短編 キミの右手は温かい
◎◎◎◎
玉座に座る朕の奇異な金の髪と、赤い瞳はいつになったら、白くなり吹き散るのか。
皇帝の真似事をして永年の孤独を生きると思っていた。独りだと思っていた。
この国の【皇帝陛下】として生きる朕には、友など出来ぬと思っていた。
しかし、かつて一度だけ朕の首を狙った不届きな者と、朕は友になった。
その者の名を、
「ケンシロー、そちはなにが好きだ?」
「……ん? 剣とか、ですかね」
騎士を志し、しかし魔力を溜められぬ体質故に騎士に成る夢を断たれ、一介の画材店に勤め始めた少年は朕にそう答えた。
「花は好きか?」
「……花って答えてほしかったんですか? 陛下」
そうだ。朕は花が好きだ。花を愛でることが好きだ。
たとえばこの季節だったなら、
薄紅色の花弁を散らし、青々しい緑葉を生やす極東からの贈り物・葉桜が好きだ。
「そうだ。朕はそちと一緒に花を愛でたくてここへ呼んだ」
此処――宮殿にある十三宮の中のひとつ、朕の私室【獅子宮】までだ。
「確か鋼竜討伐の話をしに来たんじゃ……いや、それはいいや。俺、花言葉はおろか、花の名前も満足に言えないんですけど?」
「敬語を止めよ。朕はそちを友と呼びたい」
「――じゃあ、アナステシアス二世? でいいのか? なんか呼びづらいな……」
アナステシアス二世か……朕の忌んでいる名前だ。自分があの侵攻帝である男の残した種子だということを何度も何度も思い知らされる。
朕はあのような悍ましい者の種子などではないと、今でも思いたがっているというのに、誰も分かっておらん。皆、あの男のように朕が虐殺に走るのではないか、と兢々として朕と接し、朕もまた、そう思われぬように恐々と日々を過ごしている。
誰もが朕に不敬を働かないようにしている。
朕が「外聞を気にする臆病者」だと陰で蔑する者もいる。
――いや、当たっているか。朕は周りの者に正しく理解してもらえぬのではないかのと、外聞を気にしているのだから。
自分の自信のなさからか、屈服させやすい少し年下のおなごしか愛でられない始末。
朕は自分が嫌いだ。朕は誰からも必要とされていない。誰からも対等に思われていない。誰も朕を真っ直ぐ見てくれない。
――ケンシロー・ハチオージを除いて。
――こやつは謁見の場で、憂鬱気味に放った朕の悪罵に拙くも反抗した。形式を無視し、勝手に朕の顔を見て、背を向け、立ち去る不敬を働いた。
――その数日後、こやつは宮殿を急襲し、妖刀斬魔を寄越せと言った。朕の意思を尊重し、対話で必要だと説いてきた。
――こやつは見事に鋼竜を討ち、帰ってきた。
――――朕のことを、真っ直ぐ見てくれた。
「……朕のことはそうだな、獅子宮の生まれだから、ダンデと呼ぶと良い」
「……ダンデ? なんでまた……ああ、ダンデライオンだからか。陛下のことダンデって呼んで来る不敬で命知らずの相手がいるのか?」
「目の前に一人出来る予定だな」
「ほう……」
ダンデライオン――タンポポの花はあまり見る機会が無い。朕の住む場所にはあまり咲かない野草だ。咲かないというより、雑草として朕が見る前に刈られてしまう。
ただ、生前の母上に教わった、綿毛を飛ばす遊びは楽しかったことを覚えている。
今ではもう、そんなことをして遊ぶわけにはいかないが――
「じゃあ、タンポポの綿毛でも飛ばしに行くか。暇だし」
「……っ」
ケンシローは人たらしの素質があると、朕は思う。
ややもすれば、人ならざるモノまでたらし込む才能がある気さえする。
聖潔であるべき宮廷騎士には向かない性格だ。
