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剣と画材と鋼竜  作者: 鹿井緋色
第1章 鋼竜討伐篇
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氷の女王

 残滓と呼ぶにはあまりにも強烈な光圧が俺の目の前を潰す勢いで燦々と弾け続け、太陽の光さえも拒絶するほどだった。


 ウツセミが放った斬撃の光は残照となって未だに目の前から消え去ろうとしない。


「ケンシロー!」


 背後からヒルダの声。少し疲れを感じながらも、俺は声のもとへと振り返る。


「ばか!」


 ラリアットをくらった。

 ラリアット……新興の格闘技の中の技の一つ。腕の内側で相手の頸部を打つ攻撃技である。


 俺はそのまま仰向けに倒れ込んだ。


「てっめぇ! ドラゴンに囚われた女の子のすることかよ!」


「あ、ごめん。そういうつもりじゃなかったわ」


 俺はキレ気味に身を起こすが、ヒルダはそんな俺にしっかり目を見て謝る。


「ごめんなさい。ラリアットくらわせるつもりはなかったの。その……こうするつもり……だったの」


 ヒルダは俺を抱きしめる。俺の首に優しく巻き付くように華奢な体を密着させる。


「ど……どういう心境の変化ですか」


「あんなに酷い扱いしたのに助けに来てくれるとは思わなかった」


「そんなこと言うなら、ここでヒルダを置き去りにしたことの方が酷い扱いだろ。怪我はないか?」


「大丈夫。あの鋼竜、けっこう手厚く私を扱ってくれたから。あんまり美味しくなかったけどご飯も食べさせてくれたし」


「そりゃよかった」


 優しく首を絞めるような力配分で俺を抱きしめるヒルダの背中に、俺は腕を回していいものか迷う。


「鋼竜……殺したの?」


「殺すつもりでやった。……つうか、首落として持ち帰る約束を皇帝と交わしてここに来た。だから死んでもらわないと困る」


「……そっか」



『汝、自身を知れ』



 耳朶に響いた神々しく麗しい声。身も凍るようなその美声は紛れもなく鋼竜のそれだった。


「嘘でしょ……」


 俺に抱きついたまま体を固めたヒルダの声を聞きながら俺は振り返る。残照が消えたそこには体の所々に赫赫の血液を滴らせて四つ足で立つ鋼竜がいた。


 ――生物としてそこに存在していた。


「嘘だろ……避けられないように首を狙って真横に斬って……それに斬魔には貯め込んだ百年分の魔力が……」


 確実に全てを断ち切る威力があると思って放った斬撃だったはず。その証拠に、手負いの鋼竜の後ろにあったはずの鉄壁はきれいに吹き飛び、鉱山頂上付近の地形は変わり、俺たちの真上には太陽が完全に顔を出していた。


 鉄面を反射するまでもなく注がれる圧倒的な太陽光の雨は、俺たちの勝利を暗示してくれるはずだったのに、今や絶望を叩きつける陰雨となっていた。


 すでに山肌の一部となった大空間には高山独特の強風が吹き込んで俺の頬を妖しく撫でる。



『汝、才能を知れ』



 鋼竜の怒りに呼応するように太陽は翳り、天候は悪くなっていく。



『汝、身の程を知れ』



「鋼竜は全身を凍らせて斬撃を防いだんだわ。防ぎきれなかったみたいだけど、だからまだここで生きて……」


 光の雨は止み、本物の雨が降り始めた。


 鋼竜が体を動かすごとにガシャンガシャンと氷は砕け落ち、まばらに傷を負った彼女の体が再び俺たちに敵意を示した。



『汝、力を知れ』



 そこで俺は気づく。氷の竜と降りしきる雨。


「ヒルダ、離れろ。鋼竜からできるだけ遠ざかれ!」



 キシンッ……。



 雨粒を伝って氷が広がる。その場一帯が凍りつく。


 俺は抱きついたまま体を固着させるヒルダを突き飛ばし、仰向けに倒れた彼女の上に覆い被さる。


 ――次の瞬間、鋭く冷たい痛みが俺の背中を襲った。


「――――――っ!」


 激痛の正体は氷。降りしきる雨が凍りつき、氷の矢となり俺たちを襲ったのだ。



『ふざけた斬撃でありんした。余、自らを凍らせて身を守ったはいいでありんすが、魔力の大半を使ってしまったでありんす。もう大それた凍結術は使えぬ。――故に天候の力を借りるとするでありんす』



