第四章29 どうなっていやがんだ
サンダーが城内を案内しながら進む。前方彼方で爆発音が鳴った。
「――さっき一瞬夜になったが、なんだったんだ、あれ、どうなったらああなったんだ?」
『分かりやせんな。今はもう、この島はあっしのモノではありやせん。各所で何が起こっているのか、さっぱりですな』
「……むう」
爆発音の原因はララ関係なのだろうとは思うが、さっきの闇夜はなんだったんだ。
「もしかしたらフィールがなにかやったのか……?」
「…………フィール室長、もしかしたら…………やらかした…………?」
「やらかすってなにをだよ、レンナ」
たしかに陰というか裏というか、黒い部分のあるフィールだが、言い方に悪意がある。
『大丈夫でさあ。フィールの旦那は――』
【――――――――――――――――――――――――――――――――っ!】
サンダーの声を遮って爆発音が鳴り、城内がまた荒れる。
「あはははハハハはははははははははははハハハハはははははあ!」
大穴の開いた壁の奥から気分の高まったララの哄笑が聞こえてきた。
「近いな」
「…………近い」
『近いですなあ』
俺たちは足を速め、音の元へ向かう。
「……あいつ、腹減ってないといいけど」
***
××××
子どもの頃にパパとママの絵を描いた。
バイロン・ロイルとラウラ・ノーラのメディエーター夫妻の絵。
絵、そのものは上手く描けたし、とても褒められた。
冗談だったのか、本気で応援してくれたのか、「将来は絵描きだね」なんて言われたりした。
それから私は絵を描くようになって、絵にのめり込むようになって、
――だから、ママと同じ宮廷画家を目指した。
――でも、成れなかった。
抽象画家が闊歩する世界に肖像画や風景画で挑んだのは私の覚悟の証明のつもりだった。
でも、世界の流れを変えることはできなかった。
私の絵はコンクールで何の結果も残せずに紙切れになり、私は腐って春絵サークルに入った。
なにも変えられなかった。
世界は今日も変わることなく流れ続けている。
病魔から立ち直ったママは、今日も抽象画を描いて、お金を貰っている。
正当な見返りを貰っている。
その間、私は異世界画材店未来堂で笑顔を振りまいている。
世界から認められたいと思っているのに、辺鄙な画材屋で笑っている。
――悔しくて、悔しくて、でも、
――あいつが隣にいてくれるからいいか。
「とりあえず今は、私の気分を損ね続ける吸血鬼をやるっきゃないわね!」
今の私は体調がいい。魔法の詠唱をしなくとも、魔法の展開ができている。
可笑しい、可笑しい!
あの女の吸血鬼、弱すぎ。
魔法の業火を放つごとに、あの女が怯えた顔になるのが見える。
可笑しい、可笑しい!
まだまだ弱火の業火なのに、もう負けた気になってるの?
傷こそすぐに治されるけれど、もう勝ったも同然。
あの女の吸血鬼の心は折れてる。
「魔女め……」
「ねえ、吸血鬼。花火は好き!?」
虫の息になっているエルサに私は特大の炎を見舞う。
フォーサイス砂漠でゴーレムの魔人を倒したように、今度は吸血鬼の魔人を――――――
『なんや、女の子同士が殺し合いなんて……物騒なことをしてんねんなあ』
「――――っ!?」
「――――っ!?」
私は闖入者の声に驚いて振ろうとした腕を止めて、声のする方向を見る。
「誰、あなた……人間じゃないわね」
目の前に映るのは学舎の制服を身に纏う、見た目は年端もいかない幼女だった。
浅葱色の髪に、黒曜石のような綺麗な黒目をしている。
『うち? 当ててみ? 当たったらご褒美あげたるわ』
黒目を妖しく歪めて、独特のイントネーションでその幼女は話す。まるでとんでもない年上と話しているように感じられた。
「オブシー様、お目覚め……でしたか」
幼女に敬意を払った反応を見せたのはエルサだった。
「知ってるの? エルサ。誰?」
私はエルサに話すように圧をかけると、気が潰れそうになったのか、彼女は応える。
「暴食のオブシー。最長の竜。……その名も『潮竜』」
「……」
それだけで分かった。
竜か。竜ね。
鋼に樹、骸に薬。続いて潮か。
「大海の王者、風と潮流の覇者。そして飢餓の使者。それがオブシー様よ。タリア島とアフリャド大陸を隔てる海溝の底でずっと眠っていた竜。それがアタクシの知っているオブシー様よ」
