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剣と画材と鋼竜  作者: 鹿井緋色
第1章 鋼竜討伐篇
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 十四歳かそこらの年の頃、魔法騎士養成学校の名前も知らないやつに石を投げられた。


「騎士を志しているくせに、簡単な魔法も使いこなせないポンコツのくせに」と言われた。


 俺はそれに正しく言い返せず、木剣を振るって対抗した。そしてそういう場面が幾度となくあり、決まって俺は関係者、無関係者といろんな人に糾弾されたのだった。


 俺はいつだって悪者で、落第者で、引かれ者で、愚か者で、無能者で、負け組だった。


 今まで味わった屈辱と辛酸は数え切れないほど多く、その記憶は忘れたくなるほどよく覚えている。


 だから俺は剣に固執して、剣で勝ちたいと思うのだ。


 恥も外聞もかなぐり捨てて、未来を剣で切り拓くと決めたのだ。



 そしてその屈辱は目を覚ましてもさめないままだ。



    ***



 うすら寒い夢を見た。騎士の俺と画家のヒルダと職人のアズさんとアオネコ店長が慎ましくも平穏な画材店を共同で営んでいて、皇帝と鋼竜は仲良く平和的盟約を結び、全てが丸く収まっている。そんな寒々しい夢を見た。


 誰も傷つかない、誰も損をしない。そんな夢だった。それが夢だと気づいたのは、蒸し蒸しとした工房の熱気にあてられて目覚めたからで、目覚めたときの俺の傍らに氷色の綺麗な剣がただ閑寂として横たわっていたからだ。



 ――ああ、どうして俺は……。



「起きたか? 剣災」


 アズさんの声がする。顔を見ようと思ったが体が痛くて起き上がれない。


「アズさん、看病してくれたんですか?」


「傷を治したのはアタシじゃない。店長だ。アタシはそれを視ていただけだ」


 視ていただけ……。


「俺も、視ていただけです。視ていただけでなにもできなかった……。いや、視てすらいなかった。俺は、なにも見えていなかった……!」


 流したくもない涙が勝手にほろほろと流れ出す。人前で、しかもこんな美人を前に悔し涙を流したのはいつ以来だろうか。


 悔しい。悔しい。悔しい。なにも視ていなかった。なにも斬れなかった。なにも護れなかった。なにも変えられなかった。不出来な劣等生はやはりただの劣等生なのだ。


 味わったのは紛れもない「挫折」だった。


 悔しくて悔しくて、涙が止まらない。


 悔しくて……。


「やっと起きたでしゃるか」


 ――アオネコ店長だ。


「あ……お……ねこ……っ!」


 アオネコ店長がそこにいる。ヒルダを見捨てて俺をここまで連れ帰ったアオネコ店長が。


「てめぇのせいでヒルダが!」


「覚魔くんも同じことを言うと思うでしゃる。助けやすさを重視した結果でしゃる」


「てめぇは人の命の価値を算数で決めんのか!?」


「そんなわけがないでしゃろうが! うぬぼれるな糞餓鬼! あの場面なら我が輩だって金で手に入るのなら迷わず金を払う! 我が輩がただの四則演算でララ・ヒルダ・メディエーターを見捨てたのだと本当に思うのでしゃるか!? 君が我が輩の選択を否定するというのなら、我が輩が助けた君の命そのものが否定されるのでしゃる! 命を軽んじているのはどっちでしゃるか! 命知らずの分際で!」


「くっ……」


 アオネコ店長の怒号になにも言い返せなかった。


 命知らず――まさしく俺に似合いの単語だ。実力に似合わない殺されに行くような戦いをしかけ、同僚を巻き込み、人質にとられて死にかけている。自分の命の采配を間違えた。命の価値を知らなかった。才能が足りなかった。勝手に敵対した鋼竜にまで汝自身を知れと言われる始末。自分自身への屈辱感でいっぱいだ。今になってようやく自分を省みる。


