第四章28 黒
真っ黒い吹き出物のようなモノが城内の隅に発生していた。
呼吸をするように膨らんだり、凋んだりして、眼球のようなモノまで飛び出ていて、しまいには小さい手が伸びて俺たちを手招きしている。
「…………あれ、…………なんだと思う?」
レンナに問われるが、俺の答えはひとつだ。
「なんだもなにもねえよ。触ったらやばいヤツだろ」
「漆黒趣味の僕からしてみれば、いい感じの漆黒だね」
いい感じの漆黒ってなんだよ。いやな感じの漆黒を見たことねえよ。
「アズライト殿の加護を使って視てみればどうかな?」
「あ、その手があったか」
俺は御守りを握って加護を使おうとする。しかし、
「っ……」
ララを視た時の目の痛みが蘇ってくるようで、なかなか視ることができない。
「ケンシロー君はララさんのことをまだ恐れているのかい?」
「あ?」
「大広間でララさんと相対したケンシロー君はずっと恐がっていたね。まるで神を畏れる小市民のように」
フィールの言葉に、俺は少しだけ業腹を覚える。
「俺はあいつを恐れてなんかない。……あいつが神? バカ言うな。あいつは俺の――」
運命共同体だ。大丈夫。恐くない。そう自分自身に言い聞かせようとして、
【ああぁー……】
進行方向前方から今、視ようとしていた、黒い吹き出物が膨張したような存在が、新たにわさわさと歩いてきていた。足が何本も生えていて、人間の根源的な嫌悪感を誘う。
『ケンシローの旦那、あれはヤバいですぜ』
「くそ……しかたねえな」
俺は決心して黒い吹き出物を視る。
【――@@@酷**××××――――◎◎◎◎◎※※※****腐――――――】
「うぁ――」
目が潰れそうな痛みを感じて、すぐに視るのを止める。
「ケンシロー君、どうだった?」
フィールの問いかけに、俺は答える。
「……まともに視ることもできなかったが、あれはララの分身だ。そうだな、アズさんみたいに名付けてみれば、『酷腐』とかだな」
「…………こくふ? …………どういうこと、ケンにぃ?」
【ああぁぁあああぁあー!】
「あれに触ったら、酷く腐る!」
酷腐がわさわさと何本もある足を動かしながらこちらへ迫り、俺たちは逃げる準備をして、
「ケンシロー君! 前に進み給え! ダクネ!」
フィールが吼えて黒騎士状態になり、酷腐に漆黒を飛ばす。
【あああああぁぁぁあぁぁあぁ……】
重くするタイプのダクネだったらしく、酷腐は床に縛られたように動かなくなった。
【ああぁあああぁあぁぁぁぁあぁ……】
「僕が介錯しておくから、三人は先に進んでくれ給え。必ず追いつく」
「……分かった」
この黒い吹き出物のようなわさわさはフィールに任せて、俺たちは先に進むことにする。
ララのやつ……どんな精神状態だとあんなもの生み出せるんだ!
廊下を走りながらそんなことを考える。そして、
『ケンシローの旦那はフィールの旦那を信頼しているんですなあ』
サンダーがふとこぼす。
「……やめてくれ。気色悪い」
あいつを信頼している部分は、騎士の才能くらいだ。
***
■■■■
ケンシロー君がなにを見たのか定かではないが、この酷腐という存在は、「ララさんの分身」ではない。上手く擬態されているけれど、僕の漆黒趣味に狂いはない。
断言できる。これは僕、フィール・フロイデ・シュバルツの仕事だ。
「そう思いませんか? 騎士殿」
【ああああぁぁああ……ぁぁあああああぁぁぁ……】
酷腐はまともに答えない。
「……本当に斬ってしまいますよ?」
【ああああ……ぁぁああああ……あはははははははははは!」
僕が抜き身の黒剣をひけらかしたら、それはようやく応えた。
「あははははは! 上手く擬態したはずなんだけどなぁ! どうして分かったの? 少年君!」
黒い吹き出物――酷腐は身体を造り替えるように骨格ごと身を捩り、――話す。
「文献に、そういう姿で人を驚かせる茶目っ気がある人がいると載っていたので」
メキメキと音を鳴らして骨格を造り替え、そして酷腐は人の貌を成した。
見た目の年齢は十代後半から二十代前半といったところ。髪型は三つ編み。
漆黒の髪、漆黒の目、漆黒の肌、漆黒の衣装の美しい女性へと変貌した。
――黒色人種。広大な版図を持つヴィクトリア帝国でも珍しい、生まれつき黒い肌の持ち主。
白色人種や黄色人種、褐色人種など、他にもこの帝国の中にはいろいろな肌の持ち主がいるけれど、黒色人種だけは珍しいまま。ましてや、
「持っている剣まで黒いとなると、運命だと感じざるを得ませんよ。貴女はどうですか?」
「あはは! 少年君は面白いことを言うね。ぼくちーが黒いのは生まれつきだよ! ……少年君みたいに模したりなんかしていない」
――僕のように模している……か。
「どうやら、お互いがお互いのことを既に分かっているようですね」
「さぁてね? ぼくちーは少年君のことなんてちっとも分かってやいないよ? ……自己紹介してごらんよ」
