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剣と画材と鋼竜  作者: 鹿井緋色
第1章 鋼竜討伐篇
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短編 画材の世界のお姫様

 ある日、じめじめする雨季が近づいてきた匂いのする時候のことだった。毎日行う朝礼で突拍子のない発言が飛んだのだ。


 金髪碧眼でさらに美しいアズさん曰く――


「蛍光塗料を作るのに、まずルクレーシャス鉱山まで行きたい」


 とのこと。


「蛍光、塗料……ってなんですか?」


「稀少だから知らないのも無理はないでしゃるな。かな~り簡単に言うと、暗いところで蛍のように光って見える塗料のことでしゃる。やれやれ、アズ……もう切らしたのでしゃるか?」


「……すまない。だがしかたないだろう? 素材卸売業者に頼んだら、いつも高値で少量しか買えないからな。蛍光塗料は貴重で高価だ」


 ……つまり、買うと高くつくから自分たちで取りに行こうということか。


「なるほど。じゃあ、ケンシロー。行って来ましょう」


 俺の剣、ララは快諾し、俺に指示を出してくる。


「またあの山に行くのか……」


 三度目の、ルクレーシャス鉱山。


『余の故郷を無闇に踏み荒らすのではないぞ?』


 鉱山の元守護者は入山を許可してくれたみたいだ。チョロ可愛い。


「じゃあ、メンツは俺とララの二人で……」


「ダメだ。行きたい、と言っただろう? これはアタシ――アズライトと、剣災。そしてシロクマの亜人の間熊――レオナルドの三人で行かせてもらう」


「……んあ?」


 アズさんに名を呼ばれたオッサンが堕落しきった声を漏らす。



 職工長の金言術師、アズライト。

 職工見習いの剣士、ケンシロー。

 清掃員の獣の亜人、レオナルド。



 ――妙なパーティが結成された瞬間だった。



    ***



「おうちにかぁーえぇーりぃーたぁーいぃーっ! 帰りたい! 帰りたい! 帰りたぁーい!」


「おいおいてめえいい加減にしろよ……」


 馬竜車の客車中で駄々をこねる中年オヤジ。なんなのこいつ……。無視しよっと。


「――で、アズさん? なんでこのメンツにしたんですか? イマイチ、アズさんの意図が分からないと言いますか……そもそも何を探しに?」


 アズさんの出発前の説明では自己完結しすぎていて要領を得なかったのだ。


「ケンシローが帰還報告で言っていた緑色に燃える蝙蝠。あれの体液が黄緑の蛍光塗料になるんだ。しかも、蓄光剤に加工できるから日光を浴びせておけば夜中でも照明がわりにできるくらい明るい。蛍光が六時間は持続するだろう。アタシの意図がどういうことか……分かるか?」


 俺は肩をすくめて応える。あの鋼竜の鱗を喰っていた燃コウモリがすごい可能性を秘めているのは分かったが、それ以外はまるで分からん。


「つまり――――深夜でも日中貯めた太陽光で六時間くらいは仕事ができるということだ」


「どんだけ仕事したいんですか……」


 作り手の中の作り手、画材店の美しきその人・アズライト。仕事をしないと不安で仕事を始めてしまう人。


 おそらく、蛍光塗料を切らしたというのは、今までも深夜にそれを使って仕事をしていたからなのだろう。


 仕事人すぎる。そりゃ、金言術師は早死にするよ……。


「……どちらにせよ、ララの剣は必要だったんでは?」


「いや、覚魔には今回の旅は危険だ」


「……なんでですか? あいつは正直、ヴァレリーでもトップクラスの魔法使いですよ?」


 アズさんは既に目の前にそびえはじめた山頂の欠けたルクレーシャス鉱山を眺めている。


「宿主を失い、破られた聖域は腐敗した濃厚な魔力の漂う魔境に変わる。そんな環境で魔力を浴び続けていたら、人間なのに魔力のセンスが飛び抜けている覚魔は――――暴走する」


「――――」


 魔力が過剰生成されて――魔が、覚醒する。


「同じ理由で、護悪もダメだ。あれも同じく魔力が暴走し、もっと手の付けられない凶暴・凶悪な邪竜に成り果てる」


 あの最強の竜が、最強通り越して最恐で最凶な竜に――――?


