伝説に挑め!
一口に言うと、休日の一日目は泥のように眠って終わった。かなり疲れていたからしかたないし、そういう過ごし方も悪くはない。
二日目は朝食をとり、とりあえず絵で稼いだ半分である一〇〇〇〇ヤンで必要な生活用品を買い直した。その場しのぎで何個か質に入れてしまったのだ。
そして休みも終わり、出勤日。
今度は早めに家を出て八時に未来堂に着いた。早めに着いたのだが……。
ガチャッ
施錠魔法がかけられていて店の扉が開かないのだ。
「え? なに? いじめ?」
よく見ると店の扉には『CLOSED』の札が掛けられていた。そういえば、この店の営業時間っていつからいつまでなんだろうか。
店が開かないのはしかたないので店の裏から入ることにする。
むしむしと熱気の篭もった工房に入ると、朝早くからアズさんがなにかを造っていた。『おはようございます』と話しかけても無反応。集中しているのか、無視しているのかは分からない。分からないが、額から滲む汗は彼女の美貌を際立たせるように輝いていて、それを見ただけで俺は不思議と満足だった。
満足なはずだったが、不意に声をかけられる。
「おー! ケンシローはんやないか!」
声をかけてきたのはジンエモン・カネツグ・サトーさん。二日前に絵筆の依頼を未来堂にした関西弁のお爺さん。しかしてその正体は水墨画の第一人者。水墨画の名手。天才。すごいお爺ちゃん。
「あれ? えー……っとカネツグさん。いらしてたんですか?」
「なんやなんや他人行儀やなぁ! 儂と兄ちゃんの仲やんか! ジンエモンって呼んでやぁ~!」
おお……すごく友好的だな。嬉しいじゃないか。
「絵筆がもうすぐ完成やぁゆうから見に来たんや。やっぱり自分の相方は見な損やで」
「相方?」
「せやで。水墨画家にとって絵筆は相方や。それが出来上がるところを見な真に相方とは呼べへん。なぁ、アズはん」
「……話しかけないでくれ。集中が途切れる」
「ああ……すまんな……アズはん」
アズさん年上相手にも本当に容赦ねぇな……。
「ところで剣災、少し手伝ってくれ」
集中が途切れるんじゃなかったのか。
しかし断る理由もないので手伝うことにする。
「なにをすれば?」
「絵筆の毛を梳いてくれ。優しくな」
「あ、はい……」
言われて俺は真っ白い毛筆を受け取って専用の櫛で梳いていく。微量ながら余計な毛が除去されていく。
「尾白狼の尻尾は真っ白で柔らかく、墨をよく吸い、繊細な絵を描くことができる。水墨画には適している」
「なるほど……」
俺は集中して筆を梳き、ジンエモンさんは面白そうに俺を見ていた。
「上出来だ。よくできている。お前は腕がいいな」
……どうせなら剣の腕を褒めてほしかった。
「どうだ? ここで職工として働く気はないか?」
「職工ですか?」
たしかアズさんは俺が未だに騎士を目指していることを知っているはず。それでも秋波を送るということは……。
「アタシは金言術師という特性上、長生きできないからな」
「長生きできない……?」
「ああ。金言術師の平均寿命は三〇から三五歳くらい。アタシも全盛期の働きはできなくなっている。まだ手が動くうちに後継を見つけねばと思っている。後継が出来ればアタシの職工スキルは死なない。そこに未来が残る」
「三〇から三五……」
たしかアズさんは今二七歳。早ければ余命三年か……。
普通のヴィクトリア帝国人の平均寿命の半分といったところ。短すぎる。
確かに後継ができれば職工スキルは受け継いで永遠に残るだろう。アズさんはそうやって生き長らえたいと思っているのだ。アズさんの言う未来も残るだろう。
できる限りアズさんの力になりたいところだが……。
「すみません。俺には夢があります。アズさんの後継役はできません」
「そうか……」
アズさんは碧い瞳を寂しそうに細め、俺が渡した絵筆を包み紙の中にしまう。
「ただ、今日日剣の腕一本では生きていけません。だから……け、兼業が許されるなら、職工の腕を磨いてもいいですよ」
すると反射的にアズさんの碧眼がきゅんと輝き、俺の手を取った。
「本当だな!? 言質はとったぞ」
子どものように嬉しそうな瞳に俺は動揺する。見ているこっちが気恥ずかしくなる。