「しかし、朕はここを離れるわけには……」
今日は公務が休みの日だが、朕は気安く外に出ていい立場ではない。
「――シノビさんは、どう思う?」
ケンシローは朕の斜め後ろに立つ白装束の侍女に気安く話しかける。
宮廷騎士団屋内警備隊の九隊全てを総べる総隊長の、シノビに。
「自惚れるな。なにかあっても兄は責任を取れないだろう。――拙者が陛下の傍らに仕えるから、行き先を先に教えよ」
「――」
……シノビも存外、ケンシローにたらし込まれているかもしれぬ。
「どこに行くのだ? ケンシロー」
「おいおい、ダンデさんよ。俺の職業を忘れたのかい? 俺が自慢できる行き先はもちろんあそこ――『異世界画材店未来堂』だ」
◎◎◎◎
タンポポはケンシローの職場の近くに地味に咲いているらしい。
「まず、朕っていう一人称をしないこと。それから皇帝陛下っぽい気品とプライドに満ちた言葉遣いもしないこと。それから、――その巻布を絶対に外すなよ? ダンデ」
「しかし朕――僕はどんな言葉遣いをしたら? 頭がもぞもぞするよ、この巻布……」
「お、一般市民っぽくなってきたじゃん。金髪が隠れると一気にただの庶民だな」
朕は――僕はケンシローの妙案で、庶民の姿をして彼の勤め先の画材店に遊びに行くことになった。珍しい金髪を隠すように頭に白い布を巻いている。気になるなあ……。
シノビはというと、彼女も庶民の女の姿をしているが、目元だけは絶対に隠したかったのか、全盲のふりをして目に包帯を巻いている。
「兄、本当にこれで大丈夫なのか? 拙者にはいささか――」
「シノビさんも庶民っぽい卑屈で惰弱な口調をしてくれよ」
「兄――お前は一般市民をなんだと思っている?」
「そうだな……この国の主役、とか?」
「ぷっはははは!」
思わず僕は笑ってしまった。ヴィクトリア帝国の主役が一般市民とは。
「語り部や主役が多いと、読者が混乱すると僕は思うよ? ケンシロー」
いつぶりだろう。僕の声が愉快そうに笑っている。
「安心しろ。読者を混乱させてナナメ下の展開を押しつけるのが俺の作風だから」
ぷはは、キミの作風なんて聞いてないし。面白い。
「キミの人生は邪道だね」
「邪道結構! 言っとくが未来堂にはもっと邪悪なやつがいるから気をつけろよ?」
「お前が邪悪と評する人間がいるのか。誰だ?」
「股を蹴り上げる女の子と、金の亡者の猫と、色気たっぷりのお姫様と、気位の高い尻尾の生えたアイドルと……」
「ぷはははは! もういいよ、ケンシロー! あとはもう、僕の目で確かめるから!」
嗚呼、楽しい。自分のことを『僕』と呼んだのはいつ振りだろうか。
ケンシロー、なんだかキミは僕と同じ、人の子から生まれた只の人間には思えないくらい、面白いやつだよ。
◎◎◎◎
外に出た。爛漫の春は終わって、少しずつ少しずつ、雨季が近づいてきている。そんな匂いがスッと鼻に入って来る。雨季が終わったら、今度は猛暑日の連続なのかな。冷夏だとそれはそれで農作物に影響が出ちゃうな。国民が困るのは胸が痛む。
この世界の太陽は、きっと僕に似て恥ずかしがり屋で、目立ちたがり屋なんだ。
自分を太陽に擬えるなんて、尊大なことを思うけど。
でも、太陽光の下でこんなに歩き回るのは初めてだ。尊大な気分にもなるし、矮小な気分にもなる。
だって、街を行く国民全員が、僕を皇帝陛下だなんて知らずに接してくるんだから! 全く僕だと気づかないんだから!
「よお! そこの坊ちゃん! 良い酒があるけど買わねえかい!?」
ほら、酒屋の店主が僕を『坊ちゃん』って呼んだ! 新鮮だ!