「――さらに同じ理由で賢獣の店長もダメだ。いや、あれが一番ダメかもしれない。いや、絶対ダメだ。うん、ダメだ。……本当にダメだ」


 アズさんの声音が世界の終末を怖れるがごとく本気だった。


「あの猫は何者? ……で、それで俺とアズさんなのはまだ得心が行くんですけど……」


 俺は駄々をこね疲れてふて寝する中年清掃員を一瞥する。


「この人は何で? 人数合わせ?」


「違う。必要ないなら連れてこないさ。……アタシだってできれば剣災と二人きりが良い」


「お、おう……」


 急に女を見せないでくれよ。かわいい人だなあ。


「剣災に魔力を溜めこむ器官が無いように、間熊――レオナルド・ダン・ヴィートには、魔力を生成する器官が無いんだ」


「……は?」


「つまりこの間熊は、どう足掻いても、魔境で強い魔力を浴びても暴走はしない体質なんだ」


「――」


 魔力を溜めこめない未成年。

 魔力を作れないオッサン。

 視て作るだけの戦えない女性。


 行き先は魔境と化したルクレーシャス鉱山――――。


 ……このパーティ、大丈夫なのか?



    ***



 三時間後、ルクレーシャス鉱山到着。および、入山。


「なあ、帰ろうぜ? オレっち風邪引いちまうよ~」


「店の清掃を毎日ちゃんとするなら許可する」


「なぁーんで未成年の小坊主の許可が必要なんだ? おうおう?」


「お前の怠け病で死にたくないから、だ!」


 ルクレーシャス鉱山の最深部までの道のりは分かるが、やはり魔境になっている。


 山全体が殺気立ち、雨季が近いというのに粉雪が吹雪いている。


 山肌は春なのに、天候は冬の状態だ。しかも、


「魔力がガンガン生成されていく感じがする……そしてガンガン体から抜けていく……」


 魔力を作れても溜め込めない俺にも分かる。今の俺は瞬間的に生成される魔力が永続的・爆発的に生成を続けているような感じで魔力に満ちている。魔力の源泉と言ったところか。気分が可笑しくなりそうだ。


 おそらく魔力を溜めこめなく、扱いがもの凄く下手な俺が今、魔法を遣ったら大惨事になる。


「ハイになるなよ、剣災」


「大丈夫です。自分のこと、空から見下ろしているように立体的に視れてますんで」


「――」


 アズさんに白い目を向けられた! 俺、信用されてねえ!?


「くっ……」


 と思いつつも、アズさんも魔力の干渉が酷いらしく、頭を押さえて俺に寄りかかってきた。


「大丈夫ですか、アズさん? 肩貸しましょうか?」


「ありがとう剣災。背負ってくれ」


「……」


「おんぶを、してくれ」


「……はい」


 アズさんを背負う。くそ、厚着しているせいでアズさんの豊満な胸の感触が分からねえ。


「……っ」


 そうこうしている間にも魔力の酔いが回りそうだった。


「お前ら、しんどそうだな~。日頃から健康には気を使えよ?」


「怠惰なあんたに言われたくない……」


 レオナルドはけろりとした顔で俺たちを見やる。ふて寝でぐっすり眠れたからか、目にクマは出来ていなかった。


 不意に、



「――――っ!?」



 どこからか魔力に満ちた殺気を飛ばされていると感じる。


「魔獣だ」

「魔犬……」

「群れだな」


 俺とアズさんは同時に気づいて言う。……と、なぜかレオナルドも同時に呟いていて、三人同時のタイミングだった。


「複数……囲まれている」


 ギュッと背中のアズさんが俺を抱きしめる。

 キュッと隣のレオナルドが俺の手を握りしめる。


「いや、なにしてんのオッサン……」


 そっちか? そっちの人間なのか? いや、亜人だったこの男。


「画材の姫様は頼んだ。借りるぜ、ケンシローの――――魔力」


 魔力というのは、人の体を介して相手に送りつけ、また受け取ることができる。つまり、魔力を生成できないレオナルドでも――――


「子どもと女を護って戦う! すんげえ心がマグマって来るぜええ!」


 亜人種の特性――――亜種化フォームチェンジ


 それが獣の亜人なら、獣化と呼ぶ。


 俺の魔力を吸って、レオナルドの体が膨らむ。筋肉が隆起し、服が裂け、寒冷地に対応する真っ白い毛並みが顔を出す。透き通るように白い毛並みで、厚い脂肪。


 レオナルド・ダン・ヴィート――シロクマの亜人は魔力でシロクマに成れるのだ。



「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」



 彼が足を踏み鳴らすと地鳴りが起き、俺の二倍はあろうかという体長の巨大なシロクマが現れ、雄叫びを上げた。


 すぐに命の危険を感じたのか、殺意の集団は去っていった。


「すげえ……かっこいい……」


 素直に褒めた。男心をくすぐる浪漫的なフォルムの雄々しいシロクマだった。


「だろぉ? オレっち、カッコいいだろう?」


「あ、喋るんだ」


「たりめーだ。獣化はただ暴れるだけじゃないんだぜ?」


 獣と人間の違い――表情が違うためよく分からないが、おそらくドヤ顔で笑っている。


 つーか、レオナルドなのにシロクマって……親の名付けセンスどうなの?