「いや、その……ついで、ですよ? ほ、保険です。それでもいいなら……」
アズさんは取った俺の両手を自分の胸に抱き寄せる。
「ありがとう剣災。アタシは嬉しい。すごく嬉しい。とっても嬉しい」
嬉しいのは伝わったから早く手を離してもらいたい。じゃないと両手に妙に柔らかいサムシングの感触が染み付いてしまう。
「若いな~二人とも」
俺とアズさんのやり取りを見ていたジンエモンさん。
「と、とりあえず! 俺は朝礼があるので!」
俺は強引にアズさんの手をバッと引きほどいた。
「ああ、待て。剣災。その前に例のものだ」
「例のもの?」
俺が聞き返すと、アズさんは工房に数ある一つの木箱をごそごそとあさり始めた。そして取り出したのは、
ゴトン。
「ブーツだ」
鈍重な金属音が響いたそれは靴だった。見た目は完全に金属で、ブーツというより鎧だ。
「ああ! この前言ってた靴ですね! 本当に作ってくれたんですか!」
「鋼竜の爪と牙を加工して作ったブーツだ。頑丈でちょっとした兎なら一発で蹴り殺せる」
不穏なことを言うな。
「その分重いのが玉に瑕だがな……履いてみろ」
「いえ、ありがとうございます」
礼を言いながら履いた。目で見定めたのか、サイズはぴったり。少しひんやりするが、問題なし。
その場で足を上げ下げすると、確かに重いが、走りに支障はないだろう。
「めちゃくちゃ良いじゃないですか! これ本当に貰っていいんですか?」
「勿論だ。早く見せびらかしてこい」
「あざっす!」
俺はもう一度礼を言って休憩室兼会議室に向かう。
工房にいたのはアズさんとジンエモンさんだけ。おそらくそれ以外の職員はまだ出勤時間ではないのだ。いちおう会議室で九時の朝礼と十八時の終礼をするらしい。遅刻してばっかりで未だにどちらにも顔を出せていない。
会議室の前まで来ると、扉の前でヒルダが腕組みしながら壁にもたれかかって突っ立っていた。それも不機嫌そうに。
「遅い」
まるで姑か小姑の小言のように言う。
「……まだ就業時間前なんだけど」
「文句は店長に言って」
どうやら俺はヒルダ伝いにアオネコ店長から小言を言われているらしい。
「……その店長は? 奥か?」
「上客対応中」
「上客? グウィンさん?」
「もっと上よ。皇帝陛下の使者」
「こ……!?」
え、えんぺらー!?
もしかして店の扉が閉まっていたのはめちゃくちゃ秘密の話だからか? でもこの店に?
「こんな場末の画材店に何の用だ?」
「じゃあ、その用を訊きに行きましょう」
「お疲れ様でしゃる」
ヒルダが言い切る前に扉が開いてアオネコ店長がぬるっと出てきた。
「皇帝陛下が場末の画材店に依頼を持ち込んでくれたでしゃる」
……聞こえていたのか。地獄耳め。
「始業前でしゃるが、仕事を始めてもらうでしゃる」
九時の鐘はそのうち鳴る。
会議室に入ると、白装束に目元を隠す白い仮面を付けた人物が椅子から立ってこちらを見つめていた。髪は黒、肌は褐色。
「兄がケンシロー・ハチオージか」
声からして女。
「……そういうアンタは?」
「拙者は皇帝陛下の使者だ。シノビと呼べ」
しのび? 聞いたことあるような単語だな……。
「……シノビさん。どうして俺のことを? 陛下に背反するようなことはしていなかったつもりですが」
するとシノビさんは持っていた本をペラペラとめくって読み始めた。
「つい昨日のことだ。闇市で売られていた片手鍋を流通価格の五分の一の価格で買ったな? 闇市での売買は帝国法で禁じられている」
「…………」
シノビさん、アオネコ店長、ヒルダの視線が俺の体に刺さる。刺さるといってもシノビさんに関しては仮面でまともに表情なんて分からなかった。
「……すみません。執行猶予はつけて下さい」
俺が大人しく両手を差し出すと、ヒルダが「あっさり!?」とツッコミを入れた。
「だが、闇市での売買を逐一取り締まっていたら他の仕事に手が回らない。今回は不問にするかわりに依頼を請けてもらおう」
「……もしかして命かかる系の依頼ですか?」
「そうなる。兄に目をつけたのは闇市での不法取引ではなく、その剣の業だ。養成学校でその手腕はよく聞き及んでいるからな。兄のその腕を見込んでの依頼だ。正直言って闇市云々は飾りでしかない」