 恐ろしい生命力。業腹の塊。恨殺の極み。根深い人間への復讐心。あの鋼鉄にして氷結の女竜を未だつき動かすのはそんな爛れるほどに黒く凍りついた感情なのだろう。


 太陽光を反射して眩く鋭い白銀色に光っていた鋼竜の体は今、薄暗い雨雲の下で鉛のように鈍い鉄色に陰っていた。


「ケンシロー、大丈夫?」


「はあ? 俺の心配なんかしてる場合じゃ……」



「あんたは隣に立てる?」



 下から俺を見上げるヒルダは真っ直ぐ未来を見据え、彼女のはしばみ色の瞳には小さくも強い火が灯っていた。



「ああ。立てるさ。一緒にいよう。お前が俺の――才能だ」



 どうしてなのか理屈じゃ説明できないけれど、やはりこの子の隣にいたいと思った。



    ***



 篠突く雨がルクレーシャス鉱山を襲う。まるで神域に侵入した異物を洗い流すように鋼の床に強く強く打ちつけられる。



『汝、死期を痴れ!』



 鋼竜は叫び、鳴き、強引に雨粒を氷に変えて俺たちを襲う。氷を矢のように、剣のように、鉈のようにして攻撃を仕掛けてくる。それに逆らい、俺たちは戦う。薪をくべられたわけでもないのに俺が握る剣は色鮮やかな赤い炎を纏う。


 とてもシンプルで握り心地のいい剣。


 ヒルダが完全変身魔法で変身した姿。


 その剣が熱を孕んで燃えている。


「ヒルダ、改めて仕組みを教えてくれないか? お前の完全変身魔法は他の魔法と併用はできないはずだろ」


 俺が握っている剣が火を纏っているのは、剣に変身したヒルダが火炎魔法を使っているからだ。しかし今まではそんなこと不可能なはずだった。


「あんたのおかげで跡形もないけど、この大空間は鋼竜が作ったいわば聖域だったの。鋼竜の体から日常的に溢れ出ていた魔力で私たちに干渉していたのよ。あんた、大空間にいて変に好戦的になったり、魔力の扱いが上手くなったりしなかった?」


