第五章01 想い混む
――――誰かいる。
自分の中に誰かいる。
まれにそう思うのだ。
たまにそう感じるのだ。
二重人格とかそういうものではなくて、なんというか、自分そのものが自分そのものではないというか。
とにかくそう思うのだ。
ケンシロー・ハチオージの中に別の何かがいるのではないか、と。
ケンシロー・ハチオージは本当にただのケンシロー・ハチオージなのか、と。
ケンシロー・ハチオージにはケンシロー・ハチオージすら知らない秘密があるのではないのか、と。
最近の俺は満たされていて、だからなのかは分からないが、最近の俺はそう思う。
俺はまだ、何かが欠けている。
――何かに成りかけている。
***
《ケンシロー・ハチオージ》
久しぶりに外食を、と街の飯屋での夕食時。彼女に名前を呼ばれた気がして、そちらを向く。
「……どうしたの? ケンシロー?」
「俺の名前を呼ばなかったか?」
彼女はぽかんとした顔をして、「呼んでないわよ」と返す。
……どうやら俺の気のせいだったらしい。
「呼んでほしいならいくらでも呼んであげるけど?」
「別に呼んで欲しかったわけじゃないけど、呼んでみてくれ」
「ことのついでならイヤ」
「……」
こうしてララと益体もない戯れ言を話せるのはとても良い事なのだろう。
『汝ら、人前でイチャつくのはやめなんし』
ルビーが俺とララのやりとりを見て咎める。
「今のはイチャついてねえだろ。ただの会話だ」
『恋人同士の会話。それ即ちイチャつきでありんす』
「童貞か!」
思考回路が淀んでいやがる。童貞のことケンシロー・ハチオージって言ったのは誰だ。
「そうですよ、ルビーさん! ケンシロー様は常に人たらしです! いつも通りです!」
「酷くないですかぁ!? ローゼさん!?」
俺を全肯定してくれるという約束はなんだったんだ。今のローゼの言葉を否定しきれない俺がいる!
それでも、俺はそこまで人たらしだろうか。
ララと恋仲になり、ルビーといろんな契約を結び、アズさんと共に死ぬはずの、俺がそこまで人たらしかといえば、……人たらしだな。
「それよりケンシロー。本当にお酒は飲んじゃダメなの?」
「ダメだ。明日が何の日か分かってるのか?」
「分かってるわよ。……アズさんとレンナの誕生日ぱーちー」
「二日酔いは?」
「……ダメ、絶対」
「分かってんじゃねえか」
明日は九月十九日。俺たちの職工長であるザラカイア・アズライト・シーカーさんの誕生日である。何歳になるのかを気にしてはいけない。
その数日後にレンナ・ミサキ・ソウヤの誕生日が来るので、二人一緒にサプライズで祝ってしまおうという店長からのせこい企みである。
――しかし、企んだはいいが、アズさんの慧眼に視抜かれ、レンナはそもそも俺の影に潜んでいて聞いていて、いともたやすくバレたのであった。
「お前……酒の嗜み方によっちゃあ、俺はいろいろと考え直すからな」
「へえ、あんたって私以外に結婚したい相手がいるの?」
「――っ」
飲みかけていたジュースを噴いた。色々とばつの悪い感情まで噴き出そうだった。
『ララは酒精中毒。ケンシローは仕事中毒。ダメな夫婦に成りそうでありんす』
「将来どうなるか分かんねえけど、絶対そうは成らねえ」
そもそもまだララが結婚できる年齢ではないとか、結婚資金がないとか、色々と結婚できない理由は山積みなのだ。
「…………末永く爆発しろ」
「レンナ、よく分からない殺意を言葉にするな」
今は夜。暖かい明かりに照らされた飯屋で一緒に食事をしているレンナがぼそりと一言。
どう解釈すればいいんだ、それは。
「…………殺意じゃない。敵意」
「だから、何に対してだ?」
『それよりケンシロー。そこのパンをとってくれなんし』
ルビーは手のひらをパッと広げて俺の前のパンの山を催促してくる。
「……その件の契約は履行できたと考えてよろしいか?」
『ララ、ローゼ、レンナ。良かったでありんすな。今日はケンシローの奢りでありんす』