俺の剣の腕を見込んで、か。
「請けましょう」
「ちょっと! まだどういう依頼か聞いてもいないのよ!?」
「にゃーん。でしゃるが、この方はきっと色々と理由をつけて剣災君に依頼を請けさせるつもりでしゃる」
アオネコ店長の言葉でヒルダは静かになる。これはチャンスだ。成功すれば未来堂の名も俺の名も売れる。成果によってはもしかしたら特例として宮廷騎士に召し上げられるかもしれない。
「では話を聞いて戴こう」
***
シノビさん曰く、
ヴィクトリア帝国の現皇帝陛下は今年で成人する。それを祝って陛下をテーマに抽象画を描きたいが、その額縁に鋼竜の鱗を使いたいと陛下直々の注文。
鋼竜から採取した鋼は永久に錆びず、表面は傷ついても再生する。その輝きは妖気を放ち、人の心を惹きつける。さらに鋳造すると魔剣になるという優れもの。いや、優れ大業物。
しかし鋼竜の鱗を手に入れるには当然ながら鋼竜の巣へ入らなければならない。しかし鋼竜討伐は何度も失敗していてこれ以上宮廷騎士の犠牲は出せない。
欲しいのは鋼竜の鱗だけなので、それを拾って持ち帰るだけで良いから、ルクレーシャス鉱山まで行って取ってきて欲しい。
ちなみに命の保障はしない。補償もしない。
これは死んでもいい立場であるケンシロー・ハチオージにしか頼めない依頼だ。
……とのこと。
「ふざけてるわ。死んでもいいってどういうことよ!」
「なんでヒルダが怒ってんだよ」
「だってありえないじゃない! こんな優秀な画家を命の危険に晒すなんて!」
勝手に画家にするな。騎士志望だ。
「ルクレーシャス鉱山よ? ドーツ地方の鋼竜が棲んでるっていう噂の」
「噂ではない。これは確定事項だ。鋼竜討伐先遣隊が実際に鋼竜に返り討ちに遭っている」
「だったらなおさら……」
シノビさんの強引なやり方が気に入らないのか、ヒルダは躍起になって反対する。しかし当の俺はなぜヒルダがそこまで反対するのか不思議だった。鱗だか、爪だか、牙だかを取ってくればいいだけの話なのに。
するとシノビさんはペラペラと開いていた本のページをめくり、静かに口を開く。
「ララ・ヒルダ・メディエーター。春先まで未成年無資格でありながら春絵サークル『グレーチーズ』で売り子をしていた女史。メディエーター家が火消しに走っているが、罪に問うことはできる」
シノビさんの一言にヒルダはグッと苦い顔をした。
「……汚いわよ」
「市井を汚くしているのは兄らだ。ララ・ヒルダ・メディエーター、拙者は兄に依頼などしておらぬ。拙者はケンシロー・ハチオージと話している」
ヒルダに追撃の一言。ヒルダはシノビさんの眼中にも入れずにぐぬぬと拳を握るばかり。
「話は聞かせてもらった」
いきなりシノビさんとヒルダの間に入ったのはアオネコ店長……ではなく、アズさんだった。
扉を半開きにして部屋の外からこちらを見つめている。あの人、なにしてはるん?
「アズ、君がビジネスの話に首を突っ込むのはダメだと言っているでしゃる」
アオネコ店長がようやく口を開いた。こいつはこういう時ばっかり……。
「聞き及ぶに、ビジネス以外の話になっていないか? 命がどうとか」
「それはヒルダが過剰に反応しているだけで……」
「はぁ!? 私はあんたを心配して言ってるのに……!」
「でも鱗取ってくるだけだぞ?」
「あんたは鋼竜のヤバさを全然分かってない!」
「だから話は聞かせてもらったと言っただろう」
アズさんは会議室の扉を開けて入ってくる。灰色の麻袋を肩に担いで。
そしてその麻袋を逆さにすると、ガシャガシャと音を立てて銀色に輝く大きな帆立貝の貝殻のようなものがテーブルに落ちる。
俺たちはその様子を唖然としながら眺めていた。鋼竜の鱗だ。
「……ざっと三〇枚といったところだ。これなら額縁も……」
「ダメだ」
シノビさんは首を横に振る。
「必要な鱗は六〇枚ほど。半分も足りていない。それにさっき店主と話してその枚数は勘定済みだ。加えて残り六〇枚ということだ」
「……他の」
「他の画材店からは既に調達済みだ。加えて残り六〇枚必要なのだ」
「ふむ……」
「造る予定の額縁は兄らが考えているような小さなものではない。……陛下は外聞を気にするお方だ。分かってほしい」
