第四章33 揺曳の陽影
「クロス・クロック・クロコダイル」
なんというか、よく分からないまま現れて、よく分からないまま消えていったよく分からない人だった。
彼女はタリア島を出るとき、雲に擬態して空高く上がり、そして姿を消した。
去り際に浮遊大陸が次の職場だと言っていたから、きっとそこに居るのだろう。
帰りの船の中、フィールから「フィールが俺に言える範囲のクロさんの話」を聞いた。
虐殺請負人――敵対的な諸外国に内紛を引き起こし、外側からヴィクトリア帝国を護る仕事。
――決して聞こえが良いとは言えない仕事。
騎士の栄誉を捨ててまで、やる価値のある仕事なのだろうか。
……少なくとも本人はやる価値があると思ってやっているのか。
俺の中で納得できない思いと、納得しなければならない思いが衝突し合っていた。
そして、
『ケンシロー、おかえり!』
船着き場に到着してすぐ、ルビーが俺に飛び込み、抱きついてきた。
「ルビー!? お、お前、ずっと待ってたのか?」
想定していたよりも早い再会に思わず俺はルビーの白銀色の頭を撫でる。くすぐったそうに彼女は笑い、そして紅玉色に輝く瞳で笑いかけてくる。
『余の加護は役に立ったかえ?』
「ん? ……ああ、うん……」
決定的な場面があったわけではないが、役に立ったかといえば立っただろう。うん、立った。
意志を支える鋼に成っていただろう。
だから華奢なルビーを抱き上げて、俺は彼女を抱きしめる。
『うげ……けんしろー、苦しいでありんす』
「うるせえ。長いこと見ていなかった気がしてさ。いつみてもお前、かわいいよな」
『にゃ、にゃにをいっているでありんすか! ケンシローのスケベ!』
俺を拒否する言葉を出しながらも、ルビーもなかなか好意的に俺の首に手を回してきていた。
「……ケンシロー」
「はっ……!」
後ろからララの声がする。
よからぬ場面を見られたような気がして俺は振り返る。
船での復路の間、タリア島で消耗した体力の回復の為に寝続けていたララである。
「あんたたちは仲がいいようでなによりだわ」
「お、おう……」
微笑んだ顔でララは言う。寝惚けているのか? ルビーに対しては寛大なのか?
「あっははぁ~、ケンちゃんってば相変わらずの相変わらずだねぇ」
傍から声をかけてきたのはリシェスだった。見渡すと他に俺の知り合いはいないようなので、二人でずっとここを張っていたのだろう。仕事はサボりか? 公休か?
「相変わらずの相変わらずって言葉が言葉に成ってねえよ――」
『それより、ケンシロー! 土産! 土産の品はどこでありんすか!?』
なんか現金なやつがいる。
「悪いけど、土産はねえよ。ルビー。生き残るのに大変だった」
『んな……!? 余はケンシローからの土産を楽しみにしていたのでありんすよ!?』
「用意する暇もないくらい大変だったんだよ、本当に!」
薬竜。
吸血鬼。
魔女候補。
蕗子。
初代黒騎士。
二代目黒騎士。
潮竜。
厄災の剣士。
八人が八人の欲望と立場を護るために、仕事を為すために、ぐっちゃぐちゃのすったもんだの丁々発止を繰り広げて、そんな混乱の戦況を消化不良でなんとか生き残ることができた。
一対一対一対一対一対一対一対一ではなかったが、未だにどうしてあそこまで戦況が混乱したのか、判然としない。あれはやはり魔境が引き起こした魔障だったのだろう。
「ルビー、リシェス。ちゃんと『ただいま』を言うから、未来堂へ戻ろう」
早く会いたい。
アズさんにも、ローゼにも、店長にも清掃員にも、皇帝陛下にも会いたい気分だ。
「ふふん、それじゃあ、行こうか。異世界画材店未来堂へ」
そう促したのは艶のある黒髪ポニーテールのフィール。
……こいつはどうして、古くからの仕事仲間っぽい顔つきでそんなことを言うのだろうか。
***
「にゃるるるる。剣災君、覚魔君、黒閃君。お疲れさまでしゃった。死んでいなくてなによりでしゃる」
「はいはい。出迎え方が店長らしくて安心しました」
アオネコ店長はやはり、辛辣であり強欲である性格が良く似合う。
「お帰りなさいませ、お二人と、フィール様」
「帰ったか、お前たち。仕事は終わらせられたようだな」
ローゼとアズさんも出迎える。この笑顔に迎えられれば、仕事のしがいがあるってものだ。
