反撃開始
――ケンシロー。あなたは今、道に迷って出口を探しているの。暗くてじめじめしていて、気持ちまで暗くなる。そんなところから出たがっているんでしょう?
――ケンシロー。あなたはまだ、本当の目覚めを知らないだけ。あなたはとっても、お寝坊さんってだけなのよ。だから今は楽しく夢を見なさい。
――ケンシロー。あなたはきっと、心根の優しい力持ちの男の子になる。女の子にもモテモテになれるわ。きっとあなたを取り合って女の子が喧嘩したりするくらい。
――ケンシロー。あなたは将来、絶対成功する。だって、あなたが生まれてきたってことは、世界があなたを望んだってことなんだもの。世界がそれを祝福したってことなんだもの。
――だからケンシロー、才能を見つけなさい。
――これしかないっていう才能を。この才能のために生きるんだって思えるようになりなさい。そういうものをいっぱい見つけなさい。
――力はね、剣を持つこともそうだけど、画材を使うお絵かきだってそうなのよ。鋼の意志そのものも力。生きている限り全てが力。
――だからね、ケンシロー。
――生きなきゃダメよ。
――お母さんとの約束なんだから、ね?
***
『イーセ・ス・ウォルド』
それがアズさんによって氷剣に名付けられた名前。他の魔法と同じように古代語を用いられている。
付けられた名前の由来としては、「氷の剣」というそのまんまの意味合いだという。
幾星霜の年を生きた鋼竜の造った剣なだけに、なにもかもを凍らせる強大な妖力を持つ。
魔剣・妖剣の部類に入り、その魔剣を使うには魔力が必要になる。俺は魔力を「溜め込む器官」がないだけで、魔力自体は生成できる。だからこの氷剣を扱えたわけだ。
――加えて、鉱山を出て以降、魔力の生成の調子が良い。今までよりも安定している。それはいったいなぜだろうか。覚悟の据え方の変化か、それともまた別の「なにか」なのか。
まあ、今はそんなことを考えている場合ではない、か。
『イーセ・ス・ウォルド・ティーメ』
時空を凍結させる能力。それにより術を行使した当人の俺は完全に止まった世界で行動することが出来る。といっても、今の俺の力ではヴァレリーの一部を凍らせるのが関の山だろう。おそらくその外の世界は今も普通に回り続けている。たとえば――ルクレーシャス鉱山とか。
「理論的に考えると時間を止めた分だけ周りより老けるのが早くなりそうなもんだが、多用しなければ誤差の範囲内だろうな……」
こうして俺が呟いても誰の耳にも届かない。氷剣を遣っている俺以外は全員魂まで凍結しているのだから。
現に今、シノビさんを取り巻く空間は完全に時間の進みを停止し、凍りついて動かない。
しかし凍結している相手を扱うのは気を遣う。少しでも強く触れると砕けて散ってしまう。いやらしいことには使えない能力だ。使わないけど。しかも、
「急がないと溶ける……」
皮肉なことに時間を止めるのに時間制限がある。俺の魔力生成にはムラッ気があり、調子が良いといっても安定しないのだ。それにより、予期せぬ状況で時空凍結が解ける可能性がある。
俺は俺を取り囲んでいた九〇〇の軍勢とやらを壊さないように素通りして、大きな池の庭園を抜ける。ここからが本当の意味で正念場だ。
「……悪いことをしているとは、思っていますよ。シノビさん」
この声が完全凍結したシノビさんに聞こえているか聞こえていないかは――そうだな、それこそ効いているなら聞いていないし、効いていないなら聞いている――と表現しておこうか。
宮殿内の霜の降りた緋色の廊下を走ってアナステシアス二世の閨を目指す。こういう時に凍りついてツルツルの大理石の床にこけないのはアズさん特製の鋼ブーツのおかげだ。
「くそっ、当たり前だけど案内板とかってないんだよな……」
そんなものがあったら他国の隠者に皇帝陛下が殺されまくりである。
「……とりあえず、記憶を頼りに大広間まで来たんだが……皇帝陛下は……」
「朕に用が有ってきたのか?」