そこでシノビさんは初めて俺たちに頭を下げた。断りづらいというか……。
「俺、行くよ」
断る理由が思いつかず、ぱっと俺は手を挙げる。
「ほう……」とアズさん。
ヒルダは呆れたようにため息をついた。
アオネコ店長は「にゃるん」と声をこぼしただけだった。
「鋼竜ってあれだろ? 前皇帝陛下の宮廷騎士千人を咬み殺したっていう伝説の……」
「知ってんじゃないのよ!」
ヒルダが俺の頭をひっぱたく。これでも宮廷騎士志望なんだから知っているとも。
「そいつの鱗を拾ってくればいいんだろ?」
「そうだけど……」
ルクレーシャス鉱山は確かに危ないが、成功すればかなりの見返りがあるはずだ。乗らない手はない。
「報酬はちゃんと支払われるんだろうな?」
シノビさんは真っ直ぐ俺を見る。視線が合った気がした。
「約束しよう。鋼竜の鱗六〇枚を持ち帰れば、二〇〇万ヤン支払おう」
「……ほほう」
見返りすげーいっぱいある。もしかしたらこれやっぱりやべぇ仕事なのかも……。
「ま、まあ、妥当なお値打ち価格で……」
「剣災……」
アズさんがかわいそうなものを見る目で俺を見てくる。たぶんなにかを読まれている。
「納期はいつだ?」
「期限は二ヶ月後。それまでに鋼竜の鱗を六〇枚だ」
「上等」
出発前に皇帝陛下に謁見する約束をして、シノビさんは俺と固い握手を交わして店をあとにした。
そのまま会議室で作戦会議。
アズさんは工房から白い布を被せた彼女の背丈ほどもあるでかい板状の物を持ってきていた。
「……んじゃ、荷造りだな」
ヒルダがため息をついた気がした。
「にゃるん。二〇〇万がかかっているでしゃるからな。頑張ってもらうでしゃる」
とてつもなく現金なやつがここに。
「しかしでしゃる。荷造りには物資が足りない。こんな大きな仕事の経費にゃど、予測もできないでしゃる。食糧と寝袋と……剣災君は魔法が使えないでしゃるから傷薬と小規模な葬儀の費用と……」
「おい、店長。死なせないでください。小さい葬儀にしないでください」
まあ、俺の葬儀にたいした人は来ないだろうけど。
「冗談はよせ、あとは武器だな。心配いらない」
アズさんは白い布を剥く。持ってきていたのは剣だった。しかもとびきり大きい大剣。
「これ、持ってっていいんスか?」
「あの……」
「ああ、名前はたしか……『ナイトキラー』?」
俺、騎士志望なんですけど!? 騎士殺しちゃダメでしょ!
「違うでしゃる。『エンペラーイーター』でなかったでしゃるか?」
「あんたら適当なこと言ってやがりますよね?」
「じゃあ、自分で名付けるでしゃる。任務が成功したらあげるでしゃる」
「マジで!? くれんの……くれるんですか!? えーと、じゃあ……」
マジでなんて俗語を上司に使ってしまった。恥ずかしい。
なにか名前……気の利いた名前……。
「クラウ・ソラス」
うわぁ……と寂れた視線が俺を刺す。
「なんスか! 名付けセンスは同レベルじゃないですか!」
大剣の名前はしばらく保留にしよう。とりあえず大剣は大剣と呼ぶことにする。
このでかい剣が俺の相棒か。いや、ジンエモンさん的には相方か。
「ちょっと待って! 私は!? 私はどうなるの!?」
大剣の名前決めの件が終わった頃にヒルダが切羽詰まったように口を挟んだ。
「私が一緒に行って魔法を使えば……」
「それはダメだ。ルクレーシャス鉱山は魔境。女が入るには危険だ」
「でも……」
「にゃるん。二人とも大切な従業員でしゃる。冷たい言い方をするでしゃるが、もしもの時の損失は少ない方がいいでしゃる。ここは剣災君にひとりで行ってもらうでしゃる」
「その通りだヒルダ。この大剣は保険で持っていくだけで、あくまで目的は鋼竜の鱗六〇枚だ。俺ひとりで充分だって」
ヒルダが心配してくれるのは珍しくて新鮮で嬉しいが、杞憂に過ぎるだろう。
「出発前に皇帝陛下に挨拶があるでしゃる。謁見できるのは剣災君だけでしゃるが、正装して行くでしゃる」
話は済んだと判断したアオネコ店長がこの話題に終止符を打つ。これで俺の仕事は決まりだ。高い報酬ともしかしたら騎士の称号が手に入るかもしれない! 勝った!
――ところで正装ってなにを着ればいいんだろう。
よろしくお願いします。