酷腐――いや、今はもう酷腐という危なっかしい存在ではないのだけれど、「それ」は僕に語るように求めてくる。
「僕の名前はフィール・フロイデ・シュバルツ。シュバルツ領の次男坊。宮廷騎士団屋外調査室の室長を務めるしがない騎士です。貴女はなんとお呼びしたら?」
「だったら、ぼくちーのことはフィール・フロイデ・シュバルツと呼んでもらおうかな」
「……ご冗談を」
「ぼくちーのご挨拶が気に入らないかな? フィール君。じゃあ、こうやって名乗ろうか」
ふと、「お前と話していると疲れる」と、フォルテさんに言われたことがあるのを思い出した。
「ぼくちーの名は【クロス・クロック・クロコダイル】だよ。呼ぶ時は親しみを込めてクロって呼んでほしいな」
クロさんか。なるほど、符合する。
「クロさん。ご職業はなにをされているんですか?」
「人斬りを少々」
……なるほど、符合する。
「最終確認ですが、貴女の旧い名前……『黒騎士』ではないですか?」
クロさんは僕を見て満足げににんまりと笑う。
「あはは! そういう少年君は……『二代目黒騎士』で合っているかな?」
僕の腹の中にくべられていた薪が、焼き消えるほどに燃えていくのが分かった。
「……貴女にお会いしたかった。初代黒騎士!」
「あははは! アフリャド大陸で遊んでいたら、いいものを見つけた!」
彼女は抜剣し、僕と剣を交え合う。
初代黒騎士、クロス・クロック・クロコダイル。
ヴィクトリア帝国初の黒色人種の宮廷騎士。呼ばれたあだ名が黒騎士。
そして、文献によれば得意な魔法が――
「クロン・オルタ!」
――完全擬態魔法。
太陽光を拒絶するために薄暗かった城内が完全に真っ暗になる。
ララさんの得意な完全変身魔法と完全擬態魔法は違う。
擬態魔法は「存在・概念」そのモノに擬える魔法。
――彼女が擬えているモノは、夜そのものだ。
「伝承通りの魔法なら、タリア島全体が夜になっていることになるけれど」
「あはは! まさか、ぼくちーがヴァレリーでは伝承になっているのかい!?」
夜は空気が澄むものだけれど、どこかから聞こえる彼女の声が、より鮮明に聞こえるのはそのせいかな。
「まさしく。貴女の『初代』の名前の大きさに、途方に暮れる毎日です」
「そりゃよかった! だてに百年以上も生きていないからね!」
初代黒騎士。初代と名がついたのは僕が二代目黒騎士と呼ばれるようになってから。
ヴィクトリア帝国を護る大役に就いてから、約百年か。
「あなたのお役目は諸外国の撹乱。ヴィクトリア帝国に敵対姿勢を示す国家に内紛を引き起こす仕事! 貴女は仕事を成し遂げているはずです。どうしてまだ働くのですか?」
初代黒騎士が行っている仕事。それ即ち、虐殺請負人。アフリャド大陸で遊んでいたと言ったから、きっとアフリャド大陸内の覇権争いは彼女が仕組んだものだろう。
それが彼女の表舞台から姿を消した理由。
「あはははは! 貰ったお給料分の仕事をするのは勤め人の基本でしょ!」
「……なにを貰ったんですか?」
「シークレットレアカードだよ。詳しくは妹の魔女に聞いてね」
妹の……魔女?
「おっと、今は名前を改めているから分からないだろうね。ぼくちーの妹、シノビさ」
「――――っ!」
宮廷騎士団屋内警備隊・総隊長殿と初代黒騎士は血縁関係に? シノビさんはおいくつ?
魔女候補、といえば普通はシノビさんを意味するのだけれど、このタリア島の現状では、少し複雑になる。
「――――聞いてね、とおっしゃるということは、この場は生かして帰して下さるということでしょうか?」
「うん! ぼくちーも仕事がつかえているからね! これから他の大陸で内乱・内紛を引き起こさなきゃ!」
「連れて行ってください」
「あひゃ!?」
闇夜状態の中、どこにいるかも分からない彼女にそう願うと、クロさんは、とても戸惑った声を出す。
「僕にもその仕事をさせてください。――ヴィクトリア帝国の、この世界の姫君を護る仕事をさせてください」
「…………少年君、どこまで知ってる?」
「ケンシロー・ハチオージとその周辺のことでしたらそれなりに」
僕の真面目な返事に、彼女の声音も真面目がかる。
「それなり、か……面白いね。ちょっと落ち着けるところでお話がしたいな」
その言葉のすぐ後に闇夜がやんで、薄暗い廊下に戻る。
瓦礫のひとつに腰掛けるクロさんを見ることができた。
「魔女候補が暴れている間に、ここでトークしようか」
彼女は剣を構え、そう言う。
「……お相手が僕でやや力不足ではありますが」
そういうことならば、と僕も剣を構えて、応える。
「ぼくちー的に重要なのは君が『どこまで知ってるのか』よりも、『なにまで知らないのか』になるかもね」
薄暗い廊下に火花が散った。
――黒と黒の剣の会話が始まる。
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第四章28話目でした。10000pv超えていました。応援ありがとうございます。これからも是非!




