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剣と画材と鋼竜  作者: 鹿井緋色
第1章 鋼竜討伐篇
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春絵師

 おかしい。


 お菓子と酒をたくさん買ったのに全然気分が可笑しくならない。どうなっていやがるんでい。


 アオネコに渡されたのは総額五〇〇〇ヤン。それで甘い菓子を買い、しょっぱい菓子を買い、酸っぱい菓子を買い、辛い菓子を買い、上等の酒を買った。極東酒は高くて手が出せなかったけど、かわりに良い葡萄酒が買えた。


 手元に残った金は五〇〇ヤン硬貨二枚。


 ……こういうのは未来堂に返すべきなんだろうか。もらったらナントカ罪になったりするのだろうか。でもたったの一〇〇〇ヤンだしなぁ……葡萄酒だって菓子だって闇市で値切って買ったやつだし、もう少し高めに見積もれば……バレねえだろ。


 ということでこの一〇〇〇ヤンは今日のうちに使いきってなかったことにしよう。


 今いる第八区の闇市なら大抵のモノが低価格で手に入る。もちろん非合法だが問題ない。なぜなら問題が起きていないのだから。

 問題は問題視されない限り問題視されないのだ。うわ、こんなやつ絶対に騎士になれねえ。


「さて、なにを買うか……」


 あまりデカいものは買えない。未来堂に戻るまでに食べきれるもの。いや、しかしそんなものが一〇〇〇ヤンもするはずないしな……。


 キョロキョロと闇市を見渡すが、魅力的なものはない。だったら表のちゃんとした市場にでも行けばいいとも思うのだが、性なのだ。懐かしい。


 養成学校に入ってすぐのヴァレリー観光がここだったのだ。もっとも、闇市に来たくて来たのではない。裏路地に迷い込んでこの第八区内の闇市に行き着いたのだ。闇市に入るには知人に紹介してもらうか自分で見つけるしかない。非合法の市なのだから表に立て看板が置かれて『ここを曲がれば闇市』なんて案内があるわけがない。


「昔と変わらねえな……」


 あの時も闇市はこんなふうに賑わっていた。青果店や酒屋、菓子屋に宝石商。さらにはどうやって裏路地に入れたのか分からないドデカい家具を取り扱う店まである。おまけに金勘定しかしない者、値切り交渉が高まって殴り合いになっている連中。そして……


「旦那旦那ぁ……いい絵がありまっせぇ……」


「出た。春絵師」


「なんスかなんスかぁ? 何に興奮するんスかぁ? ナニが反応するんスかぁ?」


「いや、今日はそういうのいいから」


「いいじゃないスかぁ~一枚買ってってくださいよぉ~一枚買ったら一枚プラスっス」


「いや、ちょ、マジでウザい」


 春絵師……春絵を描く達人。そのきめ細やかかつ大胆な筆致は成人しか買ってはいけない。


 ようするに、子どもが見るにはちょっと不健全な絵である。


 そんな春絵師は隠れるようにチーム色のフード付きマントを羽織って行動する。春絵は一応、資格がないと描いてはいけないのだ。酒ですら自由に造っていいご時勢に。


 俺の「マジでウザい」が効いたのか、売り込んできた焦げ茶色のマントの春絵師はそそそそっと消えていった。


 悪いな。今日は買わないんだ。今日はな。



「ってんでしょうがぁ!」



 不意を突いてくる怒号。これも闇市ならではだが、少し声色が危殆に瀕する。おいそれと聞き流せないようなほどに。


 声の主はグレーのマントを着た女だった。あちらさんも春絵師のようだ。


「私はもう春絵と手を切るの!」


「そこをなんとか! 二年間このチームでやってきたじゃんよ!」


「こっちにだってリアルの生活があんのよ!」


 どうやら逃げようとする女を、男が腕を掴んで食い止めようとしているらしい。


 うむ。春絵師も春絵の仕事だけでは食っていけないのだ。春絵師稼業から手を引く人も少なくない。経済的には仕方のないことなのだ。


 それくらいの喧嘩なら俺も素通りしたのだが、逃げようとする女は涙声で本当に嫌そうにしていた。


「ふぅ……少しは騎士っぽいこともするか。騎士じゃねぇけど」


 俺は両手に抱えた菓子と酒を左手だけで無理やり持ち、諍いを起こしているチームの仲裁に入った。


「ほら、女が嫌がってんだろ。やめとけやめとけ。潮時なんだよ」


 男の腕を掴んで女から手を引かせる。あいにく、俺のガタイはけっこういい。体格に比例して声も低めだ。かなりの抑止力になるはず。その証拠に、


「ちっ……くしょ……うぅ……」


 男はその場で泣き崩れてしまった。いやいや? 泣かせるつもりはなかったよ?