『んもう。あかんなぁ、アルベルタ。そんな簡単に答え言うたらつまらんやん』
「とりあえず、オブシー? 今ならブユー伝を聞いてあげるわよ」
『嫌やなあ。最初から竜がワルモンみたいな聞き方してくるなんて。うちかて別に悪い事なぁんかしてへんよ?』
「……参考までにあなたの歴史を教えてよ」
『ええけど、引かんといてな。――海の塩分濃度を弄って魚を皆殺しにしてなあ、死骸を食べ漁ったら、近海の漁師が全員絶望で自殺したんや。言うとくけぇど、うちはわるない。簡単に死を選ぶ方が悪い』
「……あはは、酷い竜ね」
私の気分が今より悪かったら、きっとこの竜に制裁を加えていると思う。
「それで、なにしに来たの? オブシーさん」
オブシーは黒曜の瞳を揺らして妖しく笑う。
『若い肉が食べたいねん。黒髪のなぁ、黒目のなぁ、髪の長くないほうの男の子がいたやんかぁ? 元気そうで美味しそうやないの』
――暴食の潮竜。
ぺろっと、いやらしく舌なめずりする幼女姿のオブシー。彼女が狙っている男の子とやらは間違いなくケンシローの特徴だった。
「……つまり、私の敵ってことね」
いまさら竜の生態なんて興味もない。潮竜がなにを食べて生きる動物かなんてどうでもいい。
ただ、――剣を持たないケンシローは無力だ。だから、
――ケンシローは私が護る。
私の、愛する人だから。
「…………?」
真横から人が動いた気配がした。そう感じてそちらを見ると、
――――血を固めたナイフで私に斬りかかる吸血鬼の女がいた。
××××
***
走り、走り、ようやく裂帛の扉の前にまでたどり着いた。
「あはははははハハハハはははははははハハハははははははは!」
扉といっても形だけで、破りやすい壁のようなものでしかない。そしてこの先でララの哄笑が聞こえてくるのだ。
『この城はもうダメでさあ』
轟音、爆音、噪音が鳴る城内で、サンダーが呟いた。
「ダメって……たしかに城としても島としても終わりのような感じがするが」
『竜が来ているんでさあ。あの婆さんドラゴン、何か食いに来たのかもしれやせんな』
「はあ……は!? 竜!?」
『あい。竜でありやす。肌で感じる。あの食欲には誰も逃れられない……』
俺がサンダーから潮竜、オブシーの特徴について聞いていると――
【――っ!】
扉が破けた。
「うおおおおおお!?」
――いや、内側に吸われるように壊れた。強力な吸引力の風に吸われ、俺たちは部屋の中になだれ込んだ。
扉を下敷きに俺たちは倒れ込み、そして倒れたまま仰天する。
かつて王城だった大広間その二には、三人の女がいた。
炎を操って大広間を灰燼と化そうとする亜麻色の髪のララ。哄笑を上げている。
「あはははハハハはははは!」
血を操って鋭利な攻撃を繰り広げる血紅色の髪のエルサ。悔しそうな声をこぼしている。
「……このッ!」
それらを吸い寄せ、掌で操る浅葱色の髪の幼女、オブシー。はんなりと笑っている。
「ふふふふふ」
魔女候補と、吸血鬼と、――潮竜。
そして、――床が割れて黒い肌の女性がフィールを押し退けながら現れた。
「フィール!? そいつ誰だ!?」
「ケンシロー君か……見つかってしまったね。単刀直入に言うと、彼女は初代黒騎士さ」
「……はあ!? 初代黒騎士!?」
なにが起こっているのか、起こっている事象が重なりすぎて理解が追いつかない。
『アルベルタぁ!』
サンダーがエルサのもとへ駆け寄ろうとして、俺は彼の手を引いて止める。
ここで無闇に手を出させるのはマズイ。なにせ無力の俺に最速で負けるようなやつだ。
「…………ッ!」
俺は生唾を呑み込んで事態を理解しようと努める。
魔女になりかけで場を荒らす魔法使いの女。
縄張りを荒らされて怒り散らす吸血鬼の女。
はんなりとした雰囲気で二人をいなす潮竜の女。
二代目と剣を打ち合わせて戦う初代黒騎士の女。
俺の隣でただ静かに眺めている蕗子の女。
何の因果があったのか、初代と戦う二代目黒騎士の男。
呆然と荒れ果てていく元・自分の聖域を眺める薬竜の男。
何が起こっているのか、何も分からない無力な剣士の男。
大混戦の大混乱で、大乱闘で大乱戦だ。
これは本当に、どうなっていやがんだ。
第四章29話目でした。応援よろしくお願いします!