「やめてくれ、ルビー。俺の家には高値で売れるものがお前くらいしかいない」
「とんでもなくクズなこと言ってるわね。私の恋人」
「ケンシロー様、今の発言は擁護できません」
「…………げどう」
女性陣から俺へ非難の声が飛ぶ。さすがに俺も良くないことを言ったのだと自覚している。
『くふふ、民意は余にありなんしな』
「悪かったな、ルビー。このパンは契約云々抜きで俺の奢りだ」
俺は手を広げたルビーにパンを押し付け謝罪した。
『きゃふふ!』
そうして、わいわいきゃいきゃいと、俺たちは夕食を食べて夜を過ごし、幸せな時間を過ごした。
***
夕食後、夜闇の中で俺とララの二人、ルビーとローゼ、レンナの三人とで別れる。
『くふ、ケンシロー。ララを頼んだでありんすよ』
「早めに戻るけど、寝てていいぞ。――ローゼ、頼んだ」
「はい! ルビー様は必ずお守りします!」
「…………おやすみ、ケンにぃ」
ルビーはレンナとローゼに任せて、俺はララを家まで送ってから帰ることにする。
「じゃあ、ケンシロー。行きましょう」
俺たちは二人と別れて、メディエーター邸へ向かう。
「ケンシローってなにが好きなの?」
ララを送り届ける道中、隣を歩く彼女は唐突にそう聞いてきた。
「……どういう意図の質問だ?」
「どう捉えてもいいわよ」
お前だよ。とでも答えればいいのか。
――まあ、そう答えておくか。
「おま――――」
「やあやあ! お二人さん! 仲良さげにどこ行くんだい?」
俺の言葉を遮って、後ろから女性に声をかけられた。
明朗で活発そうで、とてもおおらかそうな声の持ち主で、振り返ると、
「……え?」
長い亜麻色の髪をポニーテールにしたララがいた。
いや……ララ、じゃない?
「だれ――」
「お姉ちゃん!?」
「あ?」
――お姉ちゃん?
ララの言葉で俺はもう一度、目の前の女性を見る。
亜麻色髪ポニーテールとはしばみ色の瞳。目、口の形。
たしかにララの外見に似ている所がある。しかし、
それなりに突き出た胸を見て思う。
「本当にお姉さんで?」
ララに片頬を思いっきりつねられた。
「私とお姉ちゃんの見分けるポイントは胸しかないのか!」
「ひ、ひやいやしゅ! りゃりゃ、ほひふへ!」
頬をつねられたまま、発音もおぼつかず必死にララに謝罪をするが、それくらいララとララのお姉さんは酷似している。
お姉さんの方が胸回りの方がおねえさんで、それくらいしか違いがないくらい似ている。
少なくとも、夜闇に紛れた今や、日中でも遠くからなら見分けづらいだろう。
そんなララのお姉さん某は片手を胸にあてて自己紹介する。
「挨拶が遅れたね。私はララの姉、ライラ・マーチ・メディエーターだよ」
「……どうも。ケンシロー・ハチオージです」
「お姉ちゃん、仕事はどうしたの?」
「うははは! 失敬だね、ララ! もう終わったよん」
「なんだ。ようやくなんだね」
「そ。ようやく私の時代が来たのさ」
「……ようやく? ってなに?」
俺は二人の会話に首を捻って割り込む。
ライラさんは俺を見て、ララを見て、もう一度俺を見る。
「……なんだよう、ララ。未来の君の旦那様に未来の義姉様のことをなんにも教えていなかったのかい?」
……未来の義姉様、か。俺の義姉というのは、ララと結婚すればそうなるということか。
収入的に、近いうち結婚できるかはまだ分からないけれど。
ライラ・マーチさんは自分のポケットをまさぐって紙切れを取り出す。
「じゃじゃん! 『通商免許』だよん!」
見せつけられたのは、丈夫なアレス製の紙。そして、
「……通商免許ってなに?」
「……」
ララとライラさんが揃って絶句する。
「えーっと、ララ。この男の子はいわゆるアレなのかな?」
「ごめんね、お姉ちゃん。アレなの」
――どうやら二人の反応を見るに、知っていて当然のことのようだった。
俺のアレがアレなもので、アレでアレしてアレになっちゃった! あれれぇ~!? おかしいぞぉ~?