「大丈夫かよ。あんたは」


 男の方はもういいとして、女の方を見ると、女は憎らしそうに俺を見上げる。なぜ俺?


 そして女は蹴り上げる。俺の股間へ一直線で。


「……っつ! kう!」


「それでカッコつけたつもり!? 全然カッコよくないから!」


 そう言って女は走り去っていった。


 その場では注目の的だったがゆえに、俺はプライドで精神を繋ぎ止めて人目につかないところで泣いた。



    ***



「遅かったでしゃるね」


 女に股間を蹴られて二時間後、股ポイント……略してMPが回復した頃に俺は未来堂に戻った。あの女マジでありえねぇ……フードを被っていたから声と涙目くらいしか分からなかったが、顔を覚えて街でエンカウントしたら一発頭をひっ叩いてやろうか。


 アオネコ店長はにゃんにゃんと店のレジの前で寝っ転がりながら涙目の俺に声をかけた。


 そういえばこいつはオスなのかメスなのか。中性的な声をしているが。


「店長、闇市はしばらく行かないです」


「にゃるー」


 アオネコ店長は俺の話を聞いていたのかいないのか、するする動いて俺の買い物袋を見る。そしてクンクン匂いを嗅ぎ、


「落第でしゃる」


 と言ったのだ。業腹。


「……どこらへんが?」


 俺が聞くと、アオネコ店長は落ちつきなく動き回り、俺の左肩に乗る。


 機嫌が良いのか悪いのか分からないが、その左肩の上でのたうち回る。


「酒の肴はエイヒレでしゃる」


「趣味渋っ!」


 あいにく俺は今年でようやく成人する人間だもんで酒の肴は菓子ばかりだ。


 ちなみにヴィクトリア帝国の法律では飲酒喫煙は十六歳から可なので違反ではない。違反ではない。何度でも言うが違反ではない。


「あと、一〇〇〇ヤンは返してもらうでしゃる」


「……なんのことだか」


「一〇〇〇ヤンは返してもらうでしゃる」


「……ど、どうして分かるんですか?」


「闇市の相場でこの量なら値切りに値切って一〇〇〇ヤンくらいは浮くはずでしゃる」


「……」


 俺は五〇〇ヤン硬貨をアオネコ店長に渡した。

 俺は五〇〇ヤン硬貨をアオネコ店長に渡した。


 ……金への執着がやべぇよ。


「商売人は一ヤンすらも無駄にしないでしゃる。覚えておくとよいでしゃる」


 もしかして俺はやべぇ所に就職しちまったんじゃねえのか?


「さて、新人の心理分析も終わったところで、仕事を与えるでしゃる」


「あれ? 今のおつかいは仕事じゃなかったんだ」


「当たり前でしゃる。ララがまだでしゃる。少し時間がかかるでしゃる」


「んで? 仕事っていうのは? あんまり頭を使うのは得意じゃないんですが」


「うむうむ。君の知能指数がアレなのはさっき解析したからそれは分かるでしゃる。君の特技は身体面にあるでしゃる」


 一般教養は確かに疎い方だが知能指数を引き合いに出すのは酷くね? 知能自体は低くねぇよ。……低くないはず。


 言葉の綾なんだろうが、これが社会の洗礼か?


「メディエーター商会からの依頼を果たすのでしゃる」


「メディエーター商会……」


 ヴァレリーでも有数の大商会だ。ヴァレリーの約三分の一の経済を回している化けもんだと聞いたことがある。


「食べ物から家具、義足に剣に、魔石に文筆家……そして画材まで取り扱っている総合商会でしゃる」


「ようするになんでも売ってる化けもん商会ってわけですね……それで、なにをしろと?」


「我が異世界画材店未来堂にはとある事情によりメディエーター商会との伝手があり、画材を作って卸してもらっているのでしゃる。いわば我が社はメーカーとしての役割もあるのでしゃるな」