「こらこら、クソオヤジ! 昼間っから未成年を飲酒に焚きつけんじゃねえ……ダンデって未成年だったっけか?」
「忘れたのか、ケンシロー? 僕は今年の八月で十八歳――成人するんだ。キミと同じく」
同い年の男の子と、同じ誕生月の男の子と、僕はこんなに楽しく接することができている。すごいなあ、楽しいなあ。
「待て、ケンシロー・ハチオージ。お前はもしかして忘れたのか? 法律では飲酒行為は十六歳から可能だ」
シノビが他人に対して『お前』と言っている。これはなかなかの珍事件だ。
「細かいところはいいじゃんかよ、シノビさん。今、酒屋のオヤジの客引きを追い払ってたんだから」
「ぷっ……」
いけない。まだ何も起きていないのに面白くなって笑いそうになってしまった。
ケンシローと一緒にいると、なぜだか調子が狂うというか、楽しく温かい気分になるなあ。
「突っ立ってないで行こうぜ、ダンデ」
ケンシローが剣を握るための右手を僕に差し出してくる。
「うん、ケンシロー」
僕はその手を取り、彼について歩き出す。
雑踏を切り拓いて、僕に道を示してくれる。
「おい、黒髪の兄ちゃん! 腰のそれはチ**コかぁ!?」
「うるせえな! ただのオノボリなだけだ!」
汚い言葉で罵られる僕の心強い用心棒は、恥ずかしそうに腰に木剣を佩いていた。僕を護るために恥をかいていた。ぷはははは! 面白い!
ケンシローは――この国はすごく、面白い。
でも、この遊びも今日だけ。『異世界画材店未来堂』でタンポポの綿毛を吹いたら、そこでケンシローとは一時のお別れ。また僕は皇帝陛下に戻る。皆の前で尊大に怯える毎日だ。
でもね、僕は怖くも寂しくもないよ、ケンシロー。
大丈夫。キミの右手は温かい。
この手に握られる人は――剣は、きっとキミのことを大切にしてくれるよ。最高の幸せ者だね。大切なものがあるのは、とても貴いことだよ。
大丈夫。キミの心は温かい。
汚い客引きに汚い言葉を返すキミは、到底、宮廷騎士には向いていない。
きっとその性格じゃ、トラブルばっかり起こすし、トラブルばかりに巻き込まれるだろうね。
キミはせいぜい、『厄災の剣士』って呼ばれて終わりさ。
でもそれがキミらしいよ。
――【災い転じて福となす】ってキミの故郷じゃそう言うんだろう?
大丈夫。キミの魂は温かい。
強く強く、魄動している。
このタンポポが綿毛になるまでに、キミの温かさを世間に証明してあげるよ。
大丈夫だよ。キミの右手は温かいから。きっといろんなものを護って戦える。
仕事も家族も、自分もね。
卑屈で惰弱な庶民のキミも、必ず日の当たる場所に出られるよ。
キミが僕にそうしてくれたから、僕もキミにそうするんだ。
「ケンシロー! 僕はこの国が好きだ!」
街の雑踏の中、人目も気にせず、僕は快哉を叫ぶ。愛を叫ぶ。
「なんだよ、ダンデ! 自慢かよ!」
ぷはははは、そんなわけないじゃないか。外聞を気にする僕にそんな大胆なことはできないよ。
キミのさっきの迷言の返しさ。
だって、キミはこの国の主役のひとりなんだろう?
だったらこの国を好きになるしかないじゃないか。
大丈夫だよ、ケンシロー。
心からキミを慕えるくらい、キミの右手は温かい。
だから今この時だけ、僕の名前はただのダンデだ。
玉座を降りたこの国の一般市民の、ダンデだ。
――所詮は僕も只の人。ひとりになんて、成れっこなかった。
◎◎◎◎
第二章の構想が練りあがったので、次回の短編を掲載したら、
次々回の更新で第二章スタートの予定です。
短編といいつつ、ただの短い本編です。
これからもよろしくお願いします。