「行こうぜ。画材姫に剣士野郎」


「ああ」


「おう」


 ちょっとだけ、レオナルドの気が大きくなっている気がした。


 熊と剣士と画材姫が、雪の吹き荒ぶ春の山を行進する。



    ***



 シロクマの殺意が陰ながら歩く俺たちを護り、結界のようになっていた。


「剣災、そこを左だ」

「はい」

「剣災、そこを右だ」

「はい」

「剣災……真っ直ぐ、かもしれない」

「かもって……どうしたんですか?」


 背中のアズさんの調子が悪そうだった。


「魔力にあてられすぎた。く、魔境はやはりきついな……」


「急ごうぜ、ケンシロー。オレっちの超すげえ殺気に山が慣れ始めてやがる。気を緩めて油断した獣や魔獣が魔力にあてられて襲いかかって来るかもしれねえ」


「マジでか? 厄介だな……こっちは剣を持ってない剣士と戦えない女性と、魔力の作れないチョウスゲーシロクマの魔獣しかいないのに」


「……魔獣じゃねえよ。亜人か獣人って呼びな。つーか、オレっちシロクマは本当に超凄くて最強なんだぞ。魔力さえ分け与えてもらえればな」


「確かにそうだな。分け与えてもらえればな。とにかく進もう」


 人は一人で生きられないのに、なおさら一人で生きづらい三人が、春の雪山の最奥へ進む。


 さながら今のケンシロー・ハチオージは、熊の胆を借る狐だろうか。

 いや、狐ほど頭は良くないよな……。



 とにかく歩く。歩いて、歩いて、歩き続けた。


 その結果、俺たちは鉱山の内部に入れる洞穴まで到着する。あとは中に入って――


「あれ? 燃コウモリは鋼竜の鱗を餌にしてたんだから、中に入ってもいないんじゃね?」


「大丈夫だ……その蝙蝠は鋼ならなんでも食うはず。最奥の空間の内壁部分は……まだ餌になるはずだ……」


 全く大丈夫そうな体調に聞こえないアズさんの声音。


「……大丈夫なんですか?」


「大丈夫かよ、アズ姫」


「大丈夫のはずだ……」


 アズさんの辛そうな声を聞き、早いところ仕事を終わらせようと決めた。


 この魔境は魔が濃すぎる。


 歩く速度を速めて洞窟の最奥を目指そうと思った瞬間だった。



「ゴ――――――――ッ!」



 鋼竜と俺の戦いで脆くなっていた洞窟内の地面が割れた。


「しまっ……」


 二人と、一匹が分断され、重いシロクマが割れた洞の底に落ちていく。


「レオナルドぉ――っ!」


「ケンシローっ! アズライトを必ず護れ! お前が――――」


 勢い早くレオナルドは落下していき、暗い世界の奥底に消えていった。



    ***



「アズさん、大丈夫ですか? ――痛みますか?」


「大丈夫だ。ありがとう。剣災は優しいな」


 薄暗くなった冷える洞窟の中で、俺とアズさんは火を焚いて暖を取る。同時に店から持って来ていた茶葉で茶を淹れた。冒険は味のある飲み物が恋しくなるんだ。


 この一団の最大の戦力と分断され、魔力にあてられて調子の狂った俺とアズさんは崩れて形を変えた洞窟内をさまよっていた。遭難だ。赤色ののろしは持って来ていない。


 こんな時、魔法の遣えるララがいればと歯噛みするが、そもそもこの環境下でララが平常心を保っていられるのか定かではなかった。


「――アズさんって魔法の類は学ばなかったんですか?」


「……若い頃、環境がアタシに学ばせてくれなかった。だからひとつだけ知っている魔法があるくらいだ。それ以外はずっと自分の眼の力で補完して画材職人をしてきたことになる」


 ずっと画材職人を――。きっと、俺の何倍も苦労を積み重ねて、未来堂で画材の山を築き上げたのだろう。


「ひとつだけ知っている魔法ってなんです?」


 するとアズさんは無表情ながら頬を膨らませ、目を逸らし、


「……言いたくない」


 と子どものように呟いた。


「……この状況下ですよ?」


 使えるモノはとにかく使う。だから使えるかどうかを精査しなければならない。特に今、アズさんの目は魔境の魔力にあてられて通常の働きが出来なくなっている。


 口を引き結んだアズさんは考え、そして考え、そしてようやくため息をついて口を開く。


「痛いの痛いの飛んで行け――――だ」


「……はい?」


 それは魔法ではなく、まじないの類では……?