「――っ!」
振り返ると上手袖から金髪赤目で白人の少年が春の雪解けのようにゆっくりと自然に現れた。――片手に極東製の妖刀『斬魔』を携えて。
来た。ようやく会えた。
「あんたは止まってないと思っていましたよ、皇帝陛下。悪魔の取り引きをしましょう」
鋼竜からヒルダを取り返すためのモノがすぐ目の前に。
***
「帰ったか、剣災」
「なんとか生きて帰ってこられましたよ。鍛鉄お願いします」
現在、異世界画材店未来堂の工房内。
不器用な笑顔で迎えてくれたアズさんに俺は妖刀『斬魔』を手渡す。
俺が皇帝陛下の宮殿を急襲した目的。
それは鋼竜の首を手に入れるためにどうしても陛下の持つ妖刀『斬魔』が必要だったから。
「あまねく全ての魔法を斬り、無効化する業物でしゃるか。イーセ・ス・ウォルドはどうしたでしゃるか?」
アオネコ店長がぬるぬる動いて俺の背中に乗ってきた。
「斬魔の代わりにあげてきました」
「にゃんと!? あんな大業物を!?」
「イーセ・ス・ウォルドと鋼竜の首が斬魔を渡す交換条件でしたので」
力ずくで手に入れようと思っていたのだが、斬魔に『イーセ・ス・ウォルド・ティーメ』を完全に無効化されてしまい、泣く泣く交換することにしたのだった。
だがそれで正解だろう。話を聞いてもらえないと思っていたから急襲したのだが、案外話を聞いてもらえ、結果的には禍根を残さず目的を達成できたのだから。
「斬魔の魔力無効化能力のおかげでアナステシアス陛下は時空凍結術から免れていた。イーセ・ス・ウォルドを無効化できる妖刀を手に入れたんだ、損な取り引きではないだろう」
早速アズさんはサンプルとして残していた鋼竜の鱗で刀身を研ぎ始めていた。仕事が早い。
「イーセ・ス・ウォルドでできる能力なら鋼竜自身も使えるだろう。氷の鋼糸も氷の斬撃も時空凍結術も。あの時の鋼竜にはかなり手を抜かれていたということだ」
「はい。だからこその、斬魔ですよね。こいつで鋼竜の魔法を完全に無効化する」
「鋼竜の年齢は約五〇〇歳。賢獣。性別は雌。得意分野は氷結魔法。体質は鋼。主食は鉱石。……弱点は眼」
シャッシャッと妖刀を研ぎながらアズさんは自分で視たことを羅列する。
それがルクレーシャス鉱山最強の守護竜、鋼竜の本当の姿だ。
今度こそ、勝てない戦いではない。
***
七日後、ルクレーシャス鉱山。
入山までに六日間を無理やり走らせた馬竜車の中で過ごし、入山してから一日が経過した。一度通った道を再び通るだけなので、大荷物を背負っていてもさして移動に手間取ることはなかった。
真っ暗な鉱山内で太陽光が乱反射する抜け道を再発見する。そしてそこに足を踏み入れた時だった。
『汝、ようやく来たか』
どこからともなく鋼竜の声が聞こえた。この時点で既に鋼竜の縄張りらしい。いや、腹の中といったところか。だったら腹の中から剣で突き破ってやる。
『はよう、来るでありんす。余は汝が来るのを常しえのように首を長くして待っていたでありんす』
よく言うぜ。幾星霜生きている賢獣のくせに。ここは一日千冬の世界とでも?
俺はごくっと生唾を飲み込んで再びルクレーシャス鉱山内部に足を踏み入れた。
鋼鉄が輝く光を乱反射させる幻想的な世界はまたしても俺の好奇心を湧出させるのだった。
「いかんねぇ……目的がブレたら見えているものまでブレちまう」
俺の目的はヒルダ、お前だ。
図々しい女だけど、口の悪い女だけど、股間を蹴り上げるような凶暴な女だけど、危険を冒してまで勝手に加勢しに来る女だけど、俺には助け出す義務がある。
いや、違うか。
義務とかじゃなくて、俺があいつを守りたいんだ。
どういう理屈とかどういう理由とかはよく分からないけど、隣にいないと不安で、隣にいて安心させて欲しいと思うんだ。
ただの、それだけの、俺の才能。
だからさ、ヒルダ。
――――――俺を助けてくれよ。
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