第五章04 銀色と暗闇
ダブルベッドに腰掛けて、俺はひたすら素数を数える。素数ってなんだっけ?
女の子の部屋に入ったことはあるが、女の子の風呂上がりを一人で待つというのは初めてだ。
女の子? 子?
いや、見た目は女の子だ。絶世の美人の女の子だ。
珍しい金髪に、透き通るような碧眼に、豊満な胸。
顔、スタイル、性格の全てが美しく艶めかしい女性。
そんな女性の風呂上がりを待つという展開はどういう意味の展開だ?
成人向けお伽噺ではどういう意味の描写になる?
先月で成人した俺は風呂から戻ってくるアズさんにどうしてあげるべきなのだ?
もはや俺の頭の中にその邪な答えは出かかっている。
しかし俺は恋人がいる身。不貞行為は厳禁である。……ころされるよー。
「くそ、一体どこまでならしていいんだ……?」
――いや、どこまでもなにもしちゃいけないだろ。
職場のお姫様とそれを守る騎士が不純な関係になるのは良くない。
えっちなのはよくないとおもいます!
「剣災。待たせたな」
ドアノブをひねる音が鳴って、アズさんが部屋に戻ってきた。
「ああ、いえ……」
風呂上がりでほんのり上気した肌に、湿った金色の髪の毛。そして、真っ白なガウンに身を包んだアズさんが目の前に。
「あ……えっと」
「……どうした? 剣災?」
アズさんが無防備に小首を傾げて金髪を揺らす。そして俺の隣に座った。
石鹸の良い香りが俺の思考を惑わせる。
俺はアズさんの問いにもごもごと文字にならない言葉を発して少女趣味の部屋を眺める。
「ダブルベッド……なんですね……」
かなり前に恋人ができたことはないというようなことを聞いた憶えがある。
「ああ、剣災に出逢ってから買い替えたんだ」
本気かよ!? 本気すぎるだろ!
返す言葉がねえよ!
「じゃ……じゃあ、俺とルビーからの誕生日プレゼントを早速……」
早速というほど早速でもないが、とにかく手短に済ませよう。
「俺とルビーからのプレゼントはですね……」
「待て、剣災。その前に自慢をさせてくれ。アタシの今日の戦利品を」
「じま……戦利品?」
――他の連中からの誕生日プレゼントのことか。
「剣災が酒宴で寝ている間に貰ったんだ」
アズさんは帰宅してすぐにベッドに置いていた肩掛け鞄を引き寄せて、中身を取り出そうとまさぐりはじめる。
気を抜いたらどうしても胸の谷間に目が行ってしまうので、努めて俺はアズさんの首から下を見ないようにした。
「まずは覚魔と賢樹のプレゼントだが……絵だ」
……絵か。ララがやりそうなプレゼントだ。
取り出したのは折り畳まれた紙。アレスの紙。
アズさんはそれを開いて折り目が消えたその紙の絵を俺に見せる。
「俺と……アズさん……?」
描かれていたのは俺とアズさん。アズさんが俺に画材の作り方を教えている場面が描かれていたのだ。勿論、精密で本物と見紛うような絵のタッチだ。
「絵を描いたのは勿論、覚魔だ。そして紙と顔料を調合したのは賢樹。いいだろう?」
「……すごいですね」
「こればかりは剣災にはやれん。毎朝これを眺めて朝食をとることにする」
「いや、俺はなにかの教祖様とかじゃないんですから」
とはいえ、俺が用意したわけでもないプレゼントだからどう扱えとお願いもできないのだが。
「そして剛砂からのプレゼントは……これだ」
「――――これ?」
それは、刺繍の入った布、数枚だ。西岸文字を縫い込まれていて、
【肩たたき券】
と、書かれていた。
「お、おう……」
九歳の子どもが考えたみたいなプレゼントだなおい。
しかもこれ……デザインがよく出来過ぎていて、使うに使えないじゃないか。
これ、使ったらリシェスが回収するんだろう? 使うに使えないじゃないか。
「分かっているさ、剣災。これはつまり……作ってくれたという気持ちが嬉しいんだ」
使わせない気満々であげていると思うけどなあ。
「そして間熊。あいつはすごいぞ」
「なにか貰ったわけじゃないですよね?」
一足先に帰ったあのオッサンにそんな甲斐性があるわけ……。
そしてアズさんはカラになった鞄から手を離して、
「最初から渡すつもりがなかった」
「あ、あい……」
ただ単にあいつは酒をタダ飲みするためだけにけろりとした顔で誕生会に顔を出していたのだ。すげえ肝が据わってやがる。
「それで剣災。お前からは何をくれるんだ?」
「あ、はい。俺とルビーからは……」
アズさんが興味津々になっている。画材のこと以外に興味を示すのは珍しい。
なので、俺は自分の鞄から小箱を取り出して、活き活きとした眼のアズさんに渡す。
「はい、どうぞ。開けてください」
「これは……」
アズさんはとても優しい顔で小箱の縁をなぞった。既に中になにがあるのか、碧い瞳には視えているのだろう。
アズさんは小箱のフタを開け、銀色に光るリング状の「それ」を取り出す。
「鋼竜の鱗を加工した――『指輪』か」
「すみません。宝石の類は付いてないですが」
ルビーが鱗を提供し、俺がそれを加工して作った合作。俺の拙い技術を結集させて作った一品。綺麗なリング状にするのに集中しすぎて宝石を用意と、付けるのを忘れてしまった一品。
ルビーのアドバイスで作ることを決めた一品。
「一応、鋼竜の加護付きです」
金言術師でもなく、魔人でもないただの人間の俺に与えられる加護は無い。
「ありがとう、剣災。アタシはとても嬉しい」
アズさんはそれを、――左手の薬指にはめた。おいぃ!
「……外では違う所にはめて下さいね……?」
勘違いされるから。とんでもない勘違いをされるかもしれないから。
「分かっているさ。――――ついでだ、剣災。今日は泊まっていけ」
「……なんのついでですか?」
こんな美女の部屋に泊まって何も起きないはずがないだろうに。俺次第だけど。
「もう、夜も更けてきた。こんな夜道に剣災を歩かせるのは危険だ」
「そんなはずないでしょ。俺を襲うやつがいるわけがない」
むしろここに泊まった方が襲われるリスクは上がるのでは……?
「剣災、隣で寝てくれるだけでいいんだ。なにもしない。なにもしないから」
「……」
アズさんの懇願にも似た金言。言葉を重ねたことで余計に嘘くさい。
「……本当に?」
「キンゲンジュツシ、嘘ツカナイ」
嘘くせえ!
「お願いだ、剣災。せっかくの誕生日に独りぼっちは嫌だ。添い寝してくれるだけでいい」
「……」
ここまで女性に頼まれたら、嫌と言うのは失礼だ。
「分かりました。添い寝するだけですからね? 俺はララを裏切らない」
大丈夫。ララは寛大だからアズさんと添い寝しただけでは怒らないはず。
「本当だな、剣災! 早速寝よう!」
アズさんの顔がパッと華やぎ、興奮を隠せていないでいた。これから寝る人とは思えない。
灯りを消し、ダブルベッドに並んで横たわる。俺の左隣にアズさん。
「……」
カーテンを閉めて月明かりも入らないとなると、部屋の中は全くの暗闇。だが、隣には人の気配。絶世の美女がそこに居て、俺を慕ってくれている。
気配の先を見ても、真っ暗で何も見えない。
しかし声は聞こえてきた。
「アタシの眼は暗闇でも視通せる。……剣災は理性が強いんだな」
「……そう視えます?」
「理性はある方だと思うぞ。知性は……アレだが」
おい。知性の方が幾分か大事でしょうに。
「その固い理性がいつか急に壊れてしまわないか、心配だ」
「――」
「剣災」
アズさんの右手が俺の左手に触れる。
「大丈夫だ。怖くない」
アズさんの優しい声が俺の耳に届く。
「怖くないからな」
ベッドが軋み、アズさんの吐息が頬をかすめる。
「アズさん?」
「どうしてアタシがファーストネームで呼ばせないか、分かるか?」
「……さあ」
アズさんのフルネームは、ザラカイア・アズライト・シーカー。
彼女が親密の証しであるファーストネームで呼ばせないのは、職務上の立場からだと思っていた。しかし、職務と離れた時にまで「アズさん」「アズライト」と呼ばせるのは……。
「アタシは自分のファーストネームが嫌いだ。アタシは自分の生まれが嫌いだ」
「生まれ?」
「幼い頃、オラクル孤児院に住んでいたんだ。そこで今の名前を付けられた。ザラカイアはそこの修道女の長に付けられた」
オラクル孤児院……一般的にはあまり良い生まれとは言えない。
「ザラと呼ばれていた。それが少し嫌だった。……いや、孤児院暮らしが嫌だったから、それを想起させるザラカイアという名前まで嫌いになったんだ。ザラカイアという名前がその時は名前の全てだったから」
「――」
「アタシは孤児院で嫌われていた。眼の扱いが下手でな、なんでもかんでも本当のことを言ってしまった。自分でしたことだが、居づらい場所だったよ」
視えすぎる眼の取り扱いに困るのは俺も加護を通じて経験済みだ。
「アズさんはどうして、今の仕事に就いて……」
どういう流れで彼女は異世界画材店未来堂に流れ着いたのだろうか。
「店長に引き取られたんだ。修道女の長は最初だけ拒否していたが、店長が提示した金額を聞いて、意見を翻した」
「それって……」
「ああ。アタシは店長に買われたんだ。飼われて、変わった」
賢獣に買われ、飼われ、変わったアズさんの人生――
「最初は嫌々ながら画材の作り方を学んだ。だが、いつのまにかアタシはその仕事が好きになっていた。そして、いつだったか店長は、アタシに『シーカー』というファミリーネームを付けた。そして、アタシ自身にミドルネームを付けさせた」
俺の左手が彼女の右手に絡まれる。
「その名前が……」
「アズライトだ」
アズさんが自分で自分に付けた名前。
「いい名前ですね」
もしかしたら、人にあだ名を付けたがるのはそのせいなのだろうか。
「ケンシロー・ハチオージ。お前の名前も力強くていいな」
「どうも」
「ケンシロー・ハチオージ。ケンシロー・ハチオージ」
彼女にしては珍しく、俺の本名を何度も呼ぶ。
「どうしましたか? アズさん」
「アタシはケンシロー・ハチオージが好きだ」
「……」
甘えるような声で、アズさんは俺に既知の告白をしてくる。
「ありがとうございます。でも俺は、ララのことが好きです」
「ああ、知っている」
「ララのことが、世界で一番、特別です」
「ああ、知っている」
アズさんは俺を想ってくれている。俺はそれでも、ララが好きだ。
「だから、剣災……おやすみ」
アズさんは俺の左腕を抱き、静かになった。
俺も静かに瞼を閉じる。
《――――――》
暗闇の中で誰かに名前を呼ばれた気がした。
お久しぶりです。第五章04話でした。まだまだ第五章の導入部ですが応援よろしくお願いします。