「……すみま……した」


「なにが言いたい! はっきり言うでしゃる!」


「すみませんでした!」


 涙で息がうまくできない。


「俺が、ヒルダを巻き込みました! 心配かけさせて、とらわれの身にさせて……俺が……」


「もう止せ」


 アズさんが片手で俺の両目をふさぐ。アズさんの手は暖かいのに俺の肩は寂しく戦慄くだけだった。同僚を死地に置き去りにした自分の才能のなさがただただ悔しい。


「過去のことを悔い続けてもしかたがない。今からなにができるかを考えろ、剣災」


「今からなにが……?」


「剣災の体にかけられた呪はじきに解除できる。肝心の武器だが……」


「いっ……」


 アズさんは俺の体を強く持ち上げ引きずりながらイスに座らせた。尻の皮がずる向けになるところだった。


 そして美しい氷色の剣を持ち上げた。


「この氷剣、なかなかの業物だ。アタシが鍛えればヤツに打ち割られた大剣以上の仕事をする。なにより美しい……」


 氷剣を見ながらアズさんはうっとりする。魔力でもこめられているのか、その氷剣は奇妙なほど人を惹きつける。


「鋼竜を視て気づいたことがあるんだ。聞いてくれるか? 剣災」


 俺が静かにうなずくとアズさんは碧い瞳をまっすぐ俺に見せて言った。


「鋼竜は――――――」



 アズさんが話し終えて俺はそれなりに鋼竜を理解した。アズさんの観察眼に狂いはない。


「さて、剣災君。君はこの剣でなにを斬る?」


 アオネコ店長の問いかけに俺は考える。


 俺が切るべき相手。


 力を借りる相手。


 助けたい相手。


 譲れないモノ。


 根源。


 考えた。


「俺が斬るのは……あの首だ」



    ***



 俺の心は冷静に煮えたぎっている。


 真っ黒なフードつきローブを身にまとい、氷剣を佩いた俺がたどり着いたのは皇帝陛下アナステシアス二世の住まう御所である神前宮の門前、宮殿前通り。考えていることはただひとつ。ヒルダを救うために首を討つ。


「ヒルダ……待ってろよ。すぐ行く」


 そう呟き決意して、俺は宮殿前通りを横切り門前に足を進める。


 鉄格子で頑丈に防御された門扉をじろじろ見上げていると、門兵が声をかけてくる。


「おい、何者だ。腰のそれは剣か? その格好……」


 門兵は俺の姿をじろりと見る。もちろん怪しげなフードを被った騎士など騎士とは呼べない。


「騎士でないのならその剣は没っしゅ……」


 門兵が近づいてきたところで俺は剣を抜き、彼に氷色の切っ先を向ける。


「なんのつもりだ、貴様……!」


「こういうつもりだよ」


 俺はそう言って硬く頑丈な鉄格子を、冷やして斬った。


 俺がアナステシアス二世のいる宮殿に来た理由――いわずもがなそれは皇帝陛下を強襲することだった。


「貴様!」と怒号を放った門兵を剣のはらで殴打して気絶させると、俺は正面から堂々と宮殿構内に侵入する。


 ここで負けて捕まれば俺には打ち首か磔刑、鳥葬もしくは数え切れない拷問が待っている。必ずや成功させてみせよう。汚名返上のチャンスはここしかない。


 絶対奪い取らなければ。



    ***



「――状況は最悪です! あれは、剣を持った厄災です!」


 そう言ったのは宮殿直属の衛兵だったか、極東の故郷にいた時の昔の大人だったか。


 俺は構内に侵入して真っ直ぐ進んだ。


 それはもう真っ直ぐだ。


 制止しにきた衛兵たちを剣のはらで叩きのめし、障害物の壁や扉を切り崩して進んだ。広い宮殿内を堂々と歩いてアナステシアス二世の寝室を狙う。


 ちょうど大きな池のある大庭園にさしかかった時だった。


「兄の愚行にはがっかりだ」


 腰に剣を佩く白装束の侍女、シノビさんが現れたのは。


「よお、シノビさん。ちょっと皇帝陛下に欲しい物ができたんだ。頂戴させてもらおう」


「残念だが兄に進呈できる物はない。そんなに欲しければ役所に行って申請用紙に必要な物を記入して提出することだ。そうすれば然るべき審査を経て兄の望む物を出来うる限り与えよう」