「……通商免許っていうのは、簡単に言ってしまえば外国と貿易をする許可証よ。国内で商売をする時に申請する簡単な『開業届』とは別に、難しい研修と試験を受けなきゃいけないの」
つまり、外国と商売をするには、それ相応の資格が無ければできないというわけか。
「なるほどな。――それにしても、開業届っていうのは簡単に通るものなのか?」
「あくどい商売をしようとしていなければほぼ確実に通るわ」
「……じゃあなんで闇市がなくならないんだろうな」
闇市とは即ち開業届を出していないモグリの商人ということなのだ。
「闇市で買い物をする人がいるからじゃないの?」
「……真理だな」
特大のブーメランが還って来たような気がした。しかも斬殺力高めである。
「それはともかくだよ、義弟君」
気が早い。
「私はこれにて貿易商人としてのスタートラインに立ったのだよ。あとは明日に向かって走り出すだけってことさ」
明後日の方向に行かなきゃいいけど。
「メディエーター家の販路を外国にまで広げるという作戦なのさ」
「外国にまで……」
豪商メディエーター家が世界を金で支配する存在に成ろうということなのか。
つまり、メディエーター商会の跡継ぎ。
「実際、何を売り買いする気なんですか?」
最近のメディエーター商会は芸術特化型だと聞いていたが、この国の芸術が他国に通用するのか。
「当面は当たり障りのないものを売り買いして信頼を勝ち取ることになるね。――そして満を持して売り出すのが、これさ」
そう言ってライラさんはもう一度ポケットをまさぐって握り拳を取り出した。
そして掌を広げると、――――なにも掴んではいなかった。
「美女のポケットの中の空気を売る……的な?」
そういえばアズさん行きつけの菓子専門店は愛情をケーキに上乗せして売っていた気がする。
「あははは! それが飛ぶように売れるなら是非とも妹のララや未来堂の皆に協力を願いたいものだけれど、違うよ。似ているんだけれどね」
「じゃあ、何を売るんですか?」
「逆に訊きたいんだけど、どうしてケンシロー君は買い物ができているのかな?」
「え……? 金があるから……?」
これが正解か?
すると、答え合わせでもするかのように、ライラさんは財布から五〇〇ヤン硬貨を一枚取り出した。
「例えばこれで大麦酒を買うとしよう。買い手と売り手の双方がこの硬貨――金属片と呼ぼうか。この金属片に五〇〇ヤンの価値があると思っているから、買い物ができるのさ」
「――?」
まだよく分からない。
「でもよく考えてごらんよ。こんな純金でもないただの金属片を他国の人は大麦酒と交換してくれるかな? ちなみに実はこの金属片一枚を作るのに五〇〇ヤンもかからない計算なんだよ」
「――?」
まだよく分からない。
外国の人は外国の通貨で大麦酒を買ってほしいとかいう話か?
「話を飛躍させるけれど、つまり私、ライラ・マーチが売るのは『虚無通貨』だよ」
「虚無……通貨……?」
「皆で価値があると思えば、それが実際に力を宿して財産になる。無いものが金になる。虚無が通貨に変わる。虚無通貨はなんとなく聞こえが悪いから、メディエーターコインと仮称しよう」
価値のないものが金に変わる……? どういうことだ? 俺にはよく分からん。
「ケンシロー君はまだ分からないようだけれど、いずれ私の手で分からせるよ。在ると思い込んでしまえば、それは在るのだということをね」
「はあ……」
いかん。頭痛くなってきた。
「簡単に言っちゃうとね、私は価値観そのものを転回させたいんだよ」
「転回?」
「もっと簡単に言っちゃうとね、私は楽をしてお金を稼ぎたいのさ」
「……急に俗っぽいことを言い出しましたね」
つまりどういうことなんだってばよ。
「ララは私と一緒に家に帰るから、ケンシロー君はここまででいいよ。おやすみなさい。また明日からもララを愛してあげて。そして覚えておいてね、――人は思い込みが激しい生き物なんだって」
ライラさんはそれから歩き出して家に帰ろうとする。
「思い込み……?」
今の文脈で言うと、まるで俺のララへの想いが思い込みに過ぎないと言っているように聞こえるが。
「ケンシロー、また明日」
「ああ、また明日」
俺と挨拶を交わしたララは、歩き出したライラさんの後を追う。
「ケンシロー君。ある程度、強いと思えなければ強くなれないし、賢いと思えなければ賢くなれないものだよ」
ライラさんが意味深なことを言い残して、そして二人は夜闇に姿をくらませた。
「人は思い込みが激しい生き物、か……」
ライラさんの残したメッセージに込められた思いはなんだったのだろうか。
晦渋で、勘違いしそうだ。
第五章の始まりです。章題は早めに決めようと思っています。よろしくお願いします。