「俺からの積もる話はまたじっくりとさせて下さい」
なにぶん、忙しさに日々を殺されるしがない店の犬の仕事は終わっていないのだ。
「――とりあえずは店長、フィールと俺たちとで四者面談といきましょうか」
「……にゃーる。商売の話でしゃるな?」
店長が悪い顔で笑う。
***
フィールは前髪を撫でつけ、言う。
「ふふん、まずは吸血鬼の宮廷への、長きにわたりタリア島を不法占拠し続けたことに対する謝罪文。――そして、帆船襲撃に際しての死傷した学生たちの家族への謝罪文と賠償金。この二つは用意できました」
具体的な金額を言わなかったのは流石フィールといったところ。言ったら店長は何割かがめてくるだろう。
「にゃるん。――して、吸血鬼の血液については?」
「それについては、ご主人のケンシロー君から」
ご主人って言うな。複雑な意味に聞こえるだろうが。
「……ったく」
俺は辺りをキョロキョロ見回す。太陽光が俺の影まで差し込む恐れはなさそうだった。
「レンナ。出てきて大丈夫だぞ」
「…………うん」
ズズズズズ……っと、俺の影から這い出るようにレンナが姿を現す。
店長は気配を最初から感じとっていたのか、特に動じた様子はなかった。
「にゃーる。ヴァンパイア・コロポックルでしゃるな」
「正解ですよ、店長。レンナこそが、今回の俺たちの仕事の――――なんて言えばいいんだ?」
俺が問いかけると、
「失敗の結果と成功の結果――――とでも言えば?」
と、ララが横から口添えしてくれる。
「……そんな感じです」
レンナが俺の血を吸い、吸血鬼に成ったから潮竜を牽制できた。
――しかし、レンナを吸血鬼にしたということは彼女に一生のデメリットを課したということでもある。
吸血衝動に駆られ、太陽光を浴びることができない身体。
日差しに拒絶され、夜に従えさせられる存在。
「にゃるん。つまり、剣災君の扶養家族が増えたというわけでしゃるな」
扶養家族言うな。
「いえ、レンナさんは屋外調査室で預かりたいと思っています。……もう、陽の当たる生活は送れないでしょうから」
血さえ吸えれば吸血鬼は生きていける。だから俺のそばにいる必要はないのだ。が、
「にゃるるるる。しかしでしゃるな、黒閃君! その子……レンナとかいう少女は、剣災君の元を離れないように見えるでしゃるが?」
「……」
俺は思わず頭を掻く。
店長の言うとおりだ。レンナは、俺のもとを離れようとしない。
太陽の下では眷属となった俺の影に潜み続け、それ以外でも俺のもとを離れない。
「とにかく、不可視インクの素材はケンシローがゲットしましたよ」
「素材って言うんじゃねえよ、ララ。あとゲットって言い方も」
しかし、レンナがこちらにいる限りは、不可視インクを使って永遠に宮廷騎士団をカモり続けることができる……?
「ケンシロー君、レンナさんは僕たちで世話を……」
「そうやって不可視インクをタダで手に入れようとするのはいただけないな、フィール」
こいつにこれ以上、得をさせてたまるか。
「とにかく、これはレンナの問題よ。ケンシローやフィールの言いなりになる必要はないわ。レンナ、あなたはどこに居たいの?」
俺とフィールのやりとりを遮って、ララはレンナに問いかけた。
そしてレンナは、
「…………陽の当たる場所」
「……はあ?」
吸血鬼は陽の当たる場所には――――つまりどういうことだ?
「――だってね、フィール。諦めなさい」
「……ふふん、仕方がないね。ここは僕の負けさ」
フィールの様子からして、俺の勝ちのようだが、……つまりどういうことだ?
「にゃるるるる。一件落着のようでしゃるな。――して、剣災君。覚魔君。そろそろ舞踏会に行ってもらうでしゃる」
「舞踏会?」
とんでもなく話題が飛んだな。
「決まっているでしゃる。今日も今日とて、皇帝陛下の生誕祭が続いているでしゃるからな。参加の誘いが来ていたでしゃる。ということは、行かないとばつが悪いでしゃる」
「ああー……。そういえば、そんな祭りもありましたね」
俺と陛下はめでたく十八歳の成人。
そういえば俺は、もう結婚できるのだ。
するかしないか・できるかできないかは、まだ分からないけれど、
――ひとつの気持ちは据わった。
第四章33話でした。第四章エピローグその①です。よろしくお願い致します。