「……確かに」


「私はその魔力にあんたより長く晒されていたからかしら、鋼竜の魔力を分け与えられた結果になって、あんたよりもうちょっとだけ魔力の使い方が巧くなったわ」


「……もうちょっと、だけなのか? これ」


「うーん……もの凄く、かしら。ついでにあんたの魔力が流れてくるのよ」


「つまり俺とヒルダの混合技か。よし、帰ったらなんかおごれ」


「だったらはやく勝ちなさいよ」


 ヒルダが変身した剣から溢れ出る炎は爆発的に広がり、降り注ぐ雨も、凍てつく氷も一瞬で水蒸気に気化させ、湯気とも蒸気とも呼べないもので真っ白に塗りつぶされていった。


 その白い景色を裂くように氷の礫が飛び込んでくるが、それもまた、盛る炎が気体に変える。



『人ケラの餓鬼共め! まだ刃向かうでありんすか!』



 怒り狂う鋼竜の氷塊を溶かし、鋼竜の鋼鉄肌を確実に熱していく。しっかりと「刃」を向かわせる。


 ヒルダが変身した剣はシンプルな見た目な割りに頑丈で、鋼竜の鋼鉄肌に打ちつけても刃こぼれひとつ起こさなかった。


 鋼竜の体を熱して叩くことを繰り返す様はさながら、金属製品を鍛鉄しているようだ。


「ヒルダ、魔力はあとどれだけ保つ?」


「あんたが剣を振れなくなるまで!」


「そりゃよかったよ!」


 それならもうそんなに長くない。


「剣の切れ味をギリギリまで研ぎ澄ましてくれ」


「え? 剣自体の強度が下がるけどいいの? 今、剣が折れたら変身が解除されてもう再変身のチャンスはないわよ?」


「……俺も鋼竜のおぞましい魔力にあてられたのかもしれない。――なんか、いつもよりよく視える」


 アズさんほどじゃないけどな。


「……信じるわ」


 狙うは鋼竜の弱点のみ。


 涼しい音が鳴り、剣の重みが変わるのを確認したら、威圧的に鳴き喚く鋼竜の攻撃を避けながら、懐に付け入る。


 俺を捕まえようとする鋼竜の剛腕をアズさん謹製ブーツで押し返すと、とうとうそこに肉薄し、一閃を見舞った。


 俺は鱗と鱗の隙間を見抜き、強度を代償に極限にまで切れ味が上がったヒルダの剣を静かに挿し入れた。


 ――氷の女王の心臓をひと突き。



『……っく、あああああああああああああああああ!』



 鋼竜は鳴き叫ぶ。それが激痛によるものだと簡単に理解できた。


 鋼竜が体を悶えさせて震えた衝撃でヒルダの剣がパキッと折れる。そのままヒルダの体は剣から人間に戻った。鋼竜の魔力にあてられたおかげで魔法の技術が上がったのか、ヒルダは着衣のままでの変身が可能になっていた。


 鋼竜は息苦しそうにのたうち回り、ぐるぐると目を白黒させて勧善懲悪劇の悪役さながらの抵抗を見せた後、突然こと切れたようにズシンと倒れ込んだ。


「――――――――」


 彼女の死を偲ぶように雨は静かに降り注ぐ。


「よく心臓を狙ったわね」


「鋼竜も生き物だからな。分類学上は脊椎動物だ。なら脳と心臓も十分弱点と言える。脳を突き刺すには一回跳び上がる必要があるが、心臓なら懐に入れば確実だ」


 心臓をひと突きという発想は明烏の時のことを思い出したのだ。あの喧嘩ばかりの捕り物劇の経験がこんなところで役に立つとは。


「よくもまあ、大胆不敵というか、よかったの? 私、もう魔力ないから鋼竜の首は斬り落とせないわよ?」


「え? 嘘……変身できないのか?」


「だってさっき言ったじゃない。再変身のチャンスはないって」


 達成感に満ちていた俺の心がスーッと冷めていった気がする。降りしきる雨が鬱陶しく感じるほどに。


「……よし、ヒルダ。二人で鋼竜を持って下山しよう」


「こんな大きい竜、あんたが十人いたって運べないわよ! 何日かかると思ってるの? 運んでるうちに魔力が回復するわよ」


 疲労感満載でヒルダは寂しそうに倒れた鋼竜を見下ろした。


「……鋼竜と話をしたの」


「話?」


「私が捕まっている間にね、ヴァレリーのこととか、あんたのこととか。夢のこととか。鋼竜にとっては暇つぶしのつもりだったんだろうけど、否定的だったけど、すっごく穏やかな声で話して……って、あんた話聞いてる?」