「お役所仕事ごくろーさん。そんなに待っちゃられねぇんだよ!」


 俺は初めて人間相手に生身の剣の切っ先を向けて斬りかかった。シノビさんを殺すためではない。シノビさんに殺されないためにだ。


 シノビさんは腰に佩いていた剣で容赦なく俺に斬りかかる。その刃先は躊躇なく俺の首もとを狙っていた。


 俺はその剣を自分の剣で受け止め、横に受け流す。ギリギリギリギリと金属が軋む音が鳴り、俺とシノビさんは間合いを取り直す。


 そしてシノビさんは静かに「ヴァース」と呟く。


 その次の瞬間、静かな麗水を湛える池の水を枯渇させるほど強烈な灼熱の炎が俺と大庭園を襲う。


 その空間が猛火炎に舐められると、池の水は干からび、草木は燃え果てる。それでもなお、俺の氷剣は健在だった。


 さすが鋼竜の造った氷の剣。鋼のように強く、氷点下より冷たく熱に強い。俺はその氷剣の影に隠れて身を守っていた。


「兄の剣技、剣で制するにはなんとも難しい。だから魔法でと思ったのだが……その剣、並大抵の鍛冶屋の作ではないな」


「お褒めに預かり光栄だ。実はちょっと特別製でね」


 なにせ鋼竜の生成した氷の塊を街外れの一介の画材屋さんが鍛鉄したんだから。


「兄よ、殺す気でかかってくるといい。さすれば名誉ある死を与えてやろう」


「……おっかねえ。おっかねえなぁ!」


 ならばと俺は氷剣を振るう。帝国式の攻撃魔法というものは基本的に遠距離系のものばかり。シノビさんも俺を剣技で制するには難しいと言っていた。ならばここはやはり剣戟でしかないではないか。