「痛みを感じさせなくする魔法なんだ。抜歯などの口腔治療で言うところの麻酔魔法に近いな。それの……亜種だ」


「麻痺魔法ってことですか?」


「そうだ」


 アズさんは着衣の上から体に掛けていた衣服をいじってもぞもぞとする。



「心の痛みを感じなかったことにできる魔法だ」



「ぁ――」


 俺は、閉口した。


「アタシはずっとその魔法で、心を麻痺させて、辛かったことはなかったことにして、感じなかったことにして、目で見抜いたアタシへの悪意までをも麻痺で打ち消して、今まで心の平静を保ってきたんだ」


「アズさん」


「アタシは逃げてばかりの咎人なんだ」


「……」


 視える人――視えすぎる人。視えすぎる苦痛へのアズさんが憶えた対処方法。


 アズさんの性格的な起伏の少なさは、もしかしたら今まで心の痛みを麻痺させてやり過ごしてきていたからなのか――?


「自衛の手段がそれしかなかったんですよね?」


「――ああ。だが、ひとつだけ信じて欲しいことがあるんだ、剣災。お前と会ってから――ケンシロー・ハチオージがアタシの目の前に現れてからは、その魔法は一回も遣っていない」


「……どうして、ですか?」


 アズさんは俺の隣に距離を詰めて、頬を撫でてきた。


「お前が遣わせなかったんだ。お前を見ると、なぜだか心が安らぐ」


「――」


 アズさんの心の温かみが、指から体に染み込んでくるようだった。


「剣災。今までのは聞かなかったことにしろ」


「でも」


「心を麻痺させた幼稚な女――なのは認めるが、他の連中にもそう視られるのは、ごめんだからな」


 アズさんは不器用に笑った。アズさんはちゃんと、普通の神経と血の通った人なのだ。少しだけ誤解していた。もっと超人のような人だと思っていた。


「……そうですね。二人だけの秘密です」


「ああ。二人だけの」


 アズさんは俺の頬を何度も撫でた。俺の頬の皮脂が無くなるくらい撫で、そして――


「剣災、腕の中を貸してくれないか? 少しだけ、休みたい」


「どうぞ。――あいつらには秘密ですからね」


 特に、あいつとかに知られると、ばつが悪い。あと、あいつも。


「ああ。二人だけの」


 そうして俺はアズさんを腕の中で抱き、少しだけ時間が経つのを待った。


 アズさんがものの一時間ほども経たないうちに目を覚まして、行動を再開するまでの、短くて柔らかく甘い恋人の真似事の時間を過ごした。



「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」



 とても遠く、深い陰のところで、獣が吼える声がした。



    ***



「アズさん、着きました。大空間です」


「おお……」


 二人で歩いてようやくたどり着いた洞穴の向こう。鉱山内の大空間の天井に大穴が開いて朧月が顔を出している。眠って休息したアズさんの目の調子はそれまでよりも幾分か良くなっているようだった。


 そして、ボロボロになった内壁部分には――緑に発光する燃コウモリの群れが。


「こ、こいつらを狩るん……ですよね?」


 たしか燃コウモリの体液が必要とアズさんは言っていた。


「殺す必要なはない。アタシが欲しいのはあれの唾液と汗だ。食糧である鋼をかじった時に付着して固形物になるはずだから内壁の鋼にこびりついているだろう。アタシが採取をしておく。剣災は無事に終わるように、視ていてくれ」