 ということで、はい。とアオネコ店長は俺に依頼書を渡した。


 極東文字ではなく西岸文字だったが、その依頼書を読むと、ざっとこんな感じだった。


『大建築家グウィン・デッカーの製図用定規を作ってください』


 なるほどなるほど。これが俺の初めての仕事ってわけか。うん。なーる。


「店長、俺の経歴書は読んでないんですね? 俺は定規の作り方なんて魔法騎士養成学校で習いませんでしたよ」


「にゃーる。そんなことは百も千も承知でしゃる。君にやってもらいたいことは、その素材集めでしゃる」


「素材集め?」


「にゃる。今回君に頼みたいのは明烏アケガラスの骨でしゃる」


「明烏?」


 知らない単語を反復した俺にアオネコ店長は呆れたように「にゃーる」と呟き、またレジ前のテーブルに飛び移った。


 明烏っつーのはいったいどんな烏だろうか。捕まえたらお菓子になったりするのだろうか。


 すると背後から、


「明烏。白昼闇夜に明滅する白い烏。その骨は真っ直ぐで頑丈かつしなやか。上等な定規を作るのには欠かせない。本来鳥の骨っていうのは空を飛ぶためにスッカスカで脆く軽いんだけど、明烏は魔力で空を飛ぶから骨まで丈夫。肉は美味しくないらしいけどね」


 とどこかで聞いたような声が聞こえたので振り返る。


 そこには小洒落たパステルカラーの洋服……町娘が着るには少し華美な分類に入るものを着た女が扉を開けて立っていた。短めのスカートから出るスラッとした細い脚が綺麗な稜線を描いている。年の頃は十八いかないところだろうか。


 というか……この声……。


 俺が答えに行き着くや否や、女はゲッと顔をしかませた。目の前の女も俺の顔に見覚えがあるのだろう。


「お前、闇市の……」


「わー! 久しぶりー! 三千年ぶりね! 元気だった!? 元気よね!? 良かったーうれしー!」


「え? あ……おお……」


 マジかこいつ。この声はハッキリと覚えている。さっき闇市で俺の股間を蹴り上げた女だ。


 そんな女が今まさにありもしない久闊を叙そうとしている。


 つまり、さっきの一撃をなかったことにしようとしているのだ。


「お前、ふざけんなよ。闇市で春絵を……」


「わっしょい!」


 ガツン!


 またしても女は俺の股間にダイレクトシュートアタックを決めた。酷い。酷すぎる。


「う、ぉおぉ……」


 股間を抑えて膝をつく俺と女王のようにその意気や顕然と立つ女の図。


「んにゃーお二人さんは知り合いなのでしゃるか?」


「ああ、はぁい……昔の友人ですぅ。久方ぶりに会ったのでつい昔のノリが出ちゃいましてぇ……」


 するとアオネコ店長はくあ~っと伸びをして眠そうな声で言う。


「にゃーる。春絵の書き手と買い手の関係じゃなかったでしゃるね?」


「…………」


 無言の女。そして俺。静けさが谺するようだった。


「君の御父君から聞いているでしゃる。宮廷画家志望の無資格、しかも未成年の女の子が春絵を描くチームに参加していたことがバレて、勘当がわりに傘下の異世界画材店未来堂で働かされることになるって」


 MPが回復した俺は立ち上がって女を見る。顔色が最高潮に紅潮していた。


 ああ、そういう経緯でさっきはトラブっていたのか。


「だ、だからなんだっていうんですかっ。だいたい、メディエーター家の次女の私がここで働くからその有名建築家の定規の依頼が来たんですよ? 感謝の念が足りないんじゃ……」


「感謝の念は給料袋が語ってくれるでしゃる。だから、給料袋がものを語れるくらいの仕事をしてもらえなきゃ困るでしゃる」


 アオネコ店長は柔らかく刺々しい語調で女を窘める。その強気な態度は既にアオネコ店長と女が上司と部下であるという事実を婉曲的に示していた。


 陰に陽に賢獣は人間的な性質を持つものの、人間的なしがらみに囚われない発想をするのだ。というよりかは人間的な同調圧力を嫌う。


 強い賢獣ほど白を白と言い切り、黒を黒と言い切る。


 彼女が大商会の愛娘だとしても、今はこの店のひとりの従業員である事実を変えない。


「分かったでしゃるか? ララ・ヒルダ・メディエーターさん?」


「……はい。店長」


 またしても女……ララは涙目になっていた。


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