 ヒルダが話を止めたのは俺が聞きながら手尺で鋼竜のだいたいの首回りを計っていたからだ。聞いていますとも。ええ。


「続けていいぞ」


「言っておくけど、私は鋼竜の性格にちょっとだけ親しみを覚えていたんだからね。それをまあ、不謹慎なことしながら聞いて……」


 そこでヒルダは話すのを中断し、


「ケンシロー! 危ない!」


「――」


 はあ? と言いかけてすぐにメキメキと脆くなった金属が割れる音が鳴る。



『アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』



 瀕死の鋼竜が起き上がり、俺の右腕を左側の硬い牙で絡め取る。そのまま俺は宙吊りの状態になった。



『余、独りだけで死んでたまるか! 厄災の剣士、ケンシロー・ハチオージ!』



「俺と心中しようってか……っ!?」


 鋼竜の最後の抵抗を見せられ、俺はふっと思い出す。アズさんから聞いた鋼竜の弱点は……。


「紅玉の、瞳!」


 俺は鋼竜の下顎に体を巻き付けるようにしならせて鋼竜の右目に決定打を与えた。アズさん謹製のブーツで。


 曰く、頑丈でちょっとした兎なら一発で蹴り殺せるという、鋼竜の牙と爪でできた強力なブーツでだ。



『あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――』



 眼球に蹴りを入れた感触はよく覚えていない。なんとなく、柘榴が弾けたような感触だったと思う。


 鋼竜は牙と牙の間に絡めた俺の腕を離し、またもやのたうち回る。


 俺が蹴りを入れた鋼竜の右目から赤い体液がとめどなく流れていた。柘榴の薄い被膜が破れて果汁が吹き出るような、そんな勢いで。てらてらとした、肉を露出させて。



『あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――っ!』



 まるで赤ん坊のようによちよちと鱗を撒き散らしながら辺りを歩き回り、ようやく疲れ果てたのか、海に錨が浸かるように鋼竜は大きな音を立てて沈み込んだ。


 気がつけば静かに降っていた雨は止み、孔が空いたような雲間からまたもや太陽の光が降り注いでいた。


「今度こそ終わりか」


 俺が鱗を踏みしめながら鋼竜に近づくと、またしても鋼竜は目を剥いてこちらを見る。しかし今度の瞳には怒りや憎悪、憤怒というよりも、恐怖のようなものを滲ませていた。



『殺さないで! お願い! やめて! お願いでありんす! 殺さないでおくなんし!』



 気高き竜の命乞いだ。


「いや、散々俺たちを殺そうとしておいてそれは……」


 どっちにしろ鋼竜の今の状態では見逃しても長くて二、三日で死に至るだろう。介錯してやった方が……。



『もう、余の意志で誰かを傷つけたりしない! この体、全てをくれてやる! だから殺さないでおくなんし!』



 無駄な命乞い。五〇〇年生きてこの様とは。


 するとヒルダは静かに倒れた鋼竜のもとへ歩み寄り、しゃがみ込み、そっと鱗の剥けた肌に触る。


 おい、ヒルダ――と声をかけようとした。鋼竜がまだ抵抗してなにかを仕掛けるかもしれない。しかしヒルダは俺に声をかける暇を与えずに言った。


「本当は寂しかったんだよね?」


「……は?」


「本当はみんなと仲良くしたかったんでしょう? でも、過去のこととかに縛られて、本当の気持ちを伝えられなくて、歯止めが利かなかったんだよね? 仲直りのきっかけが欲しかったのよね?」


 ……本気か? 俺は鋼竜から本気の殺意を感じていたんだが。


「本当にこの国が憎いなら、時空凍結術かなんかを使って単身で宮廷を襲撃出来たはずだもの」


「……」


 言われてみれば確かにそうだ。そういえば、鋼竜はどこかしら人間を否定する口実を探していた気がする。鱗はコウモリの餌だとか、人間は親の仇だとか。


「ケンシローにあなたの本当の名前、教えてあげようよ。素敵な名前じゃない」



『うう……』と鋼竜は幼子のようにすすり泣き、口を開いた。



『ルビー。ルビー・メタル・シルバーでありんす』



 思わずハッと息を飲んだ。


 紅玉で、銀色で、金属。それはとても美しい名前で、鋼竜なんて悪名高き通り名よりも随分愛らしい響きだった。



『もう独りぼっちは嫌でありんす! この体をやる! 汝らの好きに使うがよい! だから生かしてくれなんし!』



「だから、お前は瀕死で……」


「ケンシロー、ひとつだけ案があるんだけど、聞いてくれない?」


「……とりあえず言ってみてくれ」


「私、あんたと違って魔法が使えるの。これってすごいことだと思わない?」


 自信満々にひけらかすようにヒルダは言う。……俺への当てつけか?


「あんたって魔力は生成できるんでしょう? 溜める力がないだけで」


「……そうだけど?」


 挑発のような気がして少し声が上ずる。


「瞬間的に大量の魔力を作ることは?」


「俺の意思では無理だが、何百回かやれば一回くらいはできるんじゃないか? ……なあ、話の出口が見えないんだが? もったいぶるなよ。お前は劇作家かなにかか?」


 ヒルダは亜麻色の髪を揺らして俺に振り返り、はしばみ色の瞳を輝かせた。


「私の残りの魔力とあんたの瞬間生成した即席の魔力でルビー・メタル・シルバーの体を治癒させるなんて、どう?」


感想・質問・アドバイス・評価等々、お待ちしてます!

よろしくお願いします!

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