「……ああ、はい」

 アズさんは採集道具を鞄から取り出して、「仕事」を始める。


 でも、すぐに終わるだろう。――――だって、燃コウモリの唾液の固形物は既に昼間の光を蓄光し、暗い月夜に緑色で発光していたのだから。


「すげえ……」


 ただただ、幻想的な世界。


 緑色で、淡くて、でも、生命力のある光たちが地面から、内壁から光を放つ。


「――――――――――――」


 まるでなにかが響いているような、美しい光景。



 まばゆい蛍火を思い出す。


 子どもの頃、夏の日に村で母さんと見た蛍の光。


 母さんが蛍火を見ながら歌を唄っていた。


 蛍の光がどうとか、

 雪の光がどうとか、

 忘れられない友がどうとか、

 遠い昔のためにとか、

 また杯を交わそうだとか、


 深い意味までは理解していなかったが、あれはきっと遠く離れた人を想う、人情の歌だったと記憶している。


 俺が旧来の友人と呼べる相手はせいぜい――――


「よう、ケンシロー。ようやく追いついたぜ」


「うわっ、出た……」


 血まみれのシロクマが背後からのしのしと現れた。


 既に俺は大量に生成される魔力のせいで気配の類の察知力がぐちゃぐちゃになっていた。


「人をバケモンみたいに言うんじゃねえよ」


「そうだな、あんたはナマケモンだ。……怪我か?」


「魔犬たちのな。オレっちの傷じゃねえ。殺し損ねたが、とりあえず追い払ったら安心しろ。あいつら鋼竜のアトガマ狙ってやがったぜ。狡い犬っころだ。二度と近づくんじゃねえって言っといたぜ。ここは竜の嬢ちゃんのナワバリだからな」


 この人は、俺たちの知らない日陰で、いつも俺たちを助けているらしい。綺麗好きだから汚れているのだ。


「美化のお仕事お疲れさまだな。レオナルド」


「おうよ。働き過ぎて死にそうだ。にしても……すげえな、これ」


 レオナルドも目の前の絶景に呆然としていた。


「故郷のオーロラを思い出すぜ」


「オーロラ?」


「なんか原理とかよく分かんねえけど、空で光るカーテンみたいなヤツだ」


「ハッ、……よく分かんねえけど凄そうだ」


 いつか仕事で見に行きたいものだ。いや、仕事じゃなくてもいいんだけどさ。


 皆を連れて慰安旅行とか、幹事でもしてみようか。店長も納得の完璧な企画書を書いて提出して、旅のしおりを作って。蓄光灯で深夜まで考えればなんとか――――


「……ハッ! 気づかないうちに俺、仕事しようとしてる!」


 こわい。いつだったかルビーに言われた。確かに仕事のなにかに憑かれてる!


「なに言ってんだ、お前は……今も仕事中だろ?」


「あ……?」


「画材の世界のお姫様を護るっていう」


「――」


 閉口して、アズさんを見た。


 蛍光緑の光に照らされて、画材の素材を一心に採集している。


 なるほどあの人は――アズライトさんは――大人びて見えて、でも幼稚にも見えて、そういう壊れそうなアンバランスさがたまらなく、輝いてお姫様みたいに美しい。


 アズライトさん。あの人こそが、俺が剣と鋼の意志で護るべきお姫様。


 ――――画材の世界のお姫様。俺の画材の象徴。


 ――あのお姫様は夜寝る前に、一体どこの誰を想うのだろう。




 蛍の歌を思い出す。


「――――――――」


 淡い世界の断片で、俺にも想い合える相手が出来たらいいな、と。


「おい、ケンシロー。それ、なんの歌だ? 聞いたことあるメロディだな」


「――え?」


 無意識に口ずさんでいたか。


「……ただの、極東に輸入された、異世界の歌だよ」


「――はあ?」


 どこの地方の歌かは憶えていないが、確かに極東語訳された歌だ。世界共通の――淡い未来の歌らしい。


 本来の意味は分からないが、もはやそれはどうでもいい。解釈くらい、聞き手・歌い手の勝手にさせろってんだ。


「だから、――――大切な人に、向ける歌だ」


 歌も一種のおまじないのようなもの。


 心の痛みを和らげるもの。


 無かったことにはできないけれど、優しい旋律は魔法のように人を惹きつけ心を癒す。


「あいつ、今、何してんのかなあ――」


 ふと呟いた。


 まじないのように、歌のように、幻想のように。


 故郷に残した人を、

 学舎で別れた人を、

 職場で待っている人のことを、


 淡い世界の断片で、夢見るように俺は想っている。




「――で、レオナルドはいつ人間の姿に戻んの?」


「……替えの服がねえから戻るに戻れねえんだ」


「……間抜けな熊め。綺麗好きの間熊のくせに、初期装備を怠るとはな」


 淡い世界の断片で、俺は少し悪罵した。



 ひとつの仕事の区切りがついた気がした。




 ――――また次の仕事が始まる気がした。




 ――――剣と画材と鋼竜と、画材を作って売る仕事が。


よく考えたら「剣と画材と鋼竜」というタイトルのわりに画材成分が薄いと感じたので書いてみました。

ファンタジー世界での蛍光塗料のお話です。と見せかけてアズライトのお話になりました。

これでひとまず短編は終わりです。次回から第二章へ突入予定です。

これからもどうか応援よろしくお願いします。


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