ってそこにいたから、『えへへ、そうですかね』みたいな自虐的なことを言って下がった」


「……」


 さすが名家の娘だけある。俺だったらその場で切り捨てていたかもしれない。あ、剣持ってないんだった。


「だからケンシロー。むかつくからそいつ切り捨ててきてよ」


「いや、無茶言うな。そんなことで前科持ちになれるか」


 いや、前科になりそうなことはやったんだけどな。宮殿の襲撃とか。


「私が剣に変身してあげる」


「やめろ! そこそこ本気じゃねえか!」


 するとララは前に会ったテーブルに空のグラスを置き、俺に全体重を預けてきた。とはいえ重くはない。


「だってけっこういい勝負になるかもよ?」


「いい勝負? 俺と画家が?」


 耳元で酒に酔った声に囁かれ、少しだけむず痒い気分になる。


「だってその女、……画家兼宮廷騎士だもん」


「な……」


 画家であり、宮廷騎士である。


 噂には聞いたことあるが、そんな職業設定盛り込み過ぎな人間が本当にいるとは。


「ララ、そいつの名前は?」


「ん……」


「ララ?」


「んん……」


 ララ・ヒルダ・メディエーターは俺の隣で穏やかに寝落ちしていた。


「――」


 こいつ、以前も酒に溺れて寝落ちしなかったか? まったく危なっかしい。


「おやすみな、ララ」


 お前の隣が俺で良かったと、今日の所は思うことだな。


まだまだ第二章の導入ですが、どうぞお付き合いください。

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