「ストログ・ゲネルアル・モア」


 俺が氷剣で斬りかかってすぐにシノビさんは唱える。全く聞いたことのない呪文だった。


「ただ徒に術を弄するだけが魔術ではない」


 シノビさんは俺の氷剣を手掴みで捉え、力ずくで押し戻した。俺が両手で握った氷剣を左手一本でだ。そしてその左手で俺の額に触れる。


「ゲタコルド・イ・フルーザ」


 またしても知らない呪文をシノビさんは唱える。するとたちまち俺の体は気怠く重くなる。体中が軋むように痛い。


 俺は息をするのも苦しくなってその場に倒れ込んだ。


「ストログ・ゲネルアル・モア――全身の膂力を最大限上げる魔術。ゲタコルド・イ・フルーザ――重度の感冒症状を引き起こす魔術だ。死ぬ前に覚えてくがよい。厄災の剣士」


 シノビさんは白装束を真っ白いままにして俺を見下ろす。俺はというと、体中が熱いのに気持ちの悪い悪寒がする。そんな最悪の体調でシノビさんを仰ぎ見た。


「直接攻撃以外にも敵の殺し方はある」


 シノビさんは俺の胸ぐらを手ずから引っ張り上げ、目元を隠した白いマスク越しに俺を射殺すように鋭く見つめる。


「兄がなにを欲して此処まで来たのか、拙者には興味の外だ。何故なら兄はここで死ぬ。侵入者として永遠に拭えぬ罪を負ってな」


 ザザザザザッとまだ俺に倒されていなかった衛兵たちがかけつけ、俺とシノビさんの周りを囲む。正確には宮廷騎士団屋内警備隊だ。


「遅くなりました、総隊長様!」


「詮無きことだ。もう終わった」


 シノビさんは言うと俺からパッと手を離す。すると俺は重く軋む体を地面にぶつけた。


「磔にしておけ。具体的な刑罰は陛下に決めて戴く」


 くそっ、体が動かない。まるで陸地に強く縛り付けられているような感覚だ。頭痛までしてきた。


 ここで終わりか? ――いや、まだだ。


 まだ俺はなににも縛られていない。まだ戦える。



 ――よし、使おう。



 アズさんに教わったあの秘術を。



『イーセ・ス・ウォルド・オヴァール』



 鋼竜が氷剣に宿した力。アズさんがその眼で見抜いた力。氷と鋼の混紡物。


 俺の体は氷色の繊維に操られるように立ち上がった。俺が無理やり立ち上がらせたのだ。


「……なにをしている。その魔術はなんだ?」


 シノビさんは眼光鋭く俺を見つめ、検分している。しかしどこか動揺を隠しきれなかったようで、会って初めて彼女の声が震えた。


「見たまんまだ。これが俺の――借り物の剣だ」


 氷を自由自在に操る剣。それがこの氷剣の正体。


 今の俺は鋼のように硬く糸のようにしなやかな氷を生成して自分自身の体を支えている。さながら操り人形のように。


「ふざけるな。兄は魔術が……」



『イーセ・ス・ウォルド・スルアーシュ』



 そう唱えて俺は大きく氷剣を振った。


 全てを凍てつかせる氷の斬撃がシノビさんに向かって飛んでいく。



 ガシャンッと氷の斬撃がシノビさんにぶつかり、白い冷気でその場が白む。


 斬撃といっても切れ味はない。調整された、ただ単に鎌の形をした氷の塊が飛んでいっただけだ。最初から俺は目標のモノ以外殺すつもりはない。


 この氷剣の正体は魔道具の一種だった。魔道具は妖刀、魔剣、聖剣、杖などの総称。総じて奇異な特殊能力を有した人智を超えた道具だ。アズさん曰く、この氷剣はかなり上位の魔道具になるという。


「参ったな。これでは腕が使い物にならない」


 冷気がかき消えると、そこに現れたのは両腕を凍らせたシノビさんの姿が。おそらく氷の斬撃を両手で受け止めて凍りついたのだろう。


「だったらそろそろ陛下に会わせちゃくれないか? 欲しいモノがあるんだ」


「それはできぬな。陛下への謁見は大義あるものにしか許されない」


「その状態で言うか? シノビさん」


 ピクリとシノビさんの雰囲気に怒気が孕む。


「その状態? ならば問おう。兄を取り囲む九〇〇の軍勢が、屋内警備隊九隊を総べる九人の隊長格達が、陛下への謁見を許すと思うのか?」


 チャキッと周囲を取り囲む衛兵たちが武器を構える音が鳴る。それでも俺は強がって、病魔に侵される体を軋ませて凄む。


「どうしてもってんなら、力ずくで……」


 もう一度氷剣を構えて斬撃の準備をする。


「キャドル」


 燭台に火を灯す軟い魔法。なんてことはない普通の魔法でシノビさんは両腕の氷を溶かした。


「兄よ、詰めが甘い。殺す気でかかるように言ったはずだ。改めて問おう。殺意はあるか?」


 シノビさんは左手をこちらにかざし、悠然として俺に問いかける。その言葉の端々に、確固たる殺意が込められていた。


「そんなものねえよ。殺意は、人が人に向けるためのものじゃねぇ」


 突然体がフワッと精気を取り戻した。シノビさんが俺にかけた病魔の魔法が解けたのだ。


「これで終わりだ。辱められたくなかったら陛下を呼べ」


「うぬぼれるな。身の程を知れ」


「思い知ったつもりだよ」


「ヴァース」


 シノビさんはしつこく炎を展開する。


 だから俺はこう唱える。躊躇なく、殺意なく、淡々と唱える。



『イーセ・ス・ウォルド・ティーメ』



 全ての風は凪ぎ、氷の世界が訪れる。


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