第五章02 紅玉と枕詞
《ケンシロー・ハチオージ》
名前を呼ばれた気がする。聞き覚えのある声で、誰かに名前を呼ばれた気がする。
「……」
目を開ける。すると紅玉色に輝く瞳と目が合う。月明かりが照らすのはルビーだった。
『ぎゃっ――』
ベッドの上から床に寝そべる俺を眺めていた彼女がたじろぐ。
「ぎゃ、じゃねえよ。俺が起きたら都合の悪い事でもあるのか?」
『人の寝顔を眺めるという悪趣味な真似をしているのはばつが悪いでありんす』
悪趣味って認めるのか。俺の寝顔を眺めてなにかしらいいことでもあるのだろうか。
俺は半身を起こして窓の外を見る。
「……今、何時頃だ?」
『月がもうじき沈む頃でありんす』
「そうか」
『朝になったら起こしてやるでありんす。もう一度寝るなんし』
ルビーは柔らかく笑い、尻尾を揺らす。
「今日は起きてようかな。ルビーこそ寝ろよ。起こしてやるから」
『はあ?』
紅い瞳が白けたように俺を眺め、ベッドの上の彼女は頬杖を突く。
『なんで余が汝に最嬌の寝顔を見せてやらねばならぬ?』
「今までだって何回かは見たことあるぞ」
『うわっ、ケンシローの痴漢!』
「どこが!?」
寝顔見ただけで捕まったら世も末だ。
『そんなに余の寝顔が見たいのなら……ケンシロー、ベッドの上に来るなんし』
「なんで、そんなこと」
ルビーとベッドを共にしたら、……というか、それがバレたらララにシバかれる。
『ひざ枕をされながら寝てみたいでありんす』
「……俺の膝の寝心地はそんなに良くないと思うぞ」
『簡単に眠れたら楽しくないでありんしょう?』
「分かったよ。お前の我がままに付き合うのも家事のうちだ」
ふと思うが、ひざ枕をされているルビーが眠った後は、ひざ枕している俺はどうしたらいいのだろうか。
ルビーのお願いを聞いて、俺は久しぶりにベッドに上がって正座し、彼女の小さく華奢な頭を膝――というか、太ももに乗せる。
こちら側を向いて横たわった彼女と目が合う。紅玉色で輝く瞳とその穏やかな顔は今にも寝入ってしまいそうだった。
『汝、頭を撫でなんし』
「俺の?」
『余の頭に決まっているでありんすっ』
今の俺のすっとぼけはわざとだ。
「甘えやがって」
言いながら俺はルビーの頭を撫でてやる。銀糸のような髪は触り心地が最高で一生触っていられるとさえ思った。
『意外と汝のひざ枕も悪くないなんしな。余の誕生日プレゼントは何枕を要求しようかのう』
「腕枕でもしてやろうか? 二人まとめてララにぶっ飛ばされる覚悟は必要かもだけどな」
『くふ、ケンシローと一緒ならぶっ飛ばされてもよいでありんす』
「……俺がイヤだ」
仕事以外で痛い思いをするのは勘弁だ。いや、仕事でも嫌だけれども。
「そういえば、ルビー。俺が目を覚ます前に俺の名前を呼ばなかったか?」
『うぬ? 呼んでないでありんす。いつも通り、無言で眺めていたなんし』
「いつも?」
『た、たまにでありんす。……なにか夢でも見ていたのではないかえ?』
どうやら声の主はルビーではないらしい。たしかに聞き覚えはあったが、ルビーではないと言われればそうなのかもしれないようにも思える。どちらにせよ、もう鮮明に思い出すことは難しくなっている。
「……気のせいか、夢のせいか……まあ、どっちにしろどっちでもいいのか」
『ケンシロー』
今度こそ、蕩けるような声でルビーに名を呼ばれる。
『アズライトとレンナへの誕生日プレゼントはアレでよかったのでありんすか?』
「ん? ……ああ、いいだろ。ルビーのお蔭だな」
『くふふ』
明日――というか、既に今日だろうか。アズさんとレンナへの誕生日会。プレゼントの内容をレンナは既に知っているので、アズさんにのみサプライズだ。
いや、金言術師たるアズさんも既に視抜いている可能性があるのだが、そんなことを気にしてはいけない。気にしてはいけない。
『最近、大きな仕事が来ないなんしな。余を仕事に巻き込んでくれる約束なのに』
「そうだな。お前が仕事を増やしてくれる約束なのに、肝心の仕事が来ないな」
――大きな仕事。大変な仕事。死にかけるかもしれない仕事。
そんな仕事がなかなか来ない。ルビーを最初に連れ出す約束も結局、不履行状態だ。
『ケンシロー』
またしても、蕩けるような声でルビーに名を呼ばれる。
「どうした、ルビー?」
『余はケンシローの何なのでありんすか?』
「あ……?」
『余はケンシローの同居人でありんす。しかし、レンナもそうでありんす。もはやケンシローの唯一の同居人ではなくなってしまった。汝とララが結婚すれば、いよいよルビー・メタル・シルバーは同居人でいられなくなる。……汝が大切に思ってくれているのは分かりんす。しかしケンシロー、――余は汝にとっての特別な何かになりたいでありんす』
「特別な何か?」
それはルビーと新しい関係性を結ぼうということだろうか。しかし、
「特別な何か、か……」
なんだろう。彼女の意に沿えない気がする。俺にとって特別な女の子はララだけだから。
「特別な何か……」
彼女を特別に思える案をひとつ、思いついた。
「俺と家族にならないか?」
『――』
ルビーの紅い瞳が仰天して凝然とする。
『なにを言っているのでありんすか。ケンシロー……余と家族になるということは、汝はララと……』
「俺の妹になってくれよ」
『……は?』
俺の名案にルビーは意味不明とばかりに疑問符を浮かべる。おぼろげな月明かりだけでもありありとそれが分かる。
「この国は基本的に自由だからな。同性同士が結婚できるし、異種族同士が結婚できる。だから、血の繋がりが無くても兄妹に成れるはずだ」
たしか、そんな制度があったようななかったような。
『兄妹? 汝と余が?』
「実年齢的にはお前が姉でもいいぞ」
あ、でも戸籍上は十四かそこらの年齢だったか。
『くふ、くふふふふ!』
ルビーは嬌声を上げて笑い出した。
『――じゃあ、余の誕生日プレゼントはそれにしてくれたもう』
「本当にできるかどうかは保証できないぞ?」
『本当にできるようにするのでありんすっ!』
「――分かったよ。誕生日いつだ?」
『二月でありんす』
二月。今は九月。あと五ヶ月で、正々堂々ルビーを妹に招き入れる方法を考えなければならなくなった。え? これ、無理じゃね? 妹って親なしでどうやって作んの?
『二月にはハチオージ家の仲間入りでありんすな。くふふ、楽しみでありんす』
どうしよう。もの凄く期待されてしまった。ルビーの目が爛々と輝いている。
『兄になったケンシローは余にどんなことをしてくれるのでありんすか?』
「どんなって……一緒にいる時は頭を撫でてやろう」
『それで?』
「……暇な時は髪を梳いてやる」
『それで!?』
「また今みたいにひざ枕してやるよ」
『それでそれで!?』
「まだ聞く!? そんなに兄妹ってやることないと思うぞ!?」
ルビーは兄に一体何を求めているというのか。
なにせ、俺は妹という存在に飢えたことがないので、もし妹が出来たらということを考えたことがなかった。俺はルビー妹に何をして、何を求めたらいいんだ……?
『ケンシロー』
「……なんだよ?」
『余は何回でも汝の名前を呼ぶでありんすよ』
「そうか」
それがご褒美なのかは分からないが、ルビーの嬌声で名前を呼ばれるのはとても気持ちが良い。
次第に俺の意識がぼやけてきていた。半端に起きて、うとうとと眠くなっているのだ。
「ルビー、やっぱり俺、寝ていいか?」
ルビーをひざ枕したままで眠ると体を痛めそうだし、ルビーを圧し潰しかねない。
『じゃあ、ケンシロー。次は腕枕をされたいでありんす』
「……お前なあ」
まあ、バレなきゃいいか。
っていうか、ララも相手がルビーなら怒らないような気もするけれど。
早朝に近い深夜、俺はルビーを腕枕して眠った。
いつか彼女を妹にすると自らに課して。
《ケンシロー・ハチオージ》
遠のいていく意識の奥で、誰かに名前を呼ばれた気がした。
紅玉と枕と少しの詞が月明かりに照らされていた。
第五章2話でした。ケンシローとルビーの